「今後の労働契約法制の在り方に関する研究会」中間取りまとめ(抄)

(労働関係の展開)

第3 労働関係の展開

1 就業規則
(1) 就業規則と労働契約との関係
  ア 就業規則の規定の民事的効力
 秋北バス事件最高裁大法廷判決(昭和43年12月25日)においては、「労働条件を定型的に定めた就業規則は、(中略)それが合理的な労働条件を定めているものであるかぎり、経営主体と労働者との間の労働条件は、その就業規則によるという事実たる慣習が成立しているものとして、その法的規範性が認められるに至っている(民法92条参照)ものということができる。」とされた。
 民法第92条は、「当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは、その慣習に従う」とあり、最高裁は、この事件において、契約当事者の意思解釈として、民法第92条の「その慣習による意思」を認定したと考えられる。
 その後の累次の最高裁判決においても同様の判示がなされており、就業規則の内容が合理的である限り、労使当事者に労働条件は就業規則によるとの意思があるとして、労働者が就業規則の個別の規定を現実に知っていると否とにかかわらず、就業規則の内容が労働契約の内容になるということは確立した判例であり、また、実際にも労働条件は就業規則によって定められているという事実は労使当事者にも広く認識されているものと考えられる。したがって、この法理を法律で明らかにすることを検討すべきである。
 その際、労働契約の締結時において、明らかに就業規則に規定された内容と異なる労使当事者間の合意がなされたと認定した方が適当である場合もあり得る。また、通常は就業規則に記載されている事項をもって労働契約の内容とするという当事者の意思が推定されているが、就業規則の内容が合理的でない場合にはこの意思の推定が働かないと考えることが適当である。
 そこで、就業規則の内容が合理性を欠く場合を除き、労働者及び使用者は、労働条件は就業規則の定めるところによるとの意思を有していたものと推定するという趣旨の規定を設けることが適当である。この場合、この推定は反証を挙げて覆すことができる。
 なお、ここでいう「合理性」の内容を具体化することについて、例えば、「著しく不合理である場合を除き」とすることを含めて更に検討する必要があるとの意見があった。また、このような就業規則の拘束力に関する議論においては、あらかじめ作成された契約条項である約款の効力に関する理論との整合性も必要であるとの意見もあった。

  イ 就業規則の効力発生要件
 労働基準法に定める就業規則の作成・変更の際の意見聴取及び届出の義務や周知義務と就業規則の効力との関係については、裁判例が混乱しており、整理すべきであって、その際、労働基準法第93条の最低基準効を認めるための要件と労働者を拘束する効力を認めるための要件とは、違うのではないかとの意見があった。

 まず、就業規則に労働者を拘束する効力(労働条件は就業規則の定めるところによるという労使当事者の意思の推定)を認めるための要件としては、「就業規則が法的規範としての性質を有するものとして、拘束力を生ずるためには、その内容を適用を受ける事業場の労働者に周知させる手続が採られていることを要するものというべきである」との判例法理(フジ興産事件最高裁第二小法廷判決(平成15年10月10日))を、法律で明らかにすることが適当である。

 このほか、就業規則に労働者を拘束する効力を認めるためには、できる限り就業規則の作成について労働者が適切に関与していることが必要となると考えられる。
 そこで、労働者と使用者との情報の質・量及び交渉力の格差を是正するためにも、現行の労働基準法上必要とされている過半数組合等からの意見聴取を、拘束力が発生するための要件とする方向で検討することが適当である。
 これについては、常時10人以上の労働者を使用しない小規模事業場においても妥当するので、労働基準法上の義務の有無とは無関係に、過半数組合等からの意見聴取を就業規則の拘束力が発生するための要件とすることが適当である。
 なお、労働者に対する意見聴取の手続としては、個々の労働者に対して就業規則の内容を周知した上で意見を募集する措置を講ずることも認めて差し支えないと考える。
 さらに、上記秋北バス事件最高裁判決においては、就業規則に対する行政官庁の監督的規制の存在が指摘されているが、就業規則を行政官庁に届け出ることを就業規則の拘束力が発生するための要件とするか否かは議論のあるところである。この問題については、より厳格な手続を要求した方が労働者保護に資すること、行政官庁に届け出ることにより労働基準法第92条2項の行政官庁による就業規則の変更命令による是正が期待できるようになることから、行政官庁への届出を就業規則の拘束力が発生するための要件とする方向で検討することが適当である。

 就業規則の最低基準効を認めるための要件については、下記エで検討する。

  ウ 労働基準法上の就業規則の作成手続
 労働基準法上の就業規則の作成手続としては、現在、過半数組合又は過半数代表者からの意見聴取が必要とされている。これについては、第1の5で論じたとおり、就業形態や価値観が多様化し労働者に均一性が低くなる中では一人の労働者代表が当該事業場全体の労働者の利益を代表することは困難となってきていることから、意見聴取の相手方を労使委員会の労働者委員のように常設的なものとすることや複数人とすることが考えられるとの意見があった。
 また、意見聴取義務を協議義務や説明義務とすること、意見聴取義務を維持するとしても労働者側に作成・変更内容を示す時期など意見聴取の手続を指針等で示すことなどにより、より適切なものに充実させていくことが考えられるとの意見があった。
 そこで、就業規則の作成に当たっては現行の過半数組合又は過半数代表者からの意見聴取のほか、第1の5で論じたとおり労使委員会が当該事業場の全労働者の利益を公正に代表できるような仕組みを確保した上で、過半数代表者からの意見聴取に代えて労使委員会の労働者委員からの意見聴取によることを認めることや、意見聴取の手続に関する指針を定めることについて、検討する必要がある。一方、現行の意見聴取に代えて労働者代表の同意を必要とすることについては、就業規則は使用者が一方的に作成するものであるという現行の就業規則に関する判例法理の前提を覆すことや、企業運営への影響が大きいことなどから適当でない。また、労働者代表への協議を必要とすることについては、協議が行われたか否かの判断に当たって、労働者代表と使用者との見解が異なる場合などに監督機関がどのようにチェックするのかとの意見があったことから、慎重に検討する必要がある。

