05/03/31 第3回「へき地保健医療対策検討会」の議事録について              第3回へき地保健医療対策検討会                       日時 平成17年3月31日(木)                          14:00〜                       場所 厚生労働省専用第22会議室 ○宮本指導課長補佐  ただいまから、第3回「へき地保健医療対策検討会」を開催します。委員の皆様には 年度末のお忙しいなか、遠方よりご出席いただきましてありがとうございます。委員の 出欠を報告させていただきます。本日は北窓委員、新庄委員、清藤委員、高橋委員、松 村委員、元山委員の6名がご欠席です。また本日は自治体の取組についてご紹介いただ くため、島根県から島根県健康福祉部医療対策課副主査の木村様、長崎県から長崎県福 祉保健部健康政策課医療監の大塚様、同じく長崎県福祉保健部健康政策課地域医療班主 査の峰松様に参加いただいています。それでは、座長に進行をお願いします。 ○高久座長  最初に事務局から、提出されている資料について確認をお願いします。 ○宮本指導課長補佐  本日配布しています資料ですが、資料番号1〜4です。島根県からの発表資料、長崎 県からの発表資料、吉新委員からの発表資料、吉田委員からの発表資料をそれぞれ配布 しています。参考資料として本日欠席の北窓委員からの提出資料、前回の会議録、前野 委員から提出いただいた資料を配布しています。ご確認をお願いします。 ○高久座長  よろしいですか。本日は、へき地保健医療について2つの自治体と2名の委員の方々 にご説明をお願いしています。ご説明をお願いする方々については、各自のお立場から へき地医療についてご意見をいただければと思います。最初に島根県の取組の状況につ いて、15分ほどでよろしくお願いします。 ○木村副主査(島根県健康福祉部医療対策課)  ご紹介にあずかりました木村でございます。本日はこういう席で島根県の取組につい て説明する機会をいただきまして、ありがとうございました。時間もあまりないようで すので、早速説明させていただきたいと思います。                 (スライド開始) ☆スライド  島根県は中国地方にあります。日本列島で言うと本州の西のほうで山口県がいちばん 端ですが、山口県の東隣にあります。南側が広島県、鳥取県、岡山県で中国5県となっ ています。医学部で言うと川崎医大というのが岡山にありますが、そのほかに各県に1 つずつ、いわゆる昔の国立大学があり、岡山大学、鳥取大学、広島大学、山口大学とあ りますが、島根大学の医学部だけが、いわゆる新設大学で昭和50年代にできています。  大体8割方が山で、ここに国道9号線、山陰本線が走っています。平野が若干あり、 ここに宍道湖があって中海がありますが、人間は大体この辺に主に住んでいて、人口密 度も松江、出雲と他の所ではかなり違いがあります。それと本日もご出席の吉岡委員の お住まいの隠岐島というのが、本来はこの辺りの位置にあります。40〜80kmぐらい離れ た所に有人離島が4島あります。後ほどまた詳しく説明しますが、それぞれが今は1島 ずつ1つの自治体を形成しています。面積的にはそう広くはありません。18位とか19位 でそう広くはないのですが、東京からは非常に遠方で、山間地や隠岐を抱えているとい うことで、医師確保には難渋を極めてきました。 ☆スライド  字が読みにくいかもしれませんが、医師数です。平成14年度で全国は206人、島根県 は245人です。これは全国11位です。さらに出雲市は14万人の都市になりましたが、9 万人ぐらいの都市の時代だったころには、大学病院と県立中央の2つの大きな病院を抱 えているので、10万人当たり632人という数字です。松江市が302人です。いま市町村合 併で大きくなっていますから、10万人当たりの医師数は減っているはずですが、新しい 統計にはまだしていません。大体輪の大きさを見ていただくと、隠岐とか郡部がかなり 小さい数になっていて、いわゆる医師の偏在化が著明になっています。 ☆スライド  島根県においても自治医科大学出身者1期生が53年に卒業して、初期研修が終わって 55年から隠岐病院に派遣され、以後、3名の学年もありますが、ほぼ2名ずつ島根県の いわゆる過疎地に派遣されています。最初のころは単に医師の確保の難しい所に派遣す るというだけでしたが、平成4年に「へき地勤務医師確保協議会」というのを設置し て、以後、いろいろと支援策を取ってきました。  当初の支援策というのは、自治医大の出身者は内科系の総合医に主になるように島根 県では推し進めてきて、さらに診療所の医師を助けるような制度を中心として、いろい ろな制度を設立してきました。しかしながら、全国的に近年、産婦人科医、精神科医な ど専門診療科の医師も中小病院で確保が難しくなってきました。島根県も同じようなこ とが起こっています。平成16年(今年度)から専門医養成プログラムを準備し、これは 箱を何か作ったわけではありませんが、医療対策課の中に「しまね地域医療支援センタ ー」を開設しました。ちなみに、どこでもそうでしょうけれども、へき地という言葉は 語弊がありますので、県内でへき地医療を語る際においては「地域」という用語変更を 1年前にしたところです。 ☆スライド  先ほど話しました、しまね地域医療支援センターは、医師を呼ぶ、育てる、助けるの 各事業を総合的に推し進めていこうということで、いままでもいろいろ制度を持ってい たのを、主に「呼ぶ」「育てる」「助ける」の3つにして、現在、やらせていただいて います。 ☆スライド  言葉は悪いですが、その中でも目玉商品は「専門医養成プログラム」というものを考 え出し、松江赤十字病院、県立中央病院、松江市立、浜田医療センター、益田赤十字病 院の5つの大規模病院に協力病院となっていただき、そういった大きな病院と地域の小 さい病院を、2〜3年ごとにローテーション勤務ができるようなプログラムです。学会 で言う専門医の取得も睨んでいます。こういったことでこの中に入っていただいて、10 数年かけて医師を養成していく。その中で地域医療勤務をしていただこうという制度で す。  大学の持つ地域医療機能の一部を県が補完的に担うということで、決して大学に取っ て代ろうとか、新しい医局を作ろうという試みではありません。従来、鳥取大学、島根 大学から派遣していただいていた経緯がありますが、続けて派遣していただけるところ には、今後も派遣していただければありがたいのですが、なかなか存続が難しい部分が ありますので、県がそういったところに関与し、精神科、産婦人科、総合医を養成して いこうというシステムです。  去年の10月に1人、外科医がこの中に入ってくれて、邑智病院に現在勤務していま す。この春からプレ勤務ということで、これは大体6年目以降を考えているのですが、 シニア研修、後期研修の3、4、5の学年の医師も、後々ここに入るということで、プ レ勤務をしていただくように、この春から1人出ていますので、現在2名になるところ です。 ☆スライド  時間がないので細かいことは話しませんが、6年目以降を見ています。プレ勤務とし て初期研修もしくは専攻科研修、いわゆるシニアレジデントの学年からもやっていただ くことができます。1ヵ所の勤務は2〜3年とします。大規模病院と地域の中小病院を セットで勤務していただく。バックアップ体制として応援医を派遣することも考えてい ますから、なるべく休みも取れるような体制を作ろうと考えています。10年ぐらい経っ たところで国内研修とか学会等への参加に関する研究費等も準備しています。プログラ ム・サポーターには私がなっています。地域医療の会は、従来は自治医大出身者が定例 会などを持っていましたが、その中に一緒に入っていただいて横の連絡を取ったり、い ろいろな研修をするようなことを考え、今年度2回開催しました。 ☆スライド  これのポイントとしては、身分をそれぞれ県職員、市町村職員又は国家公務員、要す るに公務員としてその身分を継続しようと考えています。給与は所属する病院からとい うことです。病院に雇っていただいて病院会計で給与をもらう。そうすると勤務地によ って給与が上がったり下がったりということがありますが、それは医師の場合、ほかの 人たちもそうですのでやむを得ないということで、給与の上がり下がりもあり得るだろ うということです。退職手当に関してはプログラム終了時に支給します。だから1個1 個退職するところは退職金をもらわずに通算してもらう。そして終わったところでお金 に関してはいた期間、いわゆる期間案分しようという考え方です。 ☆スライド  いまの専門医養成プログラムは、医師を呼んできて育てるというシステムですが、 「赤ひげバンク」というのも平成14年からやっています。これは島根県の地域医療に興 味がある医師等を登録して情報交換等を行い、ネットワークを広げます。 ☆スライド  要はこれに登録していただき、大体3ヵ月に1回、「しまねの地域医療」という機関 誌を作っています。そういったものを出して、その中に求職情報なども入れています。 これは今月の統計ですが、医師の新規登録が203名あります。203と173と2つ数字があ るのは、ドロップアウトがあります。実際に赤ひげバンクから島根県で勤務していただ いている方もいますので、いわゆるドロップアウトの30を除いた数です。そのほか歯科 医師、学生、看護師等のコメディカルも入っていただいていますので、現在は合計333 名と連絡を取り合っています。赤ひげバンクから確保した実績としては、平成14年度に 5名、平成15年度が1名、平成16年度は7名、さらに歯科医師2名、その他看護師、放 射線技師が1名ずつ、このことによって島根県で勤務していただいています。 ☆スライド  「ドクターバンク」はどこもやっていますが、赤ひげバンクは3年後、5年後を見た ものです。ドクターバンクは、どちらかというと今すぐの話で、これは島根県医師会に 委託しています。いわゆる医師の無料職業紹介所です。これも成立人数が1名ないし2 名、この事業が始まってから勤務していただいています。 ☆スライド  この「地域医療支援会議」というのは第9次で、「へき地医療支援会議」を立ち上げ ろと言われていて、島根県においても平成14年度から立ち上げています。