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第1章 救命治療、法的脳死判定等の状況の検証結果

1.初期診断・治療に関する評価
(1)脳神経系の管理
(1)経過
 平成14年10月28日10:00頃、歯科治療中に意識障害が出現し、10:39当該病院救急部に搬入された。搬入時JCS 10、血圧測定不能、胸部不快感を訴えたため、心原性ショックを疑い、心臓カテーテル検査を施行し、ICUに入室した。検査終了頃には質問に判然と答えたが、15:00頃から頭痛を訴え始めた。
 頭痛出現約2時間後の頭部CT検査で、くも膜下出血と水頭症の所見を認めた。CT検査終了後より意識障害(JCS 200)が出現し、浅い自発呼吸となった。17:25 ICUにて気管内挿管し、人工呼吸を開始した。JCS 300、わずかな対光反射を認めたものの、他の脳幹反射は消失しておりHunt & Kosnik grade V, WFNS grade Vと診断、脳室ドレナージを施行し、保存的治療とした。
 脳圧下降剤(グリセオール、10月28日〜11月8日、マニトール11月8日)、副腎皮質ホルモン(ソルメドロール10月30日、11月1日〜11月3日)、抗痙攣剤(エクセグラン11月3日〜11月8日)、鎮静剤(プロポフォール、エコナール10月28日〜11月7日)、筋弛緩剤(マスキュラックス10月28日)及び補液による保存的療法を行った。
 MRA(10月30日)で左椎骨動脈瘤が疑われた。MRIでは左小脳橋角部を中心とするくも膜下出血と小脳、大脳の脳浮腫を認めた。11月4日JCS 20〜30になったが、左片麻痺が出現し、再び意識レベルが悪化した。経頭蓋ドプラー検査で脳血管れん縮が疑われ、保存的治療を続行した。
 11月7日夕方より右瞳孔が散大し、CT検査で両側前大脳動脈、中大脳動脈領域、小脳に脳梗塞と脳浮腫を認めた。21:30左瞳孔も散大、自発呼吸の停止、急激な血圧の一過性下降が認められた(22:00 JCS 300)。以降、完全調節呼吸を続行し、血圧変動に併せて昇圧剤(ノルアドレナリン、カタボン)を投与し、全身の水管理を目的としてバゾプレシンを投与した。

(2)診断の妥当性
 10月28日の搬入時には心原性ショックを疑わせる循環動態で、患者も胸部不快感を訴え、心臓カテーテル検査が優先されたことは理解できる。当日のCTでくも膜下出血と水頭症を診断、10月30日のMRAで椎骨動脈瘤の疑いと診断、後に経頭蓋ドプラー検査、CT所見で脳血管れん縮を合併したと診断したことは妥当である。

(3)保存的治療を行ったことの評価
 当初のCTでくも膜下出血と診断し、後日のMRAで左椎骨動脈瘤の疑いと診断した。しかし、患者の意識状態はJCS 200〜300と悪く、直達手術より保存的治療の選択を行ったことは妥当である。経過中JCS 20〜30まで改善した時期があったが、脳血管攣縮のため左片麻痺が出現したり、CT上、多発性脳梗塞を併発したことから呼吸循環系、水電解質の全身管理及び脳圧下降剤の投与などの保存的治療を行ったことは妥当である。

(2)呼吸器系の管理
 来院時空気呼吸下でPaO277mmHg、PaCO236 mmHg、pH7.36であり著明な異常は認めていない。しかし、自発呼吸が弱くなったので10月28日17:25ベクロニウム8mg投与下に気管内挿管を行い人工呼吸を開始している。その後、水頭症に対して脳室ドナレージ術が施行された。10月29日8:00頃、自発呼吸が出現したので、同期型間歇的強制換気モードで人工換気を継続した。この設定でPaO2は150-180mmHg、PaCO2は35-41 mmHgに維持されている。人工呼吸中はプロポフォール(2mg/kg/hr)とミダゾラム(2mg/hr)で適宜鎮静したが、時々意識確認のために投与を中止している。
 11月7日、21:30左瞳孔散大、血圧低下(収縮期血圧40mmHg)が出現し、22:00には自発呼吸の停止を確認している。この時のPaO2113mmHg、PaCO236 mmHg、pH7.46であった。以後肺におけるガス交換に問題はない。
 以上から入院後全経過を通して呼吸管理は適切である。

