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V 「人間開花社会」の実現に向けて

1.歴史的転換と「人間開花社会」

 戦後復興から、経済成長の時代には、耐久物資の普及に向けて、製品の大量・画一生産が必要となり、企業目標の達成に邁進する「会社人間」的働き方が重視された。生産現場の自信と誇りが日本社会の自信と誇りを支えた。また、「雇用の保障」が最優先とされ、「終身雇用社会」が確立された。
 しかし、物質的なキャッチ・アップの段階を終え、豊かな社会の下での消費の多様化・高度化に直面し、企業目標に向かって画一的な生産を行う時代は終焉した。現在は、「工業社会」から、労働者の創意工夫を基礎とする「ポスト工業社会」に転換する大きな歴史的転換期に当たっている。
 「ポスト工業社会」では、これまで産業の中心となった機械や設備に替わり、「人間の能力」そのものが経済社会の原動力になり、企業や社会の成長・発展は、労働者の能力がいかに存分に発揮されるかにかかっている。
 特に、人間の能力は、極めて多彩である。その各人の資質・才能が多彩なまま成長・開花し、社会貢献を通じたその能力の発揮により、付加価値の創出と調和ある経済社会の発展が実現される。働く人々の多彩な能力の発揮による経済社会の好循環を作り出すことは、新たな時代の要請である。
 これまで、資本や組織に従属してきた働く人々が、組織の強い拘束から解放され、「知恵」、「感性」、「思いやり」といった資質を活かし、創造性を遺憾なく発揮させる社会は、歴史上も画期的なものである。こうした社会を「人間開花社会」と呼び、それを社会の目標とするとともに、その実現へ向け、パラダイムの転換を図っていくことが求められる。

 知識社会

 現代社会の転換のとらえ方として、「知識社会」への移行という見方がある。これは、アメリカをはじめとした先進諸国において1960年代に確立した、大量生産・大量消費の「工業社会」に対し、社会は、知識・情報が重視される「知識社会」へと向かっているというものである。ダニエル・ベル『脱工業社会』(1973年)では、「先進諸国は、21世紀には物質的資源やエネルギーによって生産活動の増大と効率化を目指す工業社会から、知識・情報を中心とする人間の関係や協調に社会の焦点が移行する脱工業社会に向かう」と主張され、その後、この系譜に属する議論は知識社会論と呼ばれてきた。
 知識社会論は、工業社会の戦略資源が機械設備と規格化された労働力であったことを見抜き、今後は、付加価値を生み出す人間の能力そのものが、経済活動において最も重要な要素となることを見通したところに、その意義があった。
 新たに到来する「脱(ポスト)工業社会」においては、人間の能力が、より高い付加価値を生み出していくこととなるが、それは、様々な形・レベルにおいて現れることとなる。たとえば、高度知識産業においては、単なる知識の集積ではなく、知識が生きた形で身につき価値を創造する実践力を備えた「知恵」が付加価値を生み出し、音楽、ファッション、アニメなどの文化産業では「感性」が、対人サービスでは相手に対する「思いやり」が付加価値を生み出すこととなる。
 こうした様々な能力を表現するには、「知識」という言葉は狭く、来るべき新しい社会は、人間の様々な能力が発揮される「人間開花社会」と表現することが適切であろう。

2.「人間開花社会」の特質と条件

 「人間開花社会」は、これまでの社会が経済成長を目標に、生産要素として労働力を扱ってきたのに対し、こうした考え方を逆転させ、ヒトの持っている多彩な資質・才能を伸ばし、開花させ、それぞれの能力を社会貢献に向けることにより、文化、社会、経済にわたる多面的発展を遂げることを目標とするものである。
 こうした人間社会の実現には、これまで述べてきたように、一人一人の個人の資質・才能を伸ばし、能力を発揮するための社会の環境や枠組みを作り上げることが必要であり、特に、次の点を中心に新たなパラダイムの転換を図ることが核心となろう。

(多元的な社会の実現)
 一人一人の個人が、資質・才能を伸ばし、能力を発揮するためには、それを可能とする多元的な教育システムや多芸多能の多元的な生き方を評価し、受け入れる企業や社会の存在が不可欠である。単線的な価値観を温存したままでは、人々の多彩な資質・才能は評価されないばかりか、特定の能力の多寡を尺度に新たな社会分化が進みかねない。多元的な価値観の社会を作れるか否かは、「人間開花社会」実現のために本質的重要性を持つ。

(労働市場の改革)
 労働市場を全ての人にとって、公平な機会が与えられ、納得できる働き方が出来るものにしていかなければならない。そのためには、まず雇用差別禁止などの公平原則の確立と能力評価制度を軸とする企業の人事雇用システム全般の見直しが必要である。次に、働き方のスタイルを安心して選択し、納得して働ける条件の整備として、一定の条件の下に働き方の柔軟化・弾力化を進めるとともに、パートタイム労働、派遣労働等を公正な労働条件のものとして広めていかなければならない。さらに、本質的問題として、社会的公器としての企業のあり方の推進や公正な社会的責任投資等を広めることにより、労働市場のメカニズムそのものを、働く者の能力を活かす公正なものに方向付けすることが重要になってこよう。