ですから先ほ ど話しましたように「へき地」という言葉を使いませんので、島根県では地域医療支援 会議ということになっています。 ☆スライド  こういったところで委員になっていただき、医療対策課が庶務をやっていて運営して います。 ☆スライド  これは全国的な流れと同じ格好で事業がなされています。 ☆スライド  その中に「医師確保部会」を持っていて、これは医師に係わる実態把握で年に2回ほ ど、地域の病院及び診療所の実態調査をしています。それと派遣調整を今年2月に行い ました。 ☆スライド  「へき地医療支援機構」です。これも平成14年度に立ち上げています。現在、島根県 医療対策課に置いていて、言ってみれば地域医療支援センターが、この機構のやるべき ことをすべてやっています。 ☆スライド  専任担当官は私です。 ☆スライド  拠点病院も現時点で14指定しています。 ☆スライド  この確保部会は、へき地にある医療機関からの要望を出していただいて、例えば平成 17年度ですと要望数81に対して、応ずることができる数が41で、大体半分しか応じてい ないことになってしまっていますが、前年度等と比較すると赤ひげバンクとか専門医養 成プログラムで新たに医師に来ていただいていますので、10名だけ多くなったという結 果になっています。ただ、40名という数が確保できなかったという事実はあります。こ の40名も、実は自分の病院の医療機能を拡充しようということもありますので、この要 望を何か線引きして、何でもかんでも上げてもらうと困るという格好にはしなければい けないと思っています。もう1つ、この応じるというのは、いまの自治医大の卒業生、 赤ひげバンク、専門医養成プログラム、そのほか島根大学の協力も得ています。 ☆スライド  しまね地域医療支援センターの医師というのは、こちらが全部人事権を持っているわ けではなく、自治医大の卒業生やいま言った人たち、開業医は入っていませんが、あと 自分でどこかへ就職して、こういった考え方に賛同する医師も入っています。 ☆スライド  ブロック制度というのは、一定の地域において中核となる病院と周囲の診療所とで人 的交流等も持つグループ診療のようなものです。現在、隠岐の島後ブロック、島前ブロ ックと飯南ブロック、さらにこの4月から益田ブロックで開始されることになっていま す。 ☆スライド  隠岐の公立医療機関についてですが、先ほど話しましたように2万4,000〜2万5,000 人がこの4島に住んでいます。吉岡さんのいらっしゃるのは隠岐病院のある旧西郷町、 いまは隠岐島町という1つの町になっています。これを島後の島と呼びます。少し本土 に近いほうが西ノ島、中ノ島、知夫里島で、こちらの話を今日はしようと思います。島 前病院というのは43床程度の病院です。そのほか、それぞれの島に1個ずつ国保の診療 所を持っています。 ☆スライド  これは知夫村と言うのですが、大体700人ぐらいの人口で、自治医大の7期生が1人 派遣され長く住み着いています。ここと島前病院の間は当然陸が続いていませんので船 でしか行けません。大体20数分かかります。 ☆スライド  その知夫に住んでいる医師は、勤務として火曜日と金曜日だけ知夫の診療所で診療し ます。そのほか月、水、木は隣の西ノ島にある島前病院に通勤します。ここで外来をや ったり検査をやったり、入院患者さんを診たりしています。知夫に住居を持っています ので、夜は知夫に帰って家族と住んでいます。 ☆スライド  月、水、木に関して、知夫の診療所には島前病院から内科医師、外科医師、小児科医 師がやって来ますので、700人の島で医師が1人ですが、内科医以外の診療日もあり、 曜日によっては他の医師にも診察を受けることができる制度になっています。 ☆スライド  代診医の制度も平成12年度から始めていて、これは年度途中から始めたので40です が、大体100前後です。今年は産休、育休、それと産婦人科医を中央病院から隠岐のほ うに派遣したりしていて、そういったものも入れると1月末時点で私がカウントした ら、県立中央病院から代診医を出した数は400を超えています。 ☆スライド  遠隔医療のシステムは先ほどの隠岐の2つの病院と、松江赤十字、県立中央とをつな いでいます。ISDN回線でCT画像、MR画像を読影したり、テレビ会議をしたりし ています。 ☆スライド  これは中央病院側にあるもので、こちら側に隠岐のほうからの医療情報、それから隠 岐で撮ったCT写真が写っています。これは脳出血の写真です。 ☆スライド  こちら側が島前病院で、これはCTだけです。こちら側が隠岐病院でCTプラスM R、併せたものがこの緑のもので、大体300〜400件ぐらいやっています。これをその日 のうちに中央病院の放射線科医が読影して返信しています。ですから翌日には撮った画 像の読影所見は返ってきますし、緊急系に関しては当日のうちにテレビなども使って読 影所見を戻すようにしています。 ☆スライド  これはドクターヘリです。県版ドクターヘリと呼んでいますが、空港が松江と出雲の 間にあります。隠岐のほうで急患が発生した場合に、ヘリコプターに医師が添乗して行 くと医師がいなくなる島もありますので、こちら側から医師を乗せて患者さんを迎えに 行くようなシステムです。 ☆スライド  中央病院の屋上にヘリポートがあります。これは本来の意味のドクターヘリではなく 防災ヘリです。防災ヘリを出雲空港に置いておき、5分間ぐらいでここまで飛んで来ま すので、こちらで医師を乗せて隠岐へ行く。そして患者さんを連れ戻す形になっていま す。 ☆スライド  基本的には本土側の医師が同乗するのですが、場合によっては離島側の医師も乗るこ とがありますので、大体100前後になっています。 ☆スライド  ここのところはよろしいかと思います。                 (スライド終了)  今日はしまね地域医療支援センターを紹介させていただきました。医師確保等に関し て、わずかではありますが成果は上がりつつあります。今後も頑張っていこうと思って います。それと今日紹介した医師確保に関してのシステムというのは、医師免許を持っ て、ある程度経った方を対象にしていたわけですが、さらに研修医等定着特別対策事業 というのを立ち上げ、今後、研修医を島根県になるべく多く連れて来て、そのまま残そ うということで、そういった予算を約1,500万円弱いただくことができましたので、ま た新たな事業を開始することになっています。またの機会にお話させていただこうと思 います。 ○高久座長  いまの説明について、どなたかご質問がありますか。木村先生、専門医の養成は出雲 とか松江の病院でやるわけですか。 ○木村副主査  そうです。いま5つの協力病院を出しました。 ○高久座長  だけど最終的には、専門医になったら島のほうに戻るという条件で応援しているわけ ですね。 ○木村副主査  はい。2〜3年ごとに交代勤務します。 ○高久座長  島の方とですね。 ○木村副主査  そうです。 ○高久座長  わかりました。ほかにどなたかございますか。 ○鈴川委員  島根県中央病院の大田先生にも、このシステムをお聞きしたかったのですが、「島前 ブロックとして医師を派遣して、1日はどこで働いて、1日は」、というのがありまし たね。地元市町村からは、そういう回って来るタイプの勤務は好評なのでしょうか。そ れとも逆に毎日いてくれたほうがいいという反応なのでしょうか。 ○木村副主査  実は私はこの島に4年いまして私がいるころに始めましたので、最初のころは高齢者 の方は曜日の感覚が、若干我々より薄いところもあり、戸惑いがあったことは確かで す。しかしながら話がだんだんわかってくると、木曜日に行くと外科の先生がいて、注 射を打ってもらったり処置していただけるとか、入院するのに島前病院のほうに行った ときに、自分の島にいる先生が診に来てくれますので、「先生、おらんと思ったら、こ んな所におったんか」ということで喜んでもらったりもしています。ですから、大体定 着してきていますので好評を得ています。 ○樋口委員  専門医の養成のことですが、後期研修に力を入れておられるわけですけれども、地域 病院に行ったときの経歴として専門医の資格を取るのに、その病院は専門医指定施設で はないのでということで加算されないのです。それで研修医たちが後期研修に入るのを ためらうのが今の傾向です。「全国自治体病院協議会」では各学会に対して、そのよう な経歴をちゃんと加味してくださいと提言しているのです。是非、この会でも、そうい うことで専門医になるのが遅れることで、地域医療に就く人が少なくなることを阻止し ていただきたいと考えています。 ○木村副主査  ありがとうございます。私どものほうも是非、お願いしたいと思っています。 ○高久座長  島根県でこういう専門の人を育てるというだけで、学会認定を取るということとは別 のことですね。 ○木村副主査  視野には入れていますが、どちらかというと。 ○高久座長  それでは時間の関係もありますので、次に長崎県のご説明を伺います。よろしくお願 いします。 ○大塚医療監(長崎県福祉保健部健康政策課)  長崎県健康政策課の大塚でございます。実は長崎県の福祉保健部が組織改正をしまし て、明日、少し我々の健康政策課が変わり、健康づくり部門が国民健康保健室と一緒に なって、国保健康増進課になります。残った我々は医療政策課と名前が変わりますの で、明日からは長崎県の医療政策課で、よろしくお願いします。                 (スライド開始) ☆スライド  長崎県は全体的に二等辺三角形で、実は600ほどの大小の島があり、有人の離島が55 あります。長崎県は150万人の人口ですが、そのうち17万人が離島に住んでいる状況で す。 ですから我が県の医療政策上、離島の医療というのは非常に重要な課題で、それなりに 歴史があると言えるかと思います。いくつかのキーワードがありますが、この辺を今日 は説明していきたいと思います。 ☆スライド  長崎県の人口10万対の医師数ですが、全国が207人に対して長崎県全体では247人と、 非常に医師は多い県ですけれども、約50万人ほどの長崎市は約400人です。それに対し 離島部は全国平均よりも少ない。皆さんに注目していただきたいのは、例えば五島市と いうのは160人いるのですが、本土の松浦、北松浦郡など北松と呼んでいる地域、ある いは島原半島などは実は離島よりも医師数が少ない現状です。 ☆スライド  小さくて見にくいでしょうけど、大村市という所に「国立長崎医療センター」という 離島病院の親元病院があります。そして長崎市に大学病院があって、赤で書いてあるの が「離島医療圏組合」の中核病院です。全部で9つの病院で、壱岐も入れると10の公的 な基幹病院があります。その周りにいっぱい診療所があるという状況です。 ☆スライド  我が県では昭和20年代に保健船による巡回診療というのが始まっています。そて昭和 30年代にへき地診療所ができていき、大学病院の医師が巡回診療をしていました。昭和 35年ごろから「医療圏構想」というのが出てきて、昭和40年代、要は離島で本土並みの 医療を受けられるようにしようということで病院を整備し、それから医師を養成しまし ょうという二本柱で進んできています。昭和43年に離島医療圏組合という一部事務組合 ができ、離島の病院を運営・経営する。そして昭和45年、自治医大開学の2年前に県独 自の医学修学資金という研修生の制度を作っています。  ここに「県養成医師」と書いてありますが、当県では医学修学資金を借りている奨学 生と自治医大卒業生の両方を合わせて「養成医」と呼んでいます。自治医大卒業生が大 体毎年2人、ときには3人です。この定員が4人ですから大体毎年6人から7人の離島 医師が卒業してくるわけです。この6人が先ほど紹介した大村市にある国立長崎医療セ ンターという親元病院で一緒に研修をする。この養成医というのは同じ釜の飯を食った 仲間として育っていくわけです。  こういうのをやってきた結果、長崎県の今までの施策は大離島における病院中心の施 策でした。したがって、いま離島医療圏組合の病院で働いている連中に聞くと、公式に は2.5次と呼んでいるのですが、彼らは2.9次まで島内完結だと言っています。いわば脳 外の手術、心臓外科、未熟児と母体以外は、ほぼ島内で完結できます。PTCAなども やれる所が結構増えてきています。  そういう状況で離島も本土並みだという気持でいたら、最近の課題としては、実は離 島部の診療所の医師が確保できていない。他県だと自治医大卒業生が診療所の医師とし て働いているのですが、当県では全部病院で働いているわけです。診療所の医師の確保 が困難であるということで今年度、昨年4月1日に診療所を支援する「離島・へき地医 療支援センター」というのを、新しい事業として作っています。今日それを紹介しま す。  さらに今後の課題として出てきたのですが、実は離島よりも本土の過疎地域の公的病 院、長崎県の北のほうでは外科医がいなくなって救急告示を辞退するという事態も出て いますので、来年度、明日から我々が新しい事業として始めようというのが、研修医や 大学院生に研修資金を貸与して、その分、貸与期間の1.5倍、こういった病院で勤務し ていただくという制度。  もう1つ、先ほど話題になっていましたが、大学とか国立長崎医療センターの先生た ちとともに、要は我が長崎県においては最短で地域を回りながら学会認定医を取らせ る、そういった専門医養成プログラムを作るための調査を、来年度はやろうと思ってい ます。問題が出てくるのは例えば剖検が3例とか、あの辺が非常に大きなネックになる ので、そこをどうやっていくか、その辺の検討をしていこうと思っています。 ☆スライド  今日、お話するのは「長崎県のへき地医療支援機構推進事業」です。これは国が出し たへき地支援計画で、これは主にへき地の診療所への代診医を確保するといったつくり でしたが、我が県にとってみたら、そういった代診医の問題ではなくて診療所の常勤医 師の確保そのものが大きな課題でしたので、この支援機構を少し補完する意味で、へき 地医療支援機構推進事業というのを平成16年度、今年度から開始したわけです。  その事業の二本柱ですが、1つは「長崎県離島・へき地医療支援センター」という、 これは県庁の我々の課内の離島医療支援班として新設し、これを離島の親元病院である 国立長崎医療センターの1室を借りて、そこに置いています。もう1つが、長崎大学に 長崎県と地元五島市の寄付によって「離島・へき地医療学講座」という5年間の寄付講 座を作ってもらっています。前者が医師の確保と派遣で、後者が離島で勤務する先生た ちの研究の支援をするようなコースです。離島医療というのはプライマリケアをやるこ とにおいては非常にいいフィールドですし、私自身も学位は五島という島の臨床研究で 取っていますし、離島というのは医療をやったり研究をやったりするのに非常にいい所 です。特に疫学研究をするには人口の移動が少ないですし、サンプルとしても使いやす い。我々としてはその辺を売り出していこうという仕掛けです。 ☆スライド  これは「離島・へき地医療支援センターによる支援体制」です。国立長崎医療センタ ーに支援センターというのを県の機関として置きました。ここが支援機構の仕事もしま す。従来どおりへき地医療拠点病院からの代診医の派遣の調整をします。それとは別個 にここで医師を雇って離島の診療所に派遣をする仕事をやる。支援機構の仕事プラスこ の派遣事業をやるのが、この支援センターです。 ☆スライド  支援センターの主な業務は常勤医師の派遣です。全国に公募して県の職員として医師 を採用し、その医師を市町村の診療所に派遣する。 ☆スライド  離島・へき地医療支援センターの派遣医師に応募してもらうために、先生方にメリッ トがないといけないということで、我々としてはこのようなアイデアを作りました。県 の職員として採用します。給与は市町村の給与規定によって派遣中は市町村が支給しま す。各町に条例を作っていただいて、離島医療圏組合病院の医師と同水準、免歴10年目 で1,600万円です。2番目の自主研修はひとつの売りです。派遣期間は、原則として2 年間が1単位ですが、1年半離島の診療所で働いていただくと、半年間有給の自主研修 を保証する。もちろん2年を1単位にしますので3年間勤務して1年間自主研修という オプションも付いています。この自主研修中は県の医療職と同水準の免歴10年目で1,200 万円です。ですから半年だと600万円の給与を保証します。この診療所勤務中も研修期 間中も市町村が給与を払います。県は退職金だけを払うという仕組みになっています。 この自主研修は、例えば離島医療に寄与するという説明が付けば海外に行ってもいい。 その辺は一応、審査をしてオーケーを出したら、どういう研修でもいいというつくりで す。 ☆スライド  支援センターができて、いま2名の先生を、小値賀診療所と池島診療所に派遣してい ます。明日から宇久の診療所に派遣します。明日から行ってくださる先生は自治医大元 教授の笠原先生で、教え子たちがどういう仕事をしているのかということで我々のプロ ジェクトに参加してくださり、明日から宇久町の診療所に行っていただくことになって います。 ☆スライド  いままで私たちは平成16年1月から募集を開始して、問合せ総数約50名、応募者の総 数は8名です。3カ所に対して今まで8名の応募があった。ですから競争率が出ている わけです。条件付きの応募希望者で、自分の後任が決まったら来ていいよという先生た ちが10名ちょっとおられます。応募者及び応募見込みの者が約20名で、この先生たちと はずっとコンタクトを取っています。応募してくれた先生たちのプロフィールは開業 医、救急病院の勤務医、元大学教授と様々です。動機としては県が全面的にバックアッ プするので安心するというのと、半数の10名の方が長期自主研修で、いま池島診療所に 行っておられる先生は3年間働いたら、あとの1年間は発展途上国の医療をやりたいと いうプランで参加しておられます。 ☆スライド  これはいいです。 ☆スライド  簡単にまとめますと、医師養成のための施策が修学資金と自治医大がある。医師確保 のための施策はこんなものがありますということです。 ☆スライド  我が県では離島・へき地医療支援センターという窓口、医療圏組合の病院をやってい る窓口、自治体病院等開設者協議会と、こういった3つの窓口があるのですが、互いに 連携し、実は我々のほうに応募してきてくださった外科医の先生が、5月から医療圏病 院で働くことになりました。この辺の連携をしながら効率よく先生たちを集めている状 況です。 ☆スライド  寄付講座のことですが、この主な狙いは3つです。離島をプライマリケアのトレーニ ング、あるいは臨床疫学の研究のためのフィールドとして全国にアピールしていく狙 い、もう1つは大学の先生たち自身に離島・へき地医療を再認識してもらう。あと離島 ・へき地で勤務する医師が学位を取得できるような支援体制をとる。この3つがありま す。5年間で総額2億500万円の寄付講座です。主に人件費です。 ☆スライド  長崎大学の大学院に置きました。もう1つの売りは、ここに講座を置くだけでなく、 これは五島という離島の五島中央病院でずか、この病院内に「離島医療研究所」を置い たということ。ここに自治医大卒業生の助手の先生が常駐して、教授が行ったり来たり している状況です。 ☆スライド  寄付講座では医学教育研究をします。あと情報システムの開発研究、それから疫学研 究をするというのが計画です。 ☆スライド  基本的に、離島で勤務ができるような専門医というのは、離島という少ないマンパワ ーの地域で仕事をするということ。単に病院の中で仕事をしているだけでは駄目なので す。福祉との連携とか営業能力も求められるわけで、そういった人たちを育成するため には、どういった形の研修がいいかという養成プログラムを開発してもらっているとい うところです。 ☆スライド  もう1つ、離島医療研究所が五島にできたために、長崎大学ではこれを利用した医学 生の離島教育というのを始めています。「地域と連携した実践型医学教育プログラム 」、現代版「赤ひげ」の育成を目指したということです。これは文科省のGPに採択さ れ今年度から動いています。 ☆スライド  医学部の5年生が全員、1週間ずつ、五島という福江島を中心に、病院や診療所や社 協、市町村の保健センターで実習をするというプログラムです。 ☆スライド  実習後にアンケートを行っています。 ☆スライド  実習前に「離島医療に興味がありますか」と聞いたところ、「全くない」という学生 たちがいたのが、実習後は「全くない」はゼロになった。