04/06/04 第6回 終末期医療に関する調査等検討会議事録          第6回 終末期医療に関する調査等検討会議事録          日時:平成16年6月4日(金) 10:00〜12:00  場所:厚生労働省共用第7会議室 出席者:池上 直己、角間 辰之、鎌田 實、川越 博美、志真 泰夫、田村 恵子、     土屋  隆、時田  純、中川 翼、町野 朔※、南  砂                 (五十音順、敬称略)  ※座長  ○町野座長  ただいまから、第6回「終末期医療に関する調査等検討会」を開会します。委員の皆 様方には朝早くから、お忙しい中をご出席くださりありがとうございます。本日は加藤 委員、養老委員がご欠席との連絡を受けています。  議事に入る前に、委員の交代がありましたので事務局よりご紹介いたします。よろし くお願いします。 ○田原補佐  新しく委員になられた方がいらっしゃいますのでご紹介いたします。日本医師会の役 員交代に伴い、櫻井秀也前委員が退任され、土屋隆委員が就任されています。 ○土屋委員  土屋です。よろしくお願いします。 ○田原補佐  申し遅れましたが、私は4月1日で保健医療技術調整官となった田原です。どうぞ、 よろしくお願いいたします。 ○町野座長  ありがとうございました。これより議事に入ります。前回の検討会までのご議論を踏 まえ、私と事務局が相談し、報告書の素案を作りました。本日はこれについて議論を進 めていきたいと思います。  この検討会も発足後、1年半を越えたところでして、そろそろ報告書をまとめたいと 思います。したがって、本日の議論の成り行きにもよりますが、できれば6月中に報告 書をまとめたいと考えています。よろしくお願いします。そのため、もしかしたら本日 は若干時間が延びるかもしれませんが、ご容赦いただきたいと思います。まず、事務局 より資料の説明をお願いします。 ○田原補佐  まず最初に資料の確認をいたします。座席表や委員名簿、第6回議事次第が1枚ずつ あります。それから、資料1が報告書の素案です。この中身については先生方に事前に お配りしていますが、若干字句の修正をしています。基本的には変わりません。  資料2は前回、前々回の検討会における議論を整理したものです。これは直接ご説明 するわけではありませんが、参考にしていただきたいと考えています。  資料1の素案に従ってご説明いたします。最終的な報告書の形はこの報告書の素案、 次の頁に「目次」があります。IからVIIまであり、別添「終末期医療に関する調査結果 の概要について」ということで、データ的な点についての概要が8頁以降にまとめられ ています。  最終的には、この報告書に調査結果を付けたいと考えています。先生方の机の上に少 し分厚い、「過去の資料」という形で用意しています。その中で付箋を貼っている、 「単純集計結果」というものがあります。これは前回の会議のときにお配りしたもので すが、ここに書かれているような視覚的な、グラフにしたものも併せて報告書に添付を すると考えています。この「単純集計結果」の内容については、これから素案を検討す る際に必要であればご覧いただきたいと考えています。  資料1に戻って素案本体の構成ですが、I「はじめに」、II「意識調査の概要」、III 「患者に対する説明と終末期医療の在り方」というようになっています。IV「末期状態 における療養場所」、V「疼痛治療法とその説明」、VI「終末期医療体制の充実につい て」、VII「おわりに」という構成になっています。この構成は調査項目の順番には特 にこだわらず、まとまりのある内容ごとにこれまでの検討会のご議論を整理したもので す。  1頁からご説明したいと思います。この資料については先生方にお送りしていますの で、主要な部分を中心に簡単にご説明したいと思います。まず、Iの「はじめに」ですが、 ここは平成元年の検討会以来、これまでの検討経過や背景等を書く予定ですが省略して います。IIの「意識調査の概要」ですが、ここは意識調査の対象者数等を書いています。 特に平成10年の検討会の調査とは異なる点、例えばがんや植物状態以外の疾患で亡くな るような高齢者が増えてきたということから、調査対象に看護職員を加え、また高齢者 の終末期を念頭に質問項目を追加する。こういった点を記載しています。  III以降、主要な点がいくつかあります。まず第1点目、これは1頁のIIIの1から2 頁の前半に相当します。1頁の○の1番目と2番目にあるように、終末期医療について は国民の大多数が高い関心を持っています。治療方針の決定に当たっては、患者本人の 意向を中心にするべきであるということが基本になっているのではないかという点で す。  第2点目、2頁、「終末期医療の在り方」ですが、国民の大多数は、自分や家族が痛 みを伴う末期状態の患者になった場合に、単なる延命治療はやめて、痛みをはじめとし たあらゆる苦痛を和らげることに重点を置くことに肯定的であって、自然な死を迎えら れるようにしたいと考えている。一方で、積極的な方法で生命を短縮させるような方法 については許容できないというのが一般的考え方であるというものです。  第3点目、同じく2頁目の「リビング・ウィル」のところです。治る見込みがなく、 死期が近いときの治療方針に関し、国民の多くは患者本人の意思を尊重することに賛成 をしています。特に文書による生前の意思表示、リビング・ウィルに賛成する方という のは半数を超えており、その考え方が受け入れられつつあるということです。  しかし、調査結果を見る限りにおいては、「法律を制定すべき」と考えている方は前 回よりも減っています。法律を作って、医療関係者すべての場合にリビング・ウィルに 従って延命治療を中止してよい、あるいは中止すべきであるとすべきではなくて、ケー スに応じて適切に判断すべきである。法律まで制定する必要はないのではないか、とい うことを記述しています。ただし、次の○にあるように、患者本人の意向を尊重すると いうことは皆さん賛成されていますので、そのような意思を表明した方の意向について は尊重されることが重要であることも書いています。  第4点目は4頁です。「医療現場の悩み」ですが、前回までのご議論の中で現場での 苦悩のお話がありました。人工呼吸器の装着など、医療行為を行わないこと、あるいは 行っている医療を中止するということに関してどういう手順を踏むべきか。どういう行 為が合法なのか、非常に悩んでいるということでございます。特に、安楽死として報道 された事例にも見られるように、許されない積極的安楽死と、単なる延命治療の中止と の境界が曖昧になっているということも、非常に難しくなっている点であるというもの です。  5.の○の3つ目、そのような状況の中では基本的に医療の内容についてのマニュア ルを作成し、その普及を図っていくことが考えられなければならないのではないか。医 療の内容の問題、手続について、併せてこのマニュアルで具体的に検討すべきではない かということを書いています。最後の○、現場での悩みについては、法律家も参加した 上での国民的議論が十分に尽くされて、適切な結論を得ていく必要があるということも 併せて記述をしています。  第5点目、終末期医療の体制をどのように確保していくのかということがあります。 これは5頁のIV「末期状態における療養場所」、あるいは6頁のVI「終末期医療体制の 充実」が該当しています。例えば末期状態における療養場所においては、自分が痛みを 伴う末期状態になった場合、多くの方は自宅療養したあとで必要になった場合に緩和ケ ア病棟、医療機関に入院する。あるいは、なるべく早く医療機関、緩和ケア病棟に入院 することを希望しています。  がんの末期等については、最後の1、2カ月ぐらいまではサポートは比較的容易では あるわけですが、非常に負担が大きくなることから、そういうものを軽減するための医 療、支援システムが必要であることを書いています。  5頁の○の4番目の「高齢者の終末期」、ここは今回新しくテーマになっているわけ です。一般国民、医師、介護職員、順番はいろいろありますが、病院、自宅、老人ホー ムで療養することを希望しているというものです。自宅で療養したいと考えていらっし ゃる理由、あるいは自宅以外で療養したいと考えていらっしゃる理由にはさまざまあり ますが、最後から2番目の○、自分の状況に合わせて在宅、病院、ホスピスといったさ まざまな体制を選択することが可能とするためにも、サービスの整備充実が必要である ことを記述しています。  その他、6頁のV「疼痛治療法とその説明」、あるいは最後の7頁、「おわりに」です が、がんの終末期だけではなくて、高齢者の終末期の在り方について検討が必要である。 あるいは、小児の末期医療の在り方についても検討が必要であるということがありまし た。6頁の「疼痛治療法とその説明」については、説明を省略したいと思います。以上 で私からの説明を終わります。 ○町野座長  どうもありがとうございました。報告書の構成はいまご説明のあったとおりです。さ らにあとのほうにアンケートの内容、それについての結果、グラフ等を混じえた数値を そこでお示しすることが最後に付いています。それから「はじめに」のところ、いまは 省略されていますけれども、この報告書が出るまでのバックグラウンドがありました。 これは第3次の検討委員会になるわけですが、第1次、第2次のおさらいを若干して第 3次に取り組む。そして、これは「はじめに」に書くべきか、あるいは次の「調査の概 要」で書くべきかわかりませんが、基本的にはこの委員会でクローズアップされてきた 問題というのは、老人医療の末期の問題が中心であったわけです。今回の調査の特色と いうか、色をそこで指摘するということもあるかなと思っています。本文の中では、あ とに添付されるアンケート調査の項目、図表などを適宜引用しながら、クロス・レファ レンスを少しわかりやすくやっていこうと考えています。  これらを全部議論するとかなりの時間になりますので、いま事務局に整理していただ いたいくつかのテーマに区切ってこれから進めていきたいと思います。まず、治療方針 の決定に当たっての説明と同意、延命医療はいかにあるべきか、特にそれを中止するに はどうすべきか。その際の医療の在り方ということについて、素案の該当部分だと1頁 からでしょうか。 ○田原補佐  1頁のIIIの1から、2頁目の真ん中、「終末期医療」までが該当するのではないかと 思います。先ほど、主要な点と申し上げた1番目、2番目が該当するのではないかと思 っています。 ○町野座長  わかりました。これらの点についてご議論、報告書に盛り込むべき点、あるいは内容 でここが足りない、これは誤まっているとか、いろいろありましたらご議論いただきた いと思います。よろしくお願いいたします。 ○中川委員  その1つ前になって申し訳ありません。IIの「意識調査の概要」ですが、「一般国民、 医師、看護職員および介護職員」となっています。最後に整理されてもいいと思います が、「介護職員」は病院の介護職員ではなくて、特別養護老人ホームの介護職員という ことを明確にしていただきたいと思います。  というのは、私の定山渓病院の療養病床のみで366床あって、介護職員は約100人働い ています。むしろ、特別養護老人ホームより多いぐらいに病院には介護職員がいますの で、特養と限って書いておかないとならないのではないか。あとの全部の回答が特養の 方の介護職員の回答ですから、わかるようにしていただきたいと思います。 ○町野座長  いまの点、よろしくお願いします。 ○田原補佐  わかりました。 ○池上委員  同じく「調査の概要」についてですが、今回と前回とでは緩和ケアに携わっている医 師、看護師の回答者数が異なっています。特に看護職員の場合、5分の1のところに配 付して、緩和ケア病棟のほうの回収率が高いわけです。  なぜ問題にするかというと、先になりますが6頁、「疼痛治療法とその説明」にWH O方式の疼痛治療法の習熟度が減少しているという記載があります。