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III ポスト工業社会の働き方

1.ポスト工業社会の到来と特質

(1)労働市場における構造変化

(失業率の上昇・就業形態の多様化)
 失業率は、経済の成熟化における需要不足、技術革新の進展等によるミスマッチの拡大により、近年4〜5%台の水準にまで上昇している。
 就業形態では雇用者が増え、自営・家従が減少している。雇用者のうちでも正規従業員は減少する一方、パート・アルバイト、有期契約、派遣労働者等は増加しており、就業形態の多様化が進行している。

(就業構造・職業構造の変化)
 産業別の就業者数の変化では、90年代に入って製造業がグローバル化の影響により減少している。
 こうした中で、娯楽、情報サービス・調査、専門サービス、社会保険・社会福祉、廃棄物処理、医療の伸びが大きい。今後も、情報関連、バイオ・ナノテク等新技術関連、生活関連、環境関連、金融、リーガルサービス、労働者派遣、教育等が有望な分野である。
 職業構造においても、技能工・生産工程従事者や管理的職業従事者が軒並み減少している一方で、情報関連等の技術者や医療・福祉従事者等が大幅に増加している。

(少子高齢化社会の到来)
 社会の成熟化と並んで、少子高齢化も進展している。65歳以上人口が全人口に占める割合は2003年には19%になり、すでに本格的な高齢社会に入る一方、少子化の進行も顕著であり、合計特殊出生率が2002年には1.32となった。
 また、生産年齢人口(15〜64歳人口)は、1995年以降減少傾向になっており、就業者と失業者を合計した労働力人口も、今後、少子高齢化の影響により、本格的な減少局面に入るものと見込まれる。

(2)ポスト工業社会の特徴と労働の質の変化

 上記のような経済の成熟化に伴う成長率の低下、経済のサービス化やホワイトカラー化・少子高齢化の進展等の構造変化は、キャッチアップ段階にあった工業社会の終焉とポスト工業社会の到来を示すものである。
 「工業社会」においては、大規模な機械・設備を使い、規格製品を大量生産することが、経済活動の中心をなしてきた。
 これに対し、「ポスト工業社会」においては、豊かな社会のもとにおける多様な消費者ニーズを背景に、商品やサービスの質・付加価値が重視され、ヒトが「知恵」や「感性」を通じて、これをつくり出すことが経済活動に大きく寄与するものとなってくる。
 したがって、「ポスト工業社会」においては、(1)生産手段が機械、設備からヒトの能力に移ること、(2)労働の内容が、組織に従い機械・設備を使用することから、知恵・ノウハウの提供という性格が強くなること、(3)中核産業が製造業から、「知恵」、「感性」、「思いやり」等を通じて付加価値を生み出す産業に替わること、等の特徴が生じ、これによって社会の格差構造、産業・職業構造、働き方の仕組み等が大きく変容することが予測される。

(社会の格差構造の解消)
 「ポスト工業社会」においては、生産手段が機械・設備からヒトの能力に替わるため、資本や機械・設備の所有の有無や企業の規模の大小は問題にならなくなる。このため、これまでの格差問題の中心テーマであった、使用者と労働者の間の格差や大企業と中小企業間の規模の経済による格差の問題が基本的に解消の方向へと向かう。
 現に後者に関して、近年、消費者ニーズの多様化・個別化を背景に、従来型の中小企業と異なり、ベンチャービジネスやコミュニティービジネス、さらにはSOHOなど小回りの効く、小規模企業等が活躍する傾向。
 他方、こうした規模間格差等の解消の反面、大企業を中心とする均質で安定的な関係が崩れ、大企業においても雇用の安定性が揺らいでいるほか、個人間の能力の違いが、生産手段の媒介なしに、そのまま格差となって現われる傾向があり、これが新たな格差を生まないようにしていくことが必要である。

(働き方の仕組みの変化)
 「工業社会」においては、労働は統制のとれた組織のもとで、機械・設備に合わせて標準化されるとともに、報酬は提供した労働力の量を計る労働時間に応じて支払われる形をとってきた。
 また、労働が標準化され、報酬との対価関係が明確となり、量的換算が可能となることによって、市場ベースに乗ることが容易となった。
 これに対し、「ポスト工業社会」においては、労働の内容は知識やノウハウの提供という個性的な性格が強まり、労働力の量から労働の質が重視される傾向になる。
 このため、業務によっては、労働時間管理になじまないものもあり、労働の評価も個別性が強くなり、報酬との対価関係が不明確となるため、市場ベースに乗りにくくなる。

(産業、職業構造の変化)
 「工業社会」では、規格品の大量生産を行う製造業が産業の中核をなし、これに携わる工場の技能労働者を大量に生み出した。
 これに対し、「ポスト工業社会」では、物質的・量的需要は飽和状態となり、豊かで多様な消費者ニーズを背景に、「知恵」を生み出す、高度知的産業や「感性」を売りものにする高度文化産業が経済社会を索引する中核産業となる。
 しかしながら、こうした高度知的産業や高度文化産業に携わり、次代の先端を担う人材は、量的に限られており、多くの人々を吸収し支える産業として、「思いやり」を大切にし、ヒトの面倒を見る対人サービス産業が重要な役割を担うことが期待される。
 なお、製造業は、工業社会時代の規格品の大量生産を行う形態から高度製品の多品種少量生産を行う形態に変わりつつ、一定の役割を果たしていくものと考えられ、それを担うモノづくり労働者についても、それぞれが能力を活かせるよう、その育成を考えていくことは、重要な課題である。

(ポスト工業社会の目標)
 このように「ポスト工業社会」は、労使間の格差や規模間格差が解消するとともに、組織の統制に従った働き方から解放される方向となる。
 また、働き方についても、画一的な労働力の提供から、個性的なヒトの「知恵」、「感性」、「思いやり」等の能力を活かし、社会的に意味のある付加価値を生み出すものに替わっていく。
 このような基本的特徴を考えると、「ポスト工業社会」の目標として、ヒトが経済社会の主役となり、それぞれの資質、能力を成長・発展させ、「知恵」、「感性」、「思いやり」等それぞれの能力を存分に発揮し、社会貢献することにより、生活の充実と社会の発展が図られるようパラダイム転換を目指していかなければならない。

2.育成のあり方

 ポスト工業社会においては、様々な資質と才能を持った個人が、その能力を発揮することが経済活動の源であり、個人の多様な資質や才能を発見し、伸ばしていくことが教育の役割である。