  エ 就業規則で定める基準に達しない労働条件
 労働基準法第93条は、就業規則で定める基準に達しない労働条件は就業規則で定める基準によるべきこと(最低基準効)を規定しているが、同条は罰則規定や労働基準法第104条の申告の対象となる性質のものではない。また、労働基準法第13条のように、労働基準法自体の効力を定めたものでもない。
 労働基準法第93条は、就業規則の民事的効力を規定する重要な規定であって、労働契約法制に上記アのような就業規則の効力に関する規定を置く場合には、これらと密接な関係にある。そこで、労働基準法から労働契約法制の体系に移す方向で検討することが適当である。
 その際、現在の労働基準法第93条は、「就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約」についての定めであるが、個別の労働契約において定めのない事項についても就業規則で定める基準によることを労働者が主張できることに留意すべきである。

 また、就業規則の最低基準効を認めるための要件については、就業規則が当該事業場において労働者との間において効力を持つ客観的なルールであり得るためには、少なくとも労働者がこれを知り得る状態にあることが必要であると考えられることから、実質的な周知が必要であるとする方向で検討することが適当である。
 一方、意見聴取や行政官庁への届出については、使用者がこれらの手続を怠った場合に、労働者が本来主張することができたはずの権利を主張することができなくなることは妥当ではないことから、これらの手続を最低基準効が認められるための要件とすることは適当ではない。
 なお、使用者が特定の労働者に対して就業規則を明示していたが事業場における周知はしていなかった場合には、就業規則が当該労働者との間の契約の内容になっており、当該就業規則に定める労働条件を労働者が主張することができると考えられる。

(2) 就業規則を変更することによる労働条件の変更
  ア 判例法理の整理・明確化
 上記秋北バス事件最高裁判決においては、さらに、「新たな就業規則の作成又は変更によって、既得の権利を奪い、労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは、原則として、許されないと解すべきであるが、労働条件の集合的処理、特にその統一的かつ画一的な決定を建前とする就業規則の性質からいって、当該規則条項が合理的なものである限り、個々の労働者において、これに同意しないことを理由として、その適用を拒否することは許されない」と判示している。
 この就業規則による労働条件の変更が合理的なものであれば、それに同意しないことを理由として、労働者がその適用を拒否することはできないという就業規則の不利益変更に関する判例法理については、秋北バス事件最高裁大法廷判決及びその後の累次の最高裁判決において確立した判例であるということができる。この判例法理は、長期雇用慣行の中で、労働契約を継続しつつ、事情の変化に応じて労働条件を柔軟かつ合理的に調整することに役立つものとして一般に評価されていることから、法律で明らかにすることを検討すべきであるが、その際の規定の方法としては次の二つが考えられる。

案(1) 「就業規則による労働条件の変更が合理的なものであれば、労働条件は当該変更後の就業規則の定めるところによるとの意思が、労使当事者間にあったものと推定する。」旨の規定を設け、この推定は反証を挙げて覆すことができることとする。

 この案は、上記秋北バス事件とその後の累次の最高裁判決において就業規則変更法理が確立しており、一般にも就業規則は変更可能なものと考えられていて、労使当事者はこれを認識していると考えられることから、就業規則の変更が行われる場合にも、当該変更が合理的である場合には当該変更後の就業規則の内容が労働契約の内容になるとの意思が、労使当事者にあるものと考えられることによるものである。ただし、当該労働条件については将来においても就業規則によっては変更しないとの労使当事者間の明示又は黙示の合意があったと認定できる場合も考えられるため推定規定とし、反証を認めるものである。
 本規定によれば、就業規則の変更による労働条件の変更は、労使当事者間の合意の範囲内のものであって、労働契約そのものの変更ではないとされ、契約の一方当事者(使用者)に契約の変更権を与えるものではないため、契約についての一般原則に合致する。

案(2) 「就業規則による労働条件の変更が合理的なものであれば、労働者はこれに拘束される。ただし、労使当事者間で当該労働条件について就業規則によっては変更しないことの合意がある場合には、この限りでない。」旨の規定を設ける。

 この案は、解雇権濫用法理によって解雇が制限されており、解雇と新たな労働者の雇入れによって労働条件の変更を実現することは容易でないことから、企業が経営環境変化に適応して存続し発展するための労働条件の変更の必要性に応じるため、使用者に合理的な範囲内で労働契約を一方的に変更する権限を与えるものである。
 ただし、特定の労働条件について、将来においても就業規則によっては変更しないとの合意があったと認定できる場合には就業規則の変更よりも当該合意が優先することを、法律で明らかにしたものである。
 これに関して、一般的には、法律により一方当事者に契約の一方的な変更権を与える場合には、行政当局による承認が必要とされたり(保険業法第240条の2〜11等)、変更を確認する判決までは相手方当事者が相当と認める範囲の義務の履行で足りることとし判決確定後遡って精算する(借地借家法第11条等)など、厳密な手続が求められている。
 このため、案(2)を取る場合には、このような厳密な手続や代償措置を求める必要性やその内容について、議論を深めるべきである(なお、案(1)においても、厳密な手続や代償措置が必要であるとすることは考えられるが、案(1)は、契約の変更ではなく当事者の意思の範囲内での労働条件の変更であるとの構成を明らかにしているものであり、信義則上相当な手続を取ることは要求されるにせよ必ずしも厳密な手続は必要でない。一方、仮に就業規則変更法理を法律で明らかにするに当たって現行法以上の手続を求めることとする場合には、厳密な手続を求めるべき案(2)によることの方が説明が容易である。)。
 また、案(2)については、どのような場合に「当該労働条件について就業規則によっては変更しないことの合意」が成立したといえるかも問題となり、例えば、「労使当事者間で個別交渉を経て設定された労働条件については、この限りでない」と規定することなども考えられる(案(1)の推定規定においても、どのような場合に推定を覆す反証がなされたといえるかは問題となる。)。

 案(1)、案(2)のいずれを取るにせよ、上記(1)イで検討したとおり就業規則の拘束力について周知などの効力発生要件を定める場合には、就業規則による労働条件の変更についても同一の効力発生要件を求めることが適当と考えられる。

  イ 就業規則の変更による労働条件の不利益変更
 就業規則による労働条件の変更に関して、第四銀行事件最高裁第二小法廷判決(平成9年2月28日)及びみちのく銀行事件最高裁第一小法廷判決(平成12年9月7日)においては、「賃金、退職金など労働者にとって重要な権利、労働条件に関し実質的な不利益を及ぼす就業規則の作成又は変更については、当該条項が、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものである場合において、その効力を生ずる」とされている。ここで、その合理性の有無は、「労働者が被る不利益の程度、使用者側の変更の必要性の内容・程度、変更後の就業規則の内容自体の相当性、代償措置その他関連する他の労働条件の改善状況、労働組合等との交渉の経緯、他の労働組合又は他の従業員の対応、同種事項に関する我が国社会における一般的状況等を総合考慮して判断すべきである」とされている。

