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第15回 社会保障審議会年金資金運用分科会

議事録(案)



平成15年2月7日


第15回 社会保障審議会 年金資金運用分科会議事録(案)

日時: 平成15年2月7日(金)15:00〜17:06
場所: 厚生労働省 省議室(9階)
出席委員: 若杉分科会長、大和委員、小島委員、関山委員、高梨委員、米澤委員、
福井委員、吉冨委員、吉原委員、
議事
(1)年金積立金の運用の在り方についての検討
(2)その他

○泉運用指導課長
 それでは定刻でございますので、ただいまから社会保障審議会年金資金運用分科会を開催いたします。
 まず、委員の皆様の任期が前回の会議の後に満了いたしました。このため必要な手続を進めさせていただき、若杉委員におかれましては1月29日付で社会保障審議会委員として、また、ほかの皆様につきましては2月6日付で社会保障審議会臨時委員として任命の手続をとらせていただきました。お手元の別の封筒に、委員の任命に関する書類を入れさせていただいております。よろしくお願いをいたしたいと思います。
 また、こうした事情からいったん本分科会の会長及び会長代理が空席となっております。会長選出までの間、私の方で議事の進行を務めさせていただきたいと思いますが、よろしゅうございましょうか。

(「異議なし」と声あり)

○泉運用指導課長
 それでは、そのようにして進めさせていただきます。
 まず、新任の委員を御紹介いたしたいと思います。2月6日付で杉田委員にかわりまして関山豊成様が新たに委員に任命されました。関山様は株式会社日本経済新聞社取締役電子メディア局長をされております。
 では、関山様から一言ご挨拶をお願いできればと思います。

○関山委員
 日本経済新聞社の関山でございます。よろしくお願いいたします。

○泉運用指導課長
 次に、委員の出欠の状況でございます。本日は内海委員におかれましては御都合により御欠席とのことでございます。
 若干遅れていらっしゃる方がおられますが、御出席いただいております委員の皆様方は3分の1を超えておりますので、会議は成立していますことを御報告申し上げます。
 次に、分科会長の選任についてでございます。分科会長は社会保障審議会令に基づきまして、分科会に属する審議会委員の方の互選によるとなっておりますが、当分科会に属する委員は若杉委員お一人でございます。若杉委員に引き続き分科会長をお願いしたいと思いますが、よろしゅうございましょうか。

(「異議なし」と声あり)


○泉運用指導課長
 それでは若杉委員、よろしくお願いいしたいと思います。

○若杉分科会長
 それでは、皆様にお選びいただきましたので、引き続き分科会長を務めさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
 それでは早速議事に入りますが、その前に分科会長の代理を置くのが慣例ですので選任をいたしたいと思います。分科会長代理は社会保障審議会令に基づき分科会長が指名することとなっておりますので、引き続き米澤委員に分科会長代理をお願いしたいと思います。米澤先生、よろしいでしょうか。

○米澤委員
 よろしくお願いします。

○若杉分科会長
 では、よろしくお願いいたします。
 それでは、議事の本題に入りたいと思います。まず、事務局より配布資料の確認をお願いいたします。運用指導課長、お願いします。

○泉運用指導課長
 資料でございますが、お手元に座席図、議事次第のほか、まず資料1が「社会保障審議会年金資金運用分科会名簿」でございます。資料2が浅野様提出の資料でございます。資料3が芳賀沼様提出の資料でございます。よろしゅうございましょうか。
 なお、議事録につきましてはまだ作業が完了いたしておりません。完了次第、分科会にお諮りしたいと思いますので、御了承のほどをお願いいたします。
 また、前回までの配布資料をファイルにまとめまして机の上に置かせていただいておりますので、適宜御参照いただければと思います。
 では、以後の進行につきましては若杉分科会長にお願いをいたします。

○若杉分科会長
 本日は、年金積立金の運用の在り方について、第7回の検討を行います。年金積立金の運用の在り方については、これまでに当分科会において10月初めより6回にわたり精力的な検討を行ってきております。先週開催いたしました前回分科会におきましては、ゲストスピーカーをお招きし、株式のリスクプレミアムについて米国における株式のリスクプレミアムをめぐる論争なども御紹介いただきながら御説明をいただき、その後、委員の皆様方から活発な御議論をいただきました。
 本日の進め方としては、まずお招きしました2名のゲストスピーカーより御説明をいただき、その後、質疑を含め、委員の皆様に活発な御議論をお願いしたいと思います。
 まず、ゲストスピーカーのお2人について事務局より御紹介をお願いいたします。

○泉運用指導課長
 まず浅野幸弘様。浅野様は、横浜国立大学大学院国際社会科学研究科教授であられます。
 それからもう一方、芳賀沼千里様。芳賀沼様は野村證券株式会社金融研究所投資調査部ストラテジストであられます。

○若杉分科会長
 ありがとうございました。それでは、早速お2人のスピーカーからお話を伺いたいと思います。最初に浅野氏より御説明をお願いいたします。20分くらいでお願いたします。では、よろしくお願いいたします。