(基礎的能力の涵養)
 人としての能力の基礎は、幼児期からの家庭や地域における教育においてつくられる面が大きい。しかしながら、家庭では、一人子が多く、学校教育でも、同じ学年の子供としか付き合ないため、世代間交流の経験がないまま成長してしまう。地域における世代間交流の場を積極的に作ることなどにより、早くから社会とのかかわり方や働くことの意義などを教育していくことが重要である。
 「工業社会」以前の社会では、地域や家庭で人々が暮らす中で、「学ぶ」こと、「遊ぶ」こと、「働く」ことは一体としてなされてきた。しかし、工業化の過程で、人々の暮らしは高度に機能分化し、こうした活動は分離されていった。今後のポスト工業社会においては、地域や家庭における世代交流や体験・実践の機会を豊富に用意することによって、再び、「学ぶ」こと、「遊ぶ」こと、「働く」ことを一体化させていくことが重要である。
 また、一人一人の人間の中には、多様な素質・能力が眠っており、様々な体験や実践の機会を設け、感動すること、楽しさを感ずること、得意なことを発見し、それを伸ばしていくことが必要である。
 例えば、農業体験を通して、自然を相手に時間をかけて大事にものを育てる「感覚」を身につけたり、ボランティア体験により、相手の求めるものを察知して提供する「思いやり」の重要性や「感謝される喜び」を感ずることは、キャリアを形成するうえで深い意味を持とう。
 さらに、学校教育においては、読み・書き・ソロバンの基礎学力の徹底のほか、論理的思考や言語能力を鍛えることが重要であるが、今後は、上記のような様々な体験、実践の機会を設けるとともに、併せて実現に向けた努力のしがいのある職業教育システムを構築していくことが求められる。
 また、「知恵」の育成という意味で、単なる知識の習得ではなく、インターンシップの本格的実施により現場から問題意識を汲み取らせる教育や、実験・実践の場を設け、知識が生きた形で身につく教育のあり方を抜本的に進めることが必要である。

 フィンランドの教育改革

 フィンランドでは、90年代に深刻な不況が続く中、今後のポスト工業化社会を支えるスモールビジネスの担い手を養成するという観点から、1994年、アホ政権が大胆な教育システム改革を実行した。
 そのポイントは、(1)教師の質の確保(修士号取得を義務付け)、(2)教師への大幅権限委譲(教材・カリキュラム編成、授業内容等における教師の裁量拡大)、(3)授業方式からテーマ学習方式への転換及び少人数教育の徹底である。
 これにより、生徒個人個人が、小グループの中で、直接教師の指導を受けつつ、与えられた課題について自ら調べ、討論し、考え方をまとめてプレゼンテーションすることを通して、知識を応用し、解決する力が養成されることにつながっている。
 こうした改革の成果は、OECDによるPISA調査(知識や技能を実生活の様々な課題にどの程度活用できるかを測定する調査)においても現れており、特にテキストを理解し、応用する力を測る読解力分野で、フィンランドは、特に群を抜いた成績を収めており、欧州各国から注目を集めている。
 こうした教育のあり方は、生涯にわたって学び続ける姿勢の確立にも資するものであり、絶えず能力開発・向上を行うことにより付加価値を生み出していく今後のポスト工業化社会における、育成のあり方のモデルを示していると考えられる。

(多元的な教育システム)
 人の個性、資質、能力は様々であり、経済社会を索引する先端的な高度知的産業や文化産業に携わるような人材については、その才能が自由に伸ばせるよう枠にはめなない教育システムとすることが重要である。
 他方、大学進学率が50%近い反面、近年、大学卒業後、無業者やフリーターとなる者も急増している。資質・能力を問わず、漫然と大学に進学するのではなく、実践向きの人材については、教育の多元化を図り、様々な実践的なコースを設け、資質を伸ばし、社会的にも一定の評価が得られるような教育システムにすることが不可欠である。
 このため、教育について、学校任せにするのではなく、企業等の実業界、地域の様々な団体も含め、社会全体の責任として若者の育成に取り組むことが重要。経済界や一般社会も一元的な学歴偏重ではなく、多能多芸に進む人を尊重し、多元的な生き方を用意することが必要である。

3.企業内における働き方の変化

(従来型の日本的雇用慣行の変容)
 これまでの雇用者の職業生活は、概ね、大企業においては、長期の比較的安定した雇用が保障される中で、能力開発、配置転換・異動、昇進・昇格等の職業キャリアの展開は、基本的に企業任せであり、組織に忠実に勤めれば、定年まで大過なく職業生活を送ることが可能であった。
 しかしながら、こうした大・中堅企業における組織中心の安定的な職業生活は、IT化やグローバル化に伴う市場の浸透と競争が激化する中で大きく変容しようとしている。
 すなわち、ピラミッド型組織の年功序列制度は、人口構成の変化と右肩上がりの成長が崩れ、賃金カーブも50歳前半をピークとして以後下降する形に変化。勤続期間は、中高年層を中心に長期化しているものの、若年層では転職志向が根強い。また、正規従業員が減少する一方、パート・アルバイト等非正規労働者が急増している。

(企業の模索)
 このように、工業社会に適合したこれまでの日本的雇用慣行は、全体として年功序列性を中心に変容を余儀なくされているが、その対応のあり方は、業種や企業の性格により、様々である。
 例えば、ベンチャー企業や外資系の金融・コンサルティング会社等では、人材の流動性が高く、自律的、短期的な成果主義を中心とする人事制度を採用する傾向が強い。他方、製造業大企業においては、技能・技術の蓄積を長期的に図っていくことの必要性、機械設備を組織的に活用する必要性等から、長期雇用や組織中心の人事労務管理方針を維持する傾向が強い。
 日本的雇用慣行には、組織任せによる個性の喪失、滅私奉公的な働き方などの問題がある一方、長期的観点に立った能力評価と人材育成、長期雇用の保障による生活の安心と信頼関係という長所が存在する。多くの大・中堅企業では、基本的に、長期の雇用や人材育成という利点を活かしつつ、成果主義・実力主義的処遇やキャリア形成における個人の支援を進めようとしており、働く者が意欲を持ち、能力を発揮できる新たな日本的雇用慣行を求めて模索が続けられなければならない。

(成果主義・能力主義)
 まず、賃金制度については、従来の年功序列賃金制度や年功的運用を行ってきた職能給制度から、年俸制をはじめとして、業績賞与、グレード制職務給等を取り入れるところが多く、全体として、成果主義・能力主義に向かう傾向にある。また、ストックオプションを導入する企業もみられる。
 しかしながら、こうした成果主義については、
 (1)  目標の設定の妥当性
 (2)  評価基準の客観性や評価者のあり方を中心とする評価の公平性、納得性
等を中心とする運営上の問題点や、公平性・納得性を欠くことによる従業員意識やモチベーションへの影響も指摘されており、導入企業において、様々な試行錯誤がなされている。

