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第6回
資料5
1 フランスの最低賃金制度について


(1) 「新たなる最低賃金制」(労働省労働基準局賃金時間部長五十畑明著、1996)より

(1) SMIC
 SMICは、1969年の法改正により設けられた全国の労働者に一律に適用される最低賃金であり、賃金の最も低い労働者について、その購買力の確保及び国民経済の発展への参加を保証することを目的とするものである。
 SMICの前身である「全職業最低保証賃金」(salaire minimum interprofessional garanti=SMIG)は、パロデイ命令(1945年)に基づき行われていた賃金統制を50年に撤廃するに当たり、当時労使の団体交渉能力が限られており、しかも激しいインフレが進行していたことから、実質賃金水準の維持を図るため、新しい労働協約法によって法定最低賃金として設定されたものである。
 SMIGは、全職種共通の最低賃金であったが、当初は農業・非農業の区分、地域差(パリのSMIGは他の地域より1〜3割高かった。)及び年齢差が設けられていた。しかし、農業・非農業の区分及び地域差は、1968年5月のゼネストの収束のために締結された政労使によるグルネル協定によって、人口のパリ集中傾向の抑制等の目的により撤廃され、全国一律の最低賃金制度となり、1969年の法改正により、現在のSMICが誕生したものである。
 公労使とも、現在のSMIGの存在意義に否定的な見解は全くもっていない。労働省によると、世論調査機関による調査では、約9割の国民はSMIC廃止に反対しているということである。フランス経営者連盟(CNPF)も、フランスは国家が経済を管理する長い歴史をもつ国であるので、SMICがなくなると、ダンピングが起きる等公正な競争という観点から悪影響が生じるとしている。

(2) 労働協約拡張方式
 拡張適用方式による最低賃金の適用労働者は、1994年6月1日現在で全労働者の25%である。
 拡張適用方式による最低賃金にはその額がSMICの額より低いものもあるが、次の協約改定の際に、基本的にはSMICを上回るように改定される。ただし、協約の最低賃金を物価又はSMICの上昇に連動させて機械的に引き上げることは、法律で禁止されている。
 労働協約拡張方式による最低賃金については、特定の企業が賃金を非常に低くすることができないようにして公正競争を確保するという観点から、CNPFもその必要性を言及している。


(2) 「日本の最低賃金」(労働省労働基準局賃金部長藤縄正勝著、1972)より

(1) SMIC
 SMICは、全国全産業の労働者に対して一律の最低賃金を保障するものであり、(ただし、公務員、国営企業の労働者などを除く)、フランスの最低賃金制を代表する最も特徴的な制度であるといわれている。
 この法定最低賃金制は、戦後の特殊事情の中から生まれたものであった。すなわち、戦後の賃金統制を撤廃するにあたり、当時、労使とも交渉能力が限られていたうえ、激しいインフレーションが進行するという背景もあり、政府は、労働者の実質賃金水準を維持するために、すべての労働者に対し賃金の最低額を保障することを余儀なくされたものであるといわれている。したがって、この法定最低賃金は、多くの点で賃金統制時代の名残りを留めており、性格的にも不熟練労働者のための標準賃金的なものであって、労働者の平均的な実収賃金の水準に対する比率もきわめて高かったといわれる。この点で、イギリスの最低賃金制が前世紀末からの苦汗労働の防止に端を発し、賃金が例外的に低い労働者の保護を目的として出発したのと大きく異なっている。

(2) 労働協約拡張方式
 労働協約の拡張適用は、産業別に、最も代表的な労使によって締結される労働協約によって定められる熟練度別の最低賃金を、当該産業のすべての労使に対して拡張適用するというものであり、今世紀はじめに生まれ、1930年代の労働運動の高揚期に確立された労働協約制を基礎とするものである。
 労働協約の拡張適用による協約最低賃金と全国全産業一律に適用される法定最低賃金との関係については、この2つの最低賃金は共に1950年労働協約法に基礎をおき、互いに相補うものとされてきた。すなわち、法定最低賃金が底をきめ、この底の上に協約最低賃金が、産業別に、かつ、熟練度別の格差を決定する形である。そして、かつては、法定最低賃金の改訂がほとんど常に協約最低賃金の改訂を誘発し、この意味でも両者は一体のものとして把えられていたが、その後労使の自主的交渉能力が高まり、また1960年以後の経済の成長に伴い、協約最低賃金が独自の動きを示し、法定最低賃金とは無関係に上昇するようになった。しかし、両者の相互関連性は薄れたが、法定最低賃金が底を定め、協約最低賃金がその上に産業別、熟練度別の底を段階的に定めるという形は今も変わらない。
 また拡張適用された協約最低賃金の法律上の効果は、法定最低賃金の場合とまったく同一で、協約最低賃金との差額の請求権が労働者に与えられ、また、協約最低賃金の違反を犯した使用者に対しては罰金刑が科される。