○浅野教授
 横浜国立大学の浅野でございます。私は「公的年金の株式運用」について話をさせていただきますが、まず最初に結論から述べますと、私は公的年金で株式運用を行うべしという考え方でございます。この点については多分これまでこの分科会で議論されてきた多数の方の御意見と一致するのではないかと思いますが、ではなぜそう考えるか、その意義はどこにあるのかという点、あるいは実際に運用をする主体とか方法はどうかという点についてはかなり違っているのではないかと思いますので、そうした点を中心に話をさせていただきます。
 論点としては、4点ほどございます。まず最初は「リスク負担と保険料」ということです。ここでは、株式投資というのはリスクがあるわけで、それに伴って期待リターンが高いわけですが、そうしたものを組み入れることによって財政状況が改善されるため、保険料の引上げを先送りするというようなことに使われる懸念がある、そうした点を注意しないといけないということを申し上げます。
 2番目に、そうした点に留意すれば株式運用というのは非常に意義があるということを述べさせていただきます。次いで、しかしながら、最近はデフレだから株式投資は余りリターンが高くないんじゃないか、むしろ低いんじゃないかというような懸念が持たれておりますので、それについて私の考えを述べさせていただきます。
 そして、最後に株式投資をやるとしても実際に運用主体はだれになるのか。果たしてパッシブかアクティブかというような問題が出てきますので、それについて触れさせていただきます。
 まず最初にリスク負担と保険料ということですが、積立金は将来の負担を緩和する役割を持っております。我が国の社会保障は基本的には賦課方式になっておりますが、賦課方式を純粋に行いますと人口構成の変化などで負担が非常に重くなったり、言ってみれば世代間での負担の公平性という観点から問題が生じたりします。積立金はそうした負担の極端な不公平さをならすというような役割をしています。そのために前もって保険料をためておくというような役割を積立金は持っているのではないかと思います。こうした積立金は高い運用の利回りが得られれば、当然財政状況は改善されるわけで、保険料の引上げをしないで済む。そんなふうに受け取られがちになるわけです。
 しかしながら、これには若干の問題があります。というのは、株式投資をすることによって期待リターンが高くなりますが、それを予定利率に組み込んで保険料を計算するということは、得てして前の方の世代に余り負担をさせないということに使われることになります。しかしながら、期待リターンが高いというのはリスクもあるということですから、将来リスクが顕在化してというか、思ったような期待リターンが上がらなくて将来の世代に負担が重くなるというようなことも起こり得るわけです。
 言ってみれば、将来の世代というのはリスクを負っているのですが、その株式投資の期待リターンが高いのを、前の方の世代の保険料の引上げを回避するために使うというようなことが行われると、将来の世代はリスクだけを負って高いリターンを享受できない、言い換えるとリスク調整後の負担という意味では重くなってしまうというようなことが起こりかねないわけであります。
 そうした問題はありますが、その点を十分留意して保険料の計算を行うというようなことが行われれば、公的年金で株式運用をする意義は非常に高いというふうに私は考えます。それは言うまでもないことですが、将来の世代が高いリターンを保険料の引下げという形で享受できる可能性が高いということです。
 更に、株式運用を行うことによって経済変動、例えば実質成長が高くなるとか、インフレ率が高くなる、あるいは逆のこともあるかもわかりませんが、そうした変動のヘッジになるという役割を株式投資は持っております。
 理論的に言っても、実を言うとファイナンスの理論では短期投資と長期投資の場合を比べると、長期の場合にはリスキーな株式の運用が増えるというようなことが言われております。それは、実を言うと投資機会が変動する場合という条件が付くのですが、投資機会が一定、つまりリスクとリターンの関係がずっと変わらないのであれば、短期でも長期でもリスキーな資産の割合は変わらないけれど、長期になると投資機会が変わる、つまり、期待リターンだとかリスクが変わるような場合には、むしろリスキーな資産を余分に持つことによってヘッジができるという形になっております。
 こういう意味で株式投資は意義がありますが、しかしながらそれは個人一般にとってという話でありますから、個人が十分株式投資ができるのであれば、あえて公的年金で株式投資をする意味はないとも言えるわけであります。しかしながら、実を言うと個人の株式投資には非常に制約が多うございます。
 1つは、借入れに制約があるということです。一般に理論では若い人ほどリスク許容度が高いから株式投資を増やすべきだと言われていますが、現実には株式投資をしている人は若い人の方がうんと少なくて、大抵は年寄りが株式投資をしているという状況です。この大きな理由は、個人の借入れに制約があるということです。若い人がお金を借りて株式投資をするというようなことはできません。あるいは人生の途中でいろいろお金が要ることがあります。そのときにいつでもお金を借りられるならリスキーな株に投資をしてもいいのでしょうが、借りられないとなると少ない資産を全部安全な資産で持つということになるのであります。
 2番目の制約としては、株式投資のコストが高いということが挙げられます。取引コストが個人だと小口ですから相対的に高くなるということに加えて、多分それ以上にと言った方がいいかもわかりませんが、株式の調査をすること、どの銘柄を選んだらいいかとか、今は株式が買い時かどうかとか、そんなような調査をすることが個人にとっては非常な負担になるのです。
 更にリスクという点から見ても、株式のリスクというものが個人が投資する場合にはほとんどプールされない、余りと言った方がいいかもわかりませんが、プールされないという問題があります。
 それは、例えば同じ年代あるいは世代の人が同じように株式投資をしたとしても、どんなに能力の高い人がやったとしても、結果は運によって大きく差が出るということです。更に少し世代が変わると、世代というほどの大げさなものではなくても、年代が少し違っただけでもと言った方がより正確かもわかりませんが、たまたま相場がいいときに買って売ることができたか、そうじゃなかったか、日本の例で言うと、80年代に定年を迎えて株をみんな年金化していたか、それとも90年代に入ってからかということで大きな差が出てしまいます。そういう意味で、個人にとっては株式投資というのはやはり表面的な数字で見る以上にリスクも大きいと言わざるを得ないと思います。
 こうした点から個人の株式投資に代わるものが必要だということになるわけですが、そういうと企業年金で大体みんなやっているじゃないかということになろうかと思います。
 ところが、実を言うと企業年金での株式投資は個人にはおよそ関係ないものです。なぜかというと、ここで企業年金と言っているのは確定給付型を想定しているのですが、確定給付型では株式投資をしようがしなかろうが、給付額というのは確定しています。金額が変わらないという意味ではなくて、一定のフォーミュラーで決まっているという意味です。そういう意味では、個人は株式投資のリスクは全然取っていません。経済が活況を呈して株式のリターンが高くなっても、その果実を享受することはできないわけです。
 逆に不況の場合でもその負担を負うことはないということになるわけですが、では株式のそういうリスクはだれが負っているかというと企業、更に言うと企業の収益を通じて最終的に株価に反映されるわけですから、リスクは株主が負っているということになります。企業年金で株式投資を幾らやっても、その最終的なリスクというのは従来からいる株主のところに全部かかってきているということです。ですから、その株主がそのリスクに対してどう反応するかにかかっているのでして、年金の加入者は関係ないということになります。
 実は、このことはリスキーな資本の提供という意味でも非常に微妙な問題をはらんでいます。企業年金が株式投資をしてリスキーな資本を提供しているかのように見えても、その企業の株主がそのリスクを負担することを十分承知して資金を出していない限り、もしそのリスクが増えたからと株式投資を控えるようなことがあったとしたらリスキーな資本の提供は増えないということであります。
 そうした点からすると、公的年金の株式運用というのは個人あるいは企業年金に代わるものとして本当に加入者に株式のリスクとリターンを享受させるものだということができますし、別の面から見るとリスキーな資本を提供することによって経済成長につながっていくということになります。実はこの点は非常に重要なことでして、賦課方式の年金というのは人口構成ととともに経済が成長するかどうかにそのフィージビリティは関わっているのでして、その意味では積立金をそうした株式で運用することによって経済的な年金の成立する基盤を強めるといった機能を果たしているということになります。
 逆に債券の場合はリスクがないように、表面的なシグマだとか何とかという指標ではリスクがないように見えるかもわかりませんが、リスキーな資本を提供しないということによって経済成長が阻害されるようなことがあると、加入者である国民全体はかえって経済的な厚生が低下するというようなことも起こりかねないというふうに言えるのではないかと思います。
 ところで、そうは言ってもデフレ下では株式の期待リターンは低いのではないかという意見が出てくるかと思います。しかしながら、この議論には2つの大きなポイントといいますか、問題があろうかと思います。1つは、本当にデフレなのかということです。デフレというと我々は1930年代のアメリカを思い起こしますが、当時アメリカは失業率が25%にもなろうとしていたし、実質GDPも相当なスピードで減少するという状況でした。物価も数%の下落をし、金利はというと、短期金利はゼロですが、長期金利は国債でも3、4%、社債に至っては10%くらいというような状況だったわけで、実質金利は非常に高かったのです。
 我が国の現状は、あるいは今後そんなことが起こるかというと、それとはおよそ似ても似つかないのではないかと思います。全く可能性がないとは言いませんが、その可能性は非常に低いのではないか。そういう点で、デフレだったら全くだめだとか、デフレだからという議論は注意を要すると思います。
 それに対して株式市場、株式のリターンをどう考えるかということですが、将来を予想することは非常に難しいので、私は現状をどう判断するかということで議論すべきだと思います。そうした点から考えると、私はデフレの可能性というのはむしろ株式市場にかなり余分に織り込まれているくらいの状況ではないかと思います。日本の株式相場を振り返ると、2000年から3年間続けて下がってきて現在は半分以下になっています。配当を込みにしてもリターンで見て3年累計で50%のマイナス、年率にすると20%強のマイナスということになっています。
 では、この間、企業の利益はどうだったかというと、今年度の見込みを込みにしての話ですが、1999年と比べると若干のプラスになっています。では、なぜ株がこんなに下がったかというと、PERが50、60倍だったのが半分になったからです。PERが半分になったのはなぜかというと、それは株式のリスクプレミアムが非常に大きくなったからです。皆、株式はリスクがありデフレになるかもわからないからということで、いわゆる割引率を非常に大きくしたということです。しかし、これは逆に言うと期待リターンは昔と比べると非常に高いということを意味するのであります。もし株式投資について問題ありとするのなら、PERが50倍、60倍だという昔の話であって、今はむしろその逆ではないかというのが私の感想、意見です。
 それに対して債券のリターンはどうか、過去高かったんじゃないかということになろうかと思いますが、それは金利がどんどん下がってきたからであります。それと同じことが今後期待できるかというと全くありません。債券投資は実質のリターンが高いと言えるのは今後よほどのデフレ、物価下落が起こるという場合しかあり得ないのであります。
 そういう意味で私は株式投資を肯定的に考えているわけですが、もう一つ、株式投資をするとしても公的年金の場合、実行の主体はだれなのか、運用の方法はどうなのかという問題があろうかと思います。これについて、まず運用基金が直接アクティブ運用をすることも考えられないではないですが、それには銘柄選択とか議決権行使に政治的判断が介入するという問題があります。
 では、運用基金がパッシブ運用をするのはどうかということになろうかと思いますが、私はこれについても反対というか、問題ありと思っております。パッシブ運用とはどういうものかというと、市場で形成された株価をそのまま受け入れるということになっています。それは、ある意味ではただ乗りということになります。民間がアクティブにコストをかけて運用して価格を形成したものをただで借りるというわけであります。
 しかしながら、私はそれは非常に問題があると思っております。というのは、公的年金のような大きな規模の資金が価格形成に参加しないということによって価格形成力、市場の機能というものが弱められるおそれがあるということですし、また民間のそうした負担に公的な部門がただ乗りしていいのかどうかという問題もあろうかと思います。むしろパッシブ運用を大きな規模で公的年金がやる場合には、大量の売買による価格のゆがみを生じます。それは目に見えないコストとなって跳ね返ってくるという可能性もあるのではないかと思います。
 では、どういう形で運用するのがいいかというと、私は現在とられているような民間への委託によるアクティブ運用というのが望ましいのではないかと思います。アクティブ運用をすることによって価格形成に参加する。そして、市場の機能を高めることによって回り回って経済成長に貢献する。それが年金の基盤を強くするということになるのではないかと思うわけであります。
 それからもう一つ、民間にアクティブ運用で委託するということは、当然民間企業の場合には競争というものがありますから、そうした競争を通じて運用機関のガバナンスが働き、コストは節減でき、願わくばということはあるんですが、リターンも向上することが期待できるのではないかと思います。
 最後にまとめとして、公的年金の場合は民間の企業年金の運用とは違って、規模が大きくてその行動自体が経済成長に影響を及ぼしたり、あるいは価格形成というか、市場の機能に影響を及ぼしたりするということ、それは逆に言うとそれを適切に行えば経済力を強化して年金の財政も強化されることにつながることを申し上げたいと思います。
 以上です。どうもありがとうございました。

○若杉部会長
 浅野さん、どうもありがとうございました。
 それでは、続きまして芳賀沼氏より御説明をお願いしたいと思います。芳賀沼さんからもやはり20分程度でよろしくお願いします。