その減少はおそら く、調査客体等の違いによるところが大きいのではないかと思いますので、少なくとも、 緩和ケア病棟のニーズが違うということはどこかに記載していただきたいと思います。 ○町野座長  そうですね、「意識調査の概要」で対象が減っているということなどがあります。そ れから、いまご指摘のあった6頁、数字の読み方、これも何らかの格好で書いておいた ほうがいいだろうと思います。よろしくお願いします。 ○池上委員  いまのIII「患者に対する説明と終末期医療の在り方」、Iに対してそれぞれ記載があ ります。ここの表現は、例えば「治療方針の決定に当たって」ということは医師の立場 からこうするべきという、医師に対する設問をそのまま抜粋しているように思われます。 ここに対する質問というのは、このような形式ではなかったのではないでしょうか。 ○田原補佐  「治療方針の決定に当たって」の質問ですが、これは医師、看護職員、介護施設の職 員に対して質問をした内容です。 ○町野座長  1の2つ目ですね。 ○池上委員  国民に対して類似の質問をしていると思います。 ○田原補佐  いまの点については素案の9頁、「調査結果の概要」を書いているところですが、そ の真ん中辺にある1の(5)、患者の治療方針を決定するに当たり、まず患者本人の意 見を聞くとしたような場合、医師、看護師、介護施設の職員、それぞれの数字を記載し ています。 ○町野座長  国民に対しての質問というのはどうですか。 ○田原補佐  国民に対する質問については、(3)担当医から直接説明を受けたいというように回 答した場合、あるいはその上の、(2)病名や病気の見通しについて知りたいと回答し た者の割合が該当すると思います。これには一般の国民の方の数字も記載されています。 ○町野座長  ○の中に限らず、何%から何%というのはどういう取り方なのでしょうか。 ○田原補佐  素案の本文にあるカッコの記載の仕方ですが、例えば1頁の○の2つ目、「治療方針 の決定に当たって」云々で、過半数を占める(63%〜88%)が1の(5)、「患者の治 療方針」を決定するに当たり、(1)と(2)を足しています。足したものの少ない数字から 多い数字までを書くという記載方法を取っています。  具体的に言えば、例えば9頁、医師については「患者本人の意思を聞く」と回答して いる方が14%、「患者本人の状況を見て、患者に意見を聞くかどうかを判断する」とい う方が57%ですので71%でございます。ちょうど63%から88%の間ですので数字にはな っていませんが看護が88%、介護では70%となります。 ○町野座長  9頁の(5)ですね。 ○志真委員  私もここが引っかかったのですが、やはり「医師は」というように入れていただいて、 医師はどういうデータだったか、看護師はどういうデータかをしっかり明示したほうが 誤解がないのではないかと思います。確か議論の中で、基本的には患者本人に説明、治 療方針の決定についての意見を聞くけれども、終末期という状況の中で、状況を見て判 断するというのも妥当なことではないかという意見も出て、私もそうだと思います。基 本の上で、このような考え方も医療現場では現実的なものとなっているという趣旨の文 章に変えていただいたほうがいいのではないかと思います。 ○町野座長  いまのお話は、1頁のいちばん下の○に該当するものですか。 ○志真委員  いちばん下の部分もそうですし、その上もそうです。いま議論になっているところで す。 ○町野座長  わかりました。まず、いまの2つ目の○を中心にお願いします。対象者は医師など、 いろいろ分かれていますが、これをもう少しきちんと書いたほうがいいのではないかと いうご意見が1つあるわけです。それはそのようにお願いできますでしょうか。 ○田原補佐  可能です。 ○町野座長  もう1つは基本的問題にかかわるところですが、患者本人の意見を直接聞くばかりで はなくて、状況を見て判断するなどというものが日本では非常に多い、ということをど のように評価するかが1つの問題です。それについて、一定の理解を示すと言っては何 ですが、このような考え方があって、日本の行き方としてはこれでいいのではないか、 それをどのように書くかという問題だろうと思います。 ○中川委員  語弊があるかもしれませんが、表現の仕方、まとめ方が問題ではないかと思います。 8頁以降にこれだけ詳しくデータが出ているのに、それをさらにまとめたものをいまこ こに出しているわけです。例えば、医師と看護師職の意見を足したものがここに出てい るわけです。9頁の1の(5)の数字を示して、その下にコメントを書くなどしていた だければ、数字をまとめていただいてもわかるのですが、数字だけ別にこのように出て くると誤解してしまいます。いくつかの点でもそう感じているのですが、いかに親切に まとめているようでも、細かく見るとちょっと誤解するということがあります。少なく とも、8頁以降のものは書いたその下にコメントを書いていくという形を取ったほうが、 読む人にはるかに正確にわかるのではないかと思います。いかがでしょうか。 ○町野座長  そのような考え方もあると思います。いままでやってきたのは大体これでやっていま す。もし、それをやるということになると根本から全部書き直しになるわけです。 ○中川委員  そう言っても、いまのような疑問が出るわけです。ここの委員から出るわけです。そ うすると、読む人にとっては、後ろのデータと前のまとめとの関係がどうなのかが全く 把握できないまま、ただそこへ添付されているという形になります。9頁以降のデータ はただまとめを書いているだけですから、それはそれでそれほど詳しいことを書いてい るわけでもない。その下にコメントを付けないと、何か最初のほうだけで終わってしま うのではないかと感ずるのですが、いかがでしょうか。 ○町野座長  事務局からもあとでご説明いただきますが、おそらく書き方として「概要」の扱いが ある。中のほうで書くとき、先ほども申しましたとおり、あとに出てくる資料等を直接 にリファーする格好を取るようにして、より正確というか、誤解の少ないものとする。 しかもわかりやすいもの、というとかなり難しいことですが、そのようにしたいと思い ます。「概要」のまとめ方はこれでいいのかな。「概要」をリファーするのではなくて、 直接の図表などを区切って行う。しかし、誤解の少ないようにしたいと思います。 ○中川委員  普通はデータを示して、そのあとにコメントを付けるのがいちばんわかりやすいので す。また別のところに書かれてしまうと、そのデータを見てそこに戻るという人は、よ ほど熱心な人でないとそういう形を取らないのではないか。自分でまとめてそう思いま す。 ○田原補佐  もちろんそういう考え方はあって、どのようにしようかということを少し考えたわけ でございます。一応、この素案を作るに当たって座長と相談しながらやっていったとき には、いろいろな調査結果を引用しながら書いています。あるいはデータとは直接関係 ない、ここでのご議論もかなりありますので、まずデータを書いてからそれを解説する ということではなくて、ここでのご議論をまずずっと書いていって、それに関連するデ ータを付けていく。そのような流れのほうがいいのではないかということで、このよう なスタイルにしています。ただ、ここでまたご議論いただいて、このようなスタイルが いいのではないかということであれば、もちろん我々のほうで整理をさせていただきた いと思っています。 ○町野座長  結局、後の資料等の使い方です。本文の中にどれだけ組み込むかということだろうと 思います。それは、これでやるとかなり誤解されることもあるし、かえってわかりづら いのではないかというご指摘だろうと思いますので、これからさらに工夫して直接ある いは生データを、ここに持って来ることもありますか。 ○田原補佐  もちろん、概要ということでなくて生データを後ろに付けますので、そことの対比が できるように、その頁数を記載するなどの工夫はします。 ○町野座長  そちらを見ながら、図何とかによるとこういう結果が出ているといったことをきちん と書いた上で、それでわかりやすくなるかどうかというのは疑問があるだろうと思いま すけれども。 ○中川委員  生データを見て、その下にコメントが書いてあるのが、いちばんわかりやすいのでは ないですか。生データといっても特別難しい生データがあるわけではないのです。例え ば何に対して何パーセントと書いているだけですから、それに対してコメントをして、 そのときに医師と看護師をまとめたら、こういう感じだったとかいうのはいいと思いま すが、生データが飛んでいて何パーセントから何パーセントと書いても、どこから出た 数字かわからないことが出てくると思うので、せっかくここまで議論して最後にこうや ってまとめてしまうというのは、何かちょっと腑に落ちませんけれども。 ○総務課長  私どもで、これまでのご議論をどう整理させていただくか実は大分悩んだところなの です。特に今日お配りしたペーパーの4頁の5番の「医療現場の悩み」のところは、何 回も繰り返しご議論があったと考えています。ただ、これは先ほどのアンケート調査と 直接関係のない議論で、こういうところについて、どういうふうにアンケート調査と関 係づけて書いていくかは、かなりあっちに書き、こっちに書き、工夫を何回も凝らす中 で、こういう形で検討会で繰り返しご指摘があったところを中心に書くとすれば、こう いうふうになるのかなという形を素案ということで準備させていただいたところです。 そういう点で言いますと、いまのお話で調査結果とどうつなげて書くかは、技術的に工 夫が足りなかった面もあります。そこは考えさせていただければと思っています。 ○中川委員  了解しました。 ○町野座長  データをどの範囲で中に取り込んでしたのが、わかりやすく誤解が少ないか。場所に よってそれぞれ違う。いまの課長さんのお話にありましたように後のほうはかなり推察 に基づくというか、ここでの議論に基づいてというところはかなりありますから、それ ぞれさらに事務局とも相談して次回まで、なるべくわかりやすく誤解の少ないものにし たいと思います。いまの資料の使い方のところについてさらにご議論がありますか。  それでは、いまの次に出てきた患者本人が直接説明して、直接その決定を仰ぐという やり方もあるけれども、かなりの部分が患者本人の状況を見て誰に相談するかを決める というのが、日本における医療関係者のやり方であるというところについて、その評価 の問題が志真委員から出ました。志真委員のお考えでは、この書き方では具合悪いとい うことでしょうか。 ○志真委員  1頁のいちばん下の ○のところで、「全体的には大きな変化がなく、『終末期医療におけるインフォームド ・コンセント』の我が国での在り方が安定していることが伺われる」とまとめています。 これは要するに現状でいいという意味なのか、論議の中では患者本人に対するきちん とした説明をする方向を推進しようと、しかし終末期医療という場の中で、状況を見て やるという考え方も現実的であろうというところで、大方の意見が収束したのではない かと思います。そうすると、この「安定していることが伺われる」という表現はどうか なと思います。 ○町野座長  いま、志真委員が言われたような皆さんの理解の上で、これは書いたつもりだったの ですが、確かに安定しているという表現は政局の安定みたいで、若干の問題があるかも しれないですから、どのようにこの表現ぶりを変えたらいいかですが、もし志真委員に 何かお考えがありましたらお聞かせいただいて、さらに事務局と我々のほうで相談した いと思います。いま何かお考えがありますか。この文章は私が入れたと思いますので、 なかなか簡単に思いつかないところがあります。 ○総務課長  いまの志真委員のご指摘は、資料No.2の2頁のいちばん端の上から2つ目です。 「患者本人の状況を見て患者に説明するかどうかを判断するという回答が多いのは、患 者本人や患者の状況や気持を見ながら、誰に説明するのが最も適切か判断しながら説明 することが多いことを意味しており、日本の医療における緻密で丁寧な説明ぶりを表わ しているのではないか」と、こういうご意見のところに関係するものではないかと思っ ています。 ○町野座長  このような表現がよろしいか、私は若干、あまりにも肯定的に過ぎると逆に思ったの で、こういう表現にしてしまったのですが難しいところです。この点の表現等はまた事 務局と相談した上で、さらに諸先生方のご意見を伺いながらやらせていただくというこ とで、よろしいですか。いま、終末期医療についての説明と同意の問題と延命医療の中 止等の問題で、2頁の2.のところを議論しているわけですが、2.のところの終末期 医療の在り方については何かご議論がありますか。 ○時田委員  資料の10頁で(3)から(5)まで拝見していて、現在でも一般国民や介護職のほう が医療依存度が高いと言いますか、逆に言えば医療者のほうがやめるべきであるという 意識がむしろ強い。こういう状況が見えるわけです。ここら辺のところの認識について は記述がないわけですが、割合としてはかなり高い割合なのです。10数パーセントの意 識が違っているというのは、かなりの割合になるだろうと思います。他のデータではあ まりこういう部分はない。ですから、まだまだ一般国民としては医療に対しての依存が 非常に高いわけです。医療者のほうとしては、むしろ延命医療はやめるべきであるとい うご意見のほうが強いと、このデータは示しているように思われますが、いかがですか。 ○町野座長  確かに数はそういうところがありますが、いかがですか。 ○中川委員  それはわかりませんが、「わからない」という意見がかなりあるからパーセントが低 くなっているということはありませんか。これはそこのデータだけで言っていますが、 「わからない」というところのパーセントが増えると当然ここは下がってしまいます。 特に特養の介護職種にこの質問はなかなか難しいと思います。実際に医療に携わってい るわけではありませんから、そこにこの質問が出ると、わからない部分が増えるとこの パーセントは当然下がるということがあります。そこはいま見ていませんが、チェック されると結果が出るのかなと思います。 ○町野座長  いまの点、事務局ですぐにわかりますか。 ○田原補佐  いまの点につきましては、こちらの厚い過去の資料の単純集計結果のところの21頁以 降が、痛みを伴う末期状態の患者における医療の在り方です。このときに延命治療につ いてやめたほうがいい、あるいは続けるべきだ云々のところで、「わからない」として いるのは例えば22頁で、これは自分が痛みを伴う場合ですが、「わからない」は右側の ほうにあります。縦線になっていて一般の方で11.9%、医師の場合で5%という数字に なっています。 ○町野座長  確かにこれは有意的な差が、もしかしたらあるのではないかと思われますけれども、 これで見ると「わからない」というのと、わからないときは続けるべきではないかとい う意識がかなりあるのではないか。素人考えではそう思いますが、そういうことなので しょうか。この点については、この場ではあまり突っ込んだ議論は実はされていなかっ たです。 ○時田委員  実際には介護現場というのは、かなりご高齢ですよね。しかもご自身のご意思をはっ きりと表明できない方が非常に多い。しかも介護現場にいま素直に入所はできないので す。かなり転々と医療機関を回って来て、そういう方たちを目前にお世話をさせていた だいていますから、本来ならばもういいのではないかというふうに思うのかなと思った ら、逆に、むしろ介護職なり一般国民のほうが、まだまだ医療依存度が高いのです。こ れはかなり大きなデータだと思います。 ○町野座長  その辺は少し、この(3)について何かコメントを入れますか。 ○時田委員  現場の先生は思っていらっしゃる。 ○町野座長  委員の方、ご意見、お考えがあればお聞かせいただきたいと思います。これをどのよ うに解釈するかというのは、かなり難しい問題であるということはあります。これは有 意的な差なのでしょうか。前回の調査のときも同じような質問がありましたか。 ○田原補佐  いまの22頁のところはグラフで、平成10年のときの調査結果と比較していて、そう大 きく変わっていないと思います。 ○町野座長  一般国民と医療関係者との間に、この程度の差がやはりあるということ。その点は変 わっていないということですか。 ○田原補佐  そのように思いますが、先生方にもご覧いただいて、このほか24頁には自分の患者ま たは家族が末期状態になった場合のことについてありますし、これも10年と14年の比較 があります。 ○時田委員  23頁のデータをご覧になっていただいて、例えば延命医療中止の方法について自分自 身で言ってくる、このデータなどは顕著な姿です。こういうところに重要な問題につい ての意識の混乱が見えているのではないかと思います。せっかくですから何かメッセー ジを、むしろ医療者の方のほうからお出しいただくほうが、よろしいのではないかとい う気がします。 ○町野座長  志真委員、何かございますか。 ○志真委員  書き方の問題ですが、大きく分けてがんの末期に関しての医療の在り方と、持続的植 物状態における医療の在り方というふうに設問は問うています。その2つはしっかり分 けて書いたほうがいいのではないかというのが1つです。これですと、それがごちゃご ちゃになっています。がんの末期に関して書く場合にも、2.の最初の○のところに 「心肺蘇生措置等の単なる延命治療は止め」という文章があります。これは最初にアン ケートを作るときに論議になったのですが、「延命治療」ではなく全部「延命医療」と いう言葉でこのアンケートは統一しているのです。心肺蘇生措置については「心肺蘇生 措置」と書いてはっきり行為を特定しています。ですから、そこはちゃんと分けて書い ていただきたい。  延命医療というのは、ここでどういうふうにするかという論議があったときに、抗癌 剤治療や放射線治療をイメージしているということで、アンケートの設問は設定されて いるので、要するに最終的な段階での心肺蘇生の問題と、その前の段階の治療の問題と いうのは分けて書いていただいたほうが、書き方の問題として誤解がないのではないか と思います。 ○田原補佐  いまの点につきましては、言葉のところは確かにそういうことですので修正したいと 思います。また植物状態とがんの末期について、確かに分けるという考え方が我々のほ うもあったのですが、23頁と25頁の回答の結果の傾向とか、あるいは22頁と24頁の傾向 について、大体同じような傾向ではないかということで1つに括って書いたわけですが、 それは分けて別々に違いを明確にしたほうがよいということであれば、そういうふうに 記述したいと思います。 ○志真委員  そのほうがいいと思います。つい最近の北海道の事件に関しても、がんの終末期にお ける人工呼吸器の問題と、脳死という表現が適切かどうかわかりませんが、持続的な植 物状態という医療の問題と分けて論議しないと、非常に混乱を招くと思います。明らか に持続的植物状態のほうは、例えば人工呼吸器の問題も取り上げているわけです。資料 の27頁です。これはがんの末期では、実際上は起きないことはないですけれども確率と しては低い。ですから、そこははっきり分けて書いていただいたほうがいいのではない か。本当は高齢者医療での医療の在り方というのも、今回、アンケートであればちょう ど3つ揃ってよかったと思うのですが、そこはアンケート調査を作る過程で、そこまで 膨大な項目は作れないということで2つに限っているので、少なくともこの2つはちゃ んと分けて論議していただきたいと思います。 ○町野座長  いかがですか。 ○田原補佐  もちろん、そういうふうにいたします。 ○町野座長  先ほどの一般国民と医療者との延命医療の中止について、温度差という表現が適当か どうかわかりませんが、少し違うようだということをどうするかです。これもちょっと こちらで相談させていただいてよろしいですか。次回の取りまとめのときにそれを入れ て、数字の差を指摘するだけで済むかどうかが少しありますので検討させていただきま す。ほかにございますか。 ○池上委員  先ほどの問題で過去の資料の24頁を見ると、単なる延命医療ということで、これで見 ると介護職員と医師等ではほとんど差はなくて、延命医療中止の方法というところでは 差が出てくるということだと思うので、そこも含めてなかなかクリアカットに出てこな い。24頁のほうだと介護職員というのは、むしろ医師よりも高い割合になっているので す。 ○時田委員  具体的に言えば25頁のほうで、非常に顕著な意識の乖離があるように思われるのです が、いかがでしょうか。だから医療者のご意見は医師もナースも同じデータで出ている のです。 ○池上委員  いま申し上げているのは、25頁を見るとそのとおりですけれども、24頁を見ると「あ なたの担当している患者、入所者」という言い方では、介護職員の回答はそれほど医療 職員との差が際立たなくなっていることを申し上げたいのです。ですから、「あなたの 担当している患者、入所者」ということを介護職員に聞いた場合には、その回答は医師 や看護師とさほど差がないことになり、25頁と必ずしも整合性がないので、ここの解釈 は先ほどご指摘のような単純なものでないような気もしましたので、念のため申し上げ た次第です。 ○町野座長  この読み方についても、確かに24頁のところでは単なる延命医療についてどう考える か、それについての回答者になったら、「やめたほうがいい、やめるべきである」と回 答した者に対して、25頁のそれという順番になっているわけです。これらはもう1回読 み直して、それからどのように対応するか考えさせていただきたいと思います。 ○時田委員  是非、お願いしたいと思います。23頁のところでも単なる延命医療は「やめたほうが よい、やめるべきである」と回答した者が、「具体的にどのような方法が考えられます か」と聞かれても、実際には国民のほうはわからない。あるいは介護保険もかなりそう いう意識が強いですが、結局はわからない。それはちゃんと示してくださいと言うほう が、むしろ求められているのではないかという気がします。 ○川越委員  延命医療が善いとか悪いというスタンスは、ここは取らないのだと思いますが、これ だけ延命医療に差があるということは、医療者のほうは延命医療の現実をよく知ってい るからこういう回答が出てくるのであって、一般国民は本当にそういう意味では情報を 持っていない。「わからない」というのも多く見られたりするので、そういう延命医療 というのが善い悪いというスタンスではなくて、こういうものなのだという何かわかる 情報、わかってもらう働きかけが、これから必要になってくるというコメントは入って もいいのではないか。それが私たち医療者にとっての責任でもあり、行政としての責任 でもあるような気がします。  おそらく、医師がどうする、看護師がどうする、ヘルパーがどうするというのを越え て、一般市民が地域の中で死をどう考えて、どうやって死んでいくかを考えていく。あ る意味ではそのムーブメントが起きてこないと、5年経っても同じような考えがずっと 続いてきているということは、その辺に少し問題があるのではないかという気がしまし たので、もっと終末期医療の方法とか実態の情報を開示していく必要があると考えまし た。 ○町野座長  わかりました。こういうことは最後の「おわりに」で出てくるのでしょうか。全体的 にいろいろ回答の仕方を見ていると、国民のほうは十分な情報を持っていないし、終末 期医療についてのイメージを持っていない。それもこれから改善されるべき問題である というのは、入れたほうがいいのかもしれません。今後、アンケート調査を取るときに は、この点をもう少し気をつけることも必要だろうと思いますので、そのようにさせて いただきます。事務局、よろしくお願いします。2.のところはほかにございますか。 よろしいですか。次は3.