(3) 「諸外国における最低賃金制度」(日本労働研究機構、2003)より

(1) 最低賃金制度の歴史(意義・機能)
 一般的な意味での最低保証賃金制度がフランスに導入されたのは、統制賃金が撤廃され全職業共通の時間あたり最低賃金が設けられた1950年である。
 戦後、1946年12月23日法により労働協約制度の見直しが行われ、労働協約高等審議会が設置された。賃金制度については政府による監督制度が維持され、最低賃金、職業ヒエラルキー適用の条件として、また物価の決定基準として存在していた最高平均賃金等についてはデクレがその内容を定めていた。したがって、賃金交渉においては労働協約がこうした制定法を外れて機能することは不可能であった。
 1950年2月11日法「労働協約及び労働争議の解決手続き関連法」によって賃金自由交渉の基本が再構築された。この法律は労働協約の適用範囲とその内容を明確にするもので、最終的にはこれに基づいて現在のSMICの前身であるSMIGが誕生する。
 1952年7月18日法は、これに対物価変動自動改定方式を採用。直前の改定日を基準日にして、それ以降の物価上昇率が5%を超えた場合には自動的に最低賃金額の改定が行われるというものである。これは当時のA.Pinay首相がインフレ対策の看板政策として提案したものであった。
 その後、1957年6月16日法によって前述の基準が5%から2%に引き下げられる。様々な過程を経て、「最低賃金」という語の概念はそれまでの「基本的必要」としての賃金という域から、国全体の経済成長への参加のための保証という域に移行し始めるのであるが、実際にはSMIGの購買力は1968年まで殆ど引き上げられることはなかった。
 1968年5月、ゼネスト収束のために締結されたグルネル協定に続いて公布された1970年1月2日法によって、SMIGはその名称をSMICと変えることになる。同法によってSMICの適用範囲は農業従事者にまで広げられ、SMICの変動に合わせた賃金スライド制に関する条項の締結については、政府はここでもそれを完全に禁止している。労働法典第141条二項はSMICを最低賃金生活者の購買力と彼らの国の経済成長への参加を保障するものであると定義づけている。これは基本的必要最低条件を確保することで報酬の最も低い労働者を保護するという従来の消極的な固定観念を払拭し、そこにダイナミックな概念を植えつけようという政府の姿勢の現れであり、具体的には規則的な賃金増加を実質的に保証することで労働者の国の経済成長への参加意識を高めようというものである。

(2) 業種別団体協約に依拠する最低賃金(minimas salariaux)
 フランスの賃金交渉メカニズムにおいて伝統的に重要なレベルは通常brancheと呼ばれる業種のレベルである。フランスの賃金交渉で特徴的なことは、この業種レベルでの交渉が法律上年一回義務づけられていることである。勿論、賃上げ自体ではなく、労使が交渉テーブルにつくことが義務づけられているのである。同じく、後述する業種別職務等級表も5年に一度見直しがなされなければならない。また同様な賃金交渉義務は各企業レベルにも課せられている。
 近年では、雇用者側の戦略を反映して、企業ないしは事業所レベルでの賃金交渉が主流になりつつある。雇用者側は企業ごとの業績や特殊な状況を賃金交渉に反映させる為、より柔軟性の高い企業、事業所レベルでの団体交渉を選好しているといわれる。その結果、企業単位での労働協約の数も大幅に増えている。それでも、三百に及ぶ業種レベルでの伝統的な賃金交渉は一般的レファレンスとして無視し得ない影響力を保持している。この影響力は、特にこの国が労働協約拡張適用方式を採用していることによって補強されている。すなわち、フランスでは、所定の要件を満たす労働協約の協約条項が労働省令によって一定の地域内の同一業種企業全てに拡張適用されうるのである。この方式では、労使の一方の申請によりある一定の協約が全国労使交渉委員会(commission nationale de negociation collective)に諮問され、その協約交渉プロセスの適格性や労働協約条項の適法性が審査される。労使一方(二つ以上のナショナルセンタ−)の書面による反対がない限り、適法性が証明されれば原則的にその労働協約は自動的に拡張される。この方式によって業種ごとの熟練度別最低賃金水準が均一化する傾向にある。
 フランスの賃金決定メカニズムを考察する際に重要な点は三つある。まずは職務等級表(systeme de classification)であり、熱錬あるいは職務の難易度別に雇用者全てを格付けするものである。各雇用者との個別労働契約書にはこの職務等級が明記されねばならない。通常、生産、事務、及び職長のクループcadreと呼ばれるmanager層に対応する二つ職務等級表がある。生産労働者については、生産職務の難易度別に四レベル十等級に各職務が格付けされる。第二には、各等級ごとに賃金係数が照応していて、これが賃金ヒエラルキーの骨格をなしている。基本的にはこの賃金係数に賃金単価を乗することによって基本賃金月額が算出できる。第三には、通常業種レベルでは、職務等級に対応した年間最低保証賃金額が交渉されそしてそれが明記される。これが各業種による熟練度別最低保証賃金と呼ばれるものである。問題はここ15年以来かなりの業種で、職務等級の最下位レベルに位置する労働者の最低保証賃金が法的SMIC賃金を下回っていることである。90年代初頭に政治的な問題となり、一時期この状況は改善されたといわれる。ミッテラン大統領の肝いりで、全国労使交渉委員会が労使交渉の監督を強化し、80年代後半には70%にも及ぶ業種で最低保証賃金が法的SMIC賃金を下回っていたが、1992年暮れには38%まで低下した。しかし、90年代後半期の不況と賃金停滞により、現在でも約半数に及ぶ業種(建設、清掃業、ホテル、レストラン等)で熟練度の最下位レベルに位置する労働者の最低保証賃金が法的SMIC賃金を下回っている。勿論、これらの最低保証賃金がSMICを下回っている場合、基本的には次期協約改定時にSMIC賃金を上回るように修正される。しかし、SMICの改定頻度がより高いので、結局は、熟練度最下位レベルの最低保証賃金が法的SMIC賃金を下回る状況が続いている。なお、協約上の最低賃金を物価ないしはSMICの上昇に連動させることは禁止されている。