(裁量的働き方の広がり)
 次に、労働時間面では、近年のサービス経済化や情報化等の影響により、労働時間管理になじまない自律的な専門的・経営管理的労働のニーズが高まっており、近年は、さらに、そもそもホワイトカラーについて労働時間管理からはずそうという考え方(ホワイトカラーエグゼンプション)も出されている。
 元々、労働時間管理は、工場等における集団的作業に典型的に当てはまるものであり、サービス経済化や職業のホワイトカラー化が進み、働き方が多様化する中で、フレックスタイム制、変形労働時間制、さらには、裁量労働制等が認められ、労働時間の弾力化が進められてきた。ポスト工業化社会となり、働くことの内容が変わるにつれ、こうした傾向は益々強まるものと考えられる。したがって、労働者が自由に能力が発揮できるよう、一定の条件のもとに、柔軟で弾力的な働き方ができるよう環境を整備していくことが必要である。

(自主的な能力開発の支援)
 さらに、能力開発についても、これまでは、企業内における階層別研修やOJTが中心であったものが、最近では、企業も労働者自らの自己啓発の支援や、提示した教育訓練メニューの中から労働者が選択する方式を推進する傾向。
 こうした動きは、上記のような労働の質の重視や働き方の自律性の高まりにより、組織に従った一律の能力開発だけでは十分でないこと、また、市場化の浸透や市場間競争が激化する中で、企業固有の技術・技能を修得するだけでなく、新技術対応等、市場動向をにらんだ能力開発が必要になっていることを示している。

(自律的な裁量的な働き方の支援)
 上記のような、賃金や人事制度に係る成果主義・能力主義、労働時間についての裁量労働制、さらには能力開発支援等の制度は、いずれも自律性や裁量性が高い働き方に係るものであり、これら諸制度を有効に機能させ、働く者が意欲を持って能力を発揮するためには、法的・政策的な見直しや企業内のシステム環境等の見直しを進めていく必要がある。
 まず、裁量労働制については、働き過ぎや制度の乱用をいかに防止するかが最大の問題であり、このため、評価と報酬のあり方、健康確保や働き過ぎ防止等について、検討していく必要がある。
 また、能力開発については、近年、企業内における能力開発だけでなく、労働者自ら教育訓練を受講する場合にも、経費援助を行っているが、今後は、さらに、企業が、専門性を深めたり、能力の幅を広げる等市場で通用する能力を高める視点から能力開発に取り組むことを支援していくことが重要である。

(社内労働市場の育成)
 このほか、成果主義等を機能させるためのシステムや環境の見直しについても、各企業において、様々な取り組みがなされているところであり、最近の動きとして、公募制等を活用した社内労働市場の育成が注目される。
 公募制は、企業内に一種の社内市場を作り、これを介して、社内における人材の流動化と意欲と能力に応じた人材の社内マッチングを図ろうとするものである。これまでの内部労働市場が企業組織による社内流動化であるのに対し、労働者の自発性、主体性を尊重した社内流動化という点で大きく異なっている。
 こうした社内公募制の重要なインパクトとして、
 (1)  労働者の主体性を尊重した配置転換により、個人の納得性が得られ、働くモチベーションが高まる。
 (2)  企業内に自発的な市場が形成されることにより、成果主義等の制度の公平な運営が可能となり、労働者の自律性尊重、実力主義が実効性を持つ
 (3)  社内公募制を介した自発的な社内流動化促進は、社内のミスマッチを解消するとともに、企業の新分野進出や事業転換を可能とし、結果的に企業の寿命の伸長による雇用の安定が図られる。
点が挙げられる。
 社内公募制等が有効に機能するためには、職場における理解や意識改革、研修制度やキャリア・コンサルティング等との適切な組み合わせが重要であるが、こうした公募制と上記の成果主義等の制度が有効に組み合わされることにより、日本的経営に、労働者個人の能力発揮と実力主義の新たな風を吹き込むことが期待される。

 社内公募制とFA制

 成果主義の導入等を背景として、社員の自主性を引き出し、潜在能力を発揮させる手段として、「社内公募制」や「FA制」が注目されている。「社内公募制」とは、会社が必要とするポストや職種の要件をあらかじめ社内に公開し、応募してきた者の中から必要な人材を選抜する仕組みである。他方、「FA制」とは、社員が自らの過去の経歴や能力、希望する職種や職務を登録し売り込むものであり、その情報をみて、受入れを希望する部門がその社員と面接し、選抜する仕組みである。
 会社側からみた場合、社員の意志を踏まえつつ配置・異動を行えば、社員のモラールの向上が期待できる。他方、社員側からみた場合、右肩上がりの成長が望み難く、「会社人間」的な生き方が困難になっている今日、自分のキャリアを思い描けるようにすることが重要となってきている。「社内公募制」や「FA制」は、こうした会社側・社員側双方のニーズに応える仕組みであるといえる。

(労使関係の個別化、集団的契約から個別的契約へ)
 企業と労働者の関係は団体交渉等による集団的な労働条件決定システムの機能が相対的に低下し、働き方の多様化、個別化が進展しつつある状況の下で、個別の交渉で決定される労働条件の範囲が広がりつつあり、労働契約をめぐる交渉の個別化が進んでいる。
 また、このような状況を受け、個別契約をめぐる紛争が増加する傾向にあり、労働契約に関するルールについて、労働者が納得・安心して働ける環境づくりへ向け、包括的なルールの整理・整備を行い、その明確化を図ることが必要になっている。

(労働組合の役割の変化)
 このほか、労働組合について見ると、経済の停滞とデフレの下、企業収益は低迷し、雇用の維持・確保が組合の重要課題となり、賃金引上げが難しい中で、就業形態や就業意識の多様化・個別化を背景に、個々の働く者の生活上の問題や、契約上の問題等、個別的な労使関係上の問題の解決が重要なテーマとなってきた。今後、個別の交渉による労働条件の決定や紛争処理において労働者個人のためのエージェント的な役割を果たすことも期待される。
 さらに、労働者のニーズに合わせて各種の相談・援助や関係労働者の教育訓練などにも主体的に取り組んでいくことが重要である。