のリビング・ウィルの問題から始まって、その法制化の問題、 患者の意思の確認の問題で、これはメインと言っては何ですが、かなり多くの人が関心 を持って、この検討委員会でもかなり時間を費やしてご議論があった場所ですので、こ こを中心的にご議論いただきたいと思います。 ○土屋委員  いろいろご議論なさったということですが、今度のアンケート調査でもやはりそうだ ったなといちばん感じるのは、リビング・ウィルは必要だと言いながら、では書面にし ますかと言うと躊躇する。その背景は何かということですが、これは私どもも日本医師 会の中で委員会を作って実は議論してきた点です。  要するに、このリビング・ウィルというのは民法上の遺言とは違いますが、生前発行 の遺言と言えるわけです。3頁にも幾つか○がありますが、その中にもそういう意味の ことがちらっと出てきます。いちばんの問題は例えば3頁のいちばん最後の○のところ です。「書面による意思表示を行うと、家族の間で事前に話し合って患者本人の意思を 確認する契機となる」とあります。遺言ですので、一般的には家族と相談して遺言書を 書くことはまず考えられないわけです。それは遺言を書く人の本音と言いますか、それ は示したくないだろうと推測されるわけです。それをあからさまに文書で書くというこ とは、自分の本当のところをそういう格好で示さなければなりませんし、たとえそこに 家族がいたとしても、家族に対する遠慮があるらしいのです。このアンケート調査にも 幾つかそれが出てきています。家族に負担をかけたくないから施設や病院に入りたいと いう気持がうかがえます。  では、法律的に裏づけるものは何かないか。現行の日本の法律制度ではなかなか難し いようですが、公証人の連合会で事実実験公正証書という形で、いくつか既にこれを書 いておられます。その先生のお話も伺ったことがありますが、実際には何回か会って、 本音を聞かない限り分からないというのです。公証人の先生との間の話の中で、「実は 私はこうなのです」ということを聞き出す。それを一方で「分かった」という格好で、 家族はどうかと家族を呼んで聞いてみると、だいぶ食い違うというのです。ある病院で は、入院するときに「あなたはどうなさいますか」と、すでにそういうものを書かせる 所があるやに聞いたことがあります。病院に来るのは治してほしい、健康を回復してほ しいということでいらっしゃるのでしょうから、最初からそれを聞くのも残酷だなと思 います。  ですから、リビング・ウィルの問題は、一般論的には生前の意思表示、アドバンス・ ディレクティブという格好で理解はされているのでしょうが、いざ自分が書くとなった ら、この程度の調査から、「家族と事前に話し合って書いたらどうですか」などという のは、非常に危険であると今までのいろいろな実例から考えるのですが、いかがでしょ うか。 ○町野座長  非常に悩ましい問題です。この部分はリビング・ウィルによる表明意思があるなしに かかわらず、最後のところで家族の意向は、現在の終末期医療でかなり重要な問題です。 そうすると、事前にいろいろなことを話し合っておく必要があるのではないだろうか。 家族としても本人がどういう意思かを、よく分かりもしないで勝手に決めるわけにい かないということがありますので、その絡みで出てきた文章だろうと私は理解しており ます。ただ、書面を書くことによって話し合いが進むだろうという趣旨で書いたわけで す。 ○土屋委員  何となしに非常に平和な、一家団らんの中で、「じいちゃんがな、今日はこれを書い ておくから」と、文書ではなく、口頭でもいいだろうという話が出てくるのですが、日 本の現場は家族の意向が大事なのです。例えば、本人が「こうしてください」と言った からといって、軽々しく本人の自己決定権を尊重するなどと言うと、家族から必ずクレ ームが付きます。ですから、家族も併せて同意を得ることが必要だと思います。  法律専門の先生が何人かおいでですからお分かりだと思いますが、家族というのは、 特にこういうことに関しては、ひょっとすると利害関係者の最たる者かもしれないわけ です。家族があまり前に出てきてしまうと、特にリビング・ウィルでそれを残すという ことになると、本当にご本人の意思を正確に表現できない。だから、公正な立場の第三 者に何回か会ってもらって、この方が信用に足る人だなということになったら、初めて ご本人が本当の気持を吐露してくれるというのが、その先生のお話でした。この先生は、 公証人の連合会の会長までおやりになった方で、この連合会の中に法規委員会を作り、 その中でもこのことについてディスカッションされているようです。現物も見せてもら ったのですが、そのぐらいにすれば、ご本人の意思も文書できちんとした形になると思 います。 ○中川委員  これは十分議論して、表現は多少あるにしても、とにかく事前の意思表示をする人に は意思表示する機会を与えましょうということなのです。書きたくない人に書いてくだ さいではなく、意思表示をきっちりして、それを中心に、あとは家族と相談して、その 方向を決めるという1つの基盤にしようというものですから、すべての人に書いてもら うということでは一切ないのです。だから、委員の言われる議論は、もう十分されてい るのです。 ○土屋委員  議論されているわりには、この文章は適切ではないと言いたいのです。 ○町野座長  土屋委員が言われることはわかります。リビング・ウィルは、ウィルの一種だとする なら、本人の意思が表現されたものが真意に沿うものであるか、その手続的な保証がな い、それをやるべきだろう。それがない所でこのような法制化や、それを促進する方向 で進めるべきではない。この文書はもしかしたら、そちらのほうにとられる可能性があ る、というご指摘だろうと思います。その辺は少し書き方を変えます。  中川委員が言われたように、この問題はかなり議論され、アンケート結果の中でも、 これがあったときは尊重すべきであるという拘束力を持たせることについては、かなり 多くの人は問題と考えられているのは、土屋委員のようなご心配からだろうと思います。 中川委員が言われたとおり、本人の意思がどこにあるかは、最終的にはかなり中心に なることは認めざるを得ないということですから、できるだけ意思表示の機会を与える という程度だろうと思います。表現ぶりはこれから少し検討させていただきます。例え ば、「リビング・ウィルを行うと」というのは、「書面による意思表示をする」とか 「話合いができて」という書き方は、ちょっと問題かもしれません。 ○土屋委員  法律のことまで云々しているわけで、一般国民が、リビング・ウィルをどうするのか というぐらいに解釈している程度の話ならいいのですが、法制化についてどうですかと いう話にまで踏み込んでいるとするなら、その辺もきちんと押さえておかなければいけ ないのではないかというのが私の意見です。 ○町野座長  この法制化についてはもう1つのポイントで、リビング・ウィルみたいなものについ て積極的な人たちが増えているにもかかわらず、法制化についてはむしろネガティブな 考え方から出てきているというのは、おそらく今のような事情を反映しているのだろう と思います。法制化についてネガティブな考えというのは、コメントがありましたか。 ○田原補佐  2頁のいちばん下の○から3頁のいちばん上の○に、リビング・ウィルと法律につい ての記述があります。 ○町野座長  最終的にはケース・バイ・ケースに落ち着かざるを得ないというところがあるという ことですね。 ○志真委員  確かに論議はそうなのですが、この表現だと、法制化について否定的な考え方のほう が強すぎるのではないかと思います。現状では、確かに法制化を積極的に進めていくと いう意見は少数ですが、それはいま座長がまとめられたような考え方で、家族などとの 合意をもって本人の意思を尊重していくというのが、現状では受け入れられており、特 に最後のアメリカの例を出しているところでは、法制化のマイナス面のほうが強調され ているような感じがして、将来的にも法制化があり得ないと受け入れられるのはちょっ とまずいのではないかと思います。 ○土屋委員  4頁の末尾では、「法律家も参加した上での国民的議論が十分に尽くされ、適切な結 論を得ていく必要がある」と言っているのです。そこにつながるような表現がよろしい ですかね。 ○中川委員  いま志真委員が言われたように、「アメリカうんぬん」は、どなたかが言ったことで、 これは消したほうがいいですよ。 ○町野座長  私が言ったのです。 ○中川委員  単なるそういう意見をここに載せるのは適当ではないと思います。 ○池上委員  アメリカのことについて、たまたまエイシティンスリポートから出て、水を差すよう なことを申し上げて恐縮ですが、リビング・ウィルは実際には活用されてないというこ とです。  というのは、そのときどきの状況によって、リビング・ウィルを書いた状況と実際の 場面等が乖離することが多いので、終末期の状況を想定できないで記載するのでリビン グ・ウィルというのは、実際の意思決定において役に立っていないという論文をたまた ま目にしたのです。逆に日本においては、成人後見人制度が医療行為についてまで及ぶ かどうかはっきりしていませんが、それのほうが実務的には役立っているということが 記載されていました。全体にリビング・ウィルがどこまで役立つかは、本人の気持を聞 き出す機会としてはいいと思いますが、実際の活用となると難しい面もあるのではない かと思います。 ○町野座長  私はアメリカの最近の状況はあまり知りませんが、推察できます。リビング・ウィル を書いている人というのは、法律があるにもかかわらず、それほど実際の場合に多いわ けではない。 ○池上委員  2割ぐらいです。 ○町野座長  書いている人でも、これが法律の要件に合致しているから、これに沿うべきかどうか わからないことがある。  もう1つは、リビング・ウィルがあったとしても、医師がそれに従わなければいけな いという義務を付けている所はそんなに多くはなく、ほとんどないのではないかと思い ます。自分が言うことを聞くのが嫌なときは別の医師に移せというのはかなりあります。 ですから、全体的に見ると、いま池上委員が言われたとおり、啓蒙的というか本人の意 思が中心であるということを医師にわかってもらって、みんなも納得する。その限りで はアメリカにおいて一定のインパクトを持ったと思います。  実務的には、成年後見というか、リュアル・パワー・オブ・アターニ、つまり、意思 無能力になったときに、持続して医療について決定することができる、代理人を選んで おくという制度がアメリカであって、そちらのほうが機能としては高いのではないかと 言われていると聞いたことがあります。ですから、法制化することになっても、これで すべて解決がつくわけではないことは確かです。  ただ、この部分は私がかなり入れたところで、いろいろご批判もあると思いますが、 法制化すれば、すべてがオーケーというわけではなく、しかも法制化すると、それに従 わなければならないという誤解が生じることもあって、慎重であるべきだというのが私 の考え方です。あまりにもネガティブすぎるということでしたら、少し。 ○中川委員  データなしに書くのはまずいと思います。もしそう言われるのなら、そういうデータ をきちんと示して、その結果として、こういうことが引用されるのならいいと思います が、単にアメリカでそうだったということだけでは、公的なものに載せるのはちょっと まずいのではないでしょうか。 ○町野座長  分かりました、その点は削除いたします。この部分は、かなりホットな議論があると ころですが、この中でもリビング・ウィルの法制化についての議論は、いまのようなこ とであまりにもネガティブではないような、しかし慎重論ということでよろしゅうござ いますか。 ○池上委員  4.の「患者の意思の確認」があります。 ○町野座長  リビング・ウィルというのも、この手段としてこの検討会では捉えているというとこ ろが少しありますが、4.で少し問題がありますかね。 ○池上委員  4.の2つ目の○で「宗教家の役割も期待されているという実態もあるので」という のは、あまり議論にもなかったのではないかと思いますし、また数値的にも出ていませ んね。 ○町野座長  この点はアンケート調査から出ている問題ではなくて。 ○池上委員  ここでも宗教家が必要という議論はありましたか。 ○田原補佐  出ておりますが、資料2の3頁に「主な議論」として載せており、いちばん右側の列 の下から2番目の○で、「我が国では、終末期に医療関係者に対して宗教家や法律家の 役割も期待されている実態がある」という指摘を、どのように受け止め、評価するのか 」ということです。 ○志真委員  期待されているだけで、実際にそうだということではありませんね。 ○池上委員  宗教家と法律家として、法律家が落ちて、宗教家だけが残っているというか。 ○町野座長  私の記憶では、海外などでは終末期の医療現場において、これらの人たちがかなり関 与していて、カウンセラーみたいな人がかなりいる。日本では、この点はまだ少し足り ないのではないだろうか、こういう人たちも養成しなければいけないのではないかとい う議論だったと記憶しております。 ○中川委員  これは「カウンセラーとか」としたほうがいいのではありませんか。宗教家というと 僧侶や神父を指すのですか。 ○町野座長  そういうことだろうと思います。 ○中川委員  そこにすぐ出てくるよりも、カウンセラーということではないのですか。 ○町野座長  「役割も期待されているという実態もあるので」というのが、たくさんお坊さんが出 てこいととられると、確かに問題かもしれませんが、日本ではこのように直ちにはいか ないだろうと思います。中川委員のご指摘のとおり、カウンセリング技術を持っている 人たちがもっと必要だという趣旨なのですが、少し分かりやすいように改めさせていた だきます。 ○志真委員  4頁で、「日頃から治療関係にある医師をいわば『医療の代理人』とするように、終 末期になる前から患者と医療関係者の信頼関係を構築していくことも適切な方法のひと つである」という一文ですが、これはそういう論議ではなかったのではないかと記憶し ているのですが。 ○総務課長  そういうご指摘があったと私は記憶しています。それをどう書くか、ご議論していた だければと思っています。 ○中川委員  私も志真委員と同じで、代理人のことは話されましたが、「治療関係にある医師をい わば」というような関係は、あまりなかったのではないかと思います。医療代理人の制 度を進めていくことは大切だということは十分話されたと思います。例えばその1つと して、配偶者であり知人であり、医師もその1人であるということはありましたが、こ れは医師だけに誇張されていますから、少し違うかなと思います。 ○池上委員  さらに言えば、医療の代理人を本人が選ぶということが重要である。その中にかかり つけ医を選んでもいいと思うのですが、普通はかかりつけ医が終末期の場面に立ち会う こともあり、第三者の立場に立てなくなるので、多少難しい点もあるのではないかと思 います。 ○町野座長  そういう議論も出た記憶はありますね。ここのコンテクスト全体的に代理人制度にこ だわったということではないと思いまして。いくつかある中で代理人みたいなものが必 要だという意見が1つあったことは確かなのです。そして、その中で医師がそういうこ とをやったらどうだろうかという意見もあったように記憶しています。しかし、ここで はそれが患者と医療関係者との信頼関係の構築が必要だという流れで出ていますから、 ちょっとわかりづらいところがあります。しかしまず1つは、代理人のことをここで書 くべきでしょうか。それは十分議論されたとは思えないし、いまのご意見にもありまし たとおり、治療する人間が代理人だというのはおかしいではないかということもありま すから。 ○南委員  私はこのようなことを発言した記憶がありますので、申しますと、私も代理人という 制度のことを強調したわけではなく、ほかの方からも多少発言があったと思いますが、 私は日ごろからの医療の信頼関係を基に、かかりつけ医がそれを代弁する立場に立って もいいのではないかということは申しました。代理人制度がどうこうということではな くて、先ほど池上委員も言われましたが、それも1つの選択肢というか、そういう意味 で申し上げたのです。 ○川越委員  私もここはよく覚えていますが、日ごろからかかりつけ医と自分の生き方や自分の身 体のこと、家族のことなどを理解してもらって信頼関係を築いていくと、終末期の決定 がすごくスムーズにいくという意味でおっしゃったと思います。ただ医師というだけで ここに言ってしまうとあれなので、そのときに是非看護師もその中に一緒にいて、看護 師が付いている中で、皆さんの気持を代弁できるという発言をしたと思うのです。看護 師とか医師とか1つの職種にこだわらないほうがいいのでしょうが、「元気なときから 自分の生き方などを信頼関係の下に、専門職と構築していき、自分の気持を代弁してく れる人を作っておくことが重要」というソフトな書き方でもいいのかもしれません。医 療の代理人というのは、特別な権限を持ったという意味合いがあるような気がします。 ○土屋委員  これは我々医療提供者というか医療関係者に対して、法律家として、時には宗教家の ような役割を、さらには、間に立ってマネジメントまでも期待されているのでしょうか。 現場では実際にそうなのです。いちばん信頼関係を積んだドクターが患者も安心でしょ うし、我々もそれがいちばん大事であると考えています。ひと口で言うと、現実的な対 応はそうなっていますが、本来は、「法的な整備をきちんとすべきである」と言いたい ところだと思います。ドイツなどは健康事務代理人制度というのがあるそうで、これは 完全にそういうことをやっているようです。そこまで一挙に行けないにしても、法的整 備が、日本の実情からいっても、果たしてそこまで本当に持っていくのがいいのかどう かは別にして、とりあえずその間はいろいろなことが要求されているのです。いちばん 大事なのは、かかりつけ医というのは、信頼関係です。いちばん信頼関係が結ばれてお り、実際に中身のわかっている人がやったらいかがですか、という話に、とりあえずは 理解しておくということではありませんか。 ○町野座長  そこまでの意味があるかどうかです。皆様方のご理解をまとめると、日ごろから治療 関係にある医師等の医療関係者と終末期になる前から患者との間の信頼関係を構築して おくことが、終末期において医療の立場から、患者の意思を代行して、その意思に沿っ たいろいろな医療的決定を行うことに役立つものであるという程度の意味だろうと思い ます。分かりやすいように変えて、さらに土屋委員が言われたような、終末期での制度 的な枠組みや規範がしっかりしていないと、非常に迷いがあるということが5.になり ますから、そちらに移ってよろしいでしょうか。これは相当時間がかかると思いますが、 その前のところでまだ何かご意見、ご議論がありましたらお願いいたします。  それでは5.の「医療現場の悩み」です。タイトルも急にロマンチックですので、少 し考えたほうがいいかもしれません。これは主に検討会でこれまでいろいろ出てきた議 論、今日のご議論の中にも現れているようなところを中心にして、明確な医療関係者の 行為規範がはっきりしていない、患者の意思がどこにあるか、家族の意思と患者の意思 が食い違ったときにどうするかといった問題がすべてあります。今の点についての医療 現場の悩みをどのようにして解消するのが適当だろうか。今まで出てきた法制化の議論 もそのうちの1つではあるわけです。しかし、法制化について慎重論というか、今すぐ というお考えはないようですので、そこで出てきた議論は行政的なガイドラインによる、 あるいは学会でそれを作ったほうがいいのではないかなど、いろいろなご議論がありま したので、そのご議論を再びしていただきたいと思います。 ○池上委員  ここで「不開始」と「中止」がポツで結ばれて、同じレベルに議論されているのです けれども、この「不開始」という言葉は問題があると思うのです。開始しないというこ とと、中止するというのはかなり意味合いが違う、ということをどこかで指摘する必要 があって、これを同列に悩んでいるということではないと思うのです。  北海道のあれもそうですけれども、ベンチレーターにつなげない、という選択肢もあ ったので、それをつなげて、かつそれを中止したというところに問題があると思うので す。これが同列に、不開始というよくわからない言葉として示されると、その不開始と 中止は法的にもかなり違う意味合いがあるのではないかと思うのです。このまとめ方は、 ちょっと問題があると思うのです。 ○町野座長  事務局として、不開始というのはどういうイメージだったのですか。例えば人工呼吸 器をつなぐとか、心臓マッサージを開始するというタイプのことですか。 ○田原補佐  人工呼吸器を装着する、ということを最初からしないということを意味しました。 ○町野座長  その2つが違うか、というのはかなり大きな問題です。アメリカの大統領委員会の報 告書では、この2つをつなげています。 ○土屋委員  法律的な難しいことはわかりませんけれども、もしやるべきことをやらなかった場合 に不作為行為である、と取られる可能性もあるわけです。いま、いちばん安全なのは難 しいことを考えないで挿管してしまう。生命維持装置につないで、あとでそれを中止す ると大変なことになるといけません。  現場はどうなっているかというと、これはどうしようかと悩みながらも、やらなかっ た場合のことを考えると、これはつないでおいたほうがいいということにもなります。 終末期はがんの末期だけではありませんので、緊急の場合には本人の意思確認もできま せんから、つながなかったときの法律的な問題と、つないでしまってそれを途中で外し てしまう問題は、法律的には同じような大変大きな意味を持っていると思います。 ○中川委員  原則的には、土屋委員の言われたようなことだと思うのですけれども、例えば、人工 呼吸器挿管、経管栄養もそうですけれども、これを開始するかどうかというのは、現在 のところ本人の意思一部、家族の意見多数で決まっていっているのだと思うのです。こ の段階では、それが了解されていればほとんど問題は起こっていません。  経管栄養もそうですが、人工呼吸器を途中で中止することのほうが問題が起こるとい いますか、法的に引っかかるという問題があります。ここは、医療の中止ということを 中心に論議したほうがいいのではないかと思います。 ○町野座長  私は法律なのですけれども、いろいろお話を伺っていると感じ方が皆さんとは少し違 うという感じがします。法律のほうの議論としては、患者に対して治療を開始するかど うかというのは、基本的に医師の裁量だという考え方です。例えば、これはやらないほ うがいいと思ったらやらないという考え方です。ただ、開始した以上は、最後までやっ てもらいたい。むしろ、それを途中でやめることについては縛りがかかる。だから、医 師の責任の問題としては最初のほうが緩くて、後のほうがきつくなる、というのが法律 家の頭にある考え方です。  しかし、医師のほうは、とにかく最初は助けなければいけないということで治療を開 始し、そこから何か考えるという発想のように見受けられるのですが、このような理解 でよろしいのでしょうか。どちらがというのは、ちょっとわからないところがあるので、 この2つを切って、どちらの法的な責任の議論の仕方が違うかというのは、なかなかで きかねるという感じがするのです。不開始のことはあまり議論する必要はないというの なら話は別ですけれども、やはりあるのでしょうか。 ○中川委員  あってもいいです。 ○町野座長  あってもいいとなると、この2つはちょっと。 ○中川委員  重さが違うな、という感じがするだけです。 ○町野座長  その受け取り方といいますか、開始するか、開始した医療を中断するかという問題に ついては、倫理的な判断が、少なくとも私のような法律のほうの立場とは少し違うのか なという感じがしました。この2つは曖昧模糊といいますか、そちらにはあまり立ち入 らずにこのまま続けたほうがいいのではないかと思いますがいかがでしょうか。 ○池上委員  もしそうであるなら、座長がおっしゃったように、法律家の解釈では、治療の開始は 医師の裁量で弱くて、中止はむしろ法律マターになる。医師は逆である、ということを まず冒頭で挙げる。 ○町野座長  そんな大胆なことを言ってしまうと、すべての法律家がそう言っていると思われてし まいますので、少しご勘弁いただけないでしょうか。医師の考え方を、いまのように整 理するというのもかなり度胸のあることです。いろいろな考え方があって、最初に尊厳 死の問題が出てきたときも、これが1つのものでした。最初から治療を開始しなければ、 先ほどの議論のように、不作為一般というのは、法律的に責任を問われる問題ではない のです。義務のある人間だけが、不作為について責任を問われる。だから、基本的には 義務がないという考え方で法律家は来ています。  ところが、既に一回開始してしまったもののスイッチを切るとか、点滴を取り外すと いうことになると、これは作為であって、積極的な行為のうちの1つである。そうする と、これは基本的に責任がある、というのが最初のスタートだったのです。そのために、 尊厳死のことで、これが全部殺人になるのがいいのかということから議論が始まったの が、法律のほうの世界なのです。  そういう頭がありますので、いまの議論を伺っていると、皆さんとはかなり考え方が 違うのだなということを思いました。それを、あまり法律の論文を書くわけにもいきま せんので、最初のところで開始と不開始の2つともここで議論する、ということを少し わかりやすく書くということにさせていただきたいと思いますがよろしいでしょうか。 ○__  はい。 ○町野座長  それでは、ほかの議論はございますでしょうか。 ○志真委員  下の段のところですが、「患者本人の意思と家族のそれが一致しているかが問題にな ることもある」ということで、気管切開の例が挙がっています。これは、私が発言した ことが取り上げられているのだと思いますが、こういうふうに書かれるよりは、単純集 計の頁数でいうと22頁と24頁に延命医療の中止に関して、自分自身の場合と、自分の家 族や担当している患者の場合で、選択肢が違ってきています。先ほど、時田先生の部分 にもありましたが、そのことを書いていただいたほうがいいのではないでしょうか。  つまり、家族はどうしても延命サイドに物事を考えるし、そういう選択をしがちであ るということ。本人は、早く苦痛から開放してほしいという立場の違いがあって、それ が最終的に現場で葛藤を生み出すということではないかと思うのです。そういう書き方 をしていただいたほうが説得力があるのではないでしょうか。 ○町野座長  そのようにさせていただきます。5.のところは法制化ということではなくて、その 前に何か起案を作るということになると、どういう手段があるか。ここまでの提案とい うか、そちらのほうにかなりポイントがあるのは、まず医学界のほうから作ってもらい たい、という考え方がここでかなり強く出ています。この点はかなり重要なものだろう と思うのですが、何か議論がありましたらお願いいたします。 ○志真委員  「マニュアル」という言葉はやめていただいたほうがいいかと思います。現在、緩和 医療学会で検討している緩和医療におけるガイドラインというのがあります。それは、 大体これから3年ぐらいの間に、鎮静やがん疼痛などいろいろ症状別のガイドライン、 あるいは治療行為のガイドラインを出していくということでいま論議が進んでいます。 どちらかといえば「ガイドライン」という言い方のほうがいいかと思います。  それから、このときの論議の中で私が発言したことは、5.のいちばん上のところで そのことは生かされているようにも思うのですが、どういう手順を踏んでいったら、治 療の中止などが可能なのか。果たして、これは医療のほうだけの問題とは言えないと思 いますので、そのことも、もうちょっとはっきりした形で書いていただければと思いま す。 ○町野座長  医療のほうだけでないというのは、具体的にどういうことでしょうか。 ○志真委員  法的な問題も入ってくると思います。 ○町野座長  最初のほうは、基本的に医療の問題だと。後のほうで意思を確認して、意思の一致、 不一致の問題というのは、法律のほうも入って議論する、という書きぶりになっている わけです。それを、前のほうも法的あるいは社会的な問題は依然として避けて通れない、 というのはそうだろうと思います。 ○志真委員  「社会的コンセンサスがあまりない」というふうにだけ書いてあって、その後どうす るのだということがあまり書いてないのです。 ○総務課長  答えになっているかどうかなのですけれども、この頁のいちばん下の行の、先ほどの 法律論も大切だというのは全くそのとおりだろうと思います。法律家も参加した上で、 十分議論を尽くしていって、そのコンセンサスを取っていかなければならないのではな いかということを、4頁の下から5行目ぐらいから下にこれまでの議論のかなりのとこ ろを書かせていただいたつもりです。 ○町野座長  「医療の内容の問題を超えて、いかなる云々についても同様である」というのがここ に入っております。これが後に出てきているのでわかりづらいところがありますので、 少し書き方を考えさせていただきます。 ○池上委員  先ほどの「中止は不作為になる」ということを上のほうに書いていただくとわかりや すいです。 ○町野座長  中止は、概念上は作為ですけれども、消極的な行為という点では開始しないというこ とと同様の性質を持つ行為であるということですね。 ○池上委員  はい。 ○町野座長  わかりました。 ○土屋委員  志真委員がおっしゃったように、これはガイドラインであることがいいと思います。 それから「医学界」という表現は、いろいろな疾病によって、状況によって違いますの で、「専門学会」という言い方をしていただくといいのかと思います。  もう1つは、医療施設もいろいろですので、医療施設の中でできるところは、その施 設としてのガイドラインを作ってもいいのではないか。ですから、医療施設の性質、あ るいは疾病ごとに異なるわけですから、「専門学会」と言っていただいたほうが明確に なるのではないでしょうか。 ○町野座長  いまの点は十分議論していなかったのですが、1つの問題かもしれないです。現在、 大きな病院では終末期医療についての倫理指針を持っている所がいくつかあります。1 つの考え方では、それぞれの施設ごとがこれを作っていってやったほうがいいのではな いのだろうか。その施設の倫理委員会等で、これについて運用していくという方向もか つては考えられたのですが、現在ではそれは駄目でしょうか。 ○土屋委員  代表的な疾病、例えばALSやPVSみたいなものについてはガイドラインができる と思うのです。現にそういうものを作って、その施設では何十人という方が並んで、意 識はあるのにいずれ呼吸ができなくなってしまうという深刻な問題を抱えた患者を管理 している医療機関があります。そういう所は、そういうものを作らざるを得ないわけで す。それは施設ごとであれ、あるいは1つの疾病について専門学会でと、それは、それ ぞれの特徴がありますので、1つのガイドラインですべてをというわけにはいかないの ではないかと思います。 ○志真委員  昨日たまたま送っていただいたのですけれども、2001年6月に日本老年医学会が「高 齢者の終末期の医療及びケアに関する立場表明」を出しています。あまり知られていな いのですけれども、いま土屋委員が言われたように、まず専門学会がそういうことにつ いてのガイドラインを打ち出すというのが方向だと思います。それを踏まえた形で、個 々の施設が実情に合わせて、それぞれのガイドラインを作る、ということも推奨される べきだと思いますので、書き方としては「専門学会」を先に持ってきていただいて、並 列ではないほうがいいのではないかと思います。 ○町野座長  ガイドラインは専門学会といいますけれども、いくつあるのでしょうか、随分たくさ んあるのではないでしょうか。まとまって何かを作るということは考えられないですか。 例えば、産科・婦人科の領域では産科婦人科学会があって、ある程度戒告という格好で いろいろなものを出したりしている。いま、日本移植学会で問題になっているいろいろ なことについている生体移植についても、ある程度それを持っていて、その会員がそち らに縛られる体制になるわけです。そのようなガイドラインのイメージというのは、こ の分野では可能なのでしょうか。 ○志真委員  この対象になっているのは、がんの末期、高齢者、持続的植物状態です。がんに関し ては、緩和医療学会がその任に当たるのだと思います。高齢者に関しては、老年医学会 が、持続的植物状態については脳神経学会でしょうか。 ○中川委員  高齢者については、日本療養病床協会ではないかと思います。まだそこまで出来てい ませんが。老年医学会については、2年ほど前に私たちの協会で御講演いただきました が、概念は素晴らしいです。書いてあることは、我々よりもっと進んでいることも書い ています。しかし、それはガイドラインではなくて、考え方を書いているのだと思いま す。そこは、あくまで大学中心の老年医学会ですので、具体的な点についてはおのずと 限界があるのではないでしょうか。 ○町野座長  そういうところも、これからちゃんと作ってほしいというのはいかがでしょうか。学 会としては、そういうことはできないということでしょうか。 ○志真委員  それぞれの立場がありますのでどうなのでしょうか。 ○町野座長  そう言われるとちょっとあれですけれども、イメージとしてはいま志真委員が言われ ましたような、全般的ガイドラインを作って、その中でそれぞれの施設、医療機関がそ れを考慮しながら運用していくことが望ましい、ということになるのでしょうか。 ○中川委員  提言する、ということは全然差し支えないのではないでしょうか。 ○土屋委員  提言してもいいわけで、指針ですからそれを参考にすればいいわけです。 ○町野座長  それを提言するのは差し支えないのですけれども、いまのようにして、医療現場の悩 みとしてここに出ている問題ですが、それができたときに、これで大丈夫なのでしょう か。完全な解消はないと思いますけれども、少しは楽になることがあるのでしょうか。 ○中川委員  それは先ほど座長が言われたように、最初に治療を開始するときは医師の裁量権だ、 というのは全く間違いです。これは、医師は家族サイドとの話合いで決めています。そ れでこそインフォームド・コンセント(説明と同意)、ということが言われているわけ です。だから、率直に言えば医師の裁量権などというのはほんの一部です。  医師の裁量権で、そこで十分な話合いが行われたか、説明と同意が得られているかど うかが問題なのであって、法律家はそれを全く理解していなくて、起こった行為に対し て法律的にどうだ、ということばかりで指摘します。しかし、一方では説明と同意とい うのは、こんなに重要なものはないと言われているわけです。だから、ほとんどの行為 は説明と同意の中で行われているわけです。そこで、たまたまちょっと引っかかること が出てくるということだけであって、法律家も世の中の動きをもっともっと勉強してほ しいです。  例えば、北海道の羽幌の問題だって、あれを誠意をもって、家族の同意で外したもの に対して警察が調べること自体が正しいのかどうか、ということは本当に難しいと思い ます。家族は何も文句を言っていない、家族は感謝しているかもしれない。それに対し て、異常死だと届けたら警察が、ちょっとおかしいのではないかと言ってきていること 自体がどこかずれているのではないか。それは、法律がどうこうというのではないけれ ども、先ほどの話を聞いていると、少し医療界とずれているという感じがあります。い ま主張されていることは、説明と同意がいちばん大事だと言われているわけですから、 そこをもっと理解してご発言いただきたいと思います。 ○町野座長  あの事件のことは、私も詳しくは知りませんし、まだわかっていないところがありま す。