少し興味を持った生徒たちが 増えたというアンケート結果になっています。「将来、離島で勤務したいと思いますか 」に関しても、実習前は「嫌だ」という人が多く、絶対勤務したくないという非常に意 思の固い学生もいたようですが、概ね上がっていったという結果が出ています。 ☆スライド  「離島に勤務するなら、どのくらいの期間勤務したいですか」というのも、実習前は 「勤務したくない」が14%もいたのが、実習後はわずか5%に減った。緑のところです が、中には「2〜4年ぐらいは働いていい」という人もいました。私自身も医局の派遣 で離島に行きましたが、それは医局の人事で行くわけです。行ってみると楽しい。いろ いろなことができる。こういうのを学生のときから少し体験させておくと、もう少し離 島で勤務してもいいという医師も集まるのではないか。長崎大学は旧帝大ではありませ んし、旧帝大の二番煎じをするよりも、こういった離島というフィールドを活かして教 育や研究をやるのも、ひとつの方法ではないかと思っています。 ☆スライド  これが新聞記事です。地元の長崎新聞に「長大生が離島医療を学ぶ」ということで、 ここに書いてありますが、離島医療研究所の前田教授が、「離島へのネガティブなイメ ージが払拭された」と言っていて、こういったことを、我々としてはもう少し進めてい けたらと思っています。                 (スライド終了)  当県でもヘリコプター搬送とかもありますが、今日はその辺は省きまして、医師確保 の話だけさせていただきました。以上です。 ○高久座長  ありがとうございました。何かご質問がございませんか。 ○奥野委員  先ほどのお話の中で、診療所を希望する医師が増えてきているということでした。実 際は応募数のほうが多かったわけですが、これは全国的な傾向のような気がするのです が、たくさんあった応募を絞り込む作業として、医師をどうやって選別するか。面接試 験だけでなく、何か方法を持って絞り込む作業をしているのでしょうか。 ○大塚医療監  実際に競争が出てきたのは、今年度の10月からと明日からの2人の枠に6名の先生た ちが応募されたわけです。その中で健康問題であるとか、やるのは面接だけなのです が、我々としては2名以外の先生方もできるだけ長崎で働いていただきたい。どうして も健康上問題があるとか、面接をしたり経歴を見てちょっと馴染まないという先生はお 断わりして、それ以外の先生に対しては、先ほど少し説明しましたが、診療所以外でも 病院でもいいという先生がおられたら、そちらに紹介したり、あるいは本土の過疎地域 の病院を紹介したりしています。基準はありませんが、基本的に面接でこの先生という 形で選考しています。 ○高久座長  ほかには、いかがですか。 ○吉岡(キヨコ)委員  専門医の話が出ましたが、私の住んでいる地域では内科の医師というよりは、小児科 の医師の不在のほうがすごく問題になっています。小児科医の育成の関係がコースに入 っているのかということと、先ほど社会福祉協議会での実習のことを言われたと思いま すが、診療所実習の方が行政のほうに来られることはありますけれども、社会福祉協議 会の実習というのはどのようなことをされるのか、教えていただけますか。 ○大塚医療監  小児科に関しては、長崎県の場合は離島と言っても大病院がありますので、通常の小 児科は診療所で診ますけれども、大体、皆さん、小児科の先生がいる拠点病院に来られ ます。ですから小児科医が不足して困っているという事態は、いまのところはありませ ん。ただ、小児科医が病院でも不足することが時々あったりしますので、今後は出てく ると思います。むしろ小児科の問題は本土の都市部周辺のほうが、小児科医がいないと いうので少し問題になっています。  社会福祉協議会での実習というのは、例えばホームヘルパーの研修を見るとか、ある いは実際に介護の場面でのお手伝いをするといった類で、社協でやっている事業のお手 伝いをする。医学部の教授の話ですので間接的で正確でないかもしれませんが、基本的 に地元の診療所、保健所、社会福祉協議会に、うちの学生を使ってくれ、1週間預ける からマンパワーとしていろいろ手伝わせてくれというお願いをしているようです。 ○樋口委員  学会の認定医を最短で養成するということですが、どうしても若い先生方は何かの専 門医になりたいのです。ですから地域医療をやっていただくのに地域だけやれというわ けにいきませんので、それを最短でやる工夫を教えてください。 ○大塚医療監  平成17年度に調査事業を検討するために予算化しましたので、大学の先生や地域の病 院の先生たちにそのプロジェクトのメンバーになっていただく。いまのところ先生たち と話すと、先ほども申し上げましたが、例えば内科医を取ることに関しては剖検の3例 が非常にネックになる。あそこをどう工夫できるか。それと多少地域の病院も、そうい った認定施設が取れるような整備をしていただく。そうすると、たぶん大学のほうも指 導医というのを派遣できるようになるので、その辺も含めてどういう方法があるのか。 まだいまは全然アイデアがないので、来年度中には何か出せたらと思っていますので、 そのときは報告させていただきます。 ○高久座長  ありがとうございました。それでは吉新委員からよろしくお願いします。 ○吉新委員  地域医療振興協会の吉新でございます。本日はこういう機会をつくっていただき、あ りがとうございます。私は自治医大の第1期卒業生で、この地域医療振興協会の理事長 をさせていただいていますが、本検討会の座長の高久先生が会長です。自治医大の卒業 生の集団が民間として、へき地医療にどのように取り組んでいるかということを説明し たいと思います。  私ども地域医療振興協会では、地域医療の定義を、住民、行政、医療人が一体とな り、担当する地域の医療資源を最大限に活用し、継続的に医療保健福祉の包括的なサー ビスを計画、実践、評価するプロセス。一種のManagement Cycle、PLAN-DO-SEEです。 地域医療というのはいろいろな使われ方をしますけれども、独り善がりではなく、地域 と対話して地域のためにどうすべきかというのが基本ではないかと思います。  昔はよく公立病院は赤字でいいのだという話を、私たちが現場に行くと聞かれました が、無駄遣いも駄目ですし、赤字ではその組織は廃れてしまう。職員の能力アップもで きませんし事業の改善もできせん。医療設備の投資もできない。すなわち時代に遅れて しまうということです。一時的に良いスタッフを集めても駄目で、継続性とプロセスを 重視して、これでいいというのでなく常に変化することが地域医療の非常に重要なテー マです。その分、厳しさもあるし面白さもあるということです。  協会では、へき地医療というのをとりあえず定義しています。これは私の個人的な見 解もあるのですが、先ほど長崎の方も言われたように、「後任や代替を確保せずに医療 活動を中止すると、地域へのサービスがなくなってしまう場での医療」ということで、 単に山間、離島だけでなく、分野別とか専門領域別でもサービスが止まってしまうと、 そこはへき地と言われるのではないかと思います。協会の中では、へき地医療というの は後任が来るまで止められない場での医療だという言い方をしますし、へき地では独り 診療所がありますが、これは半無医地区で、ドクターが買物で外に行ってしまうと全く 無医地区になってしまう。そのようなイメージを我々はへき地医療の現場と捉えていま す。  一般的には、へき地と言うと離島振興法、過疎対策法、山村振興法での指定公共団体 ということになりますが、これから「総合医」という単語を使いますけれども、総合医 というのは「幅広く日常病や初期救急に対応し、地域医療を担う医師」ということで す。「総合診療科」というのは「総合医から構成され、日常での外来救急などを行う診 療科」と、これから使う単語を定義させていただきます。  協会は昭和61年にできまして、医師を正会員とする社団法人です。自治医大の卒業生 が中心になって作りましたが、もともとは自治医大の同窓会中心に作りました。現在、 会員数は1,600名です。診療所から病院まで28施設、職員が3,000名、医師が約300名、 研修医が40名という組織です。目的は、「へき地医療の確保と質の向上を図り、もって 地域の振興を図る」ということです。いろいろな公益事業や、28の医療施設、老人保健 施設等を運営しています。  先々週、総会が終わったところですが、平成17年度は公益事業が9事業で21億、収益 事業がへき地等を含めてですが、医療施設を運営しており360億ほどの団体です。  協会は、昭和47年に自治医科大学ができましたけれども、昭和53年に1期生が卒業し て、例の9年間の義務年限に入るわけです。昭和62年の義務明けの前に、やはり自治医 大の卒業生がへき地医療に従事し始めましたけれども、とても歯が立たないということ で、義務明け後もみんなでいろいろ協力し合って、へき地をなんとかしていこうという ことで、「へき地医療の確保と質の向上を図り、もって地域の振興を図る」ためにこの 法人をつくらせていただきました。  ちょうどその年はいろいろなことが起こっていて、国立病院の統廃合の計画が始まる 年でもありました。いわゆる第1次医療法改正ということで、病床規制の地域医療計画 が始まった年でした。この2つの法案とも、自治医大の最初の中尾学長先生が委員長を 務められたということで、非常に印象的な年になりました。  その後、順調に平成4年には茨城県の石岡第一病院を我々が最初に開設し、その後平 成6年に初めて自治体病院といいますか、自治体の診療所の公設民営を手がけました。 以下は、国立病院の統廃合にかかわる自治体病院の管理受託。平成13年からは、国から 「へき地医療情報ネットワーク」の運営を受託しております。  平成14年には、国保直診という国保の施設の管理受託を行い、平成15年に臨床研修指 定病院として横須賀市立うわまち病院、旧国立横須賀病院を受託し、昨年1月には社会 保険庁から、東京北社会保険病院の運営を受託しています。  これは、自治医科大学の卒業生の現状の昨年度版ですが自治医大の卒業生は、利尻島 から父島、母島、西は西表波照間島ということで病院が628ですが、これは開業してい る方も入っています。診療所が458です。