胸腹部臓器の障害認定に関する専門検討会(第4回呼吸器ワーキング・グループ)議事録


1 日時 平成17年3月22日(火)14:30〜16:45

2 場所 厚生労働省専用第17会議室

3 出席者
 医学専門家:奥平博一、奥平雅彦、木村清延、斉藤芳晃、人見滋樹、横山哲朗
(50音順)
 厚生労働省:明治俊平、渡辺輝生、神保裕臣、菊池泰文 他



4 議事

○医療監察官
 ただいまから、胸腹部臓器の障害認定に関する専門検討会(第4回呼吸器ワーキング・グループ)を開催いたします。

○横山座長
 討議に入る前に、資料の確認と説明をお願いします。

○障害係
 資料1、1頁から、第4回呼吸器ワーキング・グループの論点」、資料2、7頁から「論点別の各参集者の意見及び今回の案のポイント」、資料3、14頁から「肺の障害の取扱い(案3)」、資料4、31頁から「厚生省特定疾患『呼吸不全』調査研究班昭和56年度研究業績」、資料5、37頁から「厚生省特定疾患『呼吸不全』調査研究班昭和57年度研究業績」、資料6、49頁から「老人の呼吸困難とその対策」、資料7、54頁から「厚生省特定疾患『呼吸不全』調査研究班昭和55年度研究業績」です。

○横山座長
 前回に引き続き、「肺の障害の取扱い」についての議論を進めます。今回で一応のまとめというか決着を付けてしまい、あとは仕上げの作業に入ります。どうぞ、ご忌憚のないご意見をいただければありがたいと思います。まず、資料1及び資料2の説明をお願いいたします。

○医療監察官
 資料1の6頁「障害等級認定のフロー」のところで、前回は「治ゆ・障害認定」で74Torrを超えている者について障害がない、そこから下には行かないというフローだったわけです。動脈血ガスによる評価で障害なしという場合でも、換気機能が非常に低下していて、自覚症状としての呼吸困難が非常にきつい場合があるというご議論がありました。それを受けて、動脈血ガスによる評価で障害がないという場合についても、非常に重い場合については3級以上ということになるということを、ここのフローの中で明確にしております。
 前回は74Torrと出させていただいたのですが、これについては現行のものでいくと非常に問題があるのではないか、という横山座長のご指摘がありまして、71Torrからは動脈血酸素分圧だけで見ると障害がない。ただ、動脈血炭酸ガス分圧が、限界値範囲外にある場合については11級にする、というフローにしております。
 前回は、不合理というよりは、不整合ないしは齟齬している場合にほかのもので見るのが適当であるというご議論をいただきました。臨床所見等に照らして齟齬という場合に、我が国においてはFletcher及びHugh Jones(F−H−J)が頻用されているということで、ここでは4、5に該当して、一定の場合には3級以上、3に該当して一定の検査成績を示した場合に7級、2に該当して一定の成績を示した場合に11級にする、というフローになっております。
 1頁に戻り、いまの考え方は、まず動脈血ガスによる評価を行います。それで問題がなければ動脈血ガスの等級で認定し、臨床所見等に照らして齟齬があれば他の成績を踏まえて障害認定を行う形になっています。送らせていただいたものは、そもそもそれとは全然違う考え方と2本立てでいくべきではないかという論点を送らせていただきました。本日配付させていただいておりますのは、これを若干修正したものですが、基本的にはただいま申し上げた動脈血ガスによって障害等級を認定すればいいと。臨床所見等に照らして齟齬している場合には他の検査所見を踏まえて障害認定を行う。ただ、動脈血酸素分圧が61Torr以上の場合にはスパイロメトリーによる検査を必ず行い、両者の検査結果のいずれか重い等級で障害認定を行う方法と、(2)フローで示しておりますように、すべからくまず動脈血ガスでやってみて、齟齬している場合に他の検査所見を踏まえて障害認定を行う。どちらがよろしいのかを、まずご議論いただければと思います。
 ここで(1)と(2)の違いということですが、(1)も(2)も60Torr以下については動脈血ガスが基本です。齟齬している場合にだけ他の検査所見を踏まえてやります。(1)と(2)は何が違うかというと、61Torr以上について(1)の考え方は、必ずスパイロメトリーを行う、(2)は60Torr以下においても必要に応じてスパイロメトリーを行うということが違います。
 なぜ(1)をそのように取るのかという理由として、資料4「呼吸不全」調査研究班の昭和56年度研究業績の33頁に、結核の後遺症を分析したものがあります。右の棒グラフでいくと、50Torr以下では8割ぐらいがF−H−Jでは4以上です。60Torr以下についても、60Torr近いものが4以上です。61〜70Torrになると、F−H−J3以下が6割です。70Torr以下になると、7割がF−H−J3割です。50Torrでいけば、今回の案は、資料1の2頁で、動脈血酸素分圧が50Torr以下で、いま事務局が提案している3級以上ということです。
 33頁のグラフを見ますと、大体その8割が非常に大変な人だということで3級以上ということで、ほかのことをやらなくてもそれだけで答えが出るでしょう。61〜70Torrについては、いまは9級か7級ということですから、F−H−Jの3ぐらいを7と仮に考えると、大体その6割ぐらいがこれで動脈血ガスの等級でいける。ただし、71以上というのは、障害なしか11級ということですので、これで見ると4割は動脈血ガスの等級でいいけれども、6割は息切れの自覚症状と齟齬しているようなものになるということです。
 それでは、動脈血ガスのほうがきつく出るのかということです。39頁の昭和57年度の調査研究班の全国21施設における調査による分析の表3を見ますと、I型の呼吸不全初発時の%肺活量を見ますと74.0±1.5ということで、PaO2は60Torr以下ということです。今回の案だと5か3ということです。%肺活量でいくと、かなり正常に近い軽症の方でもいく。逆にスパイロメトリーだと軽症に分類されてしまうということです。
 資料1の1頁の(2)は事務局で提案させていただいている案です。動脈血ガスでやった後、臨床所見等、検査所見等に照らして齟齬している場合は、必要に応じてスパイロメトリー、運動負荷試験の検査所見を踏まえて障害認定を行う。理由はここに書いてあるとおりです。問題点は、先ほど見ていただいた(1)の理由の裏返しということです。
 逆に言うと、(1)は61Torr以上は必ず検査を行いますということなので、動脈血ガスで説明が付く部分についても必ず検査をしなければいけない。先ほど見ていただいたとおり、軽度の異常の場合においても、一定割合は妥当です。そのときに、一律にその試験を行わせるのが良いのか悪いのか。一律に行わせるのが適当でないとすると、(2)のように、基本は動脈血ガスでやった後、齟齬している場合に他の検査が妥当ということになるのではないか。
 ただ、(1)を取らなければいけない理由として、「要検討」と書いてありますが、動脈血ガスによる障害等級が臨床所見等と齟齬している場合に、普通の医師を考えた場合に、スパイロメトリーにより試験を誤って行うというようなことがあり、患者に不利益が生じるようなことがあるのか。あるということであれば、61Torr以上の軽い場合には、必ずスパイロメトリーを行ってください、ということを言わなければいけない。
 そんなことはないけれども、動脈血ガスですべてが説明されるのはおかしいということであれば、そのように考えていると誤解されるのではないかということであれば、2頁に(2)の「要検討」と書かせていただきましたが、動脈血酸素分圧が61Torr以上の場合には、臨床所見等と齟齬する場合が少なくないのですよ、ということを付記することで、理論的にもそれだけで説明が付くと考えているわけではない、ということを払拭できるのか、あるいは必ずやるというふうにしないと駄目なのか、この辺りに的を絞ってご議論いただければと思います。これが、先生方が大きく分かれているところです。以下のところは、基本的には概ね先生方で大きな違いはないと事務局では理解しております。
 資料1の2頁の2以下ですが、動脈血酸素分圧等による障害等級に書いたようなご提案をさせていただいております。当初、60Torrは7級又は5級ということだったのですが、人見先生からご指摘があり、安静時でも呼吸不全になっている方ということなので、もっと妥当な等級に見直すべきではないかということで、それぞれ前回の提案よりも1ランクずつ上げた形にしてあります。
 3については、特段ご意見はなかったということで、4、5、3、2と、F−H−J4、5であれば3級を下回る級に該当するのは明らかに齟齬しているでしょう。F−H−J3であれば7級を下回る級に該当するのは明らかに齟齬しているのではないか。F−H−J2でいけば11級を下回る級に該当しているのは明らかに齟齬していると言えるのではないか。
 スパイロメトリーの検査所見で%1秒量と%肺活量に着目する、というのは特段ご意見はありませんでした。人見先生から、大体このカットでよろしいのではないかと。斎藤先生からは、%1秒量はいいけれども、%肺活量については現実と合っていないのではないか。%肺活量60以下については高度にすべきではないかというご意見がありました。
 資料4の33頁、34頁を見ますと、こちらは結核ということですので拘束性障害の代表選手かと思われるのですが、%肺活量が39以下の割合と、F−H−J4以上の割合は大体似たようなものなのか。50では後者が約80%で前者は72%、60以下でも大体後者が50数%で、前者が61.3%ということで若干ので凸凹はありますが、大体40以下というところでF−H−J4以下がなっている。こちらについては、この資料も含めて斎藤先生がお出しいただいたご意見を含め、後でご議論いただければと思います。
 5、スパイロメトリーによる検査所見を踏まえた障害等級については、スパイロメトリーによる検査所見だけ、あるいはF−H−Jだけということではなく、臨床所見と齟齬している範囲で認めることでどうなのだということです。非常に自覚的な呼吸困難度が高く、かつ妥当と思われるような検査所見がある方については3級以上です。先ほど見ていただいたように、動脈血ガスが正常な方も含めて3級以上になるということです。
 逆に言うと、自覚的な呼吸困難が高くても、スパイロメトリーの検査所見が軽度であれば11級というとで、F−H−Jが2、3、4、5までに該当し、スパイロメトリーによる検査所見が軽度に該当するのは11級というもの。こちらについては、だいぶ前に基本的には機能的なものでいくのだと。自覚的な呼吸困難自体は、いろいろな原因で生じるので、それでいくのだというところを見ますと、こんな形になるのかということでご提案させていただきました。
 6以下が運動負荷試験です。安静時の検査所見で基本的にいきます。それでもおかしい、動脈血ガスで見てもスパイロメトリーで見ても、まだまだおかしい。しかも、これは呼吸機能の低下からでないとどうも説明がつきません、という場合に初めて見る。これも、基本的には同じような形で判断するのか。
 運動負荷試験については、まだほとんどご議論いただいていないところですが、送らせていただいたものでは、中等度、軽度ということだったのですが、人見先生のご意見を採用させていただき、高度、中等度、軽度という形に分けた上で、検査所見が高度で、4、5に該当する場合は3級、これは先ほどのスパイロメトリーと同じです。これも、ほかは全然障害がなくて、これだけでも3級にいくという形になっています。
 運動負荷試験については、いろいろな検査方法なりプロトコールがあるということです。どういうものが良いのかということで、(1)(2)(3)(4)ということで挙げました。1つは時間内歩行試験、6分間、10分間、12分間歩かせて、その距離を測って、最大酸素摂取量を推定する方法が広く行われています。広く行われているのですが、歩行した距離については、非常に努力依存性があるということ、かつ最大酸素摂取量がわかったところで、年齢による低下が著しいということで、年齢を勘案した公平な評価がもともと困難である。
 トレッドミル、エルゴメーターを使うと、努力依存性はかなり払拭されます。最大酸素摂取量がわかったところで、年齢による低下をどのように勘案するのかという問題が残る。かつ、かなり特定の施設に限られる。それなりの危険性もある。珪肺労災を中心としてやっている50m歩行試験は、ゆっくりした速度で歩いてくださいということなので、努力依存性は少ないのか、ちょっとエビデンスに欠けるのか。6分間歩行試験で、後で動脈血酸素飽和度については、特発性間質性肺炎の診断基準の1つにもなっています。施行自体も容易ですし、一定の信頼性も確保されている。ただ、動脈血酸素飽和度全体が誤差が大きい。この方法でいいのかどうかということです。
 斎藤先生からは、これで決まることがわかっているのに、それでできる限り頑張れというのもなかなか難しいというご意見もいただいています。運動負荷試験全体が公平性を担保できないということであれば、今回は検討課題ということにもなるのかと思っております。その辺のところのご議論をお願いたします。
 「肺の傷病に係る療養を必要とする者の基準」ですが、前々回、上から下まで作った上で、どこから要治療ということになるのかは後で考えましょうということでした。(1)は前々回に出させていただいたのですが、これは適当ではないのではないかということで、一旦ボツにした案です。
 (2)は、30Torr以下の人については、いくつかの教科書を見させていただき、絶対的な医療適用です。逆に言うと、30を超えて60Torrまでは相対的医療適用です。30から60Torrの間は、一般的な通常の肺に限らず、労災の症状が安定し、治療効果がないということで、そこは考えていただいて、人によってはごく稀に40台で治ゆになる人もいるし、50台でも治ゆにならない人もいます、ということでよろしいのではないか。
 (1)の問題点のところに書いてありますが、いまは60Torrを超えてから酸素療法をやる方も増えてきているとはいうものの、実際上は60Torr以下で体動時、あるいは睡眠時著しい呼吸困難といいますか、著しい低酸素血症にならないとならないということもある。なぜかというと、必ず60Torr以下なら治療するのかというと、治療しないこともある。治療しない人の場合、何もやらないのにあなたは治ゆではないということで障害補償を受けられないのは適当なのかどうか。
 むしろ、30から60Torrの間は、相対的な治療適用ですとした上で、この人なら治療をやめて障害補償を払ったほうがいい、この人は治療をやめない、という選択肢が、症状が安定し、治療効果がないという要件が付いて、先生のお見立てでいかようにもできるような案のほうが実態的にも、理論的にもよろしいのではないかということで、(2)を提案させていただきました。
 横山座長からは、30Torrではなくて40Torrなのではないかというご指摘をいただきました。40Torrのほうは、絶対的適用のところとして適当ということであれば、そのような形で直させていただければと思います。
 肺性心についての事務局案としては、循環器がちょっと悪ければ、基本的には要療養にするというアプローチをとっていることもあり、肺性心が臨床的に見つかるような場合については非常に予後が悪いこともあり、肺性心については要療養としたらどうか。要療養でないこともあるということになると、循環器のほうとの調整が必要になりますので、ご議論をいただければということです。

