厚生労働省改革元年にーーー大臣就任から半年を経過して

舛添要一

2008年2月27日

昨年8月27日に、私が安倍内閣の厚生労働大臣に就任して半年が経ちます。あの日の午前に、突然安倍総理から電話があり、「厚生労働大臣を引き受けてくれ」と要請がありました。事前には総理から、一切何の相談も何もなく、全く青天の霹靂とも言える電話でしたので、すぐには返事もできず、絶句してしまいました。すると総理は「あなたの政治家としての原点はお母さんの介護体験でしょう。介護や医療に取り組む、薬害患者を救う、その姿勢を忘れずに是非大臣として頑張ってほしい」と重ねての説得です。私は、一参議院議員ですので「青木参議院議員会長をはじめ、皆さんとご相談させて下さい」と懇請しましたが、総理は、「参議院に対しては自分が責任を持って説明する。今すぐ決断せよ」との強い姿勢です。総理とのこのようなやりとりはわずか数分だったと思いますが、私にとっては、何時間、いや何日もの間、話し合ったかのような重い、濃密な時間の経過だったような気がします。

もとより、直前に行われた参議院選挙で、年金記録問題などで自民党が大惨敗を喫したばかりであり、私自身が候補者としてこの選挙を戦って来ましたので、政府与党を取り巻く環境がいかに厳しいものであるかは人一倍に自覚しておりました。この時期に厚生労働大臣に就任することは、図体は大きいが金属疲労を起こしている船を嵐の中に出航させる船長を任せられるようなものです。しかし、その舵取りをすることは、国家、そして政府に対する国民の信頼を取り戻すという崇高な任務であります。また。母の介護体験を活かし、国民の命を守る最前線にたてると言うことは、政治家として、これほど幸せなことはありません。いかにその仕事が困難であっても、誇りと使命感をもって全身全霊を傾注して国民のために働こう、こういう決意で大臣就任を受諾した次第です。

それから6ヶ月、全力で職務に邁進してまいりましたが、参議院議員として2期目を歩み始めたばかりであり、経験不足もあり、職員の皆さんにいろんなご苦労をおかけしたのではないかと心苦しく思っています。本日は、この半年を振り返り、その体験から、厚生労働省が直面する課題について率直に私の見解を述べ、改革すべきは改革し、国民の目線に立って、わが省を新しい組織に生まれ変わらせる努力を皆さんとともに始めたいと考えます。

まず年金記録問題ですが、昨年7月に政府与党で決めた方針に基づいて、一歩一歩着実に問題解決を進めておりますが、これは社会保険庁の数十年におよぶ積年の病弊が生み出した一大不祥事であります。一人一人の職員が、その時々に、使命感や責任感を欠き、公僕としての職務を十全に果たさなければ、それが積もり積もって、国家の危機にまで拡大するのです。全職員が団結して、この困難な仕事に勇気をもって立ち向かわねばなりません。

現に、各地で国民のために、そして信頼回復のために頑張っている社会保険庁職員に対する感謝の便りが、国民から私の許へ届いております。一週間前の20日には、京都市のNさんは、「今回京都市下京社保事務所のFさんに対応していただいて親切な面談に感服して居ります。社保庁の繁栄を祈りあげます」と書いてきました。また、去る1月29日には、和歌山市の30代の女性から、社会保険事務所で丁寧な対応をしてもらったと謝意があり、「ニュースでは中傷されている社会保険事務所職員ですが、私の