 就業規則の変更の合理性の判断要素については、上記第四銀行事件までは多数組合の合意があればほぼ合理性が推測されるとする方向に収斂してきていたが、上記みちのく銀行事件において、多数組合が合意していても、特定の年齢層の労働者に一方的に大きな不利益のみを与えることを認定して合理性を認めなかったため、これをどのように整理するかが問題であるとの意見があった。
 これについて、多数組合の合意は合理性の推測を基礎づけるが、非組合員や少数組合員に関する労働条件の変更の問題もあることから、多数組合の合意だけでは足りない場合とその判断基準を示すことを検討すべきであって、その際、不利益の程度や内容に応じて同意しない少数者に対する説明ないし納得を得るための努力などを判断基準として明らかにしていくことが考えられるのではないかとの意見があった。
 多数組合の合意があることのみによって変更後の就業規則の合理性を直ちに認めることは適当ではないが、企業の実情に即した労働条件の決定を担保することや、合理性の判断について予測可能性を高めることは必要である。そこで、例えば、一部の労働者に対して大きな不利益のみを与える変更の場合を除き、労働者の意見を適正に集約した上で、過半数組合が合意をした場合又は労使委員会の委員の5分の4以上の多数により(これにより労働者委員の過半数は変更に賛成していることが確保される。)変更を認める決議があった場合には、変更後の就業規則の合理性が推定されるとすることについて、更に議論を深める必要がある。なお、労働者の意見を適正に集約したことについて、これを推定の要件とするのではなく、これがなされなかったことを推定を覆す要件とすることが適当であるとの意見もあった。

 また、仮にこのような推定規定を定めた場合においても、推定が働かない場合においては、上記第四銀行事件最高裁判決等において示されている要素を考慮して就業規則の変更の合理性を判断することとなるが、この考慮要素については、指針等により労使当事者に周知する方向で検討することが適当である。
 一方、当該考慮要素を法律で明確に限定することは適当でないとの意見があったが、裁判規範として立法化する際には「合理性」だけでは抽象的でありもう少し具体化が必要との意見もあった。

(3) 就業規則の作成義務の対象労働者
 労働基準法上、就業規則は当該事業場のすべての労働者について作成しなければならず、就業形態や職種、勤務態様に応じて労働条件が異なる場合には、異なる区分ごとに規定を置くか、別規則を定めなければならないが、この旨を明らかにする方法について検討することが適当である。

2 雇用継続型契約変更制度
(1) 問題の所在
 労働契約の個別化に伴い、個別契約において労働者の職務内容や勤務地が特定されている場合が増えている。このようなケースにおいて特定された労働条件を変更する必要が生じた場合などには、就業規則の変更法理によっては対応できない場合もあるため、使用者は当該労働者に労働条件の変更(労働契約の一部変更)を提案し、労働者がこれに同意しない場合には解雇することがある。このような使用者の意思表示はいわゆる「変更解約告知」と呼ばれるが、この場合、当該労働者は事後的に解雇の合理性を争うことはできるものの、いったん雇用契約上の地位を失うという大きな不利益を被ることとなる。
 しかし、このような場合には、使用者は労働者を解雇しなければならないものではなく、労働者が労働契約の変更に応じれば雇用を存続してもよいと認めているものである。そこで、労働者が雇用を維持した上で、労働契約の変更の効力を争うことができるようにすることが必要であり、これは、今後、個別的な人事管理の増大に伴い、就業規則変更法理では対応できないケースが増えてくると、解雇という社会的コストを避ける妥当な解決策となり得るという意見があった。
 実際に、使用者が経営上の必要から労働契約の変更を求めることは日常的に行われており、これに応じない労働者に対して解雇(場合によっては懲戒解雇)がなされた事例も多い。このような現状(事後的に救済される可能性があるとはいえ、労働者に(懲戒)解雇の危険を負わせているなど)に対しては、何らかの有効適切な方策を検討することが、解雇という社会的コストの低減の観点から必要であろう。
 この際、労働者が雇用を維持した上で労働契約の変更の効力を争うことができるようにするための方策としては、使用者が労働契約の変更を提案する際に、労働者が労働契約の変更について異議をとどめて承諾しつつ、事後的に労働契約の変更の効力を争うことを可能にするような制度を設けることのほか、そもそも使用者に変更権を認め、これを行使せずに労働契約の変更の提案と解雇をした場合には単に解雇として扱い、提案された労働契約の変更の合理性は解雇の効力の判断に絡めないこととするなどの方法があるとの意見があった。
 ヒアリングにおいても、労働者が使用者からの労働契約の変更の提案に応じない場合に解雇につながるということは問題であるが、解雇につながらないルール設定であれば意義があり得るとの意見があった。

(2) 検討の方向
 いずれにしても、労働者が雇用を維持した上で労働契約の変更の効力を争うことができるようにするための制度を設けることの意義はあると思われる。しかし、仮に労働契約の変更の効力を争う制度を設けた場合に、労働者に有利になるのか、それとも使用者側に使いやすい手段になるのかが問題であるとの意見もあり、制度を設けたことが安易な解雇や安易な労働条件の引下げにつながることのないよう、労働者の保護に十分に留意する必要がある。
 そこで、このような労働契約の変更の必要が生じた場合に、労働者が雇用を維持した上で労働契約の変更の合理性を争うことを可能にするような制度(雇用継続型契約変更制度)を設けることを検討することが適当である。
 その際の制度構成としては次の二つが考えられる。

案(1) 労働契約の変更の必要が生じた場合には、使用者が労働者に対して、一定の手続にのっとって労働契約の変更を申し込んで協議することとし、協議が整わない場合の対応として、使用者が労働契約の変更の申入れと一定期間内において労働者がこれに応じない場合の解雇の通告を同時に行い、労働者は労働契約の変更について異議をとどめて承諾しつつ、雇用を維持したまま当該変更の効力を争うことを可能にするような制度を設ける。
 その際、労働契約の変更が認められる場合としては、例えば、変更が経営上の合理的な事情に基づき、かつ、変更の内容が合理的である場合であって、労働者と十分な協議を行ったときに限った上で、協議が整わず労働契約の変更に合意を得られない場合にはじめて再度の労働契約の変更を申し入れ、更に労働者が熟慮することができる一定の期間を設けなければならないこととし、その上で当該期間内においてこれに応じない場合の解雇の通告を認め、かつ、労働者が異議をとどめて承諾した場合の解雇を無効とすることなど、労働者の保護に十分留意する必要がある。また、就業規則変更法理など、他の手段によって労働条件の変更を実現することができず、本制度によってしか労働条件の変更を達成できない場合に限られることとする必要がある。

