私がアルコール依存症になったとき

私の経験 (41歳女性・会社員)

不況が長引き、新人の入社がないまま女子社員ではいちばんのベテランになり、女性ばかりの営業チームのリーダーをしている。私以外のメンバーは、契約社員や派遣社員で、いつ雇い止めになるかわからない人に無理はさせられない。契約切れで去っていく人に十分な教育をする余裕も私にはない。こんな状況はバブルがはじけた頃から続いている様な気がする。入社当初はちやほやされたものだが、その直後からこんな調子でいいことなどひとつも経験していない。楽しみといえば、会社帰りの一杯だ。30代になって仕事の状況がますます悪くなってくると、一緒に飲み歩く同僚もいなくなり、自宅で毎日のように飲むようになった。とくに寝る前に飲むと疲れがとれてよく眠れるのが気に入った。でも、時々酔っ払ってテーブルに突っ伏して朝まで寝てしまい、首や肩を傷めてしまうような日もあった。

ある日、職場の健康診断で、肝機能の数値がひっかかって再検査になった。医師に骨密度も極端に減少しており、酒を控えないと大変なことになるといわれた。これはきっと、医師が大げさにいっているのであって、肝臓をもう少しいたわれば済むことだと思った。よく寝て、栄養をとれば解決する話で、お酒をやめることはない。お酒はストレス解消のために必要で、ストレスをためこむことはよくないことなので、お酒を控えることはできない、とそのときは思った。

その後も家ではほとんどずっとお酒を飲んで過ごす日が続いたのだが、会社の引き出しにお酒を隠しているのを知った上司に説得されて、アルコール依存症の専門クリニックに行くことにした。そこで、私はアルコール依存症の一歩手前の状態にあると診断された。

一人暮らしでもあるので入院での治療を受けることになった。医師や入院しているほかの人たちと話をするうちに、やっぱり飲みすぎがいけなかったのかな、と気づくことができた。

退院後も通院を続け、自助グループに通ったりしているが、時々お酒を飲みたいという強い気持ちに負けそうになることがある。このまま継続できるか、挫折してしまうかもしれないと思うと怖くなる。

家族や仲間と支え合って治療を継続する

アルコール依存症は、退院したあとも治療が終わったわけではありません。「断酒の継続」という治療が続きます。この治療は、本人にとっても周りの人にとっても大きな挑戦であり、一人だけで継続するのは難しく、大勢の支え合いが必要です。一人で何でもやりきろうとしないで、不安や問題は周りの人や自助グループ、そして医療スタッフに何でも話すようにしましょう。

最初から高い目標を掲げない

「断酒」とは一生飲まないことだと思うと話が大きすぎてイメージしにくいかもしれません。そんな場合は、とりあえず「きょう1日、飲まないでいられた」「明日も飲まない」という身近なイメージを積み上げていくというのもひとつの方法です。

「これはダメ」だけではなく、「これはできる」を見つめよう

お酒を飲んではダメ、という禁止事項で自分を縛るばかりでなく、「薬を決められた量きちんと飲む」「自分が決めた頻度で自助グループに通う」など、行動できる目標をもてば、実行したという手応えが得られます。