(3)循環器系の管理
 10月28日、初診時ショック状態(60 mmHg、脈拍70〜86/min)であったが、治療により血圧は11:15には100/50 mmHgに改善して、開眼、発語などを認めている。胸部不快感を訴え、l2誘導心電図上で心筋虚血所見、心エコー上で壁運動障害を認めたため、心筋梗塞を疑い、12:30より心臓カテーテル検査を施行したことは妥当な経緯と判断する。心臓カテーテル検査で冠状動脈に狭窄を認めなかった。この時点では、質問に明確に答えているので、脳循環を含めて適切な循環管理が維持できていたと判断する。
 最初のCT施行まで収縮期圧は150mmHg以下に調整されていたが、CT検査後に一過性に200mmHg前後に上昇している。これは脳動脈瘤の再破裂による反応性のものと思われる。以後、昇圧薬(ドパミン、ノルエピネフリン)、および降圧薬(ニカルジピン)により収縮期血圧は100〜150mmHgに維持されている。
 11月11日にノルエピネフリンを中止しても血圧低下はなく、ヘモグロビン低下を補正する目的で濃厚赤血球血液を輸血した。
 以上の経過を通じて、昇圧薬(ドパミン、ノルエピネフリン)、バソプレシンまたは降圧薬(ニカルジピン)、輸血と輸液(容量負荷)等を適切に使用し、妥当な循環維持が行われていると判断する。

(4)水・電解質の管理
 経過中、著明な電解質異常はなく、尿量も充分に得られているが、11月8日の臨床的脳死判定前から著明な尿量増加がみられ、11月9日午後からバソプレシン0.5U/hrが投与された。以上より入院後の水・電解質の管理は頭蓋内圧降下療法を中心に適切に実施されている。

(5)感染に対する管理
 10月31日まで胸部X線写真で肺炎を示唆する所見はなく、喀痰培養でも細菌は検出していない。11月4日38.6℃の発熱があり動脈血培養をしている。5日の喀痰培養ではenterobacter aerogenesを検出しているが、この時点でも胸部X線写真で肺炎を示唆する所見はない。4日の動脈血培養でグラム陽性球菌を検出したとの報告を受けて、再び動脈血培養をしている。
 9日にCRPが14.7mg/dLへ急上昇し、かつ4日の動脈血培養でグラム陽性球菌がコアグラーゼ陰性ブドウ球菌であったとの報告を受け、血管内カテーテルに関連した感染症を発症していると判断している。そこで血管カテーテルを更新し、抗生物質を広域抗菌スペクトルを有するイムペネム・シラスタチンNa(チエナム、1g×2/day)に変更している。その後、バンコマイシンに感受性があることが判明したので、バンコマイシンを投与している。以上より感染対策も適切であったと判断する。

2.臨床的脳死診断及び法的脳死判定に関する評価
(1)脳死判定を行うための前提条件について
 本症例は平成14年10月28日に入院し、左椎骨動脈瘤破裂によるくも膜下出血が疑われたが、意識障害が重篤で、保存的治療中に高度の脳血管攣縮のため多発性脳梗塞をきたした。11月7日夕方より右瞳孔散大、21:30左瞳孔散大、22:00 JCS 300、自発呼吸が消失した。本症例では11月8日 13:00臨床的脳死と診断され、31時間51分後に第1回脳死判定を行い(終了11月10日 0:40)、6時間07分おいて第2回脳死判定を行った(終了11月10日 8:55)。
 本症例は前章で詳述したことから脳死判定対象例としての前提条件を満たしている。
すなわち
1) 深昏睡で人工呼吸を行っている状態が継続している。10月28日17:30に人工呼吸器により機械的換気を開始してから、臨床的脳死の診断を開始するまでに255時間経過しており、深昏睡となってから11時間経過している。
2) 臨床経過、症状、CT、MRI所見から脳の一次性、器質的病変であることは確実である。
3) 診断、治療を含む全経過から、現在行いうる全ての適切な治療手段をもってしても回復の可能性は全くないと判断される。

(2)臨床的脳死診断及び法的脳死判定
1)臨床的脳死診断
<検査所見及び診断内容>
検査所見(11月8日 9:00から11月8日 13:00まで)
体温:37.1℃ 血圧:100/70mmHg 心拍数:60/分
JCS:300
自発運動:なし 除脳硬直・除皮質硬直:なし けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右5.5mm 左5.5mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:平坦脳波に該当する(感度10μV/mm、感度 2μV/mm)
聴性脳幹反応:I波を含むすべての波を識別できない
施設における診断内容
以上の結果から臨床的に脳死と診断して差し支えない。