○横山座長
 ただいまの説明に対し、ご質問、ご意見がございますでしょうか。

○人見先生
 わかりやすく、フローチャートから入らせていただきます。いちばん上に「30Torrを超える」と書いてあります。横山座長は40Torrの案を出してくださっていますが、30Torrというのは静脈血ですから、これで生きている人はまずいない。生きていない人についてやるのはおかしい。これを見た瞬間に、あれ何をしているのだということになりますので、これを「50Torr」にしていただく。50Torr以下が3級以上というのはいいですね。特別変更はないのですけれども、この「30Torr」を「50Torr」にしないと、死んだ人について何かやっているようで具合が悪い。あとは、非常にすっきりしていいと思います。
 「肺の障害の取扱い」という言葉でいいのでしょうか、「呼吸器」ではないのでしょうか。チェストオールが入りますし、肺だけではないでしょう。これは大丈夫ですか。

○医療監察官
 大丈夫です。今回のものについては、中身はご説明しなかったのですけれども、肺がやられた場合もそうですし、呼吸系を司る神経がやられた場合もそうですし、実際に神経や肺は大丈夫だけれども、横隔膜がやられて呼吸機能が落ちる。どんなものであれ、呼吸機能が落ちたことを評価するというものにはなっています。そういう意味で、ネーミングとして「肺の障害」がよろしいのかどうかというのは先生ご指摘のとおりです。呼吸器の障害、又は呼吸の障害の取扱いのほうがもっと適当なのかもしれないです。

○人見先生
 そうしないと、肺というのを私たちが考えたら、胸腔の中のものなので非常に違和感があります。3頁で、横山座長が呼吸機能障害でどうかということで、「呼吸機能」と挙げています。肺機能の障害というと、気管は要らないのか、横隔膜は要らないのかということで非常に違和感があります。これは大事なことで、今度タイトルを付けるときに、「呼吸器の障害」ではどうでしょうか。

○横山座長
 これは、「肺機能」はやめて、全部「呼吸機能」と直すことにしたらどうでしょうか。日本呼吸器学会でも、昔は肺機能と言っていたのを、呼吸機能というふうに、呼吸という言葉に置き換えています。人見先生ご指摘のように、「肺」と限定してしまうとまずいかと思いますので、これは直していただくようにお願いいたします。

○医療監察官
 中身的にはそうなっておりますので、「肺」を「呼吸器」という形で直させていただきます。

○人見先生
 横山座長のおっしゃったとおりだと思います。今度の表で、いまだにF−H−Jが使われているのですがこれでいいのでしょうか。確かに日本ではF−H−Jですけれども、欧米ではMRCでないとおかしいのではないですか。