(多様な集団の活躍)
 豊かな社会の元で、人々の意識や関心は、多様化するとともに、社会参加意識や貢献意識も高まっている。人々の利害や関心に応じ、様々なネットワークや集団が設立され、活発に活動することを推進し、社会に新たな躍動をもたらしていくことが求められる。
 具体的には、仕事の面では、専門的集団や職能団体等が、人材の育成・評価の重要な役割を担い、「知恵」、「感性」、「思いやり」等、人々の多彩な資質・才能を開発し、多元的な社会を支えることが期待される。また、地域においては、地域住民や働く人々の参加により、様々な分野に団体が立ち上げられ、お互いに支えあうことによって、柔軟で強いコミュニティーを形成し、老若男女の活躍の舞台を提供するとともに、調和の取れた地域社会の発展と社会統合の役割を担うことが期待される。

3.提言

 本報告書では、現代が工業社会からポスト工業社会への歴史的転換期にあるとの認識のもと、新しい時代のパラダイムを求め、次の社会がどのような特質を持つかを展望してきた。
 人々の能力が開花し、社会的なつながりを再構築できる「人間開花社会」が実現されるためには、人々、企業、地域の団体、政府において、それぞれ期待される役割を果たしつつ、相互に調和を図っていくことが必要である。
 最後に、それぞれの関係者に対する期待を次のようにまとめ、提言としたい。

 第一に、一人一人の個人は、様々な経験を積んで、自らの資質・才能を発見するとともに、納得できる働き方を選択し、能力を開花させ、仕事を通して社会貢献することが求められる。
 また、個人それぞれに、仕事のネットワークの中で、人々に認められ、感謝されることにより、自らのアイデンティティーや精神的充足を見出し、収入の多寡にかかわらない、自分なりの価値観を持つことが重要となる。
 さらに、家族との団欒やコミュニケーションを大切にし、地域において意欲と関心に応じ様々な団体に参加し、人々との交流を深めることにより、バランスの取れた生活を営み、自らの生涯現役の条件を作りつつ、次代の育成にも寄与することが期待される。

 第二に、企業には、社会的公器としての認識が求められる。短期的利潤にとらわれず、社会的価値ある製品・サービスの提供を行い、地域や環境に社会貢献することで、循環型の持続性の高い企業に成長できる。「企業の社会的責任」への関心の高まりに対応して、企業の雇用、環境、社会貢献等の状況について、積極的に情報開示し、社会の信頼を獲得していく姿勢が重要である。
 また、「人間開花社会」では、働く者を「会社人間」の型にはめ込み、企業の目標に従属させるのではなく、労働者が存分に能力を開花・発揮できる仕組みを整えることが求められる。例えば、公募制を中心とした「社内労働市場」を設け、意欲と能力に応じた社内の人材マッチングを進めるとともに、成果主義をはじめとする、自律的・裁量的働き方と組み合わせることにより、日本型雇用慣行に実力主義の新風を吹き込むことが期待される。

 第三に、地域は、ハード・ソフト両面のインフラを整え、魅力ある住み心地の良い環境を整えることにより、人材を集め、その能力の発揮により、「知恵」、「感性」、「思いやり」の産業等を育成し、地域の活性化を図ることが求められる。
 そのためには、企業や地域住民の参加と協力により、人々の意欲と関心に応じた様々なネットワークや団体の設立とその多様な活動を促進し、お互いの支えあいによるコミュニティーの形成を目指すことが重要である。コミュニティーは、地域の人々に活躍の場を提供し、教育的機能や社会統合の機能を果たすとともに、多彩な活動を通してハード・ソフトのインフラ作りにも貢献し、調和のとれた住み心地よい地域社会を実現することにも寄与しよう。

 第四に、政府は、一人一人の個人が資質・才能に応じて能力を開花させ、存分に能力を発揮できるよう、退職金税制や社会保険制度等の中立的仕組みの構築やパートタイム労働等の就業条件整備、柔軟で弾力的な働き方の整備等、社会保険制度・税制・労働関連法制全般にわたり、制約になる旧来の仕組みを見直すことが不可欠になる。
 また、一人一人が適切な仕事にマッチングされ、能力を開発・発揮できるよう、需給調整システム・キャリアコンサルティングシステム・教育訓練システム等の労働市場のインフラを民間との連携協力により整備するとともに、やり直しがきく社会を目指し、セーフティーネットの整備に併せ、「いつでもどこでも」教育訓練を受けられる体制を築く必要がある。
 さらに、多元的教育システムへ向けて、地方や民間団体との協力による教育改革に取り組むほか、企業の社会的責任や社会的責任投資を介しての公正な市場作りのための環境整備等を行っていかなければならない。

 最後に、このようにして実現する「人間開花社会」においては、一人一人の個人の生き方・働き方が、企業、地域、団体、ネットワーク等の活動に反映され、付加価値が作り出される事により、それぞれが個性的な特色を持つことができる。これまでの工業社会では、国や大企業中心の、「金太郎飴」のような画一的な経済発展を遂げてきたが、「人間開花社会」では、それが逆転する。個人、団体、企業、地域がレベルに応じそれぞれの特質を活かし、様々な価値を生み出し、それが刺激しあって新たな文化や活力を生み、経済社会を牽引する力となろう。また、こうした姿は、グローバル化が進展する一方で、地方化が進んでいることとも相応している。我国は、グローバルな経済社会の動きに同調するだけでなく、個人、様々な団体、地域からの個性ある活動を起こし、外へ向けて発信していくことで新たなアイデンティティーを獲得することが出来よう。


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