○芳賀沼氏
 野村證券金融研究所の芳賀沼と申します。どうぞよろしくお願いいたします。 それでは、資料3の方を使って御説明させていただきますが、今、浅野先生からお話がありました中での3つ目のポイント、デフレ経済の下では株式投資を避けるべきか。この部分につきましてポイントを絞って私の方は御報告をさせていただきたいと思います。
 結論としてお話をさせていただきたい点は大きく3つでございますけれども、1つ目は過去の歴史を振り返った場合にデフレ経済イコール株式の投資リターンが低いわけではない。この事実を確認をさせていただきたいと思います。
 そして、その事実に基づきまして2つ目ですけれども、過去10年余りの日本株が大きく下がった理由は何か、実現リターンが低かった理由は何かという点を考えますと、高過ぎた株価が妥当あるいは割安な水準にバリュエーション修正が起きたんだということと、企業業績が大きく悪化したという、この2つだと思います。ですから、デフレが問題なのではなく、バリュエーションと業績、これを見ていくのが株式投資を考える場合の基本になろうかということでございます。
 3点目に、ここはそれぞれの方の判断が入る部分だと思いますが、現状をどう見るかということで、その業績、バリュエーション、その点を中心に自分なりの考えを簡単に最後に申し上げたいと思います。
 それでは、お手元の資料で1ページ目のところをごらんいただきたいと思います。まず過去のアメリカの株式市場のリターンというのを10年単位で振り返っているデータが今イボットソンという方から出ております。御案内のとおり、株式の過去を振り返りましても、例えばダウ工業株などを例にとっても、この指数ができましたのは1896年であったと思います。その前はダウ20とか30とかあるんですけれども、指数として株をとらえるというのは余りございませんで、結局デフレの時代といいますと過去10年余りの日本の経験と、1930年代の大恐慌のときの経験がしばしば引き合いに出されるわけでございます。
 ただ、物価が下がっていたということを考えますと、19世紀には何回かそういう局面が、しかもある程度長い期間続きました。その典型的な例が、この19世紀の後半に当たります。それで、このときの株式投資のリターンはどうであったか。真ん中ぐらいのところの丸にございますトータルリターンというのを見ていただくとわかるんですけれども、必ずしも悪いわけではございません。これは債券の利回りと単純に比較するのは無理なんですけれども、クーポンとか債券の期間が明確にはわかりませんので、あくまでも一つの目安ということで利回りと株式のリターンを比べていただく。その趣旨から、数字の方をお持ちしてございます。
 では、この19世紀後半というのはどういうことが起きたかということでございますけれども、この辺は皆様の方がずっとお詳しいかもしれません。私はあくまでも今の株をどう見るかというのが仕事の中心でございますが、2つぐらいの理由から物価がかなり持続的に下がりました。
 次の2ページにその物価の主要国の状況を示してございますけれども、1つは産業革命でございます。イギリスを中心に始まった産業革命が、19世紀後半にはアメリカあるいはドイツという地域に広がりまして、鉄鋼とか機械とか、こういったところで飛躍的に生産性が伸び、価格が下がりました。
 2つ目は当然それと関係するんですけれども、ある意味では輸送革命ですね。価格の下落でいいますと、農産物の価格の方がより大きいわけでございます。これはアメリカにおきまして飛躍的に鉄道網が発達しまして、アメリカにおける農産物が汽車で運ばれ、そして海を渡りヨーロッパに入ってきたということで、ごらんいただきますとおりヨーロッパで1873年、イギリスの大不況が始まったときを100としますと、ざっと25年くらいで4割、アメリカでは5割近く下がります。ですから、年率2%から3%くらいで平均的に物価が下がったということになります。
 では、この当時、株式のリターンが先ほどごらんいただいたとおりそんなに悪いわけではございません。では、1930年代と何が違うんだということが問題になるわけでございますが、次の3ページをごらんいただきますと、1つ目のポイントは株価のバリュエーションということだと思います。この辺もあくまでもさまざまな推定があるということはお許しいただきたいと思います。シラー教授の推定でございます。元はこの方の直接のものではなかったと思うんですけれども、アメリカの長期のPERの推移を見ているのがこの3ページ目のグラフでございますが、今、議論をさせていただいております19世紀の後半ですね。
 すみません。データが1881年からしかございませんでしたが、1880年代、90年代というのは大体15倍から20倍ぐらいのPERで推移してございまして、当時の長期金利は3%から5%ぐらいでございます。それに対しまして30年代、株式投資のリターンが悪かったというのは問題はその前でございまして1929年、いわゆる1920年代のある意味ではバブルの結果、PERが30倍を超えていたということでございますから、1つ目のこのリターンが大きく違った理由は何かということのお答えはバリュエーション、そのときの株価が割安であるかどうか、ここが大きいということになります。
 ここで1点だけ補足をさせていただきたいと思います。DDMとか、そういった理論的なバリュエーションは今日は私の方からは特に御報告しませんが、それと絡んで1つこのグラフで見ていただきたいと思いますのは、一番下のところにコンドラチェフサイクル、いわゆる物価循環の谷と山、これは人によって分け方が違いますけれども、それを示してございます。
 何が申し上げたいかといいますと、そうは言っても何回かPERが大きく下がっているときがございます。10倍以下ですね。6倍とか、そういった水準があります。これは1930年代、32年くらいにボトムをつけているはずですが、それを除きますとコンドラチェフの山に当たる、つまりインフレ局面にPERが低いということでございます。つまり、金利が高い結果、株式に求めるリスクプレミアムを一定にすれば、割引率が高いからその結果PERも低くなるんだということになります。
 ですから、DDMなどが示す結果とある程度整合的であって、今よく言われますのはデフレだからもうバリュエーション、過去の経験則は効かないんだという議論がごさいますが、そうではない。物価が上がる下がるというのは事実として、より大事なのは期待でございますけれども、事実としまして、この物価の状況は株だけではなく債券、長期金利等の利回りにも影響を与えますので、このバリュエーションの考え方が昨日までは使えたけれども、今日あるいは未来は使えないということでは決してない。これは仮にデフレであったとしてもそうだ、そんな点をひとつ確認をさせていただきます。
 それでは元の議論に戻りますが、4ページをごらんいただきまして2つ目ですね。この19世紀後半と1930年代は何が違うかということでございますけれども、これは企業業績が大きく違うということでございます。あるいは、その背景にございます景気ですね。景気の方でいいますと、30年代というのは鉱工業生産で見まして、当時は製造業生産だったかもしれませんが、ピークからボトムまで46%ぐらい落ちております。この利益で見ますと7割ぐらい下がっておりますので、実は業績あるいは景気の悪化が株の下落の大きな理由だったというふうに申し上げられます。
 それに対しまして、1870年代から90年代にかけましては大体横ばいでございます。ただ、これは今と違う事情があると思います。経済の方はこの期間ずっと拡大しています。先ほど申しましたとおり産業革命の広がっていた局面でございまして、年率5%強ぐらいで鉱工業生産が伸びております。それで、この利益が伸びないのは株数が増えたためではないかというふうに思われます。当時のデータを引っくり返しますと法人の利益というのを探すのが最も難しくて、法人形態というのが今ほどしっかりしていなかったというふうに考えられます。それで幾つかの文献によりますと、当時は企業の経営者が割と自由に資金調達、つまりファイナンスを行ってしまう。特に当時は鉄道株が圧倒的に多いですから、どんどん資金ニーズの調達を行った結果、1株当たりで見ると利益あるいは株価が上がらなかったということだと思います。ただ、その分、配当が高く、結果としてトータルのリターンはそれなりに高いということが申し上げられます。
 5ページの方は省略をいたしますが、19世紀後半はある意味では伸び盛りのアメリカでございましたので、今の日本には当たらないという御指摘もあろうかと思いまして、一応数字の上でイギリスの19世紀後半の事情を示してございますけれども、債券のリターンよりは株式のリターンの方がある程度の長期の平均で見ると高いということがイギリスの場合にも申し上げられます。
 さて、それではそういった経験を踏まえまして6ページ目から90年代の日本ということで、過去10年間なぜこれだけ株価のリターンが悪かったかということを確認させていただきたいと思いますが、まさに今、申し上げました2つの点ですね。バリュエーションと企業業績という、これでかなりの部分を説明できるのではないかと思います。
 まず6ページでございます。PERでありますとか、そういったオーソドックスなバリュエーションの方がよろしいかもしれませんが、この基準の大きな問題点は90年代は企業業績が悪化しているので、結果としてその期の利益を基準にするPERは必ずしも妥当なものではない。本来はノーマルな利益を基準にしたPERで考えるべきなんですけれども、それが難しいということから非常にざっくりとですけれども、マクロの経済規模と時価総額を比較するということで見ていただいております。
 上の方のGDPで仮に申し上げるといたしますれば、80年代末は東証一部の時価総額で見ましても600兆円弱ございまして、当時のGDP、ざっと400兆円の1.5倍ですね。正確には143%でございますが、そこまで達しました。たしかタルブレイス教授だったと思うんですけれども、日本の株は非常に高いというようなコメントをされたことを記憶しております。
 これが現在50%を割る水準まで下がってきているということでございますから、やはり10年前くらいはかなり高かった。先ほど浅野先生がおっしゃいましたとおり、当時のPERはピーク水準の利益に対して50倍ぐらいでごさいましたから、やはりかなり高かった。それが修正されたんだということが1つ目だと思います。
 2つ目は、企業業績の問題でございます。7ページでございますけれども、この企業業績を考えていただく場合、利益の水準でもいいんですが、ROEという自己資本利益率ですね。この基準で見ていただきますと、日本の企業におきましても大体1980年くらいまでは10%強くらいで推移しておりました。これは製造業ベースで、過去の統計は日銀の主要企業経営分析に頼っております。いずれにしましても、大体10%ぐらいで推移しておりました。ある意味では、このころは日本型のガバナンスが効いていたのではないか。そういう意味では、企業経営に対する規律が働いていたというふうに考えてございます。
 これが80年代くらいからさまざまな要因があると思いますけれども、大手の企業は証券市場等を使って資金調達が可能になる一方、大手の金融機関が大企業向けの融資から経営を脱皮できなかった。この辺が大きい問題だと思うんですけれども、結果として十分な規律、ガバナンスを果たすことができず、このときから実は収益性は大きく悪化しました。これが、80年代までは経済の量的な拡大によって利益の水準になりますと表面化しなかったんですけれども、90年代以降、現実の収益の悪化、業績の悪化というふうになります。ですから、90年代に何回かこのROEで見ましても2%とかそれ以下、金融機関等を含めたトータルで見ますとある年度によってはマイナスというときもございまして、これが株価が下がった2つ目の理由ではないかと思います。
 ですから、過去の株式市場、当然この実現リターンと将来の期待リターンを分けて考えなければいけないわけですが、この90年代に何が起きたかということは、デフレだから株が下がったのではなく、やはり業績の悪化とバリュエーションの問題だと、ここを確認していただいてよろしいのではないかと思います。
 それでは、最後にそういった認識に立って足下をどう見るのか。ここはそれぞれの判断があると思いますので、かなり私の主観的な判断も入るということをお許しいただいた上で、幾つか数字を使いながら申し上げたいと思います。
 まず1つ目にバリュエーションでございますけれども、私は現在はかなり株価には割安感があるのではないかと思います。1つその証左として時々使われておりますけれども、配当利回りですね。ですから、株のトータルリターンの中でこのインカムの部分だけで見ましても長期金利よりも高いということでございます。過去19世紀あるいは1900年代の前半までさかのぼれば、当然長期金利よりも配当利回りが高い局面がありますから、もうこの状況が異常ですぐに配当利回りが低くなるとは申しません。しばらく配当利回りが高いという状況が続くかもしれませんが、いずれにしましても日本においては過去40年余りなかったということだと思います。
 あるいは少し余談となりますけれども、今後日本の企業に求められるのは配当政策を変えていく。過去ほど新たな投資機会というものを持たない。マクロ全体で資金循環表などで見ますと、日本の企業部門というのは資金余剰ですから、どんどん先行投資をするのではなく、収益を上げた分は配当で株主に還元する、そういう経営が出てくれば、現在日本の株式市場のPER、私どもが集計しておりますNOMURA400ベース等で見ますともう20倍を切っておりますので、仮に配当性向が50%まで高まれば配当利回りが2.5%ということも十分毎期毎期の利益の中から達成可能だということになります。
 逆に9ページの方、先ほど浅野先生からもございましたけれども、債券の方がもしかするとちょっと割高感が出ているということだと思います。債券の方はなかなかこれはというバリュエーションは私は専門外でもございますし、明確には申し上げられないんですけれども、一つの目安として考えておりますのが、消費者物価を差し引きました実質金利で3%くらいというのが主要国においては居心地がいいなということになります。そうしますと現在長期金利、10年債で見まして非常にざっくりとした議論で申し訳ございませんが、1%と置かせていただきましても、物価下落率が2%くらいでずっと続く、これを前提としたぐらいの価格になっている可能性があるということでございますので、逆にバリュエーションを重視するのであれば一方的に債券だけというのが本当にいいかということも考えていただきたいというふうに思っております。
 10ページのところで、ちょっと聞き慣れないバリュエーションかと思いますが、1点だけ付け加えさせていただきたいと思いますのが自社株買いでございます。これは最近しばしば日本でも話題になっております行動ファイナンス、ビヘービアルファイナンスの分野におきましては大体実証分析においてはコンセンサスになっているのではないかと思いますが、ファイナンス、資金調達ですね。それの逆を自社株買いというふうに位置付けていただきますと、インサイダーである企業経営者が積極的に自社株が市場に出ております株式をある意味では回収する理由は何かと考えますと、これは株で資金を調達しておくことが不利な状況だ。それだけ投資家から見ると割安になっている可能性が高いということでございます。
 ちょっとわかりづらいかもしれません。この自社株買いの逆ですね。市場から資金を調達するケースを考えていただきたいと思います。企業の場合、当然ですけれどもエクイティ、株式という形で資金を調達する方法と債券、社債ですね。あるいは融資という形、デットで資金を調達する形と両方選べるわけでございます。その場合に、社債の発行ではなく株式で資金調達するということは、その状況において株式で資金を調達した方が有利だということになります。ですから、これは逆に投資をする方からしますと、株式が資金を調達するのに魅力的ということですから、投資の対象としては余り魅力的ではないケースが多い。これが一つの説明として使われます。
 それで、実際にはこういった資金調達の多い企業はその後の投資リターンというのは低い。逆に、自社株買いなどを行っている企業の投資リターンは高いということが実証分析の結果言われますけれども、現在の日本はインサイダーと言うんでしょうか、インサイダーというのは決して悪いという意味ではなくて一般的な投資家よりもより多くの情報を持っているという意味でのインサイダーですね。この経営者が積極的に自社株部買いをやっている理由というのは、単に持合い解消とか、そういう理由だけではなくて、今の株価水準が割安だという判断の表れだと、こういう部分も考えていただいているというふうに思っております。
 2つ目で、企業業績についての考え方でございます。11ページは省略をさせていただきますが、労働分配率の上昇というのが過去10年余り、日本の企業業績の悪化の背景にはあったというふうに考えてございますが、こういった労働分配率という視点で見ると何が言えるかというのが12ページの方でございます。足下で賃金が下がっているというのは、非常にある意味では驚くべきことだと思います。OECDの統計などを見ましても、先進主要国の中で賃金が下がっているというケースはほとんどございません。古くまではさかのぼれてございませんが、ここ10年余りを見る限りでは1998年のイタリアでそういうケースがあったぐらいだと思います。日本はごらんいただきますとおり、98年以降ずっと基調としてはマイナスですし、特に足下は所定内給与、つまり月例給もマイナスになっているということでございますので、今後労働分配率が下がっている、あるいは足下も実際に下がっている可能性が高いということではないかと思います。
 こういう意味からしますと、デフレという議論に戻りますと、全般的な物価の下落がいけないのではなく、90年代の大きな問題点というのは企業からしますと売上げを決める製品価格が下がって、コストである賃金等がずっと実質ベースで上がってしまったということが大きいわけで、現在はその逆でございます。言い方を換えれば、特に働いている人たちからしますと、現在の収入というのがなかなか伸びないわけですから、ある意味ではこの株式投資を通じて企業により多く分配されている利益、これをある程度手にするということがむしろマクロ的に見ると必要だという言い方もできるのかなと考えてございます。 大体予定の時間をいただいてしまいましたので、あとは14ページ、15ページのところで1点だけデフレの議論について確認をさせていただきたいと思います。デフレの定義そのものをすべての方が同じように使っているわけではないと思います。今日私の方で使わせていただいている場合には、持続的な物価下落だということでお許しいただきたいと思うんですけれども、そういった物価の側面に注目しますと、足下で物価下落が加速しているわけではないということはひとつ見ていただきたいと思います。すぐまたこの後にインフレになるとか、そんなことを申し上げるつもりは全然ございません。そう簡単に物価が上がらない仕組みがいろいろな形でできていると思いますが、14ページのグラフの示唆していることは少なくとも物価下落率が足下で加速しているわけではないという事実でございます。
 よくこの物価の問題で出てきます中国とこの問題でございますけれども、15ページをごらんいただきたいと思います。アジアの国々は間違いなく世界の工場ということで供給力を高めるという側面があるわけでございますが、一方では間違いなく大きな消費地になってきていますということだと思います。特にその典型的な部分が材、素材絡みのところでございますが、ここは鉄鋼の例で示しておりますけれども、鉄鋼とか化学といったところの価格上昇はむしろ特に中国等の輸入が大きいということですから、今後経済のグローバル化という流れは間違いなく続くんだと思いますけれども、ただ、それがデフレを必然的に続くものだという判断で見るのは必ずしも正しくないのではないかと思っております。大体以上の点、足下の経済とそれを受けての株式の投資の判断、そんなことで御報告とさせていただきたいと思います。