○横山座長
 これは、先ほど医療監察官にお話したのですけれども、いいのだということでした。

○人見先生
 国際的には通じませんよ。

○医療監察官
 その辺りはわかっているということは書かせていただいております。19頁に、人見先生ご指摘のように、MRC息切れスケールは、F−H−J分類は我が国でよく使われ、MRC息切れスケールは諸外国でよく使われていると書いております。
 始まる前に、横山座長とお話をさせていただきましたが、基本的には微妙な差はあるのですが同じようなものです。これとの違いは何だという解説を書いておくのか。臨床所見と組み合わせて出します。動脈血ガスだけはそのものずばりでいくのです、ということだけの話なのです。そこのところは私どもからすると、F−H−Jではなくても構わないといえば構わないのですが、いまのものを見ますと、呼吸リハビリテーション・マニュアルの中にも呼吸困難の自覚度はF−H−Jで症例分析みたいなものは書かせているので、日本の先生方にMRC息切れスケールでやらせるのがいいのかどうか。こちらでは十分わかっていると書いた上で、これとこれはこのような関係にあります、ということを付記させていただくということでどうだろうかを横山座長とはご相談していました。

○横山座長
 私からの提案ですが、身体障害者福祉法では、呼吸困難の程度は「あ、い、う、え、お」と実例を挙げてと書いてあるはずです。これを日本の国の施策としてやるのだったら、F−H−Jとか何とかという名前ではなくて、呼吸困難度はこういうものをいうのだという例示を挙げてやったほうがすっきりするという気がします。

○人見先生
 私は、F−H−JとMRCを比べてみました。4度のところで、F−H−Jが50ヤード、片方が100ヤードということであまり大きな差はないです。だから、測っている臨床医も、それほどこれにこだわって、50ヤードか100ヤードかなどということは気にしていないと思います。しかし、その基準が何であるかわからないといけないでしょうね。MRCでわからなかったら、これまた困ります。だけれども、国際的にはMRCですので、どこかにコメントを書いていただかないと、あるいはパッと見てわかるような表が要るのではないでしょうか。
 生存している人は当然30Torrを超える。これ以下なら療養という構想とするのであれば、ここは50Torrがいいということを主張します。30Torrはあり得ない。それから、50Torr未満は、治療を受けてその後安定し固定したときに障害認定を受けるコースを1つ作る。このコースのうちで、室内息で50Torr未満なら3級以上とする。これも、いままでの表の左端と全く一緒ですので、変わったわけではないのですけれども、このようにしていただくとびっくりしなくていいのではないでしょうか。

○医療監察官
 いきなり治ゆにしてしまうのではないかというような。

○人見先生
 いやいや、30Torrを表に取り上げるほうが良識を問われるのではないかと思います。30Torrは静脈血ですよ。

○医療監察官
 確かに、もうほとんど生存が。

○人見先生
 もう、あと1時間で死ぬとか、もう死んでいるとか。書いてはいないのですけれども、50Torrに変えたら、50Torr以下というのをこちらへ持ってこないといけないということだけです。

○横山座長
 いまのことに関連して、私の意見を述べさせていただきます。資料の5頁の第2に「治ゆ不該当の基準」があります。酸素分圧で、いくつ以下は治療に該当しないとか、必要でないという表現は大変僭越にすぎるのではないかという気がします。
 治療が必要、不必要という基準を動脈血酸素分圧でパシッと切ってしまうといろいろ異論が出てくるのではないか。治療に該当、非該当というのは、主治医の判断に任せることにして、第2というのは取ってしまって、それで、いま人見先生が言われたように、動脈血酸素分圧が50Torr以下の者については、動脈血炭酸ガス分圧の限界値の範囲内、あるいは範囲外に関係なく3級以上という項目を1つ作ればいいのではないかと思います。

○人見先生
 すっきりしますね。

○医療監察官
 第2の1の動脈血ガスのほうを見ていただきますと、これは上から下まであるので、逆に言うとあってもなくてもです。前々回やったのは、60Torrより下は絶対的に治ゆにしないのですということでご議論していただくということがありました。今回は、上から下まで作ったので、ここは、そんなものをわざわざ作る必要もないということであれば、第2の1のところは、横山座長がおっしゃるように主治医に任せるというよりは、症状が安定して治療効果がないかどうかで判断すればいいのです。そのときの動脈血ガスと、ほかの所見で決めてくださいと言えばそれで終わってしまうということです。

○横山座長
 書いてなければそれまでなのですが、書いてあるといろいろ抵抗があった場合に、言い訳がしきれないところがあります。ですから、これは主治医の判断に任せてしまって、動脈血の酸素分圧でこれをパッと切るというのは賛成しかねます。

○医療監察官
 1のところはそういうことで削除しても、何の問題はないかと事務局も考えています。2の肺性心のところは、先ほども申し上げたのですが、循環器のほうではNYHAの2ぐらいになると、基本的に無理をするとリモデリングを起こして悪くなってしまうので治ゆにしないのです、ということを言っている兼合いになっています。呼吸器のほうは、上から下まで作って、頑張ってもこれ以上良くならない人で、重い人は重なりに、軽い人は軽いなりにということにしています。
 循環器のほうは、一定以上悪くなると、どんどん悪くなってしまいますということもありまして治ゆにしないのですと。肺が原因なので、ここに書いてあるように、同じ心臓の治ゆについてかなり悪いような、特に臨床的に見つかったら1年から5年ぐらいで半分ぐらい死んでしまうような者が治ゆになるとすると、循環器のほうの議論の前提がかなり壊れてしまうことがあります。こちらの事務局案としては、肺性心は療養が必要ということでご理解いただければ、循環器との整合性がつくのか。
 もしそうでないということであれば、また循環器のほうと詰めた議論をしなければいけません。呼吸器のほうは、ほとんど手直しは必要ないといえば必要ないのですが、循環器のほうは大幅に変えなければいけなくなってしまうということがあります。

○横山座長
 これは、項目を起こしてしまうと書かざるを得なくなってくるかもしれませんが、冒頭か末尾のどちらでもいいけれども、「治療の要・不要については主治医の慎重な判断を必要とする」という言葉が書いてあれば、肺性心の患者だったら、主治医としては当然治療を続けなければいけないのだということになってくるのではないでしょうか。

○医療監察官
 これも、肺性心があることによって、障害等級を重くするのかしないのか。ここでは、肺性心は療養が必要だということなので、障害とは全然関係がない世界なのですが治ゆになるのですと。動脈血ガスみたいに、上から下まであって、治ゆになろうがなるまいが関係ないというのであれば書かなくても何ら差し支えがないです。
 例えば、50から60Torrで、肺性心がある人も同じ5級ですということでよろしければ、もうそれで結構だと思うのです。51から60Torrで肺性心がある場合には3級以上にしてあげなければ実態に合わないのだということであって、しかも治ゆになるのですということであれば、そこのところが大きく変わってくるということです。あってもなくても、治ゆになったときに肺性心があっても、障害としては見ないのですと言っていただければですね。言っていただくというのは、肺性心の主たる症状は呼吸困難なので、そこは変わらないのですということなので、原因が付け加わっただけですと考えればいいのだということ。だから、障害等級としては変わりはないから、5級は5級でしかないと言っていただければ、肺性心についても全然書く必要は、障害等級との絡みではないということです。
 そこのところは、先生方のご議論になります。私どもでは、それなりに影響があるのかということで、療養が必要だとしたほうがいいのではないか。何もない人と肺性心のある人が全く同じ評価だ、というのは耐えられるのか耐えられないのか、そこは自信がありませんでした。

○横山座長
 これは、同じ評価にしようがしまいが、肺性心があるかないかということは評価の段階で考えるとしても、療養を必要とするものの基準という格好で肺性心を入れる必要があるか。事務局が考えていることはよくわかるのですけれども。

○課長補佐
 書き方が問題だと思います。

○横山座長
 療養が必要かどうかという判断は、原則として主治医に任せる格好でいったほうが妥当なのではないかという気がするのです。障害等級を決める段階で、フローチャートのところで肺性心について一言触れてもいいかもしれません。「肺性心がある場合には特に留意する」というような格好で注を付けておく手もあるわけです。

○課長補佐
 肺性心は治ゆにならないと。

○医療監察官
 事務局案はです。

○課長補佐
 それが、どこかに書かれていればいいということですか。

○医療監察官
 横山座長は、そこは肺性心でも一律に治ゆにならない、というのは適当ではないのではないかと。ある場合には治ゆになるかもしれないし、ある場合には治ゆになりますと。そのときに、治ゆになる場合を考えて、むしろ肺性心があったときに留意しろ、ということをフローの中に入れたらどうかというご意見です。

○横山座長
 ここで肺性心というのが出てくると、全体の流れとしては呼吸機能というものでずっと流れてきていて、ヒョコッと病名が出てくると、この病気はどうなのだ、この病気はどうなのだという意見が必ず出てくると思います。だから、ここで改めて章を起こして、肺性心という格好で、療養を必要とするものの基準という格好で入れなければいけないか。むしろ、肺性心がある場合には、それを十分勘案しろということをもっとわかりやすくする。
 具体的に言うと、このフローチャートの下の注釈のところに入れてもいいと思うのです。「肺の傷病に係る療養を必要とする者の基準」という格好で見出しを付けてしまって、そこに肺性心だけポコッと出てくるのはおかしいのではないかという気がします。