へき地の診療所に限れば240から250ぐらいだ と思いますけれども、行政にもかなりたくさんの方が進んでいます。  我々は9年の義務年限が終わるとちょうど35歳ぐらいなのです。青い所は非へき地、 赤い所をへき地としますと、義務年限が終わって35歳だとすると、これではとても歯が 立たないから、一部の人々は一生かけてやろうではないか。それで、ときどきへき地へ 行けばいいではないかと。  へき地に行くと大変だというのは、日大病院で昔、ヨネダ医局長がおっしゃっていま したが、30代は自己の研修に悩み、40代は子弟の教育に悩み、50代は老後に悩むといい ますけれども、親の面倒をどうするかとかです。退職後はへき地へ行ってもいいぞとよ く言われますが、これを義務年限の9年ではなくて、65歳ぐらいまでやろうではない か、というのが基本的な考え方にあるわけです。  実際に、我々が昭和62年当時にへき地に残るか、病院に行くのか、専門医を目指すの かといういくつかの選択があったわけですが、やはりへき地の総合医というのはどうも プレステージが低いな、なんでも屋というイメージでよくないなと。研修システムも全 くありませんし、非常にマイノリティだということもありまして、我々の学年では、ど ちらかというと専門医、へき地に残るのは不安だと。前回、奥野先生は、離島に残った 選択肢を話されましたけれども、そういう話があったわけです。  実は、我々自治医大の1期生は昭和55年に現場に出るわけですけれども、そのときに 第5次のへき地保健医療計画が出まして、へき地中核病院という構想が出ました。要す るに、無医地区の巡回診療をすると、いろいろな補助が出るということです。実際に我 々が現場に出たときには、へき地の診療所のみを中核病院に籍を置きながらやりまし た。院内は、ほとんどへき地へ行って帰ってきても、全然関心がないという状況があり ましたけれども、どんどん卒業生が増えてきて、自治医大の人たちが院内にもいるし、 周りのサテライトといいますか、へき地の診療所にもいるということになってくると、 院内では若干孤立ぎみですけれども、地域での全体的なエリアとしてへき地の面倒をみ るという感覚ができていました。  最近では、中核病院にも総合診療科ができて、救急や日常医療のことをやっている仲 間が増えてきますと、代診に行ったりして人事交流が始まりました。いままでは総合診 療部だけだったのですけれども、専門の診療科にも入っていけます。  福井県、山口県や島根もそうかもしれませんが、場合によると、へき地の中核病院と 研修病院が同じ病院で、そこに支援センターができてサテライトの診療所もあるという ことで、だんだんネットワークが大きくなってきました。へき地の施策が有効という か、へき地に安心して残れるような仕組みができたのだと思います。  我々は、義務が明けて20年経つわけですけれども、大きな変化があったと思います。 拠点病院とへき地診療所ということになったのですが、いままでは拠点病院という単語 自体もありませんでした。1つは、連携の内容が明確になったと思います。初めは、休 暇のときに代診医を中核病院に頼むなどというのは許されないような事情がありまし た。観光地では、ゴールデンウィークや8月などに5、6倍の人が来ても1人で対応し なければいけないという状況でした。ところが、そういう繁忙期や休暇を取りたいとき には堂々と休めるようになりました。あとは、いろいろな個人的悩みにも対応してもら えるように、拠点病院とへき地診療所の連携の内容が明確になってきました。  我々が出たときには、プライマリケアとか、GPとか総合医という単語はなかなか認 めてもらえないというか、何でも屋でいいかげんなやつらだみたいなところがありまし た。ところが、へき地には総合医が重要だということで、現在は総合臨床研修方式にな っています。我々、その走りの仲間としては現在の総合研修の人たちを見ていても、き ちんと教えられる総合医が必要だということで、両方が認知されつつあるということで す。  いままでは、へき地へ片道切符で行ってきたわけですけれども、これからはへき地へ 行ったり来たりできるし、総合医というポジションの方が地域にどんどん増えてくるの ではないかと思います。協会はそういう形で、都市部とへき地、診療所と病院、専門と 総合という所を行ったり来たりしながら地域おこし・村おこしをしていきたいと思って います。  現在協会の施設は28と言いましたけれども、青森から奈良まであります。今後も少し 増える予定です。現在は28施設でやっていますけれども、紫に塗った所はへき地の施設 です。義務年限後そのまま残って、そこを協会が管理運営するという施設が多いわけで す。現在、臨床研修病院は、今年申請する奈良を入れると4病院、地域の中核的な病院 が5病院、へき地の病院が3病院、へき地の複合施設が5施設、診療所が6施設。あと は在籍出向で、現在は協会の身分で六ケ所村と久米島にドクターが2人、神津島に1人 がローテーションで行っています。  運営に至った経緯としては、国立病院の移譲、あとはへき地の関連で自治体から運営 をお願いされた施設が多くなっています。へき地ですけれども、診療所によっては1日 の外来が13人しか来ない所から、研修病院では490人を超えるような施設まで様々です。  現在、ドクターは自治医大の卒業生が2割、他大学で協会に就職した人が2割、大学 からの派遣が3割という状況です。現在、研修センターは伊東、横須賀、東京北の3病 院です。昨年は、マッチング希望者が62名いまして、昨日の発表で17名の予定が、伊東 の1人が落ちて16人になりました。通していただければ、へき地医療は明るくなったか もしれないのですが残念でした。そういうことで、いまは40数名の方がいます。  公益事業を簡単に説明します。学生対策をしたり、自治医大の学生や他大学の学生を 夏に、へき地・離島に連れていったりしております。昨年は、神津島と伊豆大島へドク ターを乗せて、ヘリコプターで巡回診療を行いました。かなり大枚をはたいてしまいま して、1分1万円ぐらいしましたが、みんなに喜んでいただきました。我々の病院で は、救急患者の搬送のときにはヘリコプターに乗ってくれということがあって、それで 小児科のドクターが行ったりということも起きています。少しヘリコプターに慣れてお こうという要請もあったので行わせていただきました。  最近の協会の活動として面白いのは、オレゴン州立健康科学大学(OHSU)という のがあり、オレゴンというのは、アメリカの西海岸に非常に大きなへき地を持つ大学で す。そこは、ファミリーメディシンのプログラムが非常に人気があるということで、毎 年2人ずつ教授が来てくれます。来月からドクターが来ますけれども、こちらからも行 って、相互に交流をしています。アメリカの西海岸のほうでは、ファミリーフィジシャ ン、産婦人科が非常に強く、グループで動いています。我々も、小笠原などの島々で は、婦人科のニーズは非常に高いので、日本でもそういった総合医を養成しなくてはい けないかという話をしています。  ナースもへき地・離島では足りません。昨年は、島根県へ我々の所から2人のナース に行ってもらいました。明日からまた行くことになっています。医師も不足しています けれども、ナースの対策も併せて必要かということをいま感じています。  画像電送や、テレビ会議システムというのは我々も非常に重視しています。協会内で は、すべての施設がVPNでつながっています。テレビ会議のシステムや、レントゲン の読みをテレメディシンでやっています。個人情報で、いわゆる画像の部分と、レポー ティングシステムが一体だと非常に問題だということで、これからどのようにやるかと いうことをいろいろ検討しているところです。  これが、国から受託をしている「へき地医療情報ネットワーク」です。年に数名、求 人・求職がマッチして斡旋することがあります。  これは現在派遣している、六ケ所村、宮城県の大和町、神津島、久米島です。久米島 は、突然ドクターがいなくなってしまって、6名のところを2名ぐらいしか県で確保で きないということで、いま2名を派遣しています。ナースは、島前に1名と三宅島に派 遣しています。  最後に「お願い」を申し上げます。できれば、第9次までの施策は今後も続けていた だきたい。へき地の支援機構などは、是非今後も続けていきたいと思います。  願望としては、国としてなんとか総合医という制度をつくっていけないか。先ほど樋 口先生から、専門医は若い人が目指す方向だと言われましたが、できれば国として、へ き地・離島などにふさわしい総合医像を明確化し、養成できないのか。  いま、私どもは7つの旧国立病院をいただいて、へき地の拠点にしていますけれど も、今後もこういういい話があるのであれば是非持ってきていただきたいと思います。 噂では、労災病院や社会保険病院も民営化という方向があるので、いい話があれば是非 乗らせていただきたいと思います。  最後の最後ですが、自治医大を是非西日本にもつくっていただいて、へき地医療がよ り充実すればいいと思っています。 ○高久座長  ご質問がありましたらお願いします。 ○樋口委員  自治医大があってよかった、ということをしっかり実績として残してくださっている ので、大変敬服いたしました。総合医に関してですが、先生方は国診協に入っておられ ますね。 ○吉新委員  入っています。 ○樋口委員  国診協で国に要望しているところです。これは、私たち全自病協も一緒になって要望 しているところです。  資料の6頁の、自治医科大学の卒業生の現状という日本地図にポチポチポチとなって いますが、これを見て人口密度ではなく、医師密度がこんなに違うのだということが、 この図に如実に現れているわけです。私が言いたいのは、自治医科大学の定員が、各都 道府県一律2、3名というのを地域枠差を考慮しなければならないのではないか、とい うことを提案したいと思います。 ○吉新委員  そのためには、西日本にもう1つつくると少しはよくなるかと思います。 ○高久座長  次に、吉田委員から「ITによる診療支援」ということでお願いいたします。 ○吉田委員  旭川医大の吉田です。本日はこのような機会をいただきまして厚く御礼申し上げま す。これから島の医療、過疎地の医療の話をしますが、委員の皆様のみならず本日は報 道関係者の方もいらしています。