案(2) 労働契約の変更の必要性が生じた場合には、変更が経営上の合理的な事情に基づき、かつ、変更の内容が合理的であるときは、使用者に労働契約の変更を認める制度を設ける。
 この案は、企業が経営環境変化に適応して存続し発展するための労働条件の変更の必要性に応じるため、使用者に合理的な範囲内で労働契約の一方的な変更権を与えるものである。
 上記1(2)アで述べたとおり、一般的には、法律により一方当事者に契約の一方的な変更権を与える場合には、厳密な手続や代償措置が求められていることから、案(2)を取る場合には、相応の手続・代償措置が必要となる。
 その際の手続としては、労働関係においては労使当事者の自主的な交渉を重視すべきであることから、行政が関与する手続ではなく、労使当事者間の協議等を基礎とした手続とすることが適当であり、例えば、本制度による変更権の行使は、労働者と十分な協議を行った場合であって、就業規則変更法理などの他の手段によっては労働条件の変更を実現することができず、本制度による変更を行わざるを得ない場合に限るとすることが考えられる。
 また、代償措置としては、労働者が使用者の変更権の行使に従って就労しつつ当該変更の効力を争っている場合に当該争いを理由として行われた解雇は無効とすることが考えられる。さらに、使用者が本制度による変更権を行使することによって解雇を回避できるにもかかわらず、これを行使せずに労働者を解雇したときには、当該解雇は無効とすることについても議論を深める必要がある。


 なお、案(1)、案(2)のいずれを取るにせよ、有期労働契約については、契約期間中の解除について民法第628条によりやむを得ない事由が必要とされていることから、契約期間中の労働契約の変更についても、自ずからこれが認められる場合は制約されることに留意する必要がある。

 配置転換
 我が国の企業においては、労働者の能力開発や組織の活性化、雇用の維持のために配置転換が広く行われており、従業員300人以上の規模の企業においては、平成13年度中に配置転換を行った企業の割合が約9割となっている。一方、職種・勤務地の限定など、配置転換を限定的に行う労務管理も従来から行われてきた。
 配置転換に関しては、東亜ペイント事件最高裁第二小法廷判決(昭和61年7月14日)により、使用者が配置転換命令権を有する場合であっても、業務上の必要性がない場合、業務上の必要性があっても他の不法な動機・目的をもってなされたものであるとき、労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく越える不利益を負わせるものであるとき等の場合には権利の濫用になり得ることが示された。これについて労使当事者の理解を促進するために、このような権利濫用法理を法律で明らかにすることや、それに加えて権利濫用の要素を具体化してガイドライン等で周知することが考えられるとの意見があった。そこで、配置転換に関する権利濫用法理については、法律で明らかにすることについて議論を深めることが適当である。
 また、従来は、配置転換によっても賃金等の労働条件は変更されないことを前提に配置転換が広く認められてきたと考えられるが、配置転換により労働条件が低下する場合には、このことが権利濫用の判断において考慮され得るとの意見があった。
 なお、権利濫用法理とは別に、例えば、仕事と生活の調和の観点から配慮義務という形での規定をすることは、人事権を過度に制約せずにこれとの調整を図る手法としてもあり得るのではないかとの意見もあった。そこで、配置転換の際に使用者が講ずべき措置について、指針等で定めることについて引き続き検討することが適当である。

 配置転換について、労働契約締結時にその可能性があることを労働者に対して書面により明示しない限りこれを無効とすることや、就業規則等に根拠がなければならないとすることも考えられる。しかし、現実には職種・職務内容、勤務場所の変更の程度によって、配置転換と指揮命令(担務変更など)との区別が困難であることから、法律で規定することが技術的に可能かどうか慎重に検討すべきである。例えば、「配置転換」を「職種又は勤務場所の変更」と仮に定義したとしても、「職種」概念が曖昧な我が国においてはこれが明確な定義たり得るかという問題があり、また、「勤務場所の変更」についても、何をもって「勤務場所の変更」というのか、例えば、同一事業場内での異動や、事業場そのもののごく近隣への移転をどのように評価するのかという問題がある。

 他方、配置転換において最も問題となるのは、労働者が転居を余儀なくされる場合であることから、労働者が契約締結時にその可能性の有無を知ることができるようにすることは重要であるため、指揮命令との区別が可能であると考えられる転居を伴う配置転換については、その可能性がある場合にはその旨を労働基準法第15条に基づき明示しなければならないこととする方向で検討することが適当である。その際、現在労働基準法第15条に基づく契約締結時の明示事項は、概ね労働基準法第89条に定める就業規則の必要記載事項とされていることにかんがみ、転居を伴う配置転換があり得る場合にはこれに関する事項を就業規則の必要記載事項とすることについても、併せて検討することが適当である。

 出向
(1) 出向命令の効力
 出向元と出向先との合意により、出向元との労働契約関係を維持したまま、出向先と出向労働者との間にも労働契約関係を成立させ、出向先において労務に従事させる出向については、1000人以上規模の企業の9割が制度を有しており、大企業を中心に広く行われている。
 出向については、民法第625条第1項により、何らかの形での労働者の同意が必要とされている。そこで、どのような場合に使用者は労働者に出向を命じることができるかについては、裁判例において、労働契約や就業規則に出向を命じ得る旨の規定があるだけで当然にいかなる出向をも命じ得るものではないとされている一方で、個別の出向ごとに労働者の個別の同意が必要であることまでは求めていないとされている。
 ここで、就業規則に一般的な出向を命じ得る旨の規定があること、出向規定が整理されていて処遇等の事項が規定されていること、出向制度が制度化されていることを条件に出向を命じ得るということまでは、裁判例が確立しているのではないかとの意見があった。
 しかし、これらの判断については、各裁判例において明確にルールとして示しているわけではなく、また、出向の実態は非常に多様であることから、出向について一律にルールを定めることは容易ではないとの指摘がなされた。
 そこで、使用者が労働者に出向を命ずるためには、少なくとも、個別の合意、就業規則又は労働協約に基づくことが必要であることを法律で明らかにする方向で検討することが適当である。
 また、労働者が契約締結時に自らの出向の可能性の有無を知ることができるようにすることは重要であるため、出向の可能性がある場合にはその旨を労働基準法第15条に基づき明示しなければならないこととする方向で検討することが適当である。
 その際、上記3と同じく、出向がある場合にはこれに関する事項を就業規則の必要記載事項とすることについても、併せて検討することが適当である。
 あわせて、出向先企業の範囲、出向期間や賃金、退職金など出向期間中の労働条件に関して出向労働者の利益に配慮した詳細な規定が設けられることは、労働者の権利義務の明確化を図る観点から望ましく、これを促進するための方策を引き続き検討することが適当である。