2 イギリスの最低賃金制度について


 「最低賃金制の新たな展開」(小粥義朗著 1987)より
 イギリスにおいては、賃金その他労働条件は、可能な限り労使の自主的な団体交渉によって決定されるべきであるという「産業自治の原則」が伝統的に確立されている。しかし、産業又は業種によっては、労使間に賃金決定のための適正な自主的交渉機構が存在しないか、存在はしてもそれが十分な機能を果さないものになる恐れがある場合には、そのような産業又は業種に限定し、労使間の自主的決定機構を補完するものとして、これまでは「賃金審議会法」に基づき賃金審議会が設置され、国が関与して最低賃金が決定されてきた。賃金審議会は、当該業種の労使を代表する同数の委員及び3名以内の中立委員により構成され、その適用分野における最低賃金、休日等の雇用条件を定める命令(賃金規制命令)を決定する権限を持つものである。
 1986年8月現在、製造業、小売業又はサービス業に属する業種について26の賃金審議会が設けられており、その定める最低賃金の適用を受ける労働者数は約275万人となっている。
 なお、農業については、農業賃金法(1948、49年)に基づき、農業賃金委員会により最低賃金が定められている。
 1985年7月、サッチャー首相は、法律による各種の規制・統制を撤廃して市場競争を活発化させ、それにより民間活力を発揮させることを目的として、一連の規制緩和施策を発表した。政府は、その一環として、1986年1月、「賃金法案」を国会に提出、同年7月に施行された。
 この法律は、賃金の支払いに関し制限を課している法令を廃止し、新しい労働者保護規定を設けること、賃金審議会の改革を図ること及び剰員解雇手当還付金の支払いを従業員10人未満の使用者に制限すること、を目的としており、今後は、この法律により制度の運営が図られることとなる。
 このうち、最低賃金制に関係する部分は第II章(賃金審議会の権限)(第12条〜第25条)に規定されている。
 ここでは、従来の審議会の根拠となる賃金審議会法は廃止され(第12条)、新しい賃金審議会の権限は、対象となる労働者の範囲を21歳以上とし、対象労働者の時間当り最低賃金率、所定外労働の時間当り最低賃金率のみを定めること(第14条:従来の賃金審議会は休日その他の雇用条件についても決定する権限があった。)とする。これにより、若年層の雇用機会の拡大を図ることとするほか複雑かつ行政的負担の多い審議会令の簡素化が図れることになる。なお、現在の対象者275万人のうち21歳未満の者は50万人である。
 その他この章においては、使用者の記録保持義務(第18条)、監督官の権限(第19条)及び審議会令及び法律違反に対する罰則(第16条及び第20条)等の規定が設けられている。