○若杉分科会長
 どうもありがとうございました。
 それでは、ただいまのお2方の説明に基づきまして質疑を含め、委員の皆さんから活発な議論を出していただきたいと思います。どうぞ、いかがでしょうか。

○関山委員
 浅野先生の最後の株式運用の方法というところで、委託のアクティブ運用が望ましいということで、理論的にいくとそういうことになるのかもしれませんけれども、現実のプロセスを見ますと、少なくとも今の日本のように往来相場というか、こういうものが続いている時期には、いわゆるアクティブ運用というのがやはりベンチマークをアウトパフォームできない。少なくとも手数料の部分だけ確実に下がるわけですから、そういうような歴史的な事実の中でパッシブ運用が広がっていったということがあるんじゃないかと思うんです。多分、日本もそういうプロセスをたどっていると思うんです。
 したがって、アクティブ運用がいいんだというと、アクティブ運用をしたときに逆にそのコストが上がってしまうというか、委託者のコストが上がってしまうというような問題がこれまでの経験ではなかったかと思うんです。では、私もアクティブがいいのか、パッシブがいいのか、どの辺の比率がいいのかはよくわからないんですけれども、こういう歴史的な事実とこの理論とをどういうふうに考えたらいいでしょうか。

○浅野教授
 アクティブ運用をやれば、コストがかかることは間違いありません。一方で、だれかにコストを負担させてただ乗りをすれば相対的に有利になるということも間違いありません。
 けれども、もしそうして皆がパッシブになってしまったらどうなるんだろうか。株式市場は成立するんだろうか。株式市場はある意味では国民経済の基盤です。ですから、それに対して皆それ相応のコストを払ってその機能を増すということが必要だということを私は申し上げたいのです。
 では、事実としてパッシブの方が得だから、皆パッシブにすべきじゃないかという議論もできないわけではないですが、ではその先どうなるのか考えてみなさいというのが私の言いたいことです。
 それともう一つ、アクティブ運用というときに、どうも皆インデックスの対比ばかり考えています。その結果、株価が高過ぎるか十分低いのかということは判断せずにとにかく買ってしまいます。それがバブルの時代の株高であり、その後90年代を通じてもなかなか調整されなかった大きな要因だと思います。そういう意味で、やはり株式投資の基本はアクティブに運用する、株価の判断をしてその判断の基になるような収益などをきちんと予測して、それを判断して投資するということが必要だということです。
 それで、公的年金のような大きな、しかも国民共有の資産というものを運用するのであったら、やはりそうした株式市場の機能を向上させるように、そしてその果実を国民が共有できるように運用していくべきだと私は思っています。もちろん民間の運用機関の中には優れた者ばかりいるわけではなくて、中には余分なコストをかけるところがあるかもわかりませんが、そうしたものは運用評価をきちんとやって入れ替えていく、あるいは淘汰していくというようなことをすれば十分対応できるんじゃないでしょうか。
 確かに、そうしたアクティブ運用に伴うコストは結構払っているでしょう。多分何百億円という規模になっているかもわかりませんが、運用総額から言えば微々たるもので、それぐらいコストをかけてやっても当然じゃないかというふうに私は考えます。

○若杉委員
 今の整理の意味でお伺いするんですけれども、パッシブというのは定義によるんですが、十分分散投資をするということと、長期保有というのがパッシブの基本的な意味なんですが、浅野先生もそれは基本的には考えておられるわけですね。

○浅野教授
 長期投資で十分、分散投資する。これはもちろんです。リスク管理の面でそうすべきことは当然で、短期で回転売買をして余分なコストをかけろというつもりは毛頭ございません。

○若杉分科会長
 ということは、例えばトピックスであれば投資の全銘柄を含むんですが、単純にそういうようなものをベンチマークとしてやるべきではないというふうに受け取ってよろしいんでしょうか。

○浅野教授
 はい。

○若杉分科会長
 では、小島委員どうぞ。

○小島委員
 2ページの株式運用の公的年金の意義のところで浅野先生が指摘された点なんですが、私は聞き逃したか、あるいは理解が悪いのかですが、2ページの「株式運用の意義」ということで企業年金、それも確定給付の企業年金ということで御説明がありましたけれども、それでは企業年金で株式運用をしている場合、株主が増えない限りリスク資本は供給されないという説明ですね。公的年金が株式運用をした場合にそのリスク資本が供給されるということですが、この場合も同じように株主が増えない限りリスク資本が供給されないのは、同じじゃないかというふうに思うんですけれども、そこはどういうふうに理解するんですか。

○浅野教授
 企業年金の場合は、株式投資をして、リターンが上がった、あるいはリターンが上がらなかったとしたら、その結果は、企業の収益を通じて全部株価に反映されるのです。
 ということは、その企業の持ち主である株主が最終的にリスクを全部負っているということです。ですから、企業年金を除いた本当の純粋な個人投資家が増えない限りは、株式投資のリスクを負担する人はいないということになります。
 公的年金であれば、企業という擬制のものが間に絡まっているわけではないので、最後の投資家になっていますから、公的年金で株式投資をするということはリスキーな資本を提供することになります。企業年金というのは単なるトンネルにすぎない、企業もトンネルにすぎないというわけです。

○小島委員
 企業年金も企業が直接運用しているのではなくて、今は厚生年金基金であれ、適年であれ、外部積立てをして外部に委託してそこが運用をしているという形をとっていますので、直接企業が運用しているというわけではない。そこは必ずしも先生がおっしゃるようなところがどうもすとんとこないんです。

○浅野教授
 ただ、その基金というのも一種のトンネルにすぎないわけでして、例えば運用がうまくいかなかった場合、企業が補填するわけですね。それでは、運用がうまくいった場合はどうするかというと、給付が増えるわけではなくて将来の掛け金が軽くなるという形で基本的には企業がとることになります。
 もちろん企業がつぶれたりすると、加入者のところに負担がいったりするわけですから、今だと余り例外とは言えないかもわかりませんが、例外的な場合を除けば基本的な構図としては企業がリスクを負担しています。つまり、企業の株主が最終的にリスクを負担しているということです。