 このほか、出向により労働条件を低下させることは本来あってはならないことであるとの意見があった。さらに、出向命令権があるとされる場合であっても、実際に出向後の労働条件が低下したり、職場環境が悪化したりする場合には、出向命令権の行使が権利の濫用とされ得るとの指摘があったことから、出向についても権利濫用法理を法律で明らかにすることについて議論を深めることが適当である。

(2) 出向をめぐる法律関係
 出向については、出向元と出向先の間の権利義務関係が不明確となりがちであることから、出向労働者、出向元及び出向先の三者が何も合意していない場合に適用されるルールを定めることが紛争の未然防止の観点から有益であるとの意見があった。その際、実態に基づき多くの企業に妥当するルールを定めるべきであるとの意見や、賃金や退職金について規定を置くべきとの意見があった。また、このようなルールは当事者間の合意が優先する任意規定では不十分である可能性があるとの意見や、歯止めとして多数組合と合意をするなどの一定の手続を踏んだ場合に限り別段の定めを優先させることなどが考えられるとの意見もあった。
 そこで、出向労働者と出向元・出向先との間の権利義務関係を明確にするため、例えば、出向労働者と出向元との間の別段の合意がない限り、出向期間中の賃金は、出向を命じる直前の賃金水準をもって、出向元及び出向先が連帯して当該出向労働者に支払う義務があるなどの任意規定等を置く方向で検討することが適当である。なお、当該任意規定と異なる別段の定めについては、単に労働者と出向元との合意で足りることとするか、合意のほかに労使協議等何らかの手続を踏んだ上でのみ別段の定めを認めることとするかについては、引き続き検討が必要である。

 転籍
 転籍元と転籍先との合意により、労働者と転籍元との労働関係を終了させて、新たに転籍先との間に労働関係を成立させる転籍は、1000人以上規模の企業の約4割が制度を有しており、大企業を中心に行われている。
 転籍は、対象労働者が、転籍元との労働関係を終了させ、転籍先との関係で新たに労働契約を締結するものであることから、判例上も、労働者の個別的、具体的な同意が必要とされている。
 この場合に、実質的な同意を確保するために、転籍の際に使用者に転籍の必要性、転籍先の労働条件等の説明や、転籍先の業務内容、経営状況等の情報開示を義務付けることが考えられるとの意見があった。
 そこで、転籍については、労働者の実質的な同意を確保する観点から、使用者は、労働者を転籍させようとする際は、転籍先の名称、所在地、業務内容、財務内容等の情報及び賃金、労働時間その他の労働条件について書面を交付することにより労働者に説明をした上で労働者の同意を得なければならず、書面交付による説明がなかった場合や転籍後に説明内容と現実とが異なることが明らかとなった場合には転籍を遡及的に無効とする方向で検討することが適当である。

 休職
 使用者は、労働者を就労させることが適切でない場合に、休職制度によりその就労を一時免除又は禁止することがあるが、このような休職制度、特に病気休職制度については、労働者にとっては一定期間解雇が猶予され、使用者にとっても労働者が傷病等を被った場合の対応が明確、容易となることから、一般に労使双方にとって有益であるといえるとの意見があった。
 病気休職制度では、休職期間満了時に病気が治癒していなければ自動退職となる場合があるが、休職期間の満了により労働契約が自動的に終了することについては、解雇に関する法規制の潜脱とならないように留意する必要がある。しかし、休職期間の満了により労働契約が自動的に終了する制度を無効とすることは、使用者に、解雇を猶予する期間としての休職制度を設ける動機付けを失わせ得ることから、適当でない。
 解雇に関する法規制の潜脱とならない形で労働契約の自動終了という効果を認めるとすれば、休職事由に応じて適切な長さの休職期間が設定される必要があるが、休職事由は多岐に渡り、これに応じた休職期間の適切な長さも様々であると考えられるため、これについて何らかの措置を講じるためには、休職制度の実態を調査した上で、これを踏まえ慎重に検討することが必要である。
 また、最近の裁判例では、病気休職期間満了時に病気が治癒していない場合に、原職復帰は困難でも現実に配置可能な業務があれば使用者は当該労働者をその業務に復帰させるべきだと解する傾向にあり、これについて法律上明確にすべきであるとの意見が出された。しかし、他方、休職は実態が多様で、実体的なルールを定めることは困難であり、書面で休職の内容を明示させるなどの手続を定めることが重要であるとの意見も出された。
 もっとも、このような休職を命ずる際に必要な手続に関する措置についても、休職事由や休職期間に関する措置と同様に休職制度の実態を踏まえた検討が必要であると考えられる。

 また、休職については、労働基準法第15条により契約締結時に明示する事項となっていることとの均衡から、休職制度がある場合にはこれに関する事項を労働基準法第89条に定める就業規則の必要記載事項にも追加することが適当である。

7 服務規律・懲戒
(1) 懲戒の効力発生要件
 使用者が労働者の非違行為について当該労働者に懲戒処分を行おうとする場合は、原則として就業規則に規定があることが必要であるとの意見で一致した。しかし、就業規則に不備がある場合に、規定された懲戒事由以外の事由について懲戒を行うことができないとすることの妥当性や、就業規則の作成義務がなく現に就業規則等による懲戒規定のない事業場について、懲戒を行うことができないとすることの妥当性については、議論があった。
 この問題に関し、フジ興産事件最高裁第二小法廷判決(平成15年10月10日)においては、使用者が労働者を懲戒するには、あらかじめ就業規則において懲戒の種類および事由を定めておくことを要するとされた。
 就業規則作成義務のない小規模事業場においても、個別の労働契約等で懲戒の根拠が合意されていれば、使用者は懲戒権を行使し得ることには問題はないと考えられる。
 そこで、使用者が労働者に懲戒を行う場合には、個別の合意、就業規則又は労働協約に基づいて行わなければならないとすることが適当である。