 日本労働研究機構「諸外国における最低賃金制度」(2003)より
 イギリスにおいて、長年、機能してきた賃金審議会による最低賃金は1993年に廃止された。この、賃金審議会は、低賃金労働者が多いいくつかの産業において、産業別の最低賃金を設定していたものである。賃金審議会は1909年に設立されて、1993年8月30目に廃止された。廃止された1993年の時点では26の賃金審議会が存在し、約2,500,000の労働者がその影響を受けていた。これらの賃金審議会においては雇い主と従業員の代表者が同じ人数含まれており、議長は雇い主からも従業員からも独立な者が勤めていた。これらの賃金審議会の中でも、小売業、ホテル、衣服製造、美容師の賃金審議会は多くの労働者に影響を与えていた。たとえば、1993年8月以前には、ホテルレストラン賃金審議会は383,000人の労働者に影響を与えていた。Redivenら(1998)によると、多くのホテル、特に小さなホテルにおいては賃金審議会の決定は大きな影響を与えていた。
 しかしながら、賃金審議会方式による最低賃金の影響はその後期には小さくなっていたと考えられる。その一つの大きな要因は、最低賃金が比較的低い額に設定されることにより、影響を受ける労働者の割合が小さくなってきたことがあげられる。1979年の最低賃金は経済全体における平均賃金の48%の水準に設定されていたが、1992年の段階では、平均賃金の40%の水準になっていた。すなわち、最低賃金が低く設定される傾向にあったといえる。
 また、賃金審議会や雇い主の賃金を保護するような他の制度も弱められていた。たとえば、1975年雇用保護法によると、雇い主は従業員の賃金を決定する際に産業レベルやその地方の市場賃金に沿って決定しなければならなかったが、この規定は1980年雇用法により無効になった。賃金審議会の数も減少頃向にあった。更に、1986年賃金法によって、賃金審議会の権限も制限された。すなわち、それ以前には成人向け労働者向けの最低賃金に加えて、若年者やいくつかの職別の最低賃金を設定していたが、これ以降は成人向け労働者の最低賃金のみを決定することとなった。

所得格差の長期的な傾向
 そもそも、最低賃金が導入される一つの大きな目的は、所得格差を是正することにあると考えられるが、最低賃金導入以前のイギリスにおける所得格差の長期的な傾向はどのようなものであったのだろうか。GreggとMachin(1994)によると、イギリスの賃金格差は1970年代後半から、1990年代まで一貫して上昇してきている。また、賃金格差だけではなく、所得格差も同様に拡大してきている。所得のジニ係数をみると、1970年前半で27だったのが、1980年代後半には35と拡大している。また、このような賃金・所得格差の増大と同時に1980年代にはイギリスの労働市場に、さまざまな変化があった。1986年には失業者が310万人、失業率が11%まで増大した。労働組合の組織率も1979年の58%から1991年の38%まで減少している。また、産業構造も製造業からサービス業中心へと変化した。このことに伴って、雇用形態もより柔軟な形式へと変化している。

労働党、保守党、労働組合と全国最低賃金
 イギリスにおいては、最低賃金に関して政党・労働組合などの間にさまざまな議論が行われてきた。また、その議論の中でそれぞれの団体の意見も変化してきている。本来、イギリスの労働党および労働運動は全国最低賃金の導入に関して、懐疑的な態度をとっていたが、最終的に全国最低賃金は労働党政権のもとで導入された。ここでは、この経緯、各労働団体・経営者団体・政党のそれぞれの動きについて触れる。
 1970年代には、労働党および労働組合は、賃金審議会による最低賃金制度を支持していた。また、それゆえに全国最低賃金の導入には懐疑的であった。しかしながら、1980年代からの変化は、労働運動のこのような懐疑的な態度を変化させ、全国最低賃金に対してより好意的なものに変化させてきたといえる。
 1979年に保守党が政権を取ることにより、賃金審議会の影響力は徐々に弱められてきた。賃金審議会が設定する最低賃金と平均賃金との比率は1970年代を通じて低下していた(Machin,1997)。すなわち、実質的に、雇い主から見て最低賃金の意味は弱くなっていたといえる。また、賃金審議会が設定する最低賃金の適用範囲も徐々に狭められた。これらを受けて、労働組合会議(TUC)や労働党はそれぞれ、1985年と1986年に全国最低賃金に対して賛成にまわった。しかしながらTUCの中でも全国最低賃金の導入によって、労働組合や団体交渉の力が弱まるのではないかという恐れがあり、反対も根強くあった。また、最低賃金の導入によって労使の団体交渉の意味が弱められるのではないかという意見もあった。
 TUCが1985年に全国最低賃金の賛成にまわったことを受けて、望ましい全国最低賃金のあり方に関して労働党や労働運動の間で議論が行われた。当初、労働党は何らかの公式に基づいて最低賃金を設定するのが望ましいのではないかという方針をとっていた。これは、たとえば、男性賃金の中位数の50%を全国最低賃金として設定するということである。この方法によると、全国最低賃金の改定も半自動的に決定されることになる。しかしながら、1995年に労働党はその方針を変え、最低賃金の賃金率を決定する低所得委員会を設立することを提言した。公式に基づく決定方法を採用しなかったことには2つの理由が有ると考えられる。一つは、この方法によると、失業率などに大きな影響があらわれるのではないか、という不安のためであり、もう一つは、最低賃金は雇用状況、所得分配など幅広い経済状況を勘案して決定されるべきであるためであった。


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