○医療監察官
 そこのところは構わないのですが、障害等の絡みでいくと、なぜここで論じているかというと、肺性心があった場合には加味して考えなければいけないのか、それとも先ほど横山座長がおっしゃったように、機能的に見るということで、肺性心も原因の1つにすぎないのだと考えてしまえば、もう何も変わりませんと考えてしまってよろしければ、こんなものは書く必要がないということなので、そこのところだけ確認できれば、第2以下はすべて落としてしまおうかと。

○課長補佐
 この論点の作り方がおかしいのですけれども、要は肺性心があった場合の障害としての評価に何か特別なものを考慮するのかしないのか、ということだけですね。我々も特殊なものとして考えていますので、どういう原因で肺機能が、呼吸機能が落ちたのかを全く問わず同じようにやってしまえばいいという話なのか、それともちょっと違う考慮が要るのかということだけが論点ということでしょう。

○医療監察官
 そうです。

○奥平(雅)先生
 肺性心というのは、病理解剖でいえば、右心室の拡張性肥大を来たした病態をいいます。これは、ほかの病気もみんな同じだと思いますけれども、非常に強いものから軽いものまであります。そうすると、肺性心があると、治療は不可欠というふうに決めつけることはちょっと無理があるのではないかという感じがします。

○横山座長
 業務上の疾病ではないし、労災の問題とはピッタリ一致しないのだけれども、身体障害者福祉法では、本態性肺高血圧症や肺塞栓症というのは初めは入れてなくて、ついこの間やっと入れることになりました。
 肺高血圧症があるからどうのこうのということではないので、いま奥平先生がおっしゃったように、肺性心の中にも治療というか、医療というか、常時医療を必要とするかどうかはあまり決めつけないほうがいいのではないかという気がするので申し上げています。
 もう1つは、このワーキング・グループで何回か議論をして、あまりにも呼吸機能が表に出すぎて、病名がどこかに隠れてしまって、私は罪悪感を感じています。肺性心というのはどこか別のところでやって、ここで章を起こす格好にしないほうがいいのではないでしょうか。

○課長補佐
 これは論点メモですから、我々の議論を進めるためのペーパーです。実際には、後ろの報告書案に出てくるわけです。肺性心については、28頁のなお書きのところに出てきます。

○横山座長
 「療養を要するものとして取り扱うことが不当である」というのはきつすぎるような気がするのですが、皆さんはどうでしょうか。

○斎藤先生
 原疾患でないのかどうかという問題も含めてですが、じん肺のエンドステージの状態は肺性心が重なってくるのだろうと理解しています。剖検をしても、20%から30%近くの例に右室肥大が見つかっているわけです。私どもとしては、肺性心があれば、それは治療しているというのが現実だと思っています。

○横山座長
 それは、主治医の先生が必要だと判断したならば、治療を続けていただくわけです。

○斎藤先生
 そうです。だから、その道が残っている形であれば構わないということです。

○奥平(博)先生
 横山座長がおっしゃったように、ここで肺性心を書くと、ほかの病名がいっぱい出てきます。これは、じん肺のことだけではなくて、一般的に書くわけですから、肺性心のことはじん肺のために必要だというのはそうだと思うのです。それは、もっと大きな形で治ゆの判断については主治医が慎重に行うというような形にしないと、例えば肺がんが出てきた場合に肺がんだから治ゆとしないのだというように個別の病名が出てくると思うのです。
 やはり、最初に横山座長がおっしゃったような形でいったらいいのではないかと思います。つまり、冒頭とか終わりのところに、「治ゆの判断については、主治医の慎重な判断が望まれる」というようなことでよろしいのではないかと思います。

○横山座長
 この辺は、ペンディングの問題として検討しましょう。

○医療監察官
 はい。表現については、横山座長とやらせていただくのですが、いちばん問題なのは、肺性心を障害等級に反映させるのかどうか。呼吸機能と見るからしなくていいのですよ、というコンセンサスをこの場でいただければ、あとは表現の修正だけさせていただければよろしいのですけれども。

○横山座長
 呼吸機能を物指しにして、診断のフローができています。だから、そのフローの中に肺性心というのが唐突として出てくるのはあれだと思うのです。先ほどおっしゃった、報告書の文章の中に、しかるべく織り込むのだという理解を皆さん方に持っていただけるのであれば、そのほうが無難ではないかと思います。

○医療監察官
 わかりました。そのような形で表現を工夫させていただきます。基本的には呼吸機能ということで、循環器の話が唐突として出てくるのはちょっとおかしいだろうということで、そんな形にさせていただきます。

○職認官
 肺性心は、ほとんどの場合治療の対象で、徐々に悪化していって余命も限られているような病態のものと理解していたのですが、そうではなく軽度のものについては、そのままの状態を長期間維持する、治療の対象にもならないものが明らかにありますと、そういう理解ですか。

○奥平(博)先生
 治療の対象になったら、そのときに判定すればいいのではないかということではないかと思うのですけれども。

○職認官
 もちろん、診断直後しばらくの治療はやるとしても、その後は治療は必要なく、かつ軽度の状態のままかなり長期にわたってその水準をずっと維持します、悪化しませんと。

○奥平(博)先生
 それは、私が先ほど言ったように、例えば肺がんの場合には治ゆしないということを特別に書く必要があるかどうかという問題ですね。そこは、じん肺の問題だけではなく、肺がんも問題になるのではないかと思うのです。そうすると、座長がおっしゃったように1つ1つの病名がここに出てくる、次から次へ出てくるということになります。でも、肺がんは治療しない病気として扱うとか、そういうことは治療の進歩やいろいろあってわからないので、やはりここは呼吸機能の問題ですから、突如肺性心が出てくるのはちょっと具合が悪いのではないかと思いますが。

○職認官
 書き方は別として、我々の理解の問題としていちばん単純なのは、すべて治療の対象になってしまうと。したがって障害の問題には影響しませんということであれば、どこにも触れる必要は全くありません、循環器にも呼吸器にも全く触れる必要はないので、それは治療の対象に決まっているという理解であれば、それはそれでいいのです。そうではありませんとなれば、右室肥大という問題で、それは肺の原因ではあるけれども、心臓の機能障害が出ているという話でもありますから、むしろ循環器で触れるべきではないかという話も出てきますし、我々の認識が修正を迫られるという話にもなるわけです。ケース・バイ・ケースという話は当然あるとは思いますが、治ゆになり得ることはケースによっては十分考えられますということになるかどうか。

○木村先生
 私の理解が正しくないのかもしれませんが、いま奥平先生がおっしゃっているのは、呼吸機能の数値やレベルを、何を指標にどう決めるかという話をしているときに、肺性心というのは指標がちょっと違うというか、低肺機能のなれの果てであることはわかるし、相当程度治療の対象だろうということも了解しているが、ここの指標にいま入ってくるのは適当ではないのではないかとおっしゃっている。だから、それはどこかにそれを加えて、一般的にはこれは治ゆとしないんだと、そういう形で加えていけばいいのだろう、というご説明ではなかったかと思っているのです。そうであれば、私も座長の意見に賛成です。肺性心というのは、具体的なファンクションを見ているわけではなくて、トータルの結果を見ているわけだから、それはまた1項、別に設ける形で処理できるのではないか、というように私は理解しているのですが、違っているでしょうか。

○横山座長
 お説のとおりだと思います。

○職認官
 結論としては、呼吸器の中で扱ったほうが適切な話なのですか。

○木村先生
 私自身はそう思っている、低肺機能のなれの果てだと思っているのです。

○横山座長
 今この段階で、これは循環器の問題だから循環器でやりなさいなどと言っても、循環器のワーキング・グループが困るだけだと思います。別にそれを改めて言う必要はないのであって、強いて言えば呼吸機能の予後というような問題に関係してくるかもしれません。ただ、一口に肺性心とここで決めつけてありますが、この中で急性肺性心というのも存在するわけだし、高い山地などに長い間いると肺高血圧症になるわけで、これも肺性心の中に入れるのかどうかとか、これは低い所に下りてくれば治ってしまうわけで、あまり差し障りのあるようなことをここで取り上げるのは賢明な策ではないと思うのです。どこかで一言触れるのは結構だと思うのですが、その程度にとどめたらどうでしょうか。

○医療監察官
 はい。

○横山座長
 ほかに何かございませんか。

○人見先生
 スパイロメトリーを入れるかどうかの件で、あの意見はこの表を見ますと、やはり51〜60Torr、61〜70Torr、71Torr以上でも齟齬すると3級になるのがありますので、やはり齟齬すれば入れるべきではないか。61Torrだけに限りますと、51〜60Torrの3級ないし5級というのが、5級の人が3級になり得ないということになってくる。そこだけが引っかかるので、やはり「臨床症状に合わないときにスパイロメトリーをやる」でいいのではないでしょうか。61Torr以上の人にだけやる。