説明と同意は基本であることは確かだけれども、それがすべてではないということ だと思うのです。生と死に関係することですから、当事者の意思だけですべてが決まる わけではないということだろうと思います。 ○中川委員  それを言いますと、挿管するか人工呼吸器を付けるかということも、説明と同意でほ とんどのことがなされています。 ○町野座長  もちろん、それもすべてではない、ということだと思います。現場でなされているけ れども、実際の問題としては、家族がOKと言ったから取ったといったときに、これは 法的に責任がないかというと、直ちにそういうことにはならないです。 ○中川委員  そこばかりを強調するのではなくて。 ○町野座長  そればかりを強調することではなくて。 ○中川委員  そういう成り立ちがある、ということをもっと理解していかないと、ちょっと漏れた ことだけを強調すると、医療行為そのものが説明と同意の中で行われているという大き な筋道が、非常に矮小化されてしまうのです。今後ご発言のときには、そこを考えてい ただきたいと思うのです。 ○町野座長  誤解を招いたということでしたら訂正させていただきます。そういう趣旨ではなくて、 いままでは医療のところに警察が入ったりということは非常に少なかったと思うのです。 しかし、これだけいろいろなことが起こると、立ち入るべからずとはなかなか言えない。 当事者たちが納得したからこれでいいではないか、とはなかなか言えない時期になって きている。そこのギリギリのところで、どの範囲までやっていいか、問題が起こらない かということは議論する必要があるだろうと思って申し上げたのです。説明と同意が基 本だ、ということは理解しております。それで私が聞きたかったのは、いまのような緩 やかなガイドライン的なものを学会や、それを受けて各医療施設が作る方向でいったと して、これで医療現場の悩みのところでどのような行為をすることができるか、という 悩みはこれで大丈夫だろうかという質問なのです。中川委員のお話は、納得ずくでみん ながやっていれば問題は起こらないのではないかという趣旨でしょうか。 ○中川委員  そういう言い方をするから誤解を招くのです。 ○町野座長  すみません、私はただ質問しただけなのです。  私が伺いたいのは、この場で議論されてきたのは、医療の所でいつ止めていいか、誰 の意見を聞いていいいか、どのような手続を取ればいいか、そういうことについて非常 に不明確なところがあって、医師がみんな悩んでいるところがある。それをなんとかし なければいけないという議論がある、というのは皆さんが認めているところだと思いま す。それをするために、何か明確な行為規範を作る必要があるのではないのだろうかと いう議論があったわけです。その中で、学会のほうでガイドラインを作るということは どうだろうかというのが、この1つの行き方だったわけです。そのガイドラインの性質 が、いまのようなかなり緩やかなものだということになると、これで本当に大丈夫なの だろうかと、逆にそういう質問の趣旨なのですけれども、ご理解いただけましたでしょ うか。 ○志真委員  ガイドラインの狙いは、あくまでも医療行為の標準化という、基本的にこういうふう な手順を踏んで、こういう薬を使ってやることに関しては、医療として適正であろうと いうところまでが、医療ガイドラインの役目だろうと思うのです。  特に終末期医療の中では、ガイドラインを作ればそれで解決できるかと言われれば、 個別性が非常に大きいので、最低限のことを揃えることはできるのですが、それ以上の ことを期待することは難しいのではないか。例えば非常に理不尽な扱いを受けるとか、 理不尽なやり方で医療処置がされるなどということは、ガイドラインを作ってそれを普 及していく中で、だんだんに減っていくとは思うのですが、たぶんガイドラインの持つ 意味はそれ以上のものではないのではないかと思います。それと先ほどから論議になっ ている法的、あるいは意思決定の手順の問題は、重なりますが分けて考える必要がある のではないかと思います。 ○町野座長  この部分について、ほかに何かありますか。 ○田村委員  多くのことは医師が裁量権として決めていくわけですが、実際、現場の中で開始する 際には、いろいろな職種の人が患者や家族の状況を聞きながら、いろいろなことを決定 して、やらないという選択も現実的には出てくるわけです。そのときにガイドラインが あるほうがそのときの最低限のことで、確かにそれでは十分カバーできないことがたく さんあるのは承知していますが、それがないと、そこで話し合う基盤さえもないのがい まの現状ではないかと思いますので、そこにどのぐらいの効力を持たすかはまた別の問 題だと思います。コメディカルスタッフというのは意思決定に直接的に影響を持たない と言われていますが、そこで意見を求められるし、そこで意思決定しようとしている医 師の考え方が本当に最低限と言われるガイドラインに適しているものかどうかというこ とは判断できると思いますので、そういうものがあることは最低限、必要ではないかと 思います。 ○町野座長  ほかにありますか。いまのご趣旨を活かした上でさらに整理させていただいて、最後 の「末期状態における療養場所」の問題の議論に入ります。5頁のIVから始まってVIま での所は大体それに当たるわけです。 ○中川委員  5頁の4番目の○、「高齢者の終末期において」とありますが、2行目に「医師、看 護職員は、自宅、次いで病院で」と書いてありますが、これは明らかに間違いです。全 体の37頁は、「介護療養型医療施設または長期療養を目的とした病院」と区分けされて いますから、そのように書いてください。また、これは一般の急性期病院もありますが 、そこにはそんなにパーセントが入っていません。何度も言っているのですが、ここは 「介護療養型医療施設または長期療養を要する病院」とすべきであると考えます。 ○田原補佐  確かにご指摘のとおりだとは考えています。ほかの一般国民の場合に病院というよう に選択肢となっていて、医療従事者等については病院の中でも急性期と長期療養を分け ているという点で、比較がしにくいのではないかということでこのような表現にさせて いただいたのですが、やはり誤解が生じるということであれば、そのように。 ○中川委員  全く誤解です。世の中は随分変わっていますので、しかも質問のときにこのように分 けているわけですから、それをちゃんと分けて合うようにしていただきたい。私も不満 なのは、ここでも「医師、看護職員」だけ足して一緒にして出していますが、こういう 大事なところは医師と看護職員をきっちり分けていただいたほうがいいと思うのです。 ○町野座長  そのようにさせていただきます。 ○川越委員  いまご指摘があった○印なのですが、ここは少し誤解を招くかと思うのは、一般国民 が望んでいるのは病院なのです。この設問は、あなた自身が高齢となり、脳血管障害や 痴呆等によって日常生活が困難で、さらに治る見込みのない疾病に侵されたと診断され た場合」、私も「病院」と答えるかと思うのです。こういう設問の中で療養の場所を選 ばせているわけですから、毎日新聞や介護の雑誌などで、「国民は2割しか在宅を望ん でいない」という表題で記事が書かれているのを、何度も見ました。本当に国民の真意 をこれでつかんだのか、私は非常に疑問なので、ある意味ではこの設問を変えていただ くというのは、ちょっとまずいですか。資料を見ていただければわかるのですが、そう いう形で聞いたということをどこかに残してほしいと思います。 ○中川委員  川越委員がおっしゃったのはもっともで、「高齢者の終末期においては」という文章 だけでこれだけ書かれると、いま言った設問の中の答えから出てきているものが極めて 矮小化されていると言うと変ですが、1つの部分だけしか捉えられないのが、こういう まとめ方のものすごくリスキーなところだと私は思うのです。だから、短文で入るのは もちろんいいと思うのですが、いまのような非常にかかわっている部分がここにあると 思うと、この文章だけだととても寂しい文章に感じてしまうので、そこはもう少しコメ ントをいただければと思います。 ○町野座長  いまのは資料では何頁ぐらいですか。 ○田原補佐  資料で言うと、36頁、37頁です。設問があるのは36頁で、大きな枠の下の細い線の枠 の所に問いが書いてあります。だから、ここは「治る見込みのない疾病に侵されたと診 断された場合、どこで最後まで療養したいですか」という設問になっています。 ○町野座長  確かに、ここはかなりインパクトがあった、あるいは誤解を招いたようなところもあ るかもしれないので、少し慎重な書き方が必要なのでしょうね。 ○中川委員  設問を説明に合うように少し変えてから書かれれば、まだいいかと思うのです。 ○町野座長  少し長くなるかもしれませんが、設問を挙げた上で、これに対する回答はこういうも のがあったと。確かに、これだけを見て在宅を望む人間は少ないと即断することはでき ないということは、何か少し言ったほうがいいかもしれないですね。ただし、このよう な状態になったときは在宅を望まない人が多いだろうということは言えるけれどもとい うことです。 ○中川委員  在宅も22%あるわけですから、その部分も何らか出たほうがいいのではないでしょう か。ほとんど対等に近くあって、少し少ないですが3番目に多いわけですから。 ○町野座長  わかりました。より詳しく、しかもわかりやすく誤解を避けるような表現はなかなか 難しいですが、検討させていただきます。 ○川越委員  上から3番目の○ですが、5年前も「在宅での緩和医療を進めなければいけない」と いう提言が出て、また同じだなと思って、5年間何をやっていたのだろうと思ったりす るのです。「例えば」の所は、5年前より少し踏み込んでいただきたいと思うのです。 というのは、「自宅で痛みの緩和できる体制」というのは、5年前も言っていたのでは ないかと思うのです。もっと、それの何が問題だったのかということで、例えばモルヒ ネが使えるなど、少し突っ込まないと、またこの大きな課題で持っていかれると、どう しても日本の終末期医療というのは施設から発展してきましたから、これが進んでいか ないのではないかと思っています。  例えば3番目の「家族の精神的、身体的負担の軽減」と言っても、あまりにも当たり 前すぎて、大きすぎて、結局何をしていいかわからない。だから、もう少し亡くなって いく人たちのデイケアをやろうとか、亡くなっていく人たちもショートステイに来れる のだとか、少しそういう具体的なことを書いていただければありがたいと思うのですが、 バランス的にあまり具体的なことを書けないということだったら仕方がないと思ってい ます。  4番も、「在宅患者を往診できる医師を確保」というのをずっと言い続けてきて、実 は私はこうではなくて、在宅で緩和医療ができる医師と、緩和医療に携われる訪問看護 師という辺りがいまきちっと位置づけられれば、かなり実現可能なのだと思っておりま す。その辺を少し踏み込んで書いていただくと、道筋が示されるような気がいたします。 ○町野座長  やはり5年前と完全に同じだというのは寂しい感じがしますから、もし川越委員が5 年間で進歩したか、進歩しなかったかを踏まえて、少し書きぶりを変えるとすると、い まのような2点ですか。 ○川越委員  新たな看護を考える会でも、緩和医療に関する看護師の裁量権を認めようという方向 でしたし、高齢者介護研究会でも、「亡くなっていく人たちを地域で最後まで見るのだ 」というシステムづくりをしていかなければいけないという提言がありますので、3番 などもデイケア、ショートステイ、あるいは泊まってもいい、大きな施設ではなくて、 地域の中にそういうものを作っていけば、家で亡くなりたい、家で亡くなるという現実 が国民に見えるわけです。そうすると、「ああ、家でもできるんだ、じゃあ、家で過ご そう」というように見えてくるのではないかという気はします。もちろん、5年間にモ ルヒネなどは非常に進歩しましたので、かなり在宅の緩和医療、症状コントロールは進 んできたと思います。