4.労働市場における課題と対応

(1)労働市場の現状と課題

(市場における企業間競争の激化)
 経済のグローバル化や技術革新の進展に伴い、世界的な市場圏の拡大と企業間競争の激化が生じており、大企業を中心に中核事業への選択と集中が進む一方、系列下請け企業についても、選別と淘汰が進んでいる。
 また、経営形態面では、これまでの株式持合下での使用者主導の長期的企業成長を目指す日本型経営に対して、外資系企業等を中心に、株主利益最大を目指すコーポレートガバナンスが広まっている。このため、株式持合の解消に伴い機関投資家が発言力を高め、短期的な収益増大指向により、労働面でも過剰なリストラ競争や少数精鋭の長時間労働がもたらされている。
 さらに、事業活動の最前線においては、技術革新の進展による商品サイクルの短縮、IT化の進展による取引のスピードアップ、顧客ニーズ重視の傾向が強まり、納期の短縮とこれへの対応に追われる状況が続いている。

(世代間の働き方のアンバランス)
 このように市場における企業間競争が激化する中で、労働市場においても、近年、短期的な競争の視点から、即戦力を重視し、外部労働市場から必要な人材を採用する動きが強まっている。
 他方、若年層については、生産拠点の海外移転、低技術業務のパート・アルバイトへの切り替え等の影響、求人の減少により、大量の失業者やフリーター、さらには無業者が生じている。
 また、中高齢者についても、収支改善を目指す企業の過剰なコスト意識のため、リストラの対象となる者も少なくない。
 このような若年層の採用抑制や中高年層のリストラ等による業務のしわ寄せの影響と少数精鋭主義により、30〜40歳代の壮年層において、長時間労働や過大な労働負荷から来るストレスや精神疾患の増大、さらには、過労死の問題までが発生するとともに、家庭生活との調和が難しくなっており、少子化など子どもや家庭への影響が進んでいる。
 このように、世代間の働き方には、大きなアンバランスが生じつつある。

(正規従業員の減少と多様な就業形態の拡大)
 さらに、市場における競争が激化する中で、企業はコア事業への選択と集中を図るため、人材の絞り込みを行う一方、それ以外の事業については、アウトソーシングの活用を進めるほか、主として、コスト効率化等を図るため、パート・アルバイト、有期労働者等の活用や、専門人材の調達等を図るため、派遣労働者の活用を進めている。
 このため、正規従業員が減少し、パート・アルバイト、有期労働者が増えるとともに、派遣労働者、契約社員等、就業形態の多様化が進んでいる。また、近年、IT化に伴う在宅勤務という勤務形態の普及や、働く者の社会貢献意識の高まりに伴う、ボランティア活動の活発化もみられる。

(所得格差の拡大の懸念)
 厳しい経済環境のもとにおいて、上記のような就業形態の多様化の進行と並行して、賃金格差が拡大する傾向が見られる。手厚い待遇を受ける正規従業員が減少する一方で、パート・アルバイトが急増しているうえに、正規従業員とパート・アルバイトとの賃金格差は拡大傾向が見られ、全体としての所得格差の拡大を招くことが懸念される。
 また、失業率の上昇、生活保護世帯の増加等により、所得分配における格差は拡大し、中間層が減少するとともに、両極が増加、ジニ係数は上昇している。
 所得格差は、子供の教育環境にも影響しつつある。全体として、無業者、中退者、フリーター等は、所得の低い層に多く、逆に高学歴者は、高収入の子等が多い等の問題を指摘する社会調査の報告もあり、格差が世代間で固定されることが危惧される。

 ジニ係数

 「ジニ係数」とは、所得格差の大きさを表す代表的な指標である。0から1までの値をとり、0が完全に平等であり、1に近づくほど所得格差が大きいことを示す。
 厚生労働省「所得再分配調査」では、税や社会保障制度による再分配後の世帯所得のジニ係数を算出しているが、それによると、ジニ係数は1987年の0.338から1999年には0.381にまで高まっており、格差が拡大していることを示している。
 また、世帯人員数を考慮して1人あたり実質所得に換算すると我が国のジニ係数は0.333であり、先進主要国の中では中程度となる。

(参考)1人あたり実質所得のジニ係数
アメリカ (2000年) 0.368
イギリス (1999年) 0.345
日本 (1999年) 0.333
フランス (1994年) 0.288
ドイツ (1994年) 0.261
スウェーデン(1995年) 0.221
資料出所  日本は厚生労働省「所得再分配調査」より厚生労働省政策評価官室にて試算
 日本以外はLuxemburg Income Study

(2)労働市場政策の戦略

(ポスト工業社会にふさわしい労働市場政策)
 「ポスト工業社会」では、「工業社会」の深刻な問題であった労使の力関係の格差や企業の規模間格差は解消の方向に向かい、個人も組織の強い拘束から解放されることとなる。したがって、豊かな社会の中でヒトの能力が経済社会の主役となり、一人一人の労働者が、それぞれの意欲・能力に応じた仕事を得て、その能力を存分に活かしながら生きていくというバラ色のシナリオを描くことが現実に可能な社会となってきた。
 しかしながら、労働市場の実態をみると、こうしたシナリオとは大きく異なるものとなっている。
 もとより、自由な市場取引を前提とすれば、労働についても、競争に伴う雇用・処遇面での格差が生じることは自然であり、それが健全な範囲内ものであれば、人々の向上心を刺激し、能力を発展させることにつながる。しかし、利潤の追求が一義的な目標となり、とめども無い競争が過ぎれば、人々のゆとりや自己投資の機会が乏しくなり、家庭の団らんや地域での交流の機会も奪われ、人々の健全な生活と発展を阻害するとともに、企業の成長や社会のバランスのとれた発展にも大きな支障をきたしかねない。
 また、競争の結果としての所得格差が大きくなり、それが世代間で固定化に向かえば、低位にある人のやる気は削がれ、向上心が失われる。
 「ポスト工業社会」は、ヒトが付加価値を生む源泉となるが、反面、単線的な体質の社会のもとでは、ヒトの能力について、その有無や大小が一面的・画一的に評価され、格差が生じやすい。将来、こうした分化傾向が、さらに進めば、我が国の優れた特徴である中間層の厚さや現場力の強さが失われるだけでなく、社会の分断化や階層化等、社会を揺るがす問題に発展しかねない。
 こうした現実に生じている市場の諸問題や懸念を解消し、バラ色のシナリオを実現していくためには、誰にも「公平な機会」が与えられ、自らの「納得した選択」が可能となり、仮に失敗しても、「やり直しのきく社会」にしていく、という戦略的な労働市場政策を構想していくことが求められるのである。