○若杉分科会長
 全般的にいろいろ御議論があると思いますので、なるべく手短に御質問をお願いします。

○寺田投資専門委員
 運用基金の当事者なんですが、今から申しますのは資産運用とか資本市場とか、こういう分野を長く研究している一研究者として申し上げたいと思います。
 浅野さんのさっきのプレゼンで、前半部分は私は大体賛成なんですけれども、後半の株式の運用の在り方という点について若干異論がございます。それは、パッシブのウェートが我々のポートフォリオが高いということは事実でございますが、アクティブもあります。それから、ほかにも企業年金とか個人投資家とか生命保険とか投資信託とか、いろいろな投資家がいるわけですが、これらの全部がパッシブになるということは絶対あり得ないと思うんです。これは市場で一つの均衡が保たれるということです。多くの投資家がパッシブの方にどんどん移っていくと、アクティブのオポチュニティが当然出てくるわけですね。
 そうすると、またそこでアクティブへのシフトバックが行われて、均衡点を中心に、パッシブの方が増えたり、アクティブが増えたり、こういう多少の変動はあるかもしれませんけれども、世の中には貪欲な投資家というのはたくさんいるわけです。アメリカでハンドフルの貪欲な投資家がいれば市場の価格発見機能が維持できると言われていますけれども、そういうハンドフルな抽象的じゃなくてもかなりの数の貪欲な投資家がいて、絶えずそれが超過収益を上げようということを心掛けてやっているわけなんですね。
 ですから、こういう議論はアメリカでは昔からあって、パッシブが増えてくると価格形成が歪められるんじゃないかということは少なくとも10年や15年前から議論されていますけれども、今もってそれに対するそうだという答えは出ていない。これはいろいろなペーパーがありますけれども、はっきり出ておりません。
 そこで、同じようなことが我が国も言える。これは市場が解決してくれるテーマであって、パッシブとアクティブの割合というのは最後は市場で決めてくれるというふうに考えた方がいいと思います。それで、私どもはそうは言ってもパッシブの比率がアクティブの比率よりも高いのは事実でありますが、確かにパッシブ部分についてはフリーライダーであります。だけど、フリーライダーであるからと言って私どもは別にアクティブな投資家にコスト負担を要請して、そういう情報の取得とか分析とか、そういうことをアクティブ投資家の負担でやらせているわけではなくて、彼らは自分の貪欲な投資目的から当然それを負担しようとしてやっているわけでありまして、フリーライダーの問題をここに出すということはふさわしくない。これは企業年金でも、それから最近は投資信託特にETFといわれる上場投信でも、パッシブの比率というのは少しずつ高くなっていると思いますけれども、こういう人たちも皆フリーライダーであるということが言えると思います。
 それから、アクティブ運用を我々も若干やっておりますけれども、アクティブ運用というのは御存じのように市場のアクティブ運用を全部足してみればコストの分だけ市場よりマイナスなんですね。我々のような大きな投資家がそういうアクティブ運用を本格的にやりますと、トータルではいろいろな意味のコストがありまして、ビル・シャープが言っているようにアクティブ運用のトータルはマーケットより悪くなるということが本当に我々のところには直接そういうことが起こってくるということが言えると思います。
 例えば取引コストを出して言いますと、パッシブでありますと東証の銘柄に全部同じように分散しますから、インパクトというのは非常に調和されまして最小で済むわけです。アクティブですと、少数の銘柄にどうしても売りにしろ買いにしろ集中しますから、それのインパクトというのは非常に大きくなります。
 では、それを解消するためには運用機関をたくさん使えばいいじゃないかということも言われるかもしれません。もう一つの理由で運用機関をたくさん使うということが考えられます。それは、我々のトータルの資産が大きいものですから、少数のアクティブ運用機関を採用しますと、その運用機関の総運用資産のうち我々の比率が非常に高くなってしまうわけですね。
 そうしますと、これは私どもにとっては非常にリスクを負っていることになりまして、その運用機関に何かあった場合、その契約を打ち切ろうとしても事実問題できないんです。ですから、我々はある特定の運用機関に対してあるパーセンテージ以上は資産を渡せないというようなリスクを考えなくちゃいけないんですね。そうしますと、いきおいさっきの市場インパクトとそういう運用機関に対するリスクから数を増やすということになりますと、結局全体のアクティブ運用が実際に効果が上がらない。シャープが言っているようなことがまさに起こってくるわけです。
 そういうことで、全資産の外部へのアクティブ運用機関を中心にやっていくということは、現実問題として我々のような大きな基金では難しいんじゃなかろうか。例として、私は基金の資産のサイズを問題にして言いましたけれども、意見は個人的な考え方から申し上げたわけです。以上です。

○若杉分科会長
 では、高梨委員どうぞ。

○高梨委員
 今の問題に関連してなんですが、浅野先生が資料の3ページのところで、委託のアクティブ運用が望ましいと言っておられるのは、パッシブ運用を否定する、要するにアクティブだけでやれという意味合いで言っておられるのか。現状はアクティブもやっているが、方針としてはパッシブ中心でいきましょうということでやっているんですが、先生の意味合いはパッシブはやるな、アクティブだけでやりなさいと言うのかどうか。そこの点は、ある意味で核心の部分ですのでお考えをお聞かせいただきたい。あるいは、パッシブとアクティブの比率を今以上にどちらかに振らせるといいますか、先生のご意見はアクティブの方のウェートを高めるべきだということなのかどうかという点ですね。
 それからもう一つは、今日先生は株式運用ということで意見を展開されておりますが、現実の公的年金の運用は債券運用もするし、株式運用もするというのが現状ですね。先生のご意見は株式運用だけでいけということなのか、債券運用をするのと同時に株式運用もしましょうということを言っておられるのか。そこのところはどういうことなのかという点について教えていただきたいと思います。

○若杉分科会長
 では、浅野先生お願いします。

○浅野教授
 順序は逆になりますけれども、最後の方から申し上げます。
 もちろん株式運用だけでいけというつもりはありません。これまでの議論を拝見しましたら株式運用の是非についてということで議論されていますので、私は株式運用の意味があるんだということを申し上げたいということでその点を強調したのであります。
 それから、パッシブ、アクティブについても寺田先生の御指摘のとおりでして、全部アクティブにということではなくて、パッシブの方がいいというふうに議論が随分偏っていたように思ったのでアクティブをやる必要があることを申し上げたかったというのが基本的なところです。
 それともう一つ、みんながフリーライダーになって、価格がゆがめばだれか貪欲な人が出てきてそれを元に戻すという機能が働く。これも大ざっぱに言ってそんなことかなとは思いますが、ただ、過去を見てみると、あるいは最近のアメリカを見てみても、貪欲な人に任せておいたら大きないき過ぎとか、乱高下が起こるということもあるわけでして、パッシブというのはそういうものに全部身を任せるということになるわけですから、果たしてそれでいいのかどうか、やはりもっと判断する必要があるんじゃないかということを私は申し上げたいと思います。

○若杉分科会長
 ありがとうございました。それでは、大和委員どうぞ。

○大和委員
 2つほど質問させていただきたいと思います。
 まず浅野先生の方からまいりますと、先ほど株式運用について後世代がリスク負担と共にリターンが享受できるならば意義があるということを書かれておられ、そのちょっと前で保険料引上げの先延ばしに利用されるおそれがあるからそれを留意しろということを言っておられるんですが、この点がちょっとよくわかりませんで、具体的にどういうふうに留意したらいいのかということです。
 それはつまり、現在あるいはこれまでの年金積立金の設計の仕方はある程度保険料が緩和できるようなというやり方で保険料を早くから積み立てていって、そして今度の試算でもピークになってもそれが増えていく。一度保険料を決めてしまうのでずっと残高は増えていくような姿になっているわけですが、それを例えばやめて、言っておられることが具体的にどういうふうに留意しろということなのかという質問なんですけれども、どこかでもう積立金を減らしなさいという意味で言っておられるのか。あるいは、前半と後半で株式運用、積立金残高の中の株式運用比率を変えなさいという意味で、その世代間のリスク負担の問題を調整しろと言っておられるのか。その点が第1点のわからない点なんですが。

○浅野教授
 両方とも違います。私の言いたいことはこういうことです。
 株式運用をやることによって期待リターンを高める。そうすると、年金財政があたかも改善されたように見える。だから、保険料の引上げを先送りしてしまうというようなことが起こるのは好ましくないということを言っているんです。だから、株式運用はやるんだけれども、保険料の計算のときにはリスクフリーの金利を使ってやりなさい。そういう意味で、本当は苦しいんだからもっと前倒しで保険料を上げないといけませんよというふうにしないといけないということです。その上で、リストをとってリターンが上がったら将来の人にそれは返しなさいというふうに考えるべきだということを申し上げたつもりです。

○大和委員
 その点は、年金の設計の仕方でそれをどういうふうに考えていいのか私にはちょっとわかりませんので、もし後で数理課の方からお話いただければと思いますが、2番目の質問をさせていただきたいと思います。
 それは芳賀沼さんの御報告に関してなんですが、過去の知りたいと思っておりましたデータが非常によく出てきて、かなり判断をする上で有効だと思いましたけれども、結局は今後の株式の期待リターンを考えるときに、バリュエーションはほぼ調整がし終わったからそんなに考えなくていいということになると、例のアメリカでよく最近やっております方法、最近アーノットとバーンスタインの論文の邦訳が『証券アナリストジャーナル』の最新号にも出ましたので、それを読ませていただいて、過去のデータか非常によく出ていますので感心したんですけれども、そういう考え方でいってよいことになりますが。その場合結局は配当利回りプラス1株当たり企業収益率の伸び率で期待リターンを考えればいいということになりますが。問題は日本の場合は配当利回りが大体1%ぐらいだとしまして、今後の1株当たり企業収益の成長率をどう見るかということになるわけですが。こちらの御報告ではその辺の企業収益が底入れだという感じは出てきますけれども、今後10年とかをどういうふうに見たらいいのか。デフレと余り関係ないということはこのデータからもよくわかるんですけれども、それをどう見たらいいのかというのがひとつわからない点なんです。
 アーノットやバーンスタインのデータですと、1株当たり企業収益率は過去の長い間の実績で、1人当たりGDPの実質ベースですけれども、1人当たりGDPの伸び率が上限であって、過去のアメリカの実績ですとマイナス0.8とか、期間の取り方によって多少違いますが、平均して下回っているということで、上限が1人当たり実質GDP成長率というふうに置き換えて大体いいということなんです。それで考えると日本がこれから仮に10年間で1%ぐらいの実質GDPといった場合、企業収益の成長率は上限で1%くらい、場合によって0.5くらいの伸び率かもしれないというような置き方になるわけですが、日本の実績データというのがアーノットやバーンシュタインたちが示したようなデータがないものですからその辺はわからないんですけれども、要するにポイントは今後の企業収益率の伸び率をどう見るかということにかかってしまう。
 もちろんバリュエーションも、今は歴史的に平均水準まで下がったからこれ以上下がることはないとも言い切れないと思います。上下にものすごく大きく触れるわけですからあり得ないと思いますけれども、それは何かのリスクというものを仮定して入れることとして、期待値を推定するというところが今ポイントになるものですから、その推定のポイントになる企業収益の伸び率について何か試算をされているようなことがございましたらお伺いしたいんですが。