○横山座長
 これは別に61Torr以上の人にだけやるというのではなくて、60Torr以下であっても、齟齬があればやるということです。しかし医者が怠慢で、60Torr以上の人で「スパイロはあなたには必要ない」などと頭ごなしにやっては困るので、全員にやれと、そういうことではないのですか。

○木村先生
 これは私の意見もちょっと反映されているかと思うので、私が説明しますが、いわゆる呼吸機能を言うには、動脈血は61Torr以上辺りになってくるとかなり見落としが多くなってくるのではないか。単に担当医の主観的な判断という言い方はおかしいですが、やはり客観的に判断する上で、スパイロを必要な検査にするべきではないか、ノルマ化すべきではないかと。

○横山座長
 私の意見は、先生とちょっとニュアンスが違うのは、スパイロのほうが動脈血よりも鋭敏であるという意見ではないのです。動脈血ガスで引っかかっても、スパイロはそれほど異常がない場合もあるのだと。

○木村先生
 それは当然、私も理解しています。ただ一般的に、PaO2が高くなってくれば、やはり最初の異常を引っかけてくるのはスパイロのほうが、はるかにその率としては高いのではないだろうかと思っています。

○横山座長
 そこのところが、私とちょっと違うのです。それはここで議論をしてもキリがないことですけれど。

○木村先生
 ただ私が思うに、第1の(1)に戻りますと、齟齬があると判断する客観的な基準、客観的に見て齟齬があるだろうと考えるのは、本人の訴え、呼吸困難度とチアノーゼがあるだとかそういうことですよね。それ以外には、やはりスパイロというのが、乖離していると判断する大きな客観的な検査所見になるように思いますから、あるレベルでは、必ずスパイロを入れるようにされたほうが、見落としが少ないのではないか。齟齬があるという判断に、臨床医であればスパイロというのが頭に入っているのではないかという気がしているものですから。

○横山座長
 私は、その頭に入っているのをそろそろ切り換えなければいけない時期がきているのではないかという気がしているのです。

○木村先生
 最初から先生はそうおっしゃっていますね。

○横山座長
 ええ。現実の問題として、大体この労災認定の場合は、開業している先生の所でやるということは少ないかもしれないのですが、病院でも動脈血検査の結果がわかった上で、スパイロをやれというのだと、「あなたもう1回いらっしゃい」ということになりかねないから、それを避けるために一緒にやるというのは、私は別に反対する理由はないと思うのですが。スパイロのほうが動脈血よりも敏感であるということは、ちょっと同意しかねる。特に、細気管支炎や肺の末梢の部分での病気に局在する瀰漫性の肺疾患の場合には、スパイロは引っかかってこないが動脈血ガスは引っかかってくるというのが常識になっているわけで、そういうことがこれから職業性の肺疾患の場合には、かなり多くなってくるのではないかという気がしているのです。それで私は、動脈血ガス検査優先の狼煙を上げたような次第ですが、一緒にやったほうがいいと思われたら、やってもかまわないとは思います。あえて反対する理由はありません。

○木村先生
 もし、スパイロのほうを付随的な検査というように考えますと、今度の検査は動脈血とF−H−J(呼吸困難度)というのがかなり前面に出た形のものになるように思います。私個人としてはF−H−Jの分類は1つの大事な目安にはなりますが、もし本人ができるのであれば、客観的なスパイロメトリーなりを押さえる必要があるのではないかという気がしています。

○横山座長
 主治医が、「これ一緒にやっておこう」という判断をなさるのは一向に差し支えないと思います。

○木村先生
 スパイロをしないで、F−H−Jの分類と動脈血ガスで相当程度決められるということですよね。

○横山座長
 まあ、そうですね。ただ、私はそのF−H−Jということにどうも抵抗があるのです。

○木村先生
 実際のじん肺の審査会の話に戻ると、F−H−J分類に基づいたじん肺のハンドブックの呼吸困難度は、相当に目茶苦茶に書いてくるのです。ですから、そうではなくて、やはり客観的な指標のもので押さえる必要があるのではないか。そうしないと、F−H−J分類が相当に重みをなしてくる。動脈血ガスを相当補完する意味で、ちょっと重きを持ちすぎるのではないかと私は思っているのです。

○横山座長
 じん肺もそうだし、身障者福祉法もそうだけれど、ああいう認定申請の書類というのは、書き方次第でどうにでもなってしまう可能性があるわけです。そういう意味でも、私は何かF−H−Jに抵抗があるのですが、これは1つの参考資料として考えていただいて、F−H−J分類が中軸になっているというようには考えるべきではないのではないかという気がするのです。私は、むしろ動脈血中心という考え方なのです。

○人見先生
 動脈血ガスはいいけれど、ちょっと動くと循環がバアッとなって、酸素との接触時間が少なくなって呼吸困難になる、そういう人がここに引っかかってくるわけですね。

○横山座長
 そうなのです。

○人見先生
 ですから、これ、このままいけば木村先生のおっしゃっていることになるのではないですか。F−H−Jの矢印がこっちへいっているから。

○木村先生
 とんでもないことを言うようですが、できたらF−H−Jはないほうがいいのかなぐらいに私自身は思っているのですけれど。もうF−H−Jはなくてもいい。

○横山座長
 私もあまりこれに重きを置くのはどうかな、という気がするのですが。しかし、被験者の自覚的な症状を全く無視したような格好で事を進めるというのは、やはり患者にとっては抵抗があるのではないか。

○木村先生
 そうですね。ですから、このフローに、もしF−H−Jという形でここに載せないのであれば、得られる所見は所見として、「総合的な」とか、「呼吸困難度を十分勘案して、最終決定をするように」と、何かアドバイスのようなものを入れるような形にして、F−H−Jをこの場合の指標にするようなことはしないほうがいい。その場合、最後はスパイロも要らなくなる可能性はあるわけですね。この人はF−H−Jが4度ないしは5度だからなどというね。基本的には、動脈血ガスないしはスパイロでやる、ということを柱にしたほうがうんとすっきりするのではないかと思うのです。

○人見先生
 私も理解できました。そういうことに賛成です。そうなると、MRCなども素っ飛びますしね。これは、運動負荷まで入っていて、すごくいいチャートになったと思っているのですが。確かにF−H−Jを抜いてしまうのも1つの案ですね。

○横山座長
 ただ1つ、運動負荷について言わせていただくと、臨床検査としての運動負荷試験というのは、せいぜい5分や10分の負荷で、要するに安静状態から運動中の状態に移行していくためのレスポンスの時間の変化を見ているわけですよね。ところが、この労災認定の場合に必要なことは、居残りがどうのこうのと細かいことまで言う必要はないけれど、8時間労働とか、かなり長い時間帯についての労作能力ということを考えてあげないといけない。そうすると、運動負荷試験にあまり偏りすぎてもいけないのではないかという気がするのです。……としての動脈血が酸素の飽和度と炭酸ガス分圧から、PaCO2がある範囲を超えるか、むしろ下回っているという見方で、長時間の労作能力を見ていくほうが意味があるのではないかという気がしているのです。

○人見先生
 それはあるでしょうね、労働からいうとね。

○医療監察官
 かなり論点がいろいろになってきたようですが、まず論点の1のところで、スパイロを必ずやるのか、必要に応じてやるのか。それは、先ほど木村先生、人見先生から出ていて、横山座長からもご指摘があったF−H−Jと絡めた上でやるということです。絡めないとなると、スパイロを必ずやった上でスパイロだけが悪くて、自覚症状としての呼吸困難と大変に乖離があるという場合については、考え直せというような形になるのか。あるいは今のフローのように、まず動脈血ガスでやった後、自覚症状としての呼吸困難度と齟齬しているかどうかを見て、その裏付としてです。スパイロができなければもうここで終わってしまうというもので、自覚症状としての呼吸困難度というのはむき出しでは使いませんということを最初に言っていますので、これは単に抑えなのです。つまり、35でも、4、5ではなく3であれば、7にしかならないです。これは身障者法も国年、厚年も実はそうなのですが、動脈血ガスのほうはそのまま生で、重いほうにいくということです。こちらのほうはなぜこれが入っているかというと、要するに%1秒量が35度出ても、F−H−Jが3であれば7にしかならないのですよという抑えのために事務局としては作ってあるのです。
 それも含めて、まず必ずスパイロをやらなければいけないのか、あるいは必要に応じてでよろしいのか。あるいは先ほど横山座長がおっしゃったように、そこは主治医の選択方式のような形でやるか。国年、厚年でも、必ず2つやらなければいけないというものではないと書いてあります。ただ、こちらのほうでいくと動脈血ガスは必ずやらなければいけない、あとは先生の見立てでいいということにするのか、そこのところをまずはご議論いただければと思うのです。