特に、高久先生と医政局長には、いつもお世話になっ ています。北海道において、苦労しながらどんな医療を展開しているかという1つの試 みをぜひお聞きいただきたくご紹介いたします。 先ほど来、長崎や島根などいろいろな話が出ていますが、北海道では医療環境はもっと 劣悪です。そういう中で非常にうまくいっていることと、うまくいっていないことがあ ります。本日は、遠隔医療という切り口から、まず12分のビデオを見ていただいて、そ れから島の医療の経済効果、島で遠隔医療をやったらどのような経済効果が生まれる か。これは、平成16年度の厚生科研で予算をいただき行わせていただいたものですが、 その結果をご紹介し、15分ぐらいで終わらせたいと思います。                  (ビデオ放映開始) ☆ 北海道は、冬は非常に長く約6カ月雪が降っています。その長い冬でも、もちろん 病院では医療をやらなくてはならない。 ☆ 北海道には空港が13カ所あります。北海道は、九州と四国を合わせた面積より広 く、問題になっているのは過疎化と、医師の偏在です。平均の医師数は全国以上です。 ☆ これから、画面上に年表が出てきますけれども、12年間の遠隔医療の歴史を示しま す。まず始めたのは、旭川と余市町という200kmの間でです。 ☆ 1994年の北海道新聞の一面トップ記事です。  カラーの動画で、リアルタイムにISDNで、双方向の遠隔医療をやったというの は、この当時ではほかに類がありません。 ☆ 7時のNHKニュースです。インフォームドコンセント、特に糖尿病の患者の眼の 治療において、患者家族の協力が必要で、こういう手術公開も行ってきました。 ☆ 1995年に東大医療情報部の教授だったころの開原先生が、旭川に面白い男がいると いうので呼び出していただき、10年後の医療を2人で語りました。10年後は、おそらく 「情報を動かす時代」になるだろう、というのがこのときの二人の結論でした。 ☆ 次に、ISDNの64の回線から、私たちが注目したのは光ファイバーでした。こ の光ファイバー(1.5メガ)は、松下電器にコデックを作ってもらい、光ファイバーを 使った、日本で初めてのリアルタイム遠隔医療を行いました。 ☆ 当時の様子です。左側に旭川、右に釧路、真ん中はモニターテレビを示していま す。 ☆ 右の釧路の眼科医が眼の検査をしていますが、それと全く同じ動画像がリアルタイ ムで光ファイバーを通して旭川にきます。1秒間に30コマの動画ですから、本当にスム ーズな画像で、当時は非常に満足していました。 ☆ これがあっという間に北海道内に広がりまして、1996年に旭川から福島県までもネ ットワークが広がりました。 ☆ 私はハーバード大学医学部に4年間留学していたものですから、1996年にその時の 師匠が弟子のやっていることを見に来ました。ちょっとお見せしましたら、非常に感激 していました。 ☆ これは、札幌から150km離れた所から来る画像ですが、涙の層まで見えます。 ☆ アメリカは、当時はゴア副大統領がいらして、情報立国と言われておりましたが、 まだこういう遠隔医療はやっていませんでした。 ☆ そこで、日米の国際遠隔医療をやろうという提案をハーバード大側から出され、こ れがG7のプロジェクト(GIBN)に指定されて、私たちは初めてハーバード大と旭 川医大の間で行いました。 ☆ これは、旭川医大の手術場で、眼科医が手術をしています。それを、リアルタイム にアメリカに送って、双方でディスカッションしながら手術を行うという国際遠隔医療 の始まりです。 ☆ 声と、画像の遅れは0.02秒で、極めて一致しています。 ☆ アメリカでは、ゴア副大統領の推選があり、マサチューセッツ州の知事賞が、G7 の国際遠隔医療プロジェクトを日米間で初めて成功させたということで、旭川医大とハ ーバード大学に与えられました。 ☆ これは、うちの留学生が賞状を頂いているところです。 ☆ プロクラミネーション(宣言文)という形で書かれています。ハーバード大と旭川 医大は世界で初めて国際遠隔医療を為し遂げた、ということが明確に記されています。 ☆ 次に、こういう医療を地域に還元したいということで、ハーバード大、旭川医大病 院、地域の病院の3つを結んで、三元遠隔医療を開始しました。患者は、地域の病院に います。 ☆ 眼科の患者ですけれども、その病院の眼科医が眼の検査をしていて、その画像をハ ーバード大と旭川医大へ送って3地点で双方向で話をする遠隔医療が、国際的で地域貢 献もできるようになりました。 ☆ 1998年には、中国と画像伝送が始まりました。これもリアルタイムです。 ☆ これは、中国から送られてきたライブの手術です。角膜をそぎ取っています。ここ にレーザーを当てる、いわゆる近視を治すエキシマレーザー手術です。 ☆ この様な遠隔医療の取り組みが評価され、平成10年度の補正予算8億5,000万円を 文部科学省からいただき、旭川医科大学に、国内唯一の「遠隔医療センター」が出来上 がりました。 ☆ このセンターでの活動を紹介します。右画面に150km離れた苫小牧の患者さんがい ます。私がその患者さんの手術をしたのですが、術後は1回もその病院には行っていま せん。左画面は、遠隔医療センターです。 ☆ これは、光ファイバーを通して来た画像です。創部とか、その周囲の毛細血管1本1 本まで見えます。 ☆ 病理です。これは名寄市立病院ですが、残念ながらこの病院に病理医はいません。 ☆ 脳外の開頭手術で組織を取って、左上の名寄の技師がプレパラートを作り、顕微鏡 にセットします。右下の旭川医大遠隔医療センターの病理医に画像を伝送します。これ は名寄の顕微鏡ですけれども、旭川からのリモートコントロールで動き、見たい所、倍 率が変えられます。 ☆ 北海道では、病理医が非常に不足していて、名寄とか北見という都市にも病理医は いません。 ☆ この症例は、結局悪性だということになりまして、脳外の手術が再開され大きく患 部を取り除きました。 ☆ 放射線科です。このように、まず読影依頼がファクスで旭川医大に来ます。 ☆ そして、夜中にたくさんの画像を送ってきて、翌朝、放射線科医は、このようにレ ポートを書きます。北海道では、放射線科医が著しく不足しています。 ☆ 手術支援をお見せします。これは、美幌町立病院にいる眼科医です。眼科医が、鼻 から内視鏡を入れて、実はこの鼻のいちばん奥には涙嚢がありますが、これが化膿して います。これは、眼科と耳鼻科で手術しなくてはならないのですけれども、美幌には眼 科医しかいません。 ☆ 「ここですね」「はい、あまり奥へやると、たぶん痛いと言うと思うんです」。 ☆ 「あまり奥へやる」というのは、実は、これは旭川医大の遠隔医療センターにいる 耳鼻科の助教授がナビゲーションしています。眼科と耳鼻科と一緒にやっているのです けれども、美幌町立の術場には眼科医しかいません。 ☆ ここにちょっとした工夫があります。この手術支援はいろいろな科でやっていま す。 ☆ こういうことで、眼科医は1人で、耳鼻科の先生がネットの裏にいますので、こう いう手術ができます。 ☆ 北海道にもいろいろな島があります。去年、新しく高橋はるみ知事が誕生しました が、島の眼科医療をなんとかしてほしいという依頼がありました。 ☆ 利尻島です。利尻島には、稚内からこういう船で1時間40分かかって行きます。と ても患者が移動するような船ではありません。私どもでも船酔いしてしまうような、非 常に劣悪な状況です。 ☆ そこで、私たち眼科は月に1回この島へ行き診療を開始しました。 ☆ この患者は80歳なのですけれども、すごく元気なのですが、眼だけが白内障なので す。 ☆ 月1回ですから治療はできません。左にいるのは、稚内市立病院眼科の井上医師で す。 ☆ このことが、読売新聞の一面に報道されたのですが、「島に眼科医が来る日、利尻 で月1回診療、船での通院から開放、お年寄りに目配り」と出ました。 ☆ それで、次に考えましたのは、当然離島の遠隔医療です。 ☆ 左は利尻島病院、右は稚内市立病院眼科、右下は旭川医大、左は札幌メモリアル眼 科、このように4地点同時でやります。 ☆ 左上の患者さんは、糖尿病で右眼失明です。左眼が急に見えなくなりました。 ☆ 利尻で診察しているのは、5年目の稚内市立病院から出張で行った眼科医です。 ☆ 右は、光覚がないということを確認しています。 ☆ 眼科医は、顕微鏡で診察するのですが、その画像が稚内、旭川、札幌に来ていま す。 ☆ この画像は、機械は小さいのですけれども、非常に鮮明です。 ☆ 「残念ながら、この右眼は失明しています。問題は左です。」 ☆ お互いに所見を確認しています。 ☆ そして病状を説明します。 ☆ 稚内では手術機械が足りないのでできないということで、旭川か札幌を選んでいた だかなければなりません。患者さん、その家族とこの遠隔医療システム(テレビ電話) で相談し、札幌で私が手術をすることになりました。ほんの瞬時にこういうことが決ま ります。 ☆ この患者は、島で決断し、札幌で手術を受けました。患者さんの他病院への無駄な 受診がなくてすみました。 ☆ 次の例です。白内障の患者です。 ☆ 片方手術をしています。 ☆ これは、稚内の井上医師が、テレビ会議でいついつ手術をしましたと言っていま す。 ☆ 反対の眼なのですが、ちょっと難しいので、結局旭川医大に来てもらって手術をす ることにしました。このようにして、瞬時に物事が決まるというのは、患者さんと我々 医師にとって非常なメリットです。 ☆ これが、全国唯一の遠隔医療センター、私たちの遠隔医療センターがつながってい る、国内32施設と、海外の2施設です。旭川医大では17診療科のうち15診療科が、いま 毎日遠隔医療をやっています。 ☆ これは、内閣府の「時の動き」ですけれども、e-Japan戦略が出たときに、日本は もとより、世界に先がけて遠隔医療、電子カルテに取り組んでいるということで、2頁 にわたって紹介されたのですが、これが非常に皆さんに注目されるようになりました。 ☆ これは、昨年3月の、e-Japan重点特命委員会です。額賀政調会長が委員長で、そ こに私が呼ばれて講演をしました。 ☆ 自民党の党本部です。 ☆ この辺から、各省庁、都道府県のいろいろな方から意見を求められるようになりま した。 ☆ 私たちは、こんなこともやっています。これは、旭川医大の手術場で手術していま す。