○芳賀沼氏
 大変申し訳ないんですけれども、完全なお答えを私自身は持ち合わせておりません。
 まず、この問題をアメリカなどと比べた場合にどこに限界があるかというと、やはり日本の企業の場合は過去に利益の極大化というのは必ずしも目的としていなかったわけでございまして、過去のマーケットあるいはそういうケースが多いと想定されますので断定することはできませんが、過去のデータを使ってそれをそのまま将来に延ばすということにはさまざまな制約があると思います。
 あるいは、違った言い方をすれば、これまで日本の株式に求められるリスクプレミアムが低かった一つの理由というのは、やはりメインバンク制度が働いていた中で必ずしもデッドと株のところがそうきれいに分けられなかった。私はそんな問題もあるというふうに考えております。ですから、まず過去から延ばせばいいということにかなり限界があると思います。
 では、2つ目にそういった1人当たりのGDPとか、それを長期的には企業の利益の成長率だというふうに考えるのが一つの考え方としてあるわけでございます。そうすると、日本の場合はかなりこの辺は厳しいということは言えるんですけれども、ただ、これに対してその想定よりは当面5年とか10年見ても、私は2つないし3つくらいの理由から高いのではないかというふうに考えておりますので、その点を申し上げます。
 1つは今、御指摘の点で、配当の成長率というのが多分理論的にはいきますから、今の日本の企業の場合は配当性向がユニバースによって異なりますけれども、30%以下であることは間違いないと思います。私どもの野村400を対象にすれば今は20%くらいでございますから、これは当然利益が一定だとしても配当性向が今の水準より高い方が望ましいのであれば、その部分については増えるということになります。
 2つ目に、私どもの過去の上場企業の製造業の売上げ高というのを見ていただきますと、製造業ですから鉱工業生産と卸売物価をかけ合わせたものが大体売上げに等しくなるだろうと考えていただいた場合に、等しくないんですね。上場企業の売上げの方が伸び率が高い。1975年くらいからとりまして2%強高いです。
 これは多分2つの理由があるんだというふうに私は思っているんですけれども、1つは海外での売上げです。ですから、企業というのを考えたときにも日本の1人当たりの国内総生産とは当然違ってくるわけでございますので、今後日本の企業が海外で伸びていくという可能性が高いとすれば、これはGDPの伸び率よりも高くなるということをひとつ示唆していると思います。
 それから最後のポイントになりますけれども、これは上位企業の寡占度合が高まっているというんでしょうか、上位の集中が高くなっていることが大きいと思います。それで、単にデフレのときは寡占が進むということ以上に、ある意味では日本の企業というのが行き過ぎた多角化をしましたので、さまざまな業界において過当競争が存在した。これが本来、資本に求められる収益率から勘案して不効率な部分というか、計算に合わないところというのは撤退していくんだと。こういう流れが広がっていくとすると、マクロから想定れる売上げあるいは最終的には利益になるわけですけれども、これは1人当たりのGDPでイメージするものよりは向こう5年とか10年くらいのタームで見た場合には高い可能性は十分あるというふうに思っています。
 では、具体的に幾らが妥当か。これは大変申し訳ございませんけれども、いいかげんな数字を言うわけにはいきませんし、自分としては計算の方法をまだ明確につくれてはおりません。

○若杉分科会長
 ありがとうございました。では、米澤委員どうぞ。

○米澤委員
 それぞれ浅野さんと芳賀沼さんに大きく1点ずつお聞きしたいと思います。  最初に浅野さんの方からですが、小さなページで3ページの大きな2番目のポツで「個人の株式投資には制約が多い」ということです。これに類似したことはアメリカでも実は議論されていて、アメリカなどでこんなことを議論されている必要はないんじゃないかと思ったんですが、アメリカですら株式市場に個人が直接入っていくというのは非常にコスト高だということで、もちろん機関投資家もあるわけですが、それに代替する一つとして公的年金なども考えていいんじゃないかということをアメリカでも議論されていることはいろいろな論文で知りました。
 そのときに、やはりそうは言っても特にここ2、3日の日本の新聞の記事などを見ても、まずやることはそこで公的が入っていくのはやはりセカンドベストなので、公的部門がやることは株式市場に入りやすくすることをねらうべきで、もしセカンドベストでいってしまうと余り美しくない絵がここで固まってしまうよというようなことを言っている人が、そう多くはないんですが、います。そのことに関しての確認なんですが、どういうふうに思っておられるか。
 私自身は、そんなことを言っても特に日本みたいに入り口が随分ゆがんでいるところを直すというのは、入り口というのは要するに公的部門ですね。郵貯簡保とか、そちらの方で大分ゆがんでいるところから直すというのははなはだ時間がかかるし、今まで100年戦争をやってきたこともあって、私は途中から市場型間接金融でいくということで、それも含めて浅野さんの意見には賛成なんですが、そうではなくて入り口から直すべきなんだという議論があるかと思います。それに関してどう思うかということです。
 それからもう一点、むしろ浅野さんの意見に私は賛成なんですけれども、この場合はもうそうだとしますとイコールトピックスじゃなくてもう少しいきにくいような資金のところに資金が回るようにインデックスも考えていいんじゃないか。むしろ浅野、寺田論争もアクティブ、パッシブよりもインデックスというんですか、ベンチマークでより広げていくというような議論の方が生産的じゃないかという感じがします。その点のお考えが1点です。

○若杉分科会長
 では、浅野教授からお答えをお願いします。

○浅野教授
 個人の直接参加を促進すべきじゃないかということに対しては、私は否定的に思っております。それはなぜかというと、個人が直接参加するときに簡単に自己責任でといいますが、その自己責任というのは非常にわかりにくいというか、ちょっとごまかしがあるような言葉じゃないかという感じを抱いているからです。
 例えば、学生が勉強をしなくて落第をした。それは自己責任だと、これははっきり言えます。けれども、株式投資をして損を出した時、自己責任かというと、それはどちらかというと運じゃないでしょうか。それが大きいということです。では、それを高く運用する方法を勉強しろと言っても、これは非常に難しいことでありまして、私などは仕事にしているからともかく、仕事にしていないんだったらとてもやりたくないと思います。しかも、それをやったとしてもうまくいくとは限りません。市場が効率的ならばというか、効率的でなくても一部の貪欲な人が動かしている市場では、その人たちに振り回されて自分の運命が決まってしまうわけですから、そんなことを皆に積極的に勧めるというのはどうかなと思うという面があります。
 もう一つ大きな要因はこのレジュメにも書きましたが、リスクがプールされていないということです。実は、この同一世代内とか世代間での差が大きくなるということはアメリカでもいろいろな人が議論をしています。シラーなどもこういう議論をしておりますし、特にブルッキングズのバートレスという人がアメリカの議会で数字を示して、世代というほどの大げさなものではなくて、5年とか10年だけ生まれた時期が違っただけで、株式市場にずっと投資していて、それを年金化するというようなことを考えた場合、すぐ倍ぐらいの差がついてしまうということを言っているんですね。それを実証で示しています。そうしたものは、個人が幾ら努力をしても避けられないんですね。それであるんだったら、もっと大きなファンドでプールしたらいいんじゃないか。公的年金の株式運用はまさにそうしたものに適しているのではないかというふうに思います。
 2点目のベンチマークですが、おっしゃるとおりだと思います。パッシブというと何かベンチマークを設定して、それに合わせて運用をしていくということですが、ある意味では自分で制約を設けて判断も放棄するし、運用にも余分な制約がかかっているみたいなところがあります。もっとそこら辺は自由に考えた方がいいでしょう。ではどんなベンチマークかということになるわけですが、ベンチマークをつくれば当然そこで新たな制約になるわけですし、この問題は非常に難しいです。常にそうした問題をアクティブに考えていく必要があるというふうに思います。

○米澤委員
 最後のお言葉は非常に重みがあるように受け止めました。それから、芳賀沼さんの方に対するコメントはほとんど私も同感というか、彼の方が非常に知識があるので教えてもらうという意味で異論が非常に少ないと思っています。
 それで、1点コメントをさせていただきますと、やはりデフレというのは、そうは言いませんでしたが、芳賀沼さんも9ページ辺りでやはり完全な金利変化とかGDPとかというと実質金利はインターナショナルでイコーライズされますね。ということは、日本ではコントロールできないということで、それが2%なのか3%なのかわかりませんけれども、そこで名目を1とかにすれば、それは結果として2%のデフレが起きるというようなことは何となく理解しています。そうは言っていないかもしれませんが、そういう意味では実質金利というのは必ずしも100%国内でコントロールできるわけではないので、2%とか3%というのはやはり日本でも安定的とは言えませんが、やはりあるなという感じがして、それは単なるコメントで意見でございます。
 それから、先ほどの大和委員に対する答えと同じことを聞きたいんですが、やはりGDPの伸び率などでも収益率の伸び率が高いと言ったのはトピックスベースでもそういうことが見えているのか。さもなければ今、私がお聞きしたかったのは、ないしはもう少しベンチャー的な企業も含めた日本企業全体なのか。もう少し言い方を変えますと、トピックスベースで将来はあるのか、未来はあるのかということで、アバウトな質問なんですが、それに関してお聞かせいただきたいと思います。

○芳賀沼氏
 多分ベンチマークの議論と絡んでということかと思うんですけれども、今のはざっくり言って私の方でお答えさせていただいた点はある程度トピックスでカバーされる企業についてです。それであったとしても、GDPよりは高い成長率は可能だというふうに思います。
 ただ、当然のこととして、今後産業構造が進んでいくとすれば、それはトピックスでカバーできない部分がかなり多いわけですから、この点をどういう形でベンチマークを広げていくかというのは私は極めて有意義な議論だというふうに思います。決してトピックスだけでやった方がいいということには賛成できませんで、もう少しそういう意味では二部店頭、非上場をどう考えるかは自分としては結論を持っておりませんけれども、そういった企業を入れた方が少なくとも産業構造が変わっていくということが一つの認識としてあるのであればうまく対応できる可能性が高いのではないかと考えております。

○若杉分科会長
 それでは、吉富委員どうぞ。

○吉富委員
 芳賀沼さんのいろいろなデータから見て、日本のデフレというのはこの2つのパターンのデフレとどう違い、どう似ているのかというようなことが恐らく一番重要な課題じゃないかと思います。
 例えば1ページを見ても、1930年代のアメリカのデフレの場合はやはりリターンはマイナスであったり非常に低いわけですから、それに比べると70年代、80年代はそうではない。その根拠は2つあるようで、一方では生産が伸びている。大恐慌はV字型ですから結果的には伸びていない。それで、29年と30年と測るわけですから、その間のマイナスの積分値というのは全く考えられていない。日本の場合には92年と2002年を結ぶと平均の成長率は1%強、だから10%強伸びているわけですけれども、その間に前半と後半とは金融危機があるかないかで大きく違っているというようなことがあって、利益の後退局面も前半と後半とでは性格が相当違っている可能性がある。前半は潜在成長率は企画庁とか内閣府で2%ぐらいは考えていましたけれども、今は1%に落ちてきている可能性もあると思うんです。
 それで、労働力の伸び率がゼロになってまいりますと、TFPを除いた付加価値の上昇率の7割はゼロですから、成長率はTFPだけになって、TFPの成長率というのはせいぜい1%ですから、そんなものかなというふうにもなってまいります。そうすると、企業の収益が悪いからそうなっていると考えるのか。もともと大きなマクロでそういう現象が起きているのかというのが、日本を考えるときには非常に大事じゃないかと思います。
 いずれにしましても、これを見るとデフレに類型があるような気がします。19世紀の後半の場合には生産は上がっている。バリュエーションチェンジは余りない。これは1873年になるとものすごくあって、その後の停滞というのは本当は80年代、それから97年の恐慌がくるまでですけれども、そういうときの生産はなだらかな上昇です。したがって利益もなだらかに上昇しながらバリュエーションチェンジは余りなくて、したがってリターンが結構高く出ているということです。そういうものと、日本のようにバリュエーションチェンジがすごくあって、そういう意味では大恐慌に似ていて、つまり資産デフレがあって、しかし先ほどのように10年間を見ると成長率は10%になっているというのは、非常にこの2つの組合せに近いような感じを与えるわけです。
 そういうときの利益の動き、実質金利の動き、それからまた19世紀の後半の実質金利というのは高過ぎて現実の話には当てはまらないような状況ですから、そういう比較がもう少しできると、デフレ化ではどうするかという一般論が具体性を持って議論できるのではないかなというふうに思ったんですけれども、どうなんでしょうか。