○横山座長
 私は、なるべく主治医の判断を尊重するという格好にしておいたほうがいいのではないかと思うのです。主治医が必要ないと思ったらやらなくていい、必要だと思えばやってくださいという程度でいいのではないか。当然、スパイロ以外にも心カテだとか、特に肺性心などという問題が出てくると心カテのデータが必要になってくるわけですから、それと似たような形でいい。あるいは、スパイロは簡単にできるのだから、お任せではなくて、スパイロはなるべくやってくださいという格好にする。

○医療監察官
 もし、そこのところが先生方として合意できるということでしたら、次の話として、動脈血ガスのところまでは変わりません、臨床所見等に照らして、そこも変わりません。ただ、F−H−Jは突然出てくるわけではない、齟齬しているときに主治医が判断してスパイロメトリーをやります。次に、もう一度見たときに、F−H−J分類が35とか40でも、F−H−J3の人は3とするのか、あるいはそれは7とか5のほうがいいのか。もう生の数字を評価するのか、あるいは自覚症状としての呼吸困難度と関連させてやるのか。数値だけ悪い、しかしそれほど悪くないよというような人を高く評価する必要があるのかないのか。ちなみに、他の制度だと、そういう人は低い評価になっている、なぜならそのぐらいの支障しかないからと。我々としても、低いなら低いなりで基本的にはいいはずだと思うのですが。

○横山座長
 これは議論をしても水掛け論になって、結論はなかなか出てこないと思うのですが、論点の1つとして、動脈血の酸素分圧が61Torr以上の場合には、スパイロを必ず行うというのを、一歩下がって、「61Torr以上の場合、スパイロメトリーを行うことが望ましい」というような表現ではいかがでしょうか。

○木村先生
 問題ありません。ただ、その「望ましい」というのは具体的にどういうことかというと、例えば高齢のために本人の理解が上手にできないとか、そういう場合を除いて、やることが望ましいということであれば私は賛成です。そうではなくて、あくまでも受持医の判断で、してもしなくてもいいですよというニュアンスであれば、やはりもっとすすめてスパイロをやるようにしてほしいと私自身は考えます。最初から難しい方がいることもわかっていますし、理解のできない人もおりますので、それに何も無理をしてやることはないと思いますが、その程度でということであれば私は賛成です。

○奥平(博)先生
 横山座長は、やれるものはやってもかまわないとおっしゃいましたが、そういう意味でやれるものはやることが望ましいと、それでいいわけですね。

○木村先生
 そういうことです。してもしなくてもいいですよ、というのとはちょっと意味が違うと思います。

○横山座長
 ただ、やったことによって、等級が上がってくる可能性があるわけですね。

○木村先生
 悪くなるという意味ですね。5級が3級になるとか、7級が5級になるとか。

○横山座長
 級が少ない数になる。だから、なるべくならば患者も望むし、主治医も納得がいくのであればやったほうがいい、という理解でどうですか。よろしいですか。
(了承)

○横山座長
 では、そのような格好でいきましょう。

○医療監察官
 極力やる、できない人はやらない。「できない人を除く」ぐらいにしておいたらどうですか。

○横山座長
 そうすると、耳の悪い人は除くとかいうことになる。私は、主治医の判断をなるべく尊重できるような格好での原則論にしたほうがいいのではないかという気がするのです。

○人見先生
 それは確かに言えますね。

○医療監察官
 なぜしなければいけないのか、ということをちょっと書いた上で、こういう人を除いては、そういうことだからやるのが望ましい、という形で書かせていただけば、いまの先生方の合意事項になるかと思います。

○横山座長
 そういう格好で一度まとめていただきましょう。

○医療監察官
 はい。

○横山座長
 次は何でしたか。

○医療監察官
 次は、基本となる動脈血ガスのほうで、炭酸ガス分圧が限界値範囲外にある場合は高くするということについては、先生方はご異論がないようです。人見先生からいただいたフローだと、これで大体いいだろうというお話なのですが、これでよろしければ、これも原則的なものは2頁の2のようなことで進めさせていただきます。
 いちばん問題なのは、先ほどご議論が出た、F−H−Jの分類と自覚症状としての呼吸困難度とどう絡めていくのか。やめたほうがいいと言って全部やめてしまって、スパイロの検査成績だけでやっていくのか、そうは言っても自覚症状として、それほど大したことがない人を重く評価する必要があるのかないのか。基本的には、私どもとしては「労務の支障の程度」といっている以上は、自覚症状は大変だけれど裏付けがない人は評価する必要はないし、それがすごいと出ても、労務の支障の程度がそれほどでなければ低いというか、中等度の評価でもよろしいのではないかということで提案しているわけです。後ろに持っていくか前に持っていくかはまた違って、先ほどのご議論だと、まずはやれということですので、フロー的には、まずスパイロがきて、その後でF−H−Jとの整合性を見ていくということなのですが、見るのが良いのか悪いのか。見るのがいいんだよとおっしゃっていただければ、この案で、ちょっとだけ修正したもので合意いただけると思うのですが。

○横山座長
 私は、やはりF−H−Jという表現は、呼吸器をやっている医者の仲間では、かなり抵抗があると思うのです。患者の言い分も一言は聞いてあげないといけないと思う。そういう意味で、この項目を全部とってしまうというのではなく、別の格好で整えていくということをやってはどうですか。

○医療監察官
 そこは、いくつかのスケールがあるということを書いた上で、こういう呼吸困難度という形でまとめる。活かし方としては、踏まえた上で、でも裏付けがなければ駄目だとか、数値は悪いけれど、それほどでない人はそれなりにという形の評価ということでよろしければ、そのようにやらせていただきます。
 次に3頁のスパイロのほうですが、人見先生からは大体こんな感じでいいのではないかというご意見をいただいています。斎藤先生からは、%1秒量はいいけれど、%肺活量は現実に合ってないのではないかというご意見をいただいています。資料の33頁、上から2段目の表ですが、50以下、F−H−J4以上が75ぐらいありますと。60以下では53ぐらい、61〜70だと40ぐらい、71以上だと30ぐらいとなっています。34頁では、F−H−Jとのクロスではなくて、動脈血酸素分圧とのクロスなのですが、割合としては%肺活量が39以下で50だと、これは結核の後遺症で、非常に拘束性の障害ということで、ひどい人も多く72.3、先ほどので見ていくと大体75ということで、似たような数字になっています。60はどうかというと、先ほどのものでいくと53で、こちらは61.3、PaO261〜70でいくと、39以下が48だと。71では31のところが40ということで、大体39以下の割合と、F−H−Jの4以上の割合は似たような傾向を示している。これが59以下ということになると、例えば71でいくと82.5%が60以下ということなのですが、38%ぐらいは、F−H−J2以下ということで、60以下でカットするとかなり自覚症状よりも悪いというのが数値的に出るわけです。
 高度ということで言えば、今回40以下ということでやっていて、これは39で切っているのですが、ほぼ40ぐらいで切ると、F−H−Jの4で、これは結核の後遺症のものですが、これでいくとそれほど現実に齟齬しないようなものになっているのではないか。斎藤先生はじん肺のほうをとられて、これは混合性のものだからというご意見をいただいているのですが、39頁でI型の呼吸不全、PaCO245Torr以下の%肺活量は74.0±1.5、ものによっては%肺活量がほとんど軽症でも呼吸不全になってしまう。II型だと54.7±2.3ということで、I型、II型によって%肺活量も違っている。必ずしもじん肺のほうが混合性といって、等価に表れるのかどうか。これは斎藤先生からご意見をいただきたいところなのですが、結核のもので見る限りは、40というのはそれなりにF−H−J4以上とまあまあ良い線をいっているのではないか。
 具体的にここが厳しすぎるということでご意見をいただいたのが斎藤先生で、先ほどの話では動脈血ガスは当然やる。スパイロもできるだけ61をやるということになりましたので、ここは特にこの基準が優先されますと。自覚症状より何より、これが優先されるということで、具体的な%1秒量のほうは大きな齟齬はないのですが、%肺活量のほうは、斎藤先生からご意見が出ていますので、できましたら斎藤先生に意見を述べていただいて、ご議論をしていただければと思うのですが。