これは、3次元の手術です。その3次元の画像を、そのまま札幌の病院に転送して います。 ☆ これは眼内レンズですけれども、眼の中に入れるのは深くても浅くても駄目なの で、ちょうどいい場所にということは、やはり3次元の画像でなければ判定できませ ん。 ☆ これは、現在の旭川医大の手術場です。昨年改築したばかりです。 ☆ ここには、こういう装置が入っていて、これも3次元の影像で手術を記録していま す。 ☆ そして、これは3次元のハイビジョン画像です。 ☆ 総務省から研究費をいただいてやっています。 ☆ これは、総務省のPeer to Peer(P2P)というプロジェクトですが、今年の3月 に終わります。 ☆ 遠隔医療です。患者がいます。この患者は、いろいろな病院を受診していることが わかりました。そして、その患者の許可を得て、いろいろな病院にアクセスして、そこ の電子カルテを、私の手元にそのまま電子カルテごと伝送してもらいます。 ☆ 北見日赤に受診していましたので、北見から電子カルテをスポッと貰って、そして 手元に持ってきます。 ☆ それで、文字情報、あるいは静止画の情報、あるいは手術の3次元ハイビジョンの 画像も伝送してもらい、私の手元で各病院で行った治療を確認しています。 ☆ 文部科学省、あるいは厚生労働省が全国津々浦々に電子カルテを普及させようと努 力していますけれども、旭川に受診した山田太郎さんが、山田花子さんが、過去に東京 や鹿児島の病院に通院していても、全国津々浦々の情報がカルテごと伝送でき、旭川の 私の手元で瞬時に見られるというのが、いわゆるP2Pのプロジェクトの成果でありま す。おそらく、将来はこのような医療環境になるだろうということで、いま北海道で色 々と取り組んでいます。                 (ビデオ放映終了)  次に、遠隔医療の問題点について述べさせていただきます。遠隔医療は、医療サービ スの構造改革だろうと大変おこがましく言わせていただきます。医療過疎地の本当の問 題は、いままで皆様方がおっしゃいましたように、医師が足りないのではなく、身近で 高度な専門医療が受けられないということです。  例えば、利尻島のような所へ行っても、失明寸前の方は決して家庭医に診てほしくは なくて、専門医が必要なのです。そういうときに、専門の医師がすぐその場に行けるよ うな仕組みが遠隔医療だと思っています。医療制度改革には時間がかかります。最も効 果的で即応性のある対策が遠隔医療の推進と考えます。遠隔医療は実験段階から実用段 階に来ています。  私たちは、「ユビキタス遠隔医療」と言っています。高度の専門医療をへき地にまで 確実に提供できるための遠隔医療です。へき地医療を救う救世主となり得る。全国の医 療レベルを底上げできる。  それから、後でお話しますが医療費の削減に寄与できる。これに、私は非常に興味を 持っていて、患者の無駄な受診行動、検査の繰返しを避ける。それから、時間の損失、 あるいは逸失利益の抑制。家族が患者と一緒についてきて診察を受けるために、仕事を 休んで失った利益を抑制することにも寄与できる。患者家族の移動、休業の費用、所得 の損失を抑制できる。  将来は先ほどお見せしました、Peer to Peer(P2P)などの情報技術を用いると、 電子カルテ間の情報流通にも使えることがわかってまいりました。間接効果としては、 もちろん情報産業の底上げがあります。  この遠隔医療を推進するにはどういうことが大事なのか。遠隔医療センターの設置は 大事です。おそらく都道府県に1つのセンターがあれば、先ほどの長崎、島根、信州な どにもミニセンターができていますが、そこをどの診療科でもできるような本格的なセ ンターにしていただければ、地域はきっと恩恵をこうむると思います。ノウハウは私た ちにありますので、どうぞご利用ください。旭川医大では、17診療科のうち15診療科が 使っています。  それから、ちょっと専門的になりますけれども、全国規模の「運営協議会」をつくっ ていただき、こういうのが遠隔医療なのだということを定義していただきたいと思いま す。決して「メールの添付で送り合う」のが遠隔医療ではありません。そこにDICO Mとか、画像の基準化があって、そういうものでなければ遠隔医療と呼べない。後から 出てきますけれども、診療報酬の請求等にもかかわりますので、きっちりとした基準が 必要だと思います。そして、実際には設置よりも運営に問題があって、診療報酬上での 評価、いまは病理と放射線は認められていますが、それ以外の遠隔医療は点数がついて おらず、例えば遠隔医療加算として、本来の診療点数に50%とか加算していただけれ ば、皆さんも一生懸命できるのではないかと思います。  それから、私たちのように一生懸命やりますと、専任の医師が足りなくなったり、あ るいは職員が足りなくなったりします。これは、おそらく文部科学省との、あるいはい まは独立行政法人になりましたから、その法人内の努力だと思います。  もう1つ大きな問題としては、地方自治体からの支援です。いま地財法が非常に引っ かかっています。これは名義貸し等のことでも問題になりましたけれども、この地財法 の弾力的な運用というのが、遠隔医療の将来にかかわってくるのだと思います。地方自 治体から、旧国立大学病院へも金銭的支援が出来るよう、この辺の弾力的な運用は、い ま総務省にお願いしているところであります。  ここで非常にびっくりしたことがあります。遠隔医療システムを導入した経済効果を 見てみました。これは利尻島の医療のことです。効果をいくつかに分けました。(1)移 動費用や宿泊費用の節減、あるいは(2)医療費の節減、高度な医療を受けることで早期 治癒、あるいは(3)所得・余暇の増加があります。(4)高度な医療を受けることで、重度 障害が回避されたとか、(5)高度な医療が身近で安心感があります。  今回は、(1)(2)(3)の実質お金がかかることだけに着目してそれを試算してみました。 この試算の対象ですが、利尻島内の、白内障と糖尿病網膜症の患者だけ。そして、利尻 島内の眼科検診を前に行ったことがありますけれども、60歳以上では白内障が51%、糖 尿病網膜症は4.4%という疫学データを、とりあえず使って効果を算出してみました。  遠隔医療システムがない場合で、この患者たちが治療するときに要する移動の費用、 利尻島から稚内、稚内から札幌、旭川へ移動する費用。それから医療費です。患者さん は、病院間を移動し、検査を何回も繰り返すわけです、眼の検査でも、利尻島、稚内、 旭川で何回も繰り返すわけですけれども、このように繰り返した費用、マイナス、遠隔 医療ありの場合のこういう移動費、医療費を含めたものの差額を出したところ、こんな ことがわかりました。  移動費用、宿泊費用は、なんと12億8,000万円の削減が可能。医療費の削減が1,700万 円。所得機会の向上というのは5,200万円。合わせると13億6,000万円になります。先ほ どビデオでお示しした利尻島、稚内、旭川、札幌の各病院での遠隔医療システムのリー ス料は、厚生科研の6カ月間のリース料はわずか250万円です。それから比べると膨大 な差があります。これは三菱総研に委託費を払って計算していただいた数値ですので、 かなり信頼性があると思います。今、まさに、投資に比べて大きな社会的効果の存在 が、初めて示唆されました。  ただし、多くの仮定のもとでの試算でありますので、今後この妥当性を検討するため に、さらなる遠隔医療の実証研究が必要です。残念ながら、厚労省科研は、今年の3月 末で終了し、利尻島の遠隔医療機器は撤去してしまいました。できればこういうことを どこかで、あるいは利尻島でモデル実験として、もっと詳細に分析させていただけれ ば、もっとはっきりとしたことが言えて、長崎の例などでも数字としてお示しできるよ うなことが言えるのではないかと思います。  以上、遠隔医療の12年間の流れと、いま、まさに私たちがやっている離島の医療の経 済効果について述べさせていただきました。 ○高久座長  ご質問がありましたらお願いいたします。非常に面白い話を聞かせていただきまし た。私も、利尻島へ行ったことがありますが、眼科の先生が行かれて、白内障を診断さ れるのは良いのですが、プライマリケア医のレベルでも、白内障の診断はできないです かね。もちろん治療はできないですが、診断ぐらいはプライマリケア医ができるのでは ないかと思うのですがどうでしょうか。 ○吉田委員  眼科の細隙灯顕微鏡に顎を乗せて、おでこを付けて中を覗く、この機器が使えればで きると思います。ただ、ペンライトで見ただけでは、水晶体の奥はわかりませんので、 この機器が使えればプライマリケア医でも診療出来ます。利尻島にも、自治医大の先生 がいらしており、その先生でも出来ます。  それでは手術だとなったときに、そういう先生方と私たちが連絡を取って、私たちの 眼科医が「手術が必要ですから患者さんを送ってください」ということでやらせていた だく予定です。 ○吉新委員  いまのスライドですが、医療過疎地の真の問題は医師が足りないことではなく、身近 で高度な専門的医療が受けられないことと出ていますが、医師は要らないですか。 ○吉田委員  いいえ、そういう意味ではないです。北海道の医師数は全国平均以上です。医師はた くさんいます、旭川にも札幌にもいます。しかし、患者の身近にはいないのです。しか し、旭川医大の、うちの眼科医に地方に行けと言ってもなかなか行きにくいのが現状で す。ですが期間を限定して、例えば糖尿病網膜症の専門家が6カ月、1年地方に行って こいと言うと喜んで行きます。ここでの問題点はそういう意味で、医師の数はたくさん いるのだと思います。ただ、その医師が現場に行かないという状況が問題だという意味 で、それを解決する方法が必要で、その大きな支援策として、我々は遠隔医療を活用 し、非常に有効と考えております。 ○高久座長  本日は、前野委員から資料が配られていますが何かお話がありますか。 ○前野委員  前回、北海道瀬棚町のお話をしました。それを読売新聞で5回連載したので、お読み でない方は帰りの車内ででも読んでいただければと思います。  5年前、瀬棚町が新設した医療センターでは、4月から医師がもう1名増えて3名に なりますが、人口2,700の町の中で、医師以上にチーム医療を中心に掲げ、保健師5人 を含めてスタッフが町内を回って予防医療に当たっています。