○若杉分科会長
 芳賀沼さん、難しい質問だと思いますが、お答えいただけますか。

○芳賀沼氏
 特に1930年代のことに関しまして、吉富先生に私のような人間が言うのはおこがましいわけでございますけれども、今の日本のデフレというのをどうとらえているかということと企業収益に関してということで、2つぐらいの点を申し上げたいと思います。 私自身は、今の日本のデフレというのは2つに分けて考える場合、日本特有の要因と、それから少し世界的にデフレというよりはディスインフレぐらいの状況でございますが、それを分けて考えるのがいいのではないかと思っております。それで、御指摘の90年代の前半はかなり日本特有の部分が強かったと思います。それは資産価格の下落という側面、日本の間接金融という言い方がいいのか、担保主義に基づいた金融が崩れたということなのか、そんな点と、それからさまざまな規制が撤廃され、かつ為替の問題も90年代の前半は大きかったというふうに思っております。この点は、要は国際的な価格水準とどのくらい乖離しているかという議論であって、私はある程度めどがついてきたのではないかというふうに思っています。
 2つ目は、世界的なディスインフレの流れです。この辺の考え方は私は必ずしも専門ではないんですけれども、コンドラチェフサイクル等を見ておりまして感じますところは、やはり信用の調整が非常に大きな部分としてありますし、かつ価格下落というのは一律に起こるわけではなくて、その間にかなり経済、資源配分が不効率に行われる部分はどうしても時間をかけて調整せざるを得ない。この世界的な流れというのは正直に申し上げればいましばらく続くような気がしております。ここでもうデフレが終わって一部商品市況が上がっていますからインフレの世界になるとか、あるいは日本から資金のキャピタルフライトが起きて円安になるから終わるんだというのとはちょっと違うような気がしておりまして、こちらの方はしばらく続くんだろうというふうに思っています。
 ですから、今後の運用を考える場合という視点で申し上げれば、少なくともインフレとかというのがメインシナリオになるわけではないという点は非常に大事でございまして、その意味ではバリュエーションそのものをどう考えるかというのは必ずしも簡単な議論でないんですけれども、19世紀の後半のマーケット等を自分なりに見ておりまして感じますのは、バリュエーションが非常に大事だ。
 ですから、すみませんが、御質問の趣旨と離れてしまいますけれども、今は日本だけではなくアメリカも含めて世界的に年金が問題になっているというふうに考えておりますが、その一つの理由は分散投資をすればある意味ではこのバリュエーションを無視して投資をしても、長い意味では安定的にリターンが出るのだと、そこのところにちょっと問題があったと思います。
 もちろん、ではそれがだめでタイミングをとってやればいいというつもりは全くございません。ただ、これは決して日本だけではないんですけれども、世界的な問題の中で、分散投資がすべてを解決するという辺りがどうだったのかなというのが、余談になりますけれども私の感想でございます。
 それからもう一つ、このデフレを考える場合の大きなポイント、特に企業収益の方ですけれども、これは全般的な絶対水準としての物価というよりも相対的な価格の問題が極めて重要ではないかと思っております。19世紀の例を見ましても、イギリスに比べてアメリカとか、あるいはドイツが比較的うまく対応したということが言われます。これはもちろん経済の状況が既に当時先進国であったイギリスと、後からキャッチアップするドイツ、アメリカの差があるんですけれども、もう一つは賃金がどのくらい変動するか。賃金がどのくらい硬直的でないかという部分が大事であったという指摘が多いと思います。イギリスにおきましては労働者、特に熟練労働者の力が強くて賃金が下がらなかった。これが結果的に実質賃金の上昇になり、産業構造の転換も遅らせたというふうに言われていると思います。
 そういう意味では、足下の日本というのは90年代はずっと実質賃金が上がってきましたが、これは賃金が下がるのがいいということを言いたいわけではないんですけれども、産業の構造転換を助ける程度にはやはり賃金が柔軟に動かないとなかなかその対応が難しいわけです。その辺が変わってきたというところは、少なくとも数字を持って何か言うことはできないんですけれども、過去10年間とは状況が変わってきたという側面は認めていただいていいのかなと考えております。お答えになるかどうかわかりませんが。

○福井委員
 浅野先生に極めて単純な質問があるんですけれども、アメリカのグリーンスパン議長は公的年金の株式運用についてかなり強く否定的見解を述べておられますね。つまり、浅野先生の今日の御見解とはかなり違う意見になっているのですが、アメリカの経済や市場、年金の仕組みと日本のそういった仕組みとの違いがバックグラウンドにあるのかもしれないと思います。浅野先生のご意見では、仮にアメリカを舞台に考えたときも、グリーンスパン議長とは逆に、公的年金はやはりアグレッシブ運用に入るべし、ということになるのかどうか。そこのところを教えていただければと思います。

○浅野教授
 グリーンスパンの細かい議論というのはよく存じていません。何となく彼は反対している、そんな感じしか抱いていませんので答えにならないかもわかりませんが、私は年金の運用というのはやはり名目的な運用ではなくて実質的な投資につながるような運用をすべきじゃないかというふうに基本的には考えています。
 アメリカでは公的年金の運用は非市場性の国債ですね。それは一部で、政府の勘定の付け替えにすぎないという批判もあります。将来の税収をあてにした国債、非市場性の国債を公的年金の資金で買うわけですから、財政赤字を自動的にファイナンスしているみたいなものですね。それは実態的には本当に投資になっているんだろうかという疑問を私は持っています。アメリカでもそういう意見の人もたしかいたと思います。社会保障みたいな資金というのは経済を強くして、たとえ賦課方式であろうとも経済が強くならないことにはどうしようもないわけですから、経済を強くすることによって賦課方式の基盤を強くするというようなところにお金を向けるべきです。全部とは言わないまでも、そちらの方向に幾らかは向けた方がいいんじゃないかというふうに思います。

○若杉分科会長
 ほかにいかがでしょうか。
 では芳賀沼委員に私から質問なんですけれども、先ほど日本の企業は利益の極大化という目的は余り持っていないというふうにおっしゃいましたが、これから1株当たりの利益等が伸びるという芳賀沼さんの予想の中には、企業を変えるということで議決権行使を始めとするコーポレートガバナンスの議論も盛んなわけですけれども、そういうことも前提にお考えなのでしょうか。それとも、そういうことがなくても企業は自ら変わっていくというようにお考えなのでしょうか。

○芳賀沼氏
 利益の極大化を必ずしも目的としていなかったというのはむしろ過去の話で、現在は変わってきていると思います。昔、メインバンクが非常に強かった局面というのは、私にはこういうふうに整理させていただいています。
 債権者である銀行が株主であるわけですから、その株主の銀行の目的は何かと言えば、確かに配当あるいは株価の上昇という形で、株主としてのリターンを求めることよりも、債権者として安定的にその利払いを確保するということが目的としてあったのではないか。それは債権者である銀行あるいは金融機関が株主であるわけですから、決して株主のニーズとしてもおかしいわけではない。そういう仕組みが私はあったような気がします。これは、足下でかなり変わってきていると思います。今後は先生が御指摘のとおりガバナンスの仕組みも変わるし、ある意味では中長期の利益を極大化するように企業は動くというふうに考えています。
 2つのポイントがございまして、1つは株主そのものが変わってきているということでございます。持合いの解消ということで言われておりますが、ではその部分はどういう形の投資家になるのか。これはまさに今日議論していただいております年金の運用も、年金の方も大きな株主でいらっしゃいますし、年金と重なる部分も多々ありますけれども、海外の投資家、この方の目的はやはりトータルでのリターンというのを極大化しようという、その収益でございますから、そちらの方に徐々に経営者も変わらざるを得ない。より具体的にいいますと、企業がIRという形で積極的にその株主、投資家に合うようになっておりますので、当然意識は変わってくる可能性が高いということでございます。
 それから、もう一点大事だなと思っておりますのは債権者でありまして、銀行の姿勢も変わり出してきている。リスクに見合った形で貸出金利を設定する。まだまだ日本においてはデッドの世界では圧倒的に融資のウェートが高いですから、今後は社債が大きくなってくれることがいいと考えておりますけれども、その融資における金利が、従来は余り企業の収益性とか財務体質を反映せずに貸出金利が決まっておりましたが、ここが変わってきているというのが私は非常に大事だと思っています。
 その意味では、少なくとも収益性が低い企業がそのままの形で経営をやっていくというのは相当大きなハンディを負っていかなければいけない。最悪の場合には倒産というリスクも出てくるわけですから、そういう意味でも債権者のプレッシャーということを通じても企業の経営は変わっていくというふうに考えております。