(2) 懲戒及び服務規律の内容
 現在の裁判例は、労働者の非違行為が就業規則等に定めた懲戒事由に該当するかどうかを判断し、その際に就業規則等を限定解釈していること、さらに、当該懲戒が権利濫用でないかの判断を行っていることが指摘され、労働契約法制においてもこのような手順で検討していくべきとの意見があった。
 そこで、就業規則等に定めた懲戒事由及び服務規律事項は合理的に限定解釈されるべきとすることについて検討する必要があり、また、懲戒が権利濫用に当たる場合は無効となることを法律で明らかにする方向で検討することが適当である。
 服務規律として定める事項や懲戒事由そのものについて、法律で規制することは適切でなく、ガイドライン等による対処が適当であるとの意見があった。
 また、懲戒解雇の際に、退職金が不支給とされ、又は減額されることがあるが、どのような場合にどの程度これが認められるのかなどについて、退職金の法的性質を含めて検討する必要がある。

(3) 懲戒の手続
 労働者に対する懲戒事由の書面通知、弁明の機会の付与、事前の労使協議等の手続については、これを法律で定め、明確化する必要があるとの意見があった。一方で、労働者の所在が不明な場合や労働者が懲戒手続を逃れるために労働契約の解約の意思表示をしている場合など、手続の遵守を必ずしも求めることができない場合があるのではないかとの意見、中小零細企業の負担をどう考えるべきかとの問題提起、手続を指針で示す方法もあるのではないかとの意見があった。
 不当な懲戒を抑制し、懲戒をめぐる紛争を防止する観点から、減給、停職(出勤停止)、懲戒解雇のような労働者に与える不利益が大きい懲戒処分については、対象労働者の氏名、懲戒処分の内容、対象労働者の行った非違行為、適用する懲戒事由(就業規則等の根拠規定)を、書面で労働者に通知することとし、これを使用者が行わなかった場合には懲戒を無効とすることについて議論を深める必要がある。
 一方、労働者に弁明の機会を与えること等については、これを促進することは適当であるが、これを行わない懲戒を一律に無効とすることについては、労働者が所在不明であるなど使用者が手続を遵守し難い場合があることや、使用者の負担が大きく中小零細企業が対応できないおそれがあること、懲戒処分に時間を要することとなるため、懲戒手続の実施中に労働者が退職してしまう場合があること等から、慎重に検討する必要がある。

 昇進、昇格、降格
 近年では、成果を重視する方向に賃金制度等を変えていく動きが強く、年俸制の導入等がなされているが、このような新しい人事労務管理制度の運用に当たっては、その公平性・客観性がますます重要となっている。このため、年俸額、昇給その他賃金額の決定や、昇進(役職の上昇)、昇格(職能資格の上昇)、降格(役職の引下げ及び職能資格の引下げ)、配置転換、一時金の決定等に活用される人事考課については、その客観性、公平性を確保するための方策が重要となる。しかし、人事労務管理制度及び人事考課については、企業における実態が多様であって、更に近年では制度を変更する企業も多いため、今後の人事考課制度の進展を見据えつつ、方策を慎重に検討すべきである。
 もっとも、労使当事者間の紛争を未然に防止し、労働者が意欲をもって働けるようにするためには、労働者の請求に応じて人事考課の結果を労働者に説明することは望ましいことであることから、これを促進するための方策を検討することが適当である。
 昇進、昇格、降格については、一般に、使用者の広範な裁量権が認められるとされているが、人事権の濫用は許されないことを明確にすることが適当である。さらに、職能資格の引下げとしての降格については、就業規則の規定等の明確な根拠が必要であるとする方向で検討することが適当である。

9 労働契約に伴う権利義務関係
(1) 就労請求権
 労働者が労働を提供する権利(就労請求権)を有するかどうかをめぐっては、裁判例においては、使用者の基本的な義務はあくまで賃金支払義務であり、一般的には労働者は就労請求権を有するものではないとされている。
 これについて、現代の労働者は、働くことによって自己実現をし、生きがいを見いだすものであることや、自らキャリアを形成していくものであること等を踏まえ、就労請求権があることを必ずしも明文化する必要はないとしても、この考え方を見直していくべきであるとの意見があった。一方、就労請求権がある・ないというルールの定め方以外にも、無効な解雇の事後処理の問題や、自宅待機等を命ずる業務命令の有効性の問題として整理することが考えられるとの意見もあった。
 いずれにしても、就労請求権について、その具体的な内容とこれによって生じる法律効果(就労妨害を排除する差止請求ができるか、損害賠償請求なのか、そもそもどのような就労を請求できるのか等)を明確にすることは困難であり、これらを明確にしないままその有無について法律で規定することは、その解釈をめぐって新たな紛争を生じかねず(例えば、就労請求権がないと規定することにより使用者の不当な自宅待機命令等を助長するおそれがあり得る)、適切でないと考えられる。

(2) 労働者の付随的義務
 労働関係においては、その基本的な義務である労働提供義務・賃金支払義務以外にも、様々な権利義務関係があると考えられ、これらは一般に「付随的義務」といわれている。このような付随的義務や、上記(1)の就労請求権について議論するためには、付随的義務の根源として誠実義務があると考えるか等そもそも労働契約における権利義務の全体構造をどう考えるかを議論する必要があるとの意見があった。