○斎藤先生
 確かに、こちらの分析(事務局より示された文献)の成績を見るとそういう成績ですね。ただ、我々が見た、木村先生とやったじん肺の成績では、かなりPaO2が高いレベルでも悪い症例があるし、%VCが高い例でも悪いのがたくさんある。これは、今回だけの成績かなと思って、実は昭和58年に横山座長がやった仕事だと思うのですが、中災防で全国4,000人のじん肺の患者を集めた仕事があるので、それを見せてもらったのですが、やはりF−H−J4度、50mも歩けないような人たちのグループの動脈血のPo2の平均は80近いところにあるし、%VCも80%なのです。何でそうなのかというのはなかなか難しい問題があると思うのですが、現実がそうなのだということだと思います。
 考えるに、この症例(事務局の文献)はやはり肺気腫を主体とした成績が主だと思うのです。しかしじん肺症は閉塞性障害と拘束性障害が合併してくる疾患だと思っていますので、これはやはり拘束性障害とも閉塞性障害を示す疾患とも違うのだろうと思うのです。例えば、%VCが70%であっても、1秒率がさらに重なって悪い場合だと、両方混ざった肺機能障害が出てくると思うのです。この場合に、おそらく%一秒量で見ると、閉塞性障害にVCが下がっているところにさらに掛け算するような形で1秒率が低下してくるような形になりますから、%1秒量では下がってくるけれども%VCでは下がらないというようなことが出てくるのだろうと思うのです。臨床的な立場でじん肺の患者を見ていると、%VCが70%レベルだと結構きついという理解を持っています。その辺がここに反映されていないのではないかと考えているということです。

○横山座長
 斎藤先生に伺いたいのですが、先生方がなさった多数例のじん肺患者の動脈血は、背臥位でとっているのでしょうね。座位でとっているのですか。

○斎藤先生
 じん肺法では座位です。

○横山座長
 じん肺法では座位とは書いてない、何も書いてないのです。私は昔、先生の病院に伺ってその話をしたときに、なぜ座位ではいけない、背臥位でなければいけないのかという質問をある先生からされたのですが、座位にしてしまうと、換気の血流比の不均等分布が大きく出てしまって何を測っているのかわからないような結果になってしまうのです。自分の病院でやった結果がそういうのが出ているので、是非背臥位でやるようにしたいと思うのです。

○斎藤先生
 そういう意味で言えば、私どもの病院で今やっているのは臥位です。ただ、全国の症例を集めた中で検討すると、臥位も座位も入っていると思います。

○横山座長
 全国のだと、むしろ座位が主流になっているわけです。ハンドブックを直してくださいと言ったのですが、これは今は直せないと言われて、何も書いてないから座位でやっている所が多いのです。ただ、労災の場合には、対象患者がじん肺のように、年間たくさんはないわけですから背臥位での採血は十分できます。

○斎藤先生
 対象患者というのは、じん肺以外に、職業性で加わっている肺気腫とかはどのくらいあるのでしょうか。

○横山座長
 時代とともに変わっていると思います。

○斎藤先生
 話題にする材料としては、じん肺のほうがはるかに大きいのではないかという感じがするのですが。

○医療監察官
 じん肺の関係については、本来、じん肺法なり労災保険法の関係を前提にすると、じん肺で要療養ではないが肺機能が落ちていることがある。じん肺法については所掌は衛生課でしか出来ないのだけれど、問題点は問題点としてきちんとわかっているから書きましょうということで、18頁以下に書いてはいるのですが。古い資料で申しわけないのですが、胸腹部会の第1回資料で、胸腹部臓器に係る障害等級認定件数と、裁決例なり認定事例というのを付けています。お手元のファイルに第1回目というのがあると思います。そこの5頁です。呼吸器と循環器に分かれる前の最初の資料です。
 もう一度、確かかどうか洗わないといけないのですが、数的には平成13年度で胸腹部全体で80名ぐらいある。今までどんなことが問題になったかというと、資料3の9頁に「審査会で取り消された案件」として載せています。クギが肺に突きささってしまい、その結果血気胸になってしまったような人の後遺障害が問題になった。監督署長は11級にした、審査会は7級−5にしたと。10頁に肺機能検査の値が出ています。1秒量が約1リットル程度で、1秒率は問題はないのですが、%1秒量でいえばそれなりに起こっているので、この方は今回の基準で言えば7級になる。今まではあまり基準がなくて11級だったわけで、今検討している基準ではこの方は7級になるということです。
 12頁では、肺挫傷で拘束性の換気障害になった人、%肺活量は42.5%で、いまの区切りでいうと大体7級になる。もう少し変えれば3級とかになるのですが、監督署長はつかみで7級にした。今回で言えば、すぐに7級になるものです。
 胸郭変形は、5級となっているのですが、少なくとも今回のでも7級以上にはなるだろう。これも始まる前に横山座長から、今までの例と大きく乖離することがないのかというお尋ねをいただいたのですが、いま事務局で出している案は、概ね今までいいとされてきた等級と同じぐらいになるし、審査会で「これはおかしい」と取り消したものの結論と同じになっていく。8頁では「気管支拡張症治ゆ後の障害等級」ということで9級にしています。ところが審査会は、全然落ちていない、痛いと言っているだけではないか、9級超えないのはいいけれども、何を考えているんだというようなコメントが付いているものなのですが、今回は、そこのところは呼吸器機能としては障害はない、痛みについて評価をするということにしています。
 上についても下についても、それなりに妥当なものが、先生方のご議論の結果かなりまとまってきたのではないか。斎藤先生のほうからは、妥当でない場合もあるのではないかというお話だったのですが、先生にいただいているご意見の、41頁の症例でも、結論としては3級以上になる。実は、これは管理4なので療養ということなのですが、仮に治ゆになったとしても、今検討している基準でいけば、3級以上にはなる。
 すべての指標で3級以上になると言えばよろしいのですが、先ほど見ていただいたようなものでも、ある指標では該当しなくても、ある指標を使うとまあまあ妥当なものになる。だからこそ、いくつかのものを組み合わせてやるのかなと、すべて同じように症例として出てくるわけではないのではないか。先生が挙げられたもので、これは本当は3級以上になるのに7級だよというようなことであれば、考え直さなければいけないと考えているのですが、もしそういうことがなければ、今の区切りでやって、さらに何かおかしいときには今後検討する、というようなことでどうかと思っているのですが。

○課長補佐
 斎藤先生がおしゃったもう一つの話は、じん肺の患者が多いのではないかというお話でしたが、私どもは実態を正確につかんでいるわけではありませんが、じん肺の患者は決して多くないと思っています。じん肺の方が治ゆした、あるいは合併症が治ゆしたという話ですが、少なくともこれまではあまりないのではないかと思っています。斎藤先生と木村先生のお2人の病院がじん肺の患者が日本でいちばん多いのだと思うのですが、ここでもそんなに頻繁にじん肺の方の障害の請求書を書かれた経験はほとんどないのだろうと思いますが。

○斎藤先生
 確かに、今まで合併症の治ゆという概念は、正直言ってあまりなかったと思います。最初の前提の問題として、どんな病気であっても出てくる肺機能障害は同じだ、という出発点でこの話は始まっているのです。ですから、そういう感じの理解をしてずっと見ていると、例えばじん肺の患者も同じに出てこなければいけないし、他の陳旧性肺結核であっても肺気腫でも、みんな同じ結果が出てくるべきなのだけれど、実際にはこういう差異が出てきているので、逆に言うとこの場合がそのままになってしまうと、これが後で差別のような、要するに落ちこぼれのような形で出てくる心配があるのではないか、という心配をしているということです。

○医療監察官
 それで、先生がちょっと挙げられたものでいくと、全部の指標をとって全部が3級以上になるというわけではないのですが、%1秒量でいけば3級以上になるのかなということで、それであれば、1つの指標では救われる。だからこそ、できる限り特に低い人はやってくださいよというのが、先ほどのご議論で活かされてくるのではないか。そうでなければ、1つだけやって、他は見なくていいということになるはずなので、なぜやるかというと、それだけではまずいこともあるということが前提なのではないかということです。

○斎藤先生
 この症例を私が出した理由は、要するに動脈血ガスと一緒に、スパイロもやってほしいという材料として出したものです。

○横山座長
 今日はいろいろなご意見をいただいて、ご不満もあるでしょうが妥協をしていただいて、この辺なら我慢ができるというお話をいただいたわけですが、その線に沿って原案をまとめてみたいと思います。先ほど医療監察官から、前回と比べてあまり大きな違いがないというお話がありましたが、私はやはり学問が進歩しているのだから、何も前回と同じである必要はないと思っています。しかし、患者の側からすると、あまり厳しくなる一方では困るという意見が必ず出てくると思います。今回、先生方の知恵を拝借してまとめていくこの報告書では、1つの物指しを提供する。その物指しに従って、患者にその枠の中でなるべく有利な判定をしてあげられるようなことを考えていくべきではないかと思います。今日いただいたご意見をとりまとめて、また論点として先生方のお手元にお届けできると思います。