イ 公平な機会の確保

(働く機会の公平な提供)
 労働市場のゆがみを是正し、公平な働き方を可能とするためには、女性、高齢者、若者、障害者をはじめ、全ての個人について、働く機会が公平に提供されなければならない。
 そのためには、性別や年齢・障害の有無を問わず、意欲と能力に応じて働くことを可能にするための雇用差別禁止の原則を確立していくことが、重要である。
こうした雇用差別禁止の原則を実現していくためには、実態面において、採用、能力評価、処遇、働き方、退職などの人事・雇用システム全体を問い直し、今後の在り方を総合的に考えていく必要があり、とりわけ、社会全体で職務の明確化と能力評価のための仕組みを確立し、企業横断的な共通のモノサシを設けることにより、意欲と能力に応じた処遇を可能にしていくことが重要である。

(多元的な社会の実現)
 一人一人の個人が、その資質を伸ばし、才能を発揮するためには、それを可能とする多元的な教育システムや多芸多能の生き方を受け入れ多元的な評価軸を持つ社会とバランスの取れた産業の存在が不可欠である。
 我が国の社会や教育システムの現状は、必ずしも資質に関係のない高い大学進学率や高度な実践教育機関の不足に見られるように、なお、学歴偏重や実践軽視の風潮が無いとは言えない。
 また、欧米では、いったん社会に出てから、大学で学ぶということが、ごく普通になっている国もあり、我が国においても、まず「初めに勉強」という慣行を見直し、自分の人生を決める段階から多元的にしていくことが必要である。
 「ポスト工業社会」は、ヒトの多彩な能力が重要になるが、一元的な教育システムのもとでは、多様な資質・才能を持つ若者を画一的な枠に押し込み、適合しない者に落第者の烙印を押す。また、一元的な評価軸の社会は、ヒトの能力を一面的かつ画一的にしか評価せず、一握りのエリートと大多数の落伍者を作り出しかねない。
 こうした意味において、多元的な教育システムと多様な生き方を受け入れ評価する社会の実現は、我が国の避けて通れない課題である。

(社会的公器としての企業と公正な競争市場)
 企業間競争の激化等、利潤の追求を目指す、止め処も無い競争の結果、壮年層を中心とする長時間労働とストレスの増大や世代間の働き方のアンバランスの拡大が生じており、公正な競争や持続可能な働き方という点から、企業や市場のあり方を抜本的に考えていくことが必要である。
 近年、市場での競争による行き過ぎた結果主義や株主利益至上主義に対して、環境や地域社会のステークホルダーに対する配慮を強調する「企業の社会的責任」の考え方が急速に広まっており、こうした考え方を投資行動に取り入れた社会的責任投資(SRI)のファンドも誕生しつつある。
 我が国にも、従来から、企業は「社会的公器」であるとの考え方があり、こうした考え方は、なじみの薄いものではない。投資家や消費者も働く者であり、わが国においても、こうした公正な社会的責任投資(SRI)により、投資や消費を介して、働きやすい環境づくりや、家庭・地域・自然との共存を図る企業を育て、市場を循環的で持続可能なものに変革していくことが求められている。

 CSR・SRI

 グローバリゼーションが進む中、良いモノが効率的につくられる反面、地球環境問題の拡大や、競争の激化による一部の勤労者への仕事の集中など、ネガティブな面も現れてきている。このような中、公正な競争や持続可能な働き方という観点から、企業が活動するに当たって、社会的公正や環境への配慮を組み込み、従業員、地域社会等のステークホルダー(利害関係者)に対して責任ある行動をとることが求められている。こうした考え方はCSR(Corporate Social Responsibility)と呼ばれ、反戦運動や環境意識等の高まりを背景として、1960年代以降アメリカや欧州を中心に広まってきているが、我が国にお いては本格的な取組みが始まったばかりという状況にある。
 また、CSRを推進する手法の一つとして、従来の財務分析による投資基準に加え、社会・倫理・環境などの点で社会的責任を果たしているかどうかを基準に投資することがあげられる。こうした投資行動はSRI(Socially Responsible Investment)と呼ばれ、アメリカや欧州、特にイギリスにおいてはSRI市場が発達しているが、我が国においては萌芽期の段階に過ぎない(IFCの調査によると、2002年度のSRI残高は、アメリカが2兆3千億ドル、イギリスが3540億ドルであるのに対し、我が国は6億ドル)。今後我が国においても、従業員などステークホルダーを重視する企業に対し投資や消費が増加することを通じて、市場のあり方が持続可能なものに変わっていくことが求められよう。

ロ 納得できる選択の実現

(適職の選択を可能とする労働市場機能の強化)
 一人一人の働く者が、意欲・能力に見合った適職を選択し、能力を発揮できるようにするためには、需給調整システム、能力評価制度、キャリア・コンサルティングシステム等の労働市場のインフラを官民が役割を分担しつつ、連携しながら適切に整備していくことが大切な課題である。
 特に、「ポスト工業社会」となり、労働の質が重視される中で、あらかじめ決められた技能基準や資格により、働く者の多様で個性的な能力を評価し、市場ベースに乗せることは、困難になってきた。今後は、例えば職業ごとの専門職集団を育成し、能力評価や能力開発などの人材に係わる機能を大幅に委ねる等の抜本的な工夫が求められる。

(多様な選択肢の提供)
 一人一人の労働者が、生き方、働き方のスタイルを安心して選択できるためには、それに応じた納得して働ける条件を整備することが重要である。具体的にはまず、それぞれの個人のライフスタイルに応じ、例えば、仕事優先の人には意欲を阻害しない働き方が可能となり、また、地域社会や家庭での生活とのバランス重視の人には、行き過ぎた労働を防止する労働条件規制をするなど、労働基準法をはじめとする法制度も含め見直していくことが重要である。
 また、全ての働く意欲のある個人が、働き方のスタイルを安心して選択し、働けるように、短時間勤務・隔日勤務・在宅勤務など、様々な就業形態を公正な条件のものとして広め、選択肢を増やす努力(多様就業型ワークシェアリング)をしていかなければならず、そのためには、パートタイム労働法等の均衡処遇のさらなる推進策や働き方の選択に中立的な税制や社会保険制度の検討も課題となる。