一時は、日本でいちばん 老人医療費が高い所だったのですけれども現在半減されました。また、町内町民の医療 への満足度が非常に高まっている。  私が実際に行って感じたのは、医師と首長が理想を持って新しい医療の試みをするこ とにより、かなりの部分が実現できる1つの例ではないかと思いました。もしできるこ とならば、今後この席に院長並びに町長を呼んでいただいて、どのような試みをしてい るのか、是非とも生の声を皆さんに聞いていただけないかと思いまして出させていただ きました。 ○高久座長  時間を見て是非読んでいただければと思います。これ以外に、北窓委員からも、「へ き地における医療確保についての意見」が出されていますので、後でご覧ください。  あと15分ほど時間がありますが、へき地・離島保健医療の支援方策ということで自由 なご議論をいただければと思います。先ほどの長崎のお話、島根のお話もそうですが、 特に長崎では佐世保市や長崎市に医師が多い。全国の平均よりはずっと多いのですが、 それ以外の所は非常に少ない。長崎市の場合には、長崎大学がある影響が大きいのでし ょうね。 ○大塚医療監  そうです、長崎大学もありますし、原爆手帳の影響もあります。医学部が古いという こともあり、長崎市と第2の都市の佐世保に集まっています。両方とも、医療計画上の 基準病床数は超えています。 ○高久座長  開業の方も多いのですか。 ○大塚医療監  多いです。その他、大離島でも、ほぼ本土並みの病院があって、そこで勤務する先生 は十分ではないのですが、そこそこ充足しています。 ○高久座長  診療所もですね。 ○大塚医療監  診療所も、市町村合併がどんどん進み、長崎の壱岐、対馬、五島が北部と南で上五島 と下五島というのですが、4つとも市町村合併で1つの市と町になっています。対馬 市、壱岐市、五島市、新上五島町です。  いままでは、各首長が「おらが町の診療所」というので、診療所が乱立ぎみではある のですが、これが市町村合併に伴って少し集約化されていく。我々も、県の職員として 医師を確保して派遣するときに、例えば人口100人ぐらいとか、数十人の地域に1つの 常勤医がいる診療所があったりするわけです。そういう所に行ってくれ、というのは非 常に難しいわけです。それを1つの診療所群にして、そこを巡回で回って、その拠点が 保健センターであったり、地域の拠点病院だったりする。そうなると、そこへ行って勤 務したいという先生方も、私の感触ではおられます。昨年度から今年度に向けて、いろ いろ募集説明会などへ行って、直接話を伺っている。そういった工夫を、これからは他 の自治体もされるでしょうから、そうしていくと少しずつ行かれるのではないかと思っ ております。  長崎県は、山間部を持たないのでよくわからないのですが、離島部は気候的にもそう 大変ではないですし、そこで数年暮らすというのは、子供の教育の問題がなければ、そ うハードルは高くないので、ちょっとした工夫をすれば来てもらえるのではないかと考 えています。 ○木村副主査  長崎県では、県の職員として採用するとおっしゃっていました。島根県も自治医大の 卒業生に関しては、県立病院は県立中央病院と、精神科の湖陵病院の2つしかありませ ん。あとは全部自治法派遣しています。要は、自治医大の卒業生は、義務年限後も残っ ている人に関して、県職員と身分を合わせ持っております。そうしますと、結果的には 定年するときに県が退職金を払わなければいけないということで、専門医養成プログラ ムというのは、市町村が中心になりますので、それぞれの所の身分を一回一回退職して 変えるような方向でやっていこうと思っています。いわゆる通算規程は通算するのです けれども、後で案分するというようなことを先ほど話しました。  いま、島根県は財政的にはかなり危ない状況にあります。医師を確保する方向性とし ては、できるだけ自治体でやっていただく。県も関与して連れてきますから、いま私が コーディネーターのようなことをやっております。県が責任は持ちますが、あくまでも 自治体で採用してもらうような方向に、話を持っていこうとしています。そうしない と、いつまでも県が連れてきて、派遣してくれるということで、自治体においても、も うひとつ大事にされないという弊害も起こってまいりましたので、そういうことも合わ せ持ちまして、あくまでも県は最終的な責任は持ちますけれども、なるべく自治体に責 任を持っていただくような方向でいま考えております。 ○吉田委員  先ほど北海道の話をしましたけれども、医師不足といいますか、有効な医師が身の回 りにいないということを考えると、おそらくこの委員会は医師が欲しいと言われている 代表の方と、私のように医師を派遣するという立場の方がいると思います。いま、医局 制度がいろいろ言われている中で、非常に医局制度の古い所があって問題があることも 確かです。北海道のような場所を考えると、北海道大学、札幌医科大学、旭川医科大学 が、きちんと医局で医師を育成し、先ほどの長崎大学もそうだったですけれども、地域 医療に役に立つ医師をきちんと派遣できるような教育プログラムを、自治医科大学だけ ではなく、考える必要があるのだと思います。  私も、最初はそんなに地域医療は得意ではなかったのですけれども、いろいろなこと をやっていく上で、自治医大のプログラムには負けますけれども、大学としてきちんと 医師を養成していかなければならないと考えるようになりました。特に国立大学は独立 行政法人化されましたので、各大学が帝国大学ではないということになると、地域医療 にかなりウエイトを置かなければならなくなると思います。これからは、逆に医師を必 要とする皆さん方の立場から大学を評価していただければ、いろいろな意味で医師が派 遣しやすくなるのではないかと考えます。  言葉が足りなくて、説明がなかなかうまくできなかったのですが、先ほど発表させて いただいたのは、このCDに焼いてありますので、このテーブルに座られている方には お配りいたしますことを申し添えます。 ○高久座長  確かに北海道には3つの大学があります。札幌医大は道立ですから、旭川医大でいま 先生方がやっておられるようなことを、札幌医大でもやっていると考えて良いのでしょ うね。 ○吉田委員  札幌医大も、奥尻とかあちらの島のほうでも、遠隔医療も含めて地域医療をやってい ます。やはり道北、道東は距離的なこともあって、旭川医科大学が、自治医大の先生方 の力を借りながらやっているというのが現状です。  私の印象ですが、島の医療もやってみると、たくさんの重症の患者がいる。そして、 それらの患者は、簡単な医療を求めているのではなくて、場合によっては高度な医療を 求めている。その辺の住み分けをやることにより、喜んで、希望を持ってそういう島へ の医療に行く医師もできるのではないかと考えています。 ○高久座長  確か鹿児島大学が、離島医療の講座をつくっておられますね。 ○奥野委員  この会が始まってからいくつかの県にお話を聞きました。それから、本日の長崎の例 もそうですけれども、診療所という立場からすると、いま診療所の医師は希望者が多く なっています。私どもの県でも、今年は2カ所欠員が出たのですが、すぐに埋まってし まったような状況です。へき地医療の医師不足のターゲットが地方の中小病院に非常に 大きな打撃を与えてきています。診療所だと、医局派遣という形ではなく個人で行った り、自治医大派遣という形で医局のルールがないのです。小さな病院だと、医局のルー ルがあります。  それから、へき地対策の大きな問題点である巡回診療を担っているのは診療所ではな くて、中小病院です。中小病院だと、その中小病院の人材がいまは減らされている。し かも巡回診療だと、例えば片道1時間行って、患者を2人診てまた帰ってくる。そうす ると、1人が半日取られてしまうような状況を、人員を減らされた中でやっていかなけ ればいけないということも繰り返されています。へき地医療というと、診療所の医師不 足というイメージがどうしても持たれるのですけれども、いまいろいろな所のお話を聞 いていますと、地方の中小病院の医師不足がへき地医療に対しての問題点ではないかと 最近感じています。 ○高久座長  その場合の中小病院は、自治体病院ですか。 ○奥野委員  そうです。診療所は、病院医療に疲れた中年医師が結構応募されていることが多いで す。応募の方法によれば、結構短期間に解消されるのではないかという気がいたしま す。 ○大塚医療監  長崎ではまさにそのとおりで、200床以下ぐらいの市民病院が非常に厳しいです。だ から、どの病院も来月は標欠になるということで院長が走り回っています。それこそ若 手の先生が学会認定の施設ではないので、医局が派遣しようとしても行かない。外科系 だと、まず1人で外科医を派遣することはあり得ませんし、医局としても派遣できない という状況があるみたいです。  200床以下の病院をどうするか。なにか連携を組む。いちばんいいのは、市町村合併 に伴って拠点化するという構想がいいのかもしれませんが、そこをどうしていくかとい うのが大きな課題です。1つ拠点化して、ほかの病院は有床診療所にするということも 含めて考えていかないと、どう考えても地方の100床とか200床の小さい病院の医師確保 というのは、方策がないような気がしていますので、どうにかしなければいけないので はないかと思います。この委員会でも、その辺の議論をしていただくと助かります。 ○高久座長  この委員会でそこまでやるのはなかなか大変ですね。おっしゃるとおり、200床ぐら いの病院が、栃木県でも非常に困っています。おそらく全国的な状況だと思います。こ れは、日本の医療計画全体の問題だと思います。それでは、事務局から連絡事項をお願 いいたします。 ○宮本指導課長補佐  次回は4月18日(月)の午後3時〜5時までを予定しております。会場は、霞ヶ関ビ ル17階を予定しております。遠隔医療技術の簡単な実験を想定しております。テレビ会 議システムを用い、奥野委員の所と結んだ形で会議ができればと考えております。 ○高久座長  本日はこれで閉会といたします。どうもありがとうございました。 【照会先】  厚生労働省医政局指導課  宮本、川畑  03−5253−1111 (内線)2554又は2550