  ア 兼業禁止義務
 使用者は、労働者の兼業を禁止し、又は許可制にする等の制限をすることがあるが、このような制限は一般に就業規則で定められるため、裁判においては、労働者がこのような規定に違反したかどうかの判断に際して、就業規則の規定を限定解釈することによって処理されているとの指摘があった。
 労働時間以外の時間をどのように利用するかは基本的には労働者の自由であり、労働者は職業選択の自由を有すること、近年、多様な働き方の一つとして兼業を行う労働者も増加していることにかんがみ、労働者の兼業を制限する就業規則の規定や個別の合意については、競業に当たる場合その他兼業を禁止することにやむを得ない事由がある場合を除き、無効とする方向で検討することが適当である。
 なお、裁判例においては、競業に当たる兼業のほか、企業への労務提供に支障を生ぜしめる兼業について、就業規則の兼業禁止規定に基づく懲戒処分の有効性を認めたものがあるが、このような事案は、本来、現実に企業への労務提供に支障が生じた場合に、当該支障に対する人事考課や懲戒において対処されるべきであって、安全運行が至上命題であるトラック運転手等のやむを得ない場合を除き、一律に兼業の禁止により対処することは適当でない。
 ただし、兼業禁止を原則無効とする場合には、他の企業において労働者が就業することについて使用者の管理が及ばなくなることとの関係から、労働基準法第38条第1項(事業場を異にする場合の労働時間の通算)については、使用者の命令による複数事業場での労働の場合を除き、複数就業労働者の健康確保に配慮しつつ、これを適用しないこととすることについて、併せて検討することが必要となると考えられる。

  イ 競業避止義務
 労働者の在職中の競業避止義務については、信義則(民法第1条第2項)により生ずるものであって、これを認めることについては特に問題であるとの意見はなかった。
 このような労働者の在職中の競業避止義務について、例えば「労働者は競業避止義務を負う」という形で明確化することは疑問であり、信義則などの基本的なルールを定め、後は労使の運営に任せるべきではないかとの意見があった。
 そこで、労働者の在職中の競業避止義務については、民法の一般原則に委ね、特段の規定を設けないことが適当である。

 退職後の競業避止義務については、職業選択の自由との関係から、これを課す契約が無条件に有効とされるものではなく、労働契約の観点から、契約が終了しているにもかかわらず労働者が拘束される根拠と範囲を規定する必要があるのではないかとの意見があった。
 しかし、競業避止義務については、秘密保持を目的とするもののほかに、競争を制限することを目的とするようなものがあるが、このような競争制限的なものに対する考え方が固まっていないという意見があった。また、競業避止義務を課すことができる範囲等を規定するにしても、裁判例は場所的な限定、時間的な限定、代償措置という三つの基準により判断していこうとする傾向があるが、例えば、代償措置が必要であるかどうかについても判断が分かれており、競業避止義務を課す契約が有効とされる場合の具体的な判断基準については、いまだコンセンサスがないという意見もあった。
 一方、手続について、退職後に競業避止義務を課す場合には、就業規則ではなく個別契約で明確な定めを交わさなければならないこととすることや、その期間、範囲を書面により明示することとすることなどが考えられるとの意見があった。他方、退職後については手続を踏んだからといってむやみに義務を課すことはできず実体的判断は不可欠であることから、手続により競業避止義務を有効とするものではなく、手続は最低限必要なものとして位置付けるべきであるとの意見や、退職後の競業避止義務を定めた契約がなくとも使用者に保護が必要な利益があり得るという意見があった。

 退職後の競業避止義務については、まず、労働者に退職後も競業避止義務を負わせる場合には、労使当事者間の書面による個別の合意、就業規則又は労働協約による根拠が必要であることを法律で明らかにすることが適当である。
 ここで、競業避止義務を課す個別の合意等は、労働者の正当な利益を侵害するものであってはならないとすることが適当であるとの意見があった。また、当該義務に反する労働者の具体的な行為が現実に使用者の正当な利益を侵害することを要件とすることも考えられる。その際、「労働者の正当な利益を侵害しないこと」や「使用者の正当な利益を侵害すること」の判断に当たっては、競業避止義務の必要性、競業避止義務の対象となる業種、職種、期間、地域、代償の有無及び程度が考慮の対象となると考えられるとの意見もあった。このため、競業避止義務を課す個別の合意等や、これに基づく使用者の差止請求、損害賠償請求等の主張が認められる場合については、引き続き議論を深める必要がある。
 さらに、退職後の競業避止義務については、競業避止義務の対象となる業種、職種、期間、地域が明確でなければならないとする要件を課し、これらを退職時に書面により明示することが必要とする方向で検討することが適当である。ここで、使用者が当該明示を行わなかった場合の効果について、検討が必要である。例えば、このような場合には、当該競業避止義務を課す合意等を無効とし労働者は退職後の競業避止義務を負わないこととすることや、競業避止義務の対象が明確でないものと推定して使用者が明確性を立証しない限り労働者は退職後の競業避止義務を負わないこととすること等が考えられる。

  ウ 秘密保持義務
 労働者の在職中の秘密保持については、信義則(民法第1条第2項)により生ずる義務のほか、不正競争防止法の規定があることから、労働者の在職中の秘密保持義務を認めることについては特に問題であるとの意見はなかった。
 このような労働者の在職中の秘密保持義務について、例えば「労働者は秘密保持義務を負う」という形で明確化することは疑問であり、信義則などの基本的なルールを定め、後は労使の運営に任せるべきではないかとの意見があった。
 そこで、労働者の在職中の秘密保持義務については、不正競争防止法の定め及び民法の一般原則に委ね、特段の規定を設けないことが適当である。

 退職後の秘密保持義務については、不正競争防止法の定めにより保護されるのは営業秘密に限られ、また、不正の利益を得る目的があった場合に限られることから、不正競争防止法に加えて労働契約上の秘密保持義務を規定する意味があるとの意見があった。また、競業避止義務は直接労働者の職業選択の自由を制約するものであり、知的財産を保護するための手段としてはあまりに強力であるので、企業が競業避止義務よりも秘密保持義務を使う動機付けとなる立法や解釈が必要だとの意見があった。
 しかし、労働者が退職後に保持すべき義務を負う秘密の範囲が過度に拡大したり抽象的なものとなったりすると、雇用の流動化が進む近年の状況の中で、転職を重ねて職業能力を開発していく労働者のキャリア形成を阻害しかねないことにも留意して検討する必要がある。

 退職後の秘密保持については、営業秘密に関しては既に不正競争防止法の規定があり、これにより営業秘密の保護の要請と労働者の職業選択の自由との調整が図られていることにかんがみ、同法の保護する範囲以上に労働者に退職後も秘密保持義務を負わせる場合には、労使当事者間の書面による個別の合意、就業規則又は労働協約による根拠が必要であることを法律で明らかにすることが適当である。
 また、当該合意や就業規則等の規定等については、当該義務に反する労働者の行為により使用者の正当な利益が侵害されることを要件とする方向で検討することが適当である。
 なお、労働者が退職後の秘密保持義務を負う場合には、秘密保持義務の内容及び期間を退職時に書面により明示することが必要とする方向で検討することが適当である。ここで、秘密の内容は時々刻々と変わり得るものであることから、その内容を退職時に明確にすることの重要性を踏まえて、使用者が当該明示を行わなかった場合には当該秘密保持義務を課す合意等を無効とし労働者は退職後の秘密保持義務を負わないとすること等、明示が行われなかった場合の効果について、検討が必要である。