○医療監察官
 その前に、運動負荷試験についても、4頁、5頁に書いたもので、基本的にはスパイロと似たようなことで考えてよろしいのか。基本的には安静時でやります、それで齟齬していたら運動負荷試験をやりますと。それぞれ自覚症状というよりは、どれだけ客観的に落ちたかということで、動脈血酸素飽和度に着目してやるということでよろしいのか、あるいはもう少しぼかしたほうがいいのか。斎藤先生からは、これでやるというのがわかっているのに、真面目にやれというのはなかなか難しいということです。事務局としては真面目にやっている、真面目にといいますか、努力性の呼吸を行っているというのが信頼できることがわかった場合にだけ見る、というような限定を付けているのですが、それはなかなか難しい。木村先生からも目茶苦茶書いてくる例もあるというお話でしたが、そこはもうちょっと無理だというなら無理というようにしますし、客観的に信用できる場合はこれでもいいということにするのか。
 基本的には安静時でやって、しかしどうも呼吸機能の低下しか説明がつかないという場合だけ、個別に判断するというような形がよろしいのか。事務局が提案していますのは、まともな試験だということを前提にして、動脈血ガスでやるということにしているのですが、こちらについてはいかがでしょうか。

○人見先生
 いまのは8のところだけですか。

○医療監察官
 まずは8、9のところです。

○人見先生
 9についてちょっと質問があるのです。例えば、5に該当していて11級というのはあり得るのですか。

○医療監察官
 要は、自覚症状としての呼吸困難度というのは非常に高いのですが、客観的な所見が全然伴っていないような方です。ですから、むしろそれは他の原因から出ていると考えるのが普通でしょうと。ただ、全然呼吸機能が低下していないか、ガス交換度が低下していないかというと、そうは言わないので11級ぐらいは出しますが、主たる原因は他からきているのではないでしょうかと。ですからF−H−Jが高い人は高いなりにという話ではなくて、まずは客観的なものがあって、それと整合している場合に限って見るというようにしますと。自覚症状としての呼吸困難そのものは、それほど高く見ないのですと。ただ自訴を何も見ないかというと、そんなことはない。そこはきちんと見るが、裏付けがないようなものは高くは評価しませんという意味です。

○木村先生
 新しくフローチャートが改編されて出てくるわけですが、動脈血ガス、スパイロ等で、この等級に該当しない例について、やはり自覚的なものと乖離しているような場合には、運動負荷試験で救済する道がある。その場合には11級のみというような形のものではいかがでしょうか。

○横山座長
 私はそう思うのです。あまり細かく何級何級と規定してしまうと、なかなか難しい問題が出てくる可能性がある。ですから、いまお話があったような格好で、運動負荷で救済するのは11級までと限定しておいたらどうかと私も思っています。いかがでしょうか。

○斎藤先生
 私は、むしろやめてしまったほうがいいのではないかと考えていたのですが。

○横山座長
 私も正直な話、やめてしまってもいいと思っているのですが、ただ、運動負荷試験というのを一生懸命やっていらっしゃる先生方もおありなので、あまり頭ごなしに「止めてしまえ」というのもいかがなものかと思って。

○斎藤先生
 私はまた別の余計なことを考えていたのです。要するに、在宅酸素で、酸素を吸わなければいけないような人は、おそらく療養になっていくと思うのです。結構悩むのですが、Po2が60Torrぐらいで、それでも呼吸困難がある。一応、今の在宅酸素の基準は55Torrになっているのです。60Torrになっている人たちをどうしようかと思うと、結局「ちょっと歩いてごらん」と言って歩かせてみて、酸素の飽和度が下がるのを見て、確認する格好で私たちは在宅酸素を導入しているわけです。例えば、何度も言うように50m歩行とか、あるいはそれ以下であっても実際に動くと下がるということを確認してやっているわけです。
 今の保険制度では、要するに下がるということを前提にしているわけで、6分間歩けとか、そういう規定はないわけです。ですから、逆に言うとここである程度厳しい基準を決めてしまうと、今まで臨床的に合わないから、何とか在宅酸素にもっていったという人たちも対象にならなくなってしまうのではないかという心配をしているわけです。ですから、もう少しこの辺は議論が煮詰まるまで待ったほうがいいのではないかと考えています。

○横山座長
 運動負荷試験をやめてしまえというのもちょっと酷なところがあるような気がしますが。

○斎藤先生
 横山座長がおっしゃるように、安静時の成績でもある程度の評価ができるのだという話なら、一応それでいいのではないかと思うのですが。6分間歩行テストは、歩けるところまで歩くという方法らしいのですが、6分間歩行というのは、人によってはかなり無理を強いる検査だと私は思います。

○横山座長
 昔はそれほど思わなかったのですが、眼鏡をバリラックスに変えてから、そういう所を歩いたり、階段を上がったり下りたりするのはとても怖いのです。これからは年寄りの方が多くなってくると、無理矢理に運動負荷試験をやらなければいけないということは言ってはいけないだろうし、運動負荷試験だけで何級かというのを決めるのもなかなか難しい面がある。ほかは全部よくて、級外になってしまうような人で、運動負荷試験で厳しい成績が出た。例えば、継続ができなくてやめてしまったというような人が出たら、これは11級ということにして、あまり細かく何級何級と分けないほうがいいのではないかと思うのですが。

○課長補佐
 我々の理解としては、安静時は何ともないのだけれど、運動すると極端にひどい人が中にはおりますと。そういう人たちを単に11級の救済だけでいいかというと、そうもいかないだろう。基準としてなかなか示せないというのであれば、その道だけ作っておくという手もあると思うのですが。前提として「そんなことないよ、安静時は何ともなくて運動すると極端に悪い、ひどい状態になるということはあり得ません」というのであればいいのですが。

○横山座長
 いや、あるのです。

○課長補佐
 だとすれば、そこは11級で割り切りましょうというわけにはなかなかいかないのではないかと思うのですが。

○横山座長
 他の成績が全部引っ掛かってこなくて、運動したときにだけ引っ掛かる人は11級でやる。

○課長補佐
 引っ掛かるというのは、働けないということだと思うのです。労働というのは、基本的に身体を動かすということが前提に我々は考えています。じっとしている労働も確かにあるかもしれませんが、我々のイメージしている、つまり障害が出る、その前提となる労働というのは、ある程度身体を動かすことが伴う。少なくとも事務所内を動き回ることが伴う。それは本来的には、我々の考え方としては安静時よりも動作時だと思っているのです。

○横山座長
 いわゆる職場で仕事をするような場合、一人前にやるなら8時間なら8時間仕事ができるということだと思うのです。6分間の運動負荷でそれがわかるかというと、私はわからないと思うのです。

○奥平(博)先生
 6分間で駄目な人は長時間も駄目ということは確かですね。

○横山座長
 患者にいろいろ聞いていくと、運動負荷試験をやると苦しい、全部はできない。「じゃああなたは普段どうしているの」と聞くと、いかにしたら仕事が続けられるかを考えて、経験からやり方を工夫しているという人がかなりいるわけです。ですから、短い時間の検査だけで、すべてをズバッと割り切るのは難しいのではないかと思っています。

○医療監察官
 区切りとしては、動作の問題もあってなかなか難しい。1つは、プロトコールというか、どういう速さでなったらどうなるのかというところとの兼合いの話だと思うのです。とりあえず11級にして、それを細分化するのは今後の検討課題だという形にするのか。理屈としてそういう場合がないというのは否定できないとすると、握力低下もそれなりに大変だというのはあるのですが、それは努力性の話なので、ちょっとそこは今後の検討課題だというようにしたことがあるのですが、こちらについては、とりあえず、有る無しぐらいはわかるので11級で、それ以上大変なことはわかっているけれど、それを客観的に明らかにする方法は、まだエビデンスに欠けているので、今後の課題ですという形にする。ここの場で合意していけなければ、そういう形でまとめさせていただき、その上でどのような文にするかは先生方にお送りしてチェックをしていただくというように思っているのですが、いかがでしょうか。

○横山座長
 なるべく差し障りのないような形でまとめていただいて、それを先生方にお送りしてご意見を伺うということにしましょう。次回はいつになりますか。

○医療監察官
 基本的な考え方については、先生方は概ね一致したと思うのです。あとは表現の話だと思いますので、呼吸器ワーキング・グループとして集まることよりは、胸部全体として、全員お集まりいただくか、あるいは何人かにお集まりいただくか、横山座長とご相談をさせていただいて次回の日程を固めさせていただければと思います。仮の話として、4月26日(火)を入れていただければと思います。

○人見先生
 資料3については、今日はノータッチと思っていいですか。

○医療監察官
 今日はディスカッションはなしですが、中身的に表現ぶりがおかしいということであれば、ここ2、3日の間にお知らせいただきたいと思います。

○横山座長
 それではこれで終わります。長時間ありがとうございました。

○医療監察官
 ありがとうございました。

照会先   厚生労働省労働基準局労災補償部補償課障害認定係
  TEL 03−5253−1111(内線5468)
  FAX 03−3502−6488

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