(多様な働き方の実現に役立つパートタイム労働)
 パートタイム労働については、近年、勤続期間の長期化や業務の中核を担う基幹的パートの増加が目立っており、公正さの確保や能力発揮のためにも、正規従業員との処遇の均衡を図っていく必要性が高まっている。
 また、今後、育児・介護中等に家庭生活に重きを置きつつ働くことができる勤務形態としても、また、引退過程にある高齢者の能力を発揮できる勤務形態としても、その処遇条件を良好なものにしていく必要性は高い。
 パートタイム労働者の多くは、これまで、労働時間だけでなく、契約期間の有無、給与形態、拘束度等において正規従業員と異なる人事労務管理がなされ、雇用調整の容易な人件費の抑制できる労働者として扱われてきた。
 こうした実態を踏まえ、基幹パートタイム労働者を中心に、正社員との転換制度を設けること等により、正規従業員との処遇の溝を埋め、処遇を連続的なものにすることが可能となるようにしていかなければならない。
 そのためには、拘束度などの働き方、処遇のあり方、賃金形態を含めたあり方等双方のシステム全体について均衡が図られるよう企業の労使による十分な取組が不可欠である。
 また、制度面では、税制や社会保険制度を働き方の選択に中立的なものとするとともに、契約条件の明示を徹底し、劣悪な条件のものには、市場原理により淘汰させていく必要がある。

(サービス化の進展等により拡大する労働者派遣)
 労働者派遣については、サービス化の進展、企業の即戦力志向等を背景に、拡大する傾向にある。
 1986年の制度創設当初は、対象は専門的業務等に限られ、活用も限定されていたが、多様な形態での就労に係る労働者のニーズへの対応等労働力需給両面からのニーズ等を踏まえ、対象業務が原則自由化され、労働者派遣事業は、現在、臨時的・一時的な労働力の需給調整システムとして機能している。また、派遣事業者が増加し、定型的業務への労働者派遣が行われ、業務内容に応じた派遣料金のバラツキが見られる。さらに、今般、物の製造業務への労働者派遣が解禁されたところであるが、派遣先が派遣労働者に直接指揮命令できることから、製造現場において請負から労働者派遣への切り替えの動きが見られるほか、即戦力として今後スポット的に活用されることも予想される。
 これまでの累次の制度改正において、正規従業員が派遣労働者に代替されることを防止するために派遣受入期間の制限や派遣先での直接雇用を促進する措置が採られてきた。今後、定型的業務において特に当てはまることであるが、派遣労働者と同種の業務に従事している派遣先の従業員との間の賃金等の処遇の均衡を図っていくことが課題であり、我が国においては、欧米に比して直接雇用されている労働者の中でも職務内容の明確化、職務の評価が確立しているとはいえないことから、こうした点も考慮して検討していく必要がある。

(サービス労働の拡大と新たな課題)
 対人サービス関係業務の拡大に伴い、対人接触を伴うサービス業務が拡大している。対人接触を伴う業務においては、実態的には、使用者の指揮命令を受けて業務を遂行している面より、顧客の指示を受けて業務を遂行している面が強く、使用者は、これを管理統合しているに過ぎないとも言える。
 こうした実態から、セクシュアルハラスメント、ストーカー的行為等、労働者が顧客から直接被るトラブルも稀ではなく、メンタルヘルス等も含め、対顧客との関係で、三者間のリスク負担をどうしていくかが問題になっている。 なお、労働者派遣事業についても、派遣先の影響力が強くなっているという指摘等を踏まえ、こうした三元的労働関係の観点から検討することも必要である。

ハ やり直しのきく社会

 人のキャリアは、「山あり谷あり」、「筏下り」等と称されるように、浮き沈みはつきものである。長い人生の中で、変化の激しい経済社会を前向きに生き、能力を存分に発揮するためには、「憶せず挑戦」でき、「適職を求めてやり直しの効く社会」にしなければならない。

(起業促進と兼業解除)
 「憶せず挑戦」するためには、起業家精神と、それを支援するエンゼル等の資金提供者、ノウハウを伝授・育成するインキュベーターの役割等が重視されている。
 しかしながら現実には、ベンチャー企業等の成功例の陰には、多くのシカバネが埋もれている。起業に踏み切るためには、ある程度の目算があることが重要であり、「週末起業」のように、企業等に勤務しながら、助走的、試行的に新事業に取組むことを認める必要がある。こうした観点から、労働面では、企業の兼業解除等を進め、ダブルジョブを希望する者への対応を本格的に考えていく必要がある。

(橋渡し機能の充実)
 「週末起業」のための兼業解除の例のように、今後、「やり直しの効く社会」にしていくためには、「雇用」と「非雇用」の状態の間に「橋渡し」を設け、就業や次のキャリアへ向けての移行が円滑に行くようにすることが重要である。
 具体的には、若年層について、雇用への段階的移行のために、トライアル雇用やデュアルシステム等の仕組みができつつあるが、こうした仕組みのように、失業者一般や子育て後、社会復帰する女性等にも本格雇用に移行する「橋渡し」の仕組みを作っていくことが重要である。

(能力開発)
 失業者等が再挑戦でき、やり直しのきく市場にしていくためには、能力を評価し、適切なアドバイスを行うキャリア・コンサルティングシステム等の労働市場のインフラの整備が必要である。
 とりわけ、「いつでも、どこでも教育訓練を受けられる体制」をめざし、能力開発システムを整備することが重要であり、官民連携により、受皿の整備、情報の提供、Eラーニングを含めたアクセスの向上等を一体として進めていくことが重要である。

(セーフティーネット・最低基準の保障)
 働く人々の処遇については、労働市場における調整に委ねることが基本であるが、働く者の生活や安全・健康の確保等に係わるものについては、引き続き、(1)強行法規による最低条件の保障(労働基準、最低賃金、安全衛生、労働災害補償等)や(2)雇用保険・無料の失業者訓練等のセーフティーネットの整備を図っていかなければならない。
 近年、市場における競争が激化する中で、働き方についても、柔軟化、弾力化が進められ、事前の規制から事後のチェックに重点が移されることにより、市場取引に委ねられる分野が拡大しており、市場を下支えし、働く人々の生活と安全を確保する最低労働条件の制度的担保やセーフティーネットの役割はますます重要になってこよう。

5.仕事を中心とした働き方

(1)組織から仕事への転換

イ 働くことの意識とアイデンティティー

(職人・商人的働き方)
 「ポスト工業社会」では、従属的な働き方に替わって自立的な働き方や裁量的な働き方が広がり、「組織への忠誠」から「仕事へのこだわり」へと働く者の意識や行動が変わってくる。
 こうした意識や行動の有り様は、工業化される以前の、職人や商人等の意識や行動様式と共通の面がある。
 すなわち、工業化以前においては、人々は「職」に応じて、経営を司る武士、独立の精神を持った職人、知恵を巡らす商人、自然と共生する農民などに分かれ、それぞれ、誇りを持った生き方が存在した。
 また、仕事の仕方は、職人に典型的に見られるように、自らの裁量により、個人に体化された技能を駆使して、成果物を生み出すスタイルであり、成果物は個性的であって、それによって一人一人の技能が評価された。
 こうした働く者の意識や行動スタイルは、基本的には、「ポスト工業社会」における人々の働き方に共通する点もあり、見習うべき点が多い。