(3) 使用者の付随的義務
  ア 安全配慮義務
 使用者は、労働者が労務提供のため設置する場所、設備若しくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っているとする安全配慮義務は、川義事件最高裁第三小法廷判決(昭和59年4月10日)により確立している。これは、一般に使用者の付随的義務として位置付けられているが、安全配慮義務があってはじめて労働者は就労できるのであって、これは基本的な義務であり、そもそも労働契約上の権利義務について、何が中心的なもので何が付随的なものであるとは簡単にはいえないという意見があった。また、安全配慮義務の保護法益は大きく、労使による契約に委ねきれない点があり、労働契約法制に規定する意義があるという意見があった。
 この安全配慮義務は、その保護法益が重要であることから、これを法律で明らかにすることが適当である。

  イ 職場環境配慮義務
 裁判においては、使用者は、労働者に対し、労働者にとって働きやすい職場環境を保つように配慮すべき義務を負っているとした例がある(三重セクシュアルハラスメント事件津地裁判決(平成9年11月5日))。
 このような職場環境配慮義務については、契約上の債務として認められているとはいまだ言い難く、不法行為法上の注意義務にすぎない面も強いのではないかとの意見があった。
 一方、付随的義務の全般に関することではあるが、債務不履行責任と不法行為責任は確かに違うとしても、救済を求める労働者からすれば保護される利益は共通であるとの意見、一般的な規定を置いて場合によっては債務不履行、場合によっては不法行為として解釈に委ねることはあり得るとの意見があった。
 使用者が職場環境配慮義務を負うことを法律により明らかにすることについては、裁判例上、一般的な職場環境配慮義務の内容がいまだ確立していないため、使用者が保つよう配慮すべき「労働者にとって働きやすい職場環境」の内容が問題となること、また、裁判例上、職場環境配慮義務の内容が近年示されてきているセクシュアルハラスメントに関しては既に雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律第21条によって一定の対応がなされていることから、労働契約法制において、一般的な規定を設ける必要性については、慎重に検討する必要がある。

  ウ 個人情報保護義務
 労働者の個人情報の保護については、既に個人情報の保護に関する法律が成立していることから、使用者は、同法に基づき労働者の個人情報の保護を図る必要がある。しかし、同法は、個人情報を5000件以上保有する事業者にしか適用がない。
 情報化の進展の中で、労働者の個人情報の保護は重要な課題であることから、どのような規模の企業も、労働者の同意がある場合及び法令に基づくとき等の正当な事由がある場合を除き、労働者の個人情報を目的外に使用してはならないことや個人情報を第三者に提供してはならないこと、さらに、不正の手段により労働者の個人情報を取得してはならないこと等労働者の個人情報を適正に管理しなければならないことを、法律で明らかにする方向で検討することが適当である。
 また、このような規定を設ける場合には、労働者が使用者にその義務の履行(目的外での使用の差止め等)を直接請求できることとすることについても、併せて検討することが適当である。
 このほか、労働者が使用者に対して自らの人事に関する情報等の開示を求めることがあり得るが、これに対する開示請求を認めた場合には中小零細企業が対応能力を有するかという問題もあることから、慎重に検討することが適当である。

10 労働者の損害賠償責任
(1) 労働者の損害賠償責任
 労働者に対する損害賠償請求や求償については、茨石事件最高裁第一小法廷判決(昭和51年7月8日)により、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度に制限されている。しかし、この判例法理は労働者に広く知られているとは言い難いことから、これを周知することが必要である。
 なお、「損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度」が、具体的にどの程度の負担割合であるかを明確にすることについては、労働者の働き方が多様化し、学生アルバイトやトラック運転手のように負担割合を相当程度低く考えるべき労働者もいれば、高度の専門性を有し高額の賃金を得て大きな損害賠償責任を負うべき労働者もあると考えられることから、適切でない。
 また、損害賠償責任を制限する際の考慮要素については、上記茨石事件が判示した要素は羅列的に過ぎ、労働契約が多様化している現在においてこれを立法化することは適切でないとの意見があった。

(2) 留学・研修費用の返還
 使用者が労働者の留学・研修費用を負担し、これを金銭消費貸借契約として、留学・研修の修了後一定期間内に当該労働者が退職した場合に、使用者が当該労働者に対してその費用の返還を請求することがある。その際、これが労働基準法第16条の禁止する損害賠償額の予定に当たらないかどうかが問題となる。
 これについては、企業が留学・研修制度を設ける意欲を阻害しないように措置する必要があり、労働基準法第16条の規制とは区別して考えるべきであるとの意見があった。一方、このような契約は、労働基準法第16条違反ではないにしても、その精神とは矛盾するとの考え方もあるのではないかとの意見があった。
 また、例えば、金銭消費貸借契約自体は有効としつつ、退職時に労働者が返還すべき費用の額の上限について、留学・研修後の経過年数に応じてこれを制限することが考えられるとの意見があった。
 そこで、労働基準法第16条の趣旨に留意しつつ、企業が留学・研修制度を設ける意欲を阻害しないよう、業務とは明確に区別された留学・研修費用に係る金銭消費貸借契約は、労働基準法第16条の禁止する損害賠償額の予定に当たらないことを明らかにするとともに、一定期間以上の勤務を費用の返還を免除する条件とする場合には、民法第626条との均衡を考慮して当該期間は5年以内に限ることとし、5年を超える期間が定められた場合には5年とみなすこととする方向で検討することが適当である。また、留学・研修後の勤続年数に応じて返還すべき額を逓減させることとすることの必要性についても、検討する必要がある。
 ただしここで、「業務とは明確に区別された」とはどのような場合であるかが問題となり、労働者の希望に基づき留学・研修が行われることはもとより、留学・研修中に業務を行わせないこと、留学・研修の内容が当該事業場で今後継続勤務するに当たって不可欠なものでないこと等の判断要素を何らかの方法で明らかにすることについても併せて検討する必要がある。

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