でも、多くは介護する側の問題と、医師と看護師の裁量権の問題 というのがまだ残されているかと思います。 ○町野座長  書き方として、より具体的にやったほうがいいかもしれないですね。いまの川越委員 のご意見を参考にしながら、またやらせていただきます。 ○池上委員  下から4つ目の○に「介護保険制度が導入されたことによって」云々ということが書 いてありますが、介護保険制度が導入されたことによって、介護老人福祉施設に入所す る障壁が、かえって高くなったのではないかと思うのです。少なくとも入所待ちは増え たと思いますので、これだと何か因果関係があるような書き方をしているので、これは なくてもいいのではないかという気がしますが。 ○町野座長  これは結局どういうコンセプトですかね。介護保険制度が導入されたことによって、 これらの人たちもこっちに入れるということが生じた。そのために、在宅から、むしろ そちらのほうに誘導されたのではないかという趣旨ですか。 ○総務課長  この検討会の中でも、そういうご議論がありましたから、そこを書かせていただいた のですが、これを書くかどうかはご議論していただければと思っております。 ○町野座長  要するに指摘があるというだけなのですが。 ○池上委員  要介護4や要介護5が増えたことは事実で、また介護保険制度によって公的なサービ スを受けたいという気持は増えたと思うのですが、自宅で死にたいという気持が減少し たということと因果関係はないと思いました。一般の方の気持では、時田委員がおっし ゃったように、非常に入りにくい状況が厳然としてあるものですから、これですと容易 に入所できるというようにも受け取れるので、4番目の ○は適切でないと思うのです。 ○町野座長  いまのご意見も入れて書くというのはいかがですか。このことをめぐって、いろいろ なご意見があったわけですから、確かにいろいろな見方はあるだろうと思うのです。い まのような指摘があると、これに対してはこのことが直接な影響があるという具合には ちょっと考えがたい、という意見もあったというのを、だんだんトーンダウンしてくる ということがあります。折角皆さんが議論されたので、これがあることによって、少し 問題がわかりやすくなったことは事実です。私は削除してしまうには惜しいような感じ がいたしますが、この点について何かご意見がおありでしたら、いただきたいと思いま す。 ○土屋委員  いま池上委員がおっしゃったように、介護保険制度が導入されて、基盤整備がある程 度整ってきたから、そういう格好になるのは大変結構なことなので、それがあたかも在 宅で終末期を迎えるという者を減らしてしまったというように、これは文章的にもおか しいですよね。ですから、そういう条件に恵まれた方はそれでいいのでしょうけれども、 座長が先ほどおっしゃったように、こういうものがさらにできて、入りたいときには入 れてということになれば、こんな結構なことはないと思うのです。4と5という人を在 宅で見るというのは、不本意ながらも、我々はそれを日常見ていて大変なことです。家 族の負担を考えたら、ご本人もそういう施設に入れてもらいたいというのは、いま日常 あることなのです。そのことが何か在宅を減らしてしまった。要するに良い状況になっ てきたと言って喜ぶべきことであって、在宅が減ってしまって大変だという話にはなら ない。 ○時田委員  いま土屋委員、池上委員もおっしゃったのですが、私はこういう長期療養施設を長い こと経営してまいりましても、老人ご自身が入りたいという人は1人もいないという認 識を持っているのです。入れたい人はいるのですが、入りたい人はいないという言葉は、 私は非常に適切な言葉だと思っているのです。なぜ経営しているかというと、やはり最 後の受け皿として、そういう施設がないわけにいかないという現実がある。それは医療 の療養型も同じことだと思いますが、結局それは介護の部分については介護保険施設、 長期療養、いわゆる医療圏については療養型でお願いするという棲み分けに、いま現実 的になっているわけです。  結局、在宅で何で見れなくなっているかというと、これは療養の長期化、痴呆化、重 度化という三重苦です。これが在宅で堪えられないという状況をもたらしている。だか ら、これを何とかサポートしていく体制が整えられれば、国民は2割ですが、特にドク ターの先生方の5割は自宅でとおっしゃっていたわけですよ。だから、この現実をどう 変えるのかというところがキーポイントだと思うのです。ですから、政策もそこをどう 解決するのかという所に視点を置き、現実にどんどんドクターが往診なり訪問治療をで きるかというと、これもご苦労が多くてなかなかできないということです。そういう意 味で、政策の整合性が必要になっているのだと思っているわけです。だから、今まさに 池上委員がおっしゃったように、要介護4や要介護5が入所する傾向が強いと言っても、 現実にはいまは入所できないです。絶望的ですよ。  ですから、できればショートステイなりで支え続けて、在宅を支えるということが現 実政策だと思うのです。そういう意味での政策の重点化というか、こういうところがい ま実は非常に曖昧であり、政策が明確でない。それが国民の立場としても非常に困る。 この辺りは適切にご示唆をいただいたほうがよいと思うのです。 ○町野座長  書くのは非常に難しい問題だと思いますが、私もご趣旨は理解したと思いますので、 これから相談して次回には必ず出せるようにしたいと思います。 ○志真委員  このデータを見る限りでは、一般国民の側が自宅で過ごすのが難しいという理由は、 がんの末期も高齢者の場合も共通しているのです。そのことが全然書かれていなくて、 やはり国民はなぜ在宅で終末期を過ごすことを難しいと思っているのかというのは、し っかり書いたほうがいいと思うのです。そのことをしっかり書いた上で、それに対する 対応がいま求められている、という論理展開にしていただいたほうがわかりやすいかと。 そうしないと、全体として在宅で過ごすことについての説得力があまりなくて、施設の ほうにいま偏っている現状はやむを得ないというニュアンスが、ここでは感じ取れるよ うな気がするのです。 ○町野座長  わかりました。だんだん問題が大きくなって大変だと思うのですが、書き方として、 「痛みを伴う末期状態」が最初から出たために、問題がかなり矮小化されてしまったと いう感じは与えるかもしれないですね。全般的な問題の中の例示として、1つ末期状態 があるのですが、全体的に在宅というのは、非常に多くの人が困難を感じているという のが続いて、という具合に全体的に構成し直したいと思いますが、よろしいですか。こ の点についてありますか。次の「疼痛治療法」などの問題もいろいろありますが。 ○中川委員  これは今日、全部終わってしまうのですか。 ○町野座長  できれば今日少し時間をオーバーしてでも終わってという具合に思っていたのですが、 もちろん委員の方がさらに議論を尽くす必要があるということでしたら。 ○中川委員  やはり時間が決められていると、そのあとの予定などいろいろ引っかかってくるもの ですから、ある程度はお守りいただいたほうがありがたいのですが。 ○町野座長  もう15分過ぎましたので、次回もう1回、予備日で14日ですか。 ○田原補佐  私のほうから説明しますと、以前ご案内したときに次回の予定の予備日として6月14 日の午後2時からというのを入れておいたかと思います。もしこれ以上議論をするとい うことであれば、その予備日の際にもう1度議論していただきたいと考えていますが、 先生方のご都合をお聞かせいただきたいと思います。 ○時田委員  「疼痛治療法」とその説明の所は、先ほど説明も省略なさって、大体理解できている わけですから、あとは「終末期医療体制の充実について」という所です。 ○町野座長  予備日にやることとしては、最後の所と、今日ご議論があって、いくつかポイントが あったわけですから、その所をもう1回やるということで、よろしいですか。 ○中川委員  予備日は、最終の6月23日は駄目ですか。 ○総務課長  こちらで整理してご提案していただくと、1つの形として6月14日の14時からという ことで、この続きをやっていただく。その点で、今日5頁まで一応の整理、ご議論をい ただきましたので、6頁以降をやっていただいて、その6月14日の次に6月23日の10時 からというのも、一応、先生方の日程を頂戴しております。あと14日、23日という2回 やっていただくという1つの形です。6頁のVやVIは大体先ほどからもご意見が出てい るということであれば、この6月14日というのを使わずに、今日のご議論を踏まえて直 したものを6月23日に提出して、ご議論していただくという方法と、どちらかだろうと 思っております。 ○中川委員  皆さん忙しい方ばかりですし、後半のことは意見があれば事務局に出す、ということ でよろしいのではないかと思うのです。 ○町野座長  予備日を使わずに23日に今日の議論の続きとかなり直した所などを踏まえた上で。 ○中川委員  前もってその資料を送っていただいて、23日に最終議論をするということで、よろし いのではないかと思います。 ○町野座長  皆さん、そういうことでよろしいですか。 ○角間委員  もしかしたら23日は無理かもしれないので、今日のうちにちょっとだけ言っておきた いのです。統計の専門の立場から言わせていただきたいのですが、本文の所ではなくて、 たぶんデータを出すところだと思うのです。8頁の調査の目的、期間、対象に関しては 簡単な質問があるのですが、調査実施の方法に関しては、全然記載されていないのです。 前回の報告書もそうだったのですが、対象者の抽出法、あるいは意識調査票がどのよう に対象者に行き渡ったかという記述がないと、データの質を評価する場合にできないで すね。科学的な方法でこのデータが取られたということをちゃんと証明するという意味 でも、そういうテクニカルな部分はちゃんと入れておいたほうがよいと思います。 ○町野座長  ありがとうございました。それは事務局と先生で連絡をとった上で。 ○中川委員  8頁に、調査対象の人がこういう形で「20歳以上の一般国民」ということだけで書い てあるのですが、私はやはりここは大事なので、もっと詳しくこの全体の資料のいちば ん最後に書いてある「病院、診療所、緩和ケア、訪問看護施設」と出ているものを、す べて載せていただきたいと思うのです。そうしないと、どういう方か所属がわからない と、やはり考えるときに問題だと思います。よろしくお願いします。 ○町野座長  ほかにありますか。今日は私の不手際により時間をオーバーいたしまして、申し訳ご ざいませんでした。先ほどのお話にありましたとおり、23日に報告書をまとめるという 前提で、ただし今日の議論の論点の残りの所をそこでやって、同時に今日ご議論がいろ いろあった所を事務局のほうで修正していただいて、それも議論した上で、23日に最終 的にそれをやりたいと思います。午前10時からの2時間ですか。 ○田原補佐  6月23日は午前10時から12時を考えています。もし追加のご意見がある場合は、こち らでの作業がありますので、6月9日(水)を目途にいただければ、それを反映させる という形にしたいと思います。もちろん、それ以降でもご意見をいただければ、それを 反映するようにしますが、9日までにいただいたものについては全体に反映して、先生 方にもまたご相談していくことにしたいと思います。そのあとに出された意見について は、逐次反映させていくことにしたいと思います。 ○町野座長  23日の前に皆さん方にお送りしていただけますか。 ○田原補佐  もちろん、それは時間の余裕をもって送らせていただきたいと思います。 ○町野座長  今日は長いことどうもありがとうございました。あと1回でございます。どうぞよろ しくお願いいたします。 (照会先)   厚生労働省医政局総務課  03−5253−1111(代表)                    田原(内線2513)・上杉(内線2521)