(働くことのアイデンティティー)
 他方、工業社会以前において、働く者の誇りをもった生き方の拠り所として、「職」は天から与えられたものであるとの認識が存在し、これが、働く人々のアイデンティティーを形成した反面、職の役割分担は天与のものとして固定的に考えられた。
 「ポスト工業社会」においては、経済社会の変動は激しく、思想的背景も異なり、職や仕事を天職のものとして固定的に受け取ることは難しい。むしろ、固定的な職にアイデンティティーを感ずるのではなく、価値を生み出す、それぞれの人の「知恵」、「感性」、「思いやり」等の多彩な能力や資質に焦点が当てられ、仕事のネットワークの中で、仕事の成果が評価され、一人一人の多彩な能力が認められることが、アイデンティティーの拠り所となるような働き方が考えられるのではないか。
 そうした意味で、働く人々にとって何よりの報酬は、必ずしも市場における収入の多寡だけではなく、むしろ、尊敬する人に認められたり、サービスを受けた人から感謝されたりすることにより得られる喜びや精神的充実感が重要となろう。

ロ 資質・才能を活かした産業の発展

 「ポスト工業社会」の仕事の性格は、量的なものから質的なものに変化し、これに伴い、求められる能力についても「知恵」、「感性」、「思いやり」が重要になる。これらの能力は、お互いに関連し合い、人間性を構成する重要な能力でもある。
 人間性は、すべての職業の基礎であり、それぞれの個人は、様々な体験を通して生涯にわたり、人間性を育みつつ、これをベースとし、その上に、それぞれ「知恵」、「感性」、「思いやり」等の、自分の資質・才能を活かして、職業を通し社会貢献を行っていくこととなろう。
 それぞれの生き方、働き方に優劣があるわけではなく、自らの資質・才能を活かす働き方を適切に選び、納得した職業生活を送ることができるかどうかが重要になる。

(知恵の産業)
 「知恵」の産業は、高度知的産業であり、様々な知的職業や専門的職業を含み、中核産業としてグローバルに活躍し、経済社会を牽引する。
 「知恵は、単なる「知識」の集積ではなく、知識が生きた形で身につき、付加価値を生み出す実践力を伴った能力である。したがって、一方的な教育では身に付かず、実践の場から自ら考え知恵を汲み上げていく勉強が必要となろう。
 「知恵」の産業で働く人々は、「知識」や「ノウハウ」の提供を行い、独立性が強く、収入も高い。反面、競争が激しく、長時間労働やストレスによる健康上の問題の発生や家庭や地域の生活を犠牲にする状況も少なくない。

(感性の産業)
 次に、「感性」を売りものにする産業は、音楽、ファッション、アニメ等の高度文化産業である。既に、強い国際的影響力を持ちつつあり、次代の我が国の中核産業となろう。
 若年者の能力は、近年、こうした「感性」の分野に秀でる傾向がある。上記のような文化産業の担い手は、「育てる」という面より才能を「発見する」という面が強い。好きなことを、とことん徹底する中で育ってくるのであり、「工業社会」時代の価値観だけで評価せず、その才能を発見し、伸ばしていくことが必要である。フリーターの中にも、一部こうした担い手となる予備軍も存在していると思われる。
 また、これらの産業は、新しい分野であり、才能を発見し、伸ばしていく仕組みやキャリアや生き方の道筋ができておらず、さらに成長するためには、こうした仕組みを関係者の努力により、作り上げていく必要がある。

 GNC

 グロス・ナショナル・クール(Gross National Cool)の略であり、「国民総クール」、「国民総文化力」などと訳される。
 「クール」とは、英語の若者言葉で「カッコよさ」であり、いわば国民がどれだけカッコいいかを表す指標である。
 国民総生産GDPとは異なる指標として、アメリカのジャーナリスト、ダグラス・マッグレイが外交誌「フォーリン・ポリシー」で提唱した。GNCは計算不可能であるからその評価は難しいが、もはや経済成長だけを豊かさの基準とはしえない知的な付加価値が問われる時代にあって、GNCは、言葉を換えれば、他の国民を魅了するソフトパワーであり、国のイメージを形作るブランドでもある。
 ポケモンや「千と千尋の神隠し」が海外でも人気となったように、ファッション、キャラクター・グッズ、アニメ、ゲーム、ポップス、日本食、携帯電話、日本製電子機器など、日本の文化が海外で高い評価を得ており、もはや新しい文化の標準は日本であるとの説もある。
 提唱者マッグレイによれば、文化、特に大衆文化における日本のGNCは世界に突出したものがあり、GNCにおけるスーパーパワーとして日本には今後を切り開いていく能力があるという。他の文化を柔軟に取り入れて、それを在来のものとバランスさせていくだけでなく、そのバランス能力をグローバルな商品化への力として転化させていける強みこそが日本の力であり、日本は文化の面でグロ−バル化された数少ない国だという。

(思いやりの産業)
 「思いやり」の産業は、人と人との接触を通じてサービスを提供する産業であり、教育、介護、接客コンシェルジェ等が含まれる。
 内容的には、マニュアルに近いものから人間性の機微に通じたサービスを提供する奥深いものまで様々である。仕事の基本をマスターすることで本当の面白さや喜びが分かってくる面があり、フリーター等の若年層には、マニュアル労働ではなく、こうした基本的なことをしっかり教育していくことが重要である。
 グローバルに活躍し、経済社会を牽引する「知恵」の産業や「感性」の産業の担い手は、特別な才能が必要であり、量的には限られよう。今後、「思いやり」の産業で、就業の場を確保していくことが必要である。

(ものづくりと農業)
 さらには、「ものづくり」の産業については、我が国の経済基盤を支える産業であり、引き続き、重要な産業として残していくことが必要である。内容的には、規格製品の大量生産から多品種少量生産へと変わり、機能やデザイン等の品質が重要となり、現場の担い手も「知恵」の凝縮した熟練技能に加え、高い「感性」も求められるようになろう。
 このほか、「ポスト工業社会」にける農・林・水産業は、単なる食料や生活物資の供給という意味だけでなく、「ヒトの根源的な営み」として、文化的にも食・健康・教育・環境・観光にまたがり、大きな影響力を持った産業として生まれ変わる可能性を持っており、様々な能力を持った人材が参入できるようにしていくことが重要である。

