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色素性乾皮症(XP)ひまわりの会の小祝です。
在宅の医療的ケアに関して、このような機会を与えてくださった事に感謝いたします。

まず、「医療的ケア」と言う言葉ですが、私達の場合は病気を治すための「医療」ではなく、生きていくための「医療」なのです。言い換えれば、顔を洗ったり歯を磨いたりするのと同様、日常の「生活行為」なのです。
また「在宅」という言葉も、「一日24時間・365日家の中で過ごす」イメージがあります。
しかし、現在の日本ではどんなに重い重度重複の障害があっても、その様な事は考えられない事です。
反対に医療的ケアが必要になる施術をしたからこそ、全身症状の改善が得られ、外に出る機会が増えたと考える方が普通です。外に出て、様々な感動を受けたい…それが生きる力になるのです。
国・都道府県・市町村レベルではノーマライゼーションの理念のもと、障害者に対する様々な制度・サービスが行われるようになってきたのは嬉しい限りです。
ところがせっかくの制度やサービスを受ける際に、最大の障害になっているのが「医療的ケア」です。
以下に我が家のケースを具体的にお知らせしたいと思います。

私の息子は28歳、進行性の神経難病で現在歩行不能(車椅子)、気管切開・胃婁・導尿と言う状態で、本人はもとより家族(特に日常世話をしている母親)は精神的にも肉体的にも大きな負担をしいられています。
しかし、気管切開により呼吸が楽になり、胃婁により必要な水分・栄養が摂取できることで全身状態が改善され、現在は週5日デイサービスに通所しています。
通所期間は5年、最初の3年は医療的ケアの必要はありませんでした。
皆様にわかりやすいように医療的ケアが必要になる以前と以後の違いを箇条書きに致します。
1)通所先の送迎サービスが受けられなくなった。
2)通所時間内のお楽しみの外出など、活動が制限されるようになった。
3)通所先の早受け・遅受けなどのサービスが受けられなくなった。
4)通所時間外の活動(余暇支援活動)に参加出来なくなった。
5)ガイドヘルパー制度(移動介護)が使えなくなった。
6)通所先のナイトケアサービスが受けられなくなった。

仲間と同じ送迎車に乗り、色々なコースを通って仲間の家の方と会えることは、息子の大きな楽しみのひとつでした。
通所時間内の外出…近くのスーパーに買い物に行ったり、図書館に行ったり、季節によってはお花見に行ったりの回数が他の通所仲間に比べて極端に少なくなりました。
余暇支援活動として、月に一回土曜日のプログラムがありますが、全く参加できなくなりました。ガイドヘルパーを使っての外出も、結局家族が同行しなくてはならず、通院時しか使えません。家とは違う場所でのお泊りは貴重な経験になりますが、それも出来ないのです。

健常者には大したことのないような以上の事柄も、息子のような重度の障害者にとっては想像もつかないほど大きなことであるとご理解をいただきたいのです。
そして、以上全ての項目に関係しているのが、看護師にしか認められていない「医療的ケア」行為なのです。何処へ行くにも、何をするにも、家族か看護師がいなければ出来ない息子の生活環境は、以前より元気になったにもかかわらず格段に劣化しました。
さらにその結果が母親の私に「さらなる負担」となってきています。
「この子さえいなかったら…」と介護者に思わせないで下さい。

この問題は、看護師を増やせば済むと言うものではありません。
当事者や家族から見れば、その時限りの看護師より、普段から息子の状態を良くわかっている施設職員に任せたいと思うのです。その方がどれだけ安心かは想像がつくことです。
施設職員が医師の指導のもと、「医療的ケア」が出来るようになることで、全てが解決する訳ではありませんが、少なくとも以前の楽しみが戻ってきます。
息子の一日は、健常者の一日とは比べようも無いほど大切なのです。
限られた時間だからこそ、精一杯充実した時間を過ごさせたいのです。

1)通所・入所先の職員に医師の指導のもと、「医療的ケア」が出来るようにしてください。
2)訪問看護の制度を改正して、居宅だけではなく通所・入所先など、当事者が必要な場所に看護師が訪問できるようにしてください。
3)介護者の休養や緊急時に使えるように、訪問看護の週3回まで・一回90分以内という制限を無くしてください。
加えて、17:00以降・夜間の訪問看護制度を作ってください。

一日でも早く以上のことが実現し、真に必要な所に必要な支援が行われる様にご検討いただきたく、よろしくお願い申し上げます

平成16年11月19日
XPひまわりの会 小祝南子


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