(1) 脳波
 平坦脳波に相当する(感度10μV/mm、感度2μV/mm)。
 11月8日11:35から測定されている。電極装着部位は国際10−20法に基づいて、Fp1,Fp2,C3,C4,O1,O2,T3,T4,Cz,A1,A2の計11電極であり、単極導出と双極導出が記録されている。脳波の他に心電図と頭蓋外モニターがなされている。標準感度(10μV/mm)および高感度(2μV/mm)記録併せて36分間記録され、標準感度及び高感度記録で平坦脳波を示している。

(2)聴性脳幹反応
 両耳刺激で刺激音強度は最大の105dBが用いられている。電極配置はCz-A1とCz-A2であり、加算回数2000回で行われている。その結果は両側とも全く無反応であり、聴性脳幹反応は消失している。

2)法的脳死判定
 <検査所見及び判定内容>
検査所見(第1回) (11月9日20:51から11月10日0:40まで)
 体温:36.9 ℃ 血圧:109/59mmHg 心拍数:95/分
JCS:300
自発運動:なし 除脳硬直・除皮質硬直:なし けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右5.0mm 左5.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:平坦脳波に該当する(感度10μV/mm、感度 2μV/mm)
無呼吸テスト:陽性
 (開始前)(5分後)(8分後)(10分後)(終了後)
  PaCO2(mmHg)41586369
  PaO2(mmHg)656575517509
  SpO2(%)100100100100100
聴性脳幹反応:I波含むすべての波を識別できない
検査所見(第2回) (11月10日6:47から8:55まで)
 体温:35.7 ℃ 血圧:108/61mmHg 心拍数:107/分
JCS:300
自発運動:なし 除脳硬直・除皮質硬直:なし けいれん:なし
瞳孔:固定し瞳孔径 右5.0mm 左5.0mm
脳幹反射:対光、角膜、毛様体脊髄、眼球頭、前庭、咽頭、咳反射すべてなし
脳波:平坦脳波に該当する(感度10μV/mm、感度 2μV/mm)
無呼吸テスト:陽性
 (開始前)(3分後)(9分後)
 PaCO2(mmHg)425968
 PaO2(mmHg)605539514
 SpO2(%)100100100
 聴性脳幹反応:I波を含むすべての波を識別できない
施設における判定内容
 以上の結果より、第1回目の結果は脳死判定基準を満たすと判定
(11月10日 0:40)
 以上の結果より、第2回目の結果は脳死判定基準を満たすと判定
(11月10日 8:55)

 1)電気生理学的検査について
(1)脳波
第一回法的脳死判定
平坦脳波に相当する(感度10μV/mm、感度2μV/mm)。
平成14年11月9日23:04から36分間測定されている。電極装着や導出記録法は臨床的脳死判定と全く同様で、法的脳死判定マニュアルに沿って正しく記録されている。標準感度および高感度記録がなされ、呼名刺激や顔面への痛み刺激も行われている。高感度記録においてわずかに基線の動揺によるアーチファクトと心電図の混入が認められるが平坦脳波と判定できる。

第二回法的脳死判定
平坦脳波に相当する(感度10μV/mm、感度2μV/mm)。
平成14年11月10日7:24から36分間測定されている。脳波記録条件は第1回法的脳死判定時と全く同様であり、良好な記録状態である。標準感度および高感度記録で、呼名刺激や顔面への痛み刺激も正しく行われている。高感度記録でわずかにアーチファクトの混入を認めるが、平坦脳波と判定できる脳波である。

(2)聴性脳幹反応
臨床的脳死判定・法的脳死判定(第一回、第二回目)のいずれにおいても、I波を含む全ての波を識別できない。

 2)無呼吸テストについて
2回とも必要とされるPaCO2レベルを得てテストを終了している。テスト前及び60mmHg以上のPaCO2を得た時点でのPaO2は十分高く維持されており、テスト中SpO2も100%であり問題はない。

 3)まとめ
 本症例の脳死判定は脳死判断承諾書を得た上で指針に定める資格をもった専門医が行っている。法令に基づく脳死判定の手順、方法、結果の解釈に問題はなく、結果の所載も適切である。
 以上から本症例を脳死と判断したのは妥当である。


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