○若杉分科会長
 ほかにいかがでしょうか。よろしいですか。
 もし御意見がなければ、ちょっと時間がありますので整理させていただきます。この間我々は年金積立金の運用の在り方についてずっと議論をしてきたわけですが、問題の所在をあらためて整理しておきたいということです。
 現在の公的年金積立金は、運用基本方針の下で基本ポートフォリオを決めて運用しているわけですけれども、運用基本方針の検討というのは1998年頃から2000年にかけて行われました。特に2000年には2001年4月からの全額自主運用に向けて検討会ができましてそこで運用の基本方針の骨格が決められました。その後、2001年2月に厚生労働大臣からそれに基づく運用基本方針案の諮問があり、当分科会での検討の後、答申して運用基本方針が決まったという経緯があります。2000年ごろに運用基本方針について議論したときも、日本経済は90年代の長い経済低迷の中にいました。その意味では現在の状況とあまり変わらないと言うことができます。そこで最初に決められた原則は、ポートフォリオ分散によるリスク管理とALMによるリスク管理とによって年金積立金を運用するということです。かつ、効率的市場を認識して、分散投資・長期保有というパッシブ運用を基本とするということです。
 それらの原則の下で、資産を、国内の債券・株式、外貨建ての債券・株式、そして流動性のための短期資産に分類し、過去できるだけ長く運用実績に関するデータを使って、各資産の将来の期待リターン、リスクおよび相関係数を予想して、それに基づいて効率的フロンティアを決定し、効率的ポートフォリオの中からALM的にコンシステントなものを 基本ポートフォリオとして選びました。基本ポートフォリオは、リスク・リターンの予想等に大きな変化がない限り、10年、20年という長期にわたって維持されるべきものです。ただ、マーケットの状況などによって基本ポートフォリオから乖離はありえますので、許容乖離幅というものを決めて、その範囲内で基本ポートフォリオからの乖離が認められました。
 基本ポートフォリオの実現は、現在の財政融資資金、当時の資金運用部に預託されていた資金が全額満期になる平成20年と定められました。それまでは2001年4月のポートフォリオから基本ポートフォリオに向けて徐々に変化させて行かざるをえません。それを移行ポートフォリオと呼びます。移行ポートフォリオの決め方が問題になりますが、移行ポートフォリオから基本ポートフォリオまで組入比率を直線的に変化させるという機械的な方式が望ましいとされました。このような機械的な方法でなく、弾力的にやればより良いリターンを得られるかも知れません。その意味では、この方法にはオポチュニティロス、機会損失が発生します。しかし、もし機械的に行わず裁量の余地を認めると、PKOなど政治的な影響を受けるおそれがある。市場原理を無視したPKOは公的年金にマイナスこそあれプラスになることは考えられない。外からの圧力によるポートフォリオ変更のロスのほうが、長期的観点から考えると、機械的にやるときのロスに比べてはるかにその方が大きいと認識に至り、機械的な移行ポートフォリオ決定方式が採られました。
 ですから、基本ポートフォリオが変わらない限り、全額満期償還までの移行ポートフォリオの構成は自動的に決められます。全額自主運用後2回目の運用基本方針もこのように決められました。そういうことで、株式投資を抑制するか否かは、本質的には基本ポートフォリオを変えるべきかどうかという問題です。将来についての予想が大きく変化したなら、基本ポートフォリオを変更しなければなりません。デフレはその要因であろうか、ということが、これまで運用のあり方を考えてきた議論の本質だと思います。そういうことから、この間いろいろなスピーカーの方からこれからの経済の見方とか、これからの期待リターン、リスク、相関係数の見方についてヒアリングを行って来たわけです。しかし、別の見方もあります。それは移行ポートフォリオの決め方を、機械的なものから裁量的なものにするという変更です。繰り返しますが、基本ポートフォリオを変えるべきかどうかということと、移行ポートフォリオの決定に裁量を入れる方式に変更すべきか否かがわれわれの論点ではないでしょうか。この点について何か御意見がありますか。

○小島委員
 今、分科会長からこれまでの経過を踏まえて、基本ポートフォリオをどうするかということで議論をしているんだとお話をいただきました。移行ポートフォリオを一直線で結んだことによる機会ロスがあるが、それは政治的ロスよりも小さいという判断だとのご説明です。しかし、逆に今、機会ロスが極めて大きいのではないかという感じがするので、移行ポートフォリオを一直線で結んだということ自体も、それが妥当かどうかということも含めて検討すべきだと思っています。

○若杉分科会長
 例えば今、株がだめだからと新規に買うのを止めたとしますね。そうすると、いつから買いを再開するかが問題になります。慎重に考えれば、株が十分上がったところで買うということになりますと、今度はそのことからオポチュニティロスが出るわけです。タイミングを図るアクティブ運用というのは、公的年金積立金のような大きな機関投資家では長期的に見てうまくいかないというのが当時の判断でした。

○高梨委員
 我々が基本ポートフォリオを定めた時には、当時の期待収益率を4.5%に設定した。つまり、前回の公的年金の財政再計算の経済的要素の一つである利回りが4%に設定されている中で、0.5%積み上げて4.5% にするということが前提で今の基本ポートフォリオができているんですね。この公的年金の財政再計算というのはもう間近にあるわけでありますが、そのときまでは今までの前提条件を変えない形の中で考えるということだろうと思います。したがって、いずれ経済的要素についての見直しが行われて、期待収益率が変わるということがあるとすれば、その段階では改めてそういう条件設定の下でどうかという議論をすればいいんですが、今はそういう時期ではない。
 こういうことからすれば、私は今は基本ポートフォリオを変える必要はないというふうに考えます。

○若杉分科会長
 どうもありがとうございました。
 ちなみに郵貯と簡保には、新規の株式購入を中断するという独自の動きがあります。私も郵政公社の設立会議に加わりましたので経緯を御紹介したいと思います。郵貯と簡保は4月1日から公社になって運用するわけですが、そこでは新規の株式は購入しないということを決めております。その背景は何かといいますと、郵政公社になるときの議論として郵貯、簡保は金融機関として自己資本が非常に少ないということで、過少資本だということが非常に大きな問題になりました。そういうことで、郵貯、簡保は早急に自己資本を充実するということを、いわば約束させられている面があるんですね。そのためには毎期経常的な剰余金、普通の企業で言えば利益ということになるわけですが、確実に利益を出して剰余金を増やして自己資本を充実させていくというのが一つの郵政公社の課題ということです。そういうことで、郵政公社の場合には確実に剰余金をつくっていくということで、リスクは極力とらないということで、今度そういうことが決まったわけです。
 それで、郵貯、簡保とも基本ポートフォリオは持っておりまして、年金よりもはるかにいずれも国債の割合、債権の割合が多いんですけれども、現在郵貯も株式を数%持っていますし、簡保ももうちょっと持っているわけですが、そのときに乖離許容幅が結構広いんですね。それで、今そのまま株を買わなくても依然として許容範囲の中に入っているということなんです。そういうこともありまして、特に郵貯の場合には株は買わない。
 ただ、それは年金の場合とは違いまして、移行ポートフォリオについて特に何も決めていないんです。移行ポートフォリオをどうするか。基本ポートフォリオと許容幅だけを決めていて、その中にいればいいということでやっているわけで、当面株を買わなくても依然として基本ポートフォリオは変わらないんだということなんです。ですから郵貯、簡保も基本ポートフォリオは変わっているわけではないということです。
 そして、郵貯と簡保ではリスクが多少違うわけでして、郵貯の場合には特に最終的に国家補償が付いておりまして、いざというときには税金で負担をしなければいけないということがありますので、それで特に慎重な運用をするということで株は止めています。そういう意味で言いますと、簡保の方が多少ゆとりがあるというか、リスクの負担の仕方が違うわけですから、当面買わないというふうになっていますけれども、郵貯とはちょっと違う意味だと思います。いずれにしろ、郵貯、簡保と年金が比べられて、郵貯、簡保が株を買わないのにというような議論が国会でもなされているようですけれども、全然背景が違うということなんです。
 そんなようなことで、我々は随分長いこと年金積立金の運用の在り方について議論してきたわけですけれども、そろそろ方向を考えなければいけないということで、少し我々の議論がどういうところにあるかということをまとめさせていただいたんですけれども、何かこれについて御意見等がございますでしょうか。

○米澤委員
 特に付け加える意見ではないんですが、私も基本的に高梨委員がおっしゃったことで、まさに近々財政再計算で決めなくてはいけない、考え直さなくてはいけないので、そのときに必要な情報、特にいろいろ推計値が変わった場合にはその確実なものを織り込んで、もう一度変える必要があるのかどうかを検討していくというのが筋ではないかと思っていますし、そのときはできれば私がさっきちょっと言いましたようなベンチマークのような問題も少し幅広に、仮に株式のシェアが増えても減っても、中の運用の仕方としてベンチマークをもう少し幅広に考えていく必要ができてくるし、それが日本経済にとって、今日特に浅野さんが強調された点から見ると、より美しい絵がかけるんじゃないかなというような感想を持っています。以上です。

○若杉分科会長
 ほかにございますか。

○小島委員
 今の郵貯の自主運用の問題ですが、郵貯は最終的には国家補償があるので何かあれば税金で補填する。だからリスクを高いものには余り投資をしないと。

○若杉分科会長
 だからと言うことではないんです。最終的にはそういうこともあってということで、それよりもとにかく毎期剰余金、利益を出して自己資本を充実したいというのが第一番の目的です。ですから、できるだけ安全に稼ぎたいということですね。そういう意味で、もうちょっとリスクを取ればもっと剰余金が大きいのかもしれないけれども、そこは我慢して確実に増やしたいという発想だと理解しています。
 申し訳ありません。続けてください。

○小島委員
 私もとりあえず今の積立金はそういう堅実なところでいいんだというふうに思っていますので、リスクの高い株式運用に公的年金があえて入る必要はないという考えは今でも変わっていません。そういう観点から見て基本ポートフォリオを変えるかどうかというのはありますけれども、その前にまず移行ポートフォリオを直線で結んだことが今の時期で本当に妥当かどうかというところもやはり検討が必要である。移行ポートフォリオについて郵貯、簡保のように運用幅の中で柔軟な対応ということを考えることも一つの方法ではないかと思います。

○若杉分科会長
 それは去年の運用基本方針を決める際にもずいぶん議論をしたわけです。いずれにしろ移行ポートフォリオの決定に裁量を認めることには、いろいろな形で政治的に利用される恐れもありますが、それ以前にタイミングを見ることはできないということです。

○小島委員
 今の移行ポートフォリオを一直線に結んでも、許容範囲というのは幅を持っていたと思います。基本ポートフォリオは国内株式12%ですが、4.5%の幅を持っていたと思います。また、移行ポートフォリオでも、その中で運用幅を持てたはずだと思うんです。

○若杉分科会長
 その辺のことは事務局から正確に説明してください。現在のニューマネーの配分方法です。

○泉運用指導課長
 移行ポートフォリオの数字は、乖離許容幅は移行ポートフォリオでも決めております。ですけれども、これはそれぞれの資産の時価ぶれなどがあって、それを無理に調整しないでいいという意味合いでの乖離許容幅というのを決めている趣旨でございますので、その中で任意のところを取ってそこを目指せばいいという趣旨での乖離許容幅ではないわけでございます。

○若杉分科会長
 この議論はさらに深めないといけないと思いますが、今日は時間がきましたので議論を終わらせざるをえません。小島さんがそういうお考えだということもふまえて今後さらに議論をしたいと思います。ほかにとくにご意見等ございませんか。
 本日は浅野さん、芳賀沼さんにお出でいただきました。大変お忙しい中ありがとうございました。デフレ下における株式運用の考え方などについて非常に有用な御説明をいただ きましたので、それらを参考としながら、年金積立金の運用の在り方について、3月の基本的な考え方の取りまとめに向けて更に議論を深めていきたいと思います。お約束の時間も過ぎましたので、今回はこれまでにしたいと思います。
 次回以降の日程につきまして、事務局の方から確認をしてもらいます。

○泉運用指導課長
 次回はできれば今月中にと思っておりますが、日程はまた調整させていただき、追って御連絡をさせていただければと思います。よろしくお願いします。

○若杉分科会長
 それでは、本日の年金資金運用分科会はこれで終了いたします。どうもありがとうございました。



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