ハ 団体・ネットワークの役割

 働き方の中心が「組織への忠誠」から「仕事へのこだわり」に変わる中で、働く人々は企業等の組織に属していても、専門的能力の育成や評価、相互啓発を求めて、仕事に関連したネットワークを組織外に広げ、様々な専門家集団や職能集団が形成されることとなろう。
 ことに、働くことの内容が、知恵やノウハウの提供という性格が強くなり、質が重視され、個性的なものになるため、一般の市場に乗りにくくなり、専門家集団や職能団体による評価が重要になる。また、個性的で価値ある仕事は、報酬の多寡ではなく、自らの尊敬する専門能力を持った人々から評価されてこそ、喜びや達成感を感ずることができる。
 こうした専門家集団や職能集団は、企業組織と異なり、仕事上の関心を同じくする者同志の対等の関係で、専門性やモラル等の内的基準によって支えられる。工業社会以前の職人や商人の同業組合やギルド等に近い点もあるが、こうした組織に見られる厳格な入会資格や規制は存在せず、より緩やかな団体となろう。
 今後、こうしたネットワークや団体が、様々な職業分野に立ち上げられ、メンバー相互の教育訓練や評価の役割を担い、お互いに啓発しあい、評価しあいながら、働く人々が成長、発展していく姿が想定される。特に、我が国では、サービス関係の分野では、製造業等の分野に比べ、高度で実践的な教育訓練機関や評価制度の整備が十分ではなく、各産業の発展のためには、社会人大学院のようなリカレント教育も含めた専門家集団による教育訓練機関を作っていく必要性が高い。

(2)仕事を中心とした仕組みへの転換

(企業組織を中心とした法的システムの限界)
 これまでの労働法制や政策は、基本的に、「工業社会」における働き方を暗黙の前提としており、一つの企業組織に雇用され、従属して労働力を提供することを中心に組み立てられてきた。
 しかし、前述したように、企業内における働き方も、組織に従属した働き方から、自立的・裁量的な働き方に変わりつつあり、ホワイトカラーについては、労働時間による管理からはずすべきであるとの議論も出されている。
 こうした働き方の変化に対しては、現在のところ、企業組織を中心とした法的システムを一応維持しつつ、それに修正を加える形で対応しようとしている。
 しかしながら、次のように、こうした修正だけでは解決のつき難い問題も生じており、今後、「ポスト工業社会」に相応しい法的システムを根本的に模索していかなければならない。

(雇用と請負の中間形態)
 現在の法的システムでは、組織に雇用され従属して労働力を提供する働き方と自営形態の働き方では、労働法規や社会保険の適用等の関係が根本的に異なっている。しかしながら、現実にはこうした雇用・使用従属の関係と請負の関係の中間的な働き方が広がっている。
 こうした働き方の一つとして、SOHO等の問題があり、IT化の進展に伴い、テレワークという形で小さなオフィスや自宅で注文に応じて各種のサービスを提供するものである。サービスの内容・提供の仕方は、定型的業務で注文者への従属性が強く事業者性が弱いもの(在宅ワーク)から、高度専門的で独立性が強いものまで様々である。多くの場合、形式上、請負の形をとっていても、実体的には、注文者との情報力や交渉力の差からくる従属性から、トラブルに至る場合もあることから、何らかの形で、その対策を要する。
 こうした、中間的な働き方については、その仕事内容・継続性・従属性等によりいくつかの契約タイプを想定し、それに応じた処理を考えていく必要がある。例えば、消費者契約や中小下請関係の仕組み等を参考としつつ、約款をつくり普及させることや、当事者の契約意識を高める等、契約的手法による工夫を要する分野である。

(ダブルジョブ)
 一つの組織に雇用されるというこれまで当然であった形態に対し、最近は、二つの組織や二つの仕事に従事する形態のものも出現している。こうした形態は、欧米では、既に相当程度普及しており、我国でも収入不足を補うため、パートタイム労働を組み合わせて働く形態や、平日は雇用、週末は起業の準備をしたり、SOHO等の事業を行う形態も稀ではなくなりつつある。
 こうしたケースのうち、二つの組織で働く場合には、労働時間管理のあり方、労働災害に係る補償のあり方等を巡る法的問題や、守秘義務や兼業禁止等の労働契約上の問題が生ずる。また、企業組織で働きつつ、週末起業やSOHO等の自営形態をとる場合には、さらに、税制や社会保険適用上の困難な問題が生ずることとなり、こうしたケースの増加に応じ、制度間の整理が必要になろう。

(雇用形態と自営形態間の移動)
 さらに、中小企業の分野においては、若年時に雇用形態で修行を積み、暖簾分けにより独立する形態や、逆に、事業経営がうまく行かなくなり、中途採用により雇用形態に移る等、雇用形態と自営の間の移動は従来から頻繁であった。
 近年は、さらに、ベンチャービジネスやSOHO、さらにはNPO等の独立した働き方も広がっており、雇用形態から自営への移動の動きは活発になっている。
 全体として、働き方の中心が、組織への従属から仕事を中心とした内容に変わりつつある中で、「雇用形態」か「自営」かということは、本質的問題ではなくなってくる可能性がある。一人一人の働く者のライフスタイルに応じた能力が発揮出来るようにするためには、今後、「雇用形態」か「自営」かを問わず、選択肢として不利にならず、また、双方の移動が可能な仕組みとして、労働関係や社会保険関係の法的システムの抜本的検討を進めていくことが求められる。

 ITの光と陰
 ITの進展は、我が国社会のあらゆる面で大きな影響を与えているが、そこには、光と陰の面が存在する。
 ITの光の面としては、ITでは代替できない創造性の向上や、多様な資質・才能がより尊重され、定型的業務から解放される。また、障害者・高齢者の社会参加や、テレワークなど多様な就業の可能性を高める。企業では、古い組織文化や慣行が刷新され、女性や若手の登用など、能力主義が進む側面がある。
 さらには、地域コミュニティの弱体化が進む中で、地域コミュニティを新たな形(「オンライン共同体」)で再生できる可能性が高まっており、例えば、遠隔健康管理システム等が進展すれば、地域住民の不安を軽減する一助にもつながるだろう。
 ただ、ここで留意しなければいけないのは、あくまでITは道具であり、基本となる人と人との直接の出会いと交流、密接な人間関係、相互信頼の構築を基礎としてうまく活用することこそが肝要である。
 一方、陰の面としては、ITリテラシーが雇用の最低条件となる結果、中高年労働者などIT能力の低い者への疎外や、機械的な仕事の増大、携帯電話等の普及により、逆に仕事に拘束されてしまう懸念もあり、今後、こうした懸念を克服していく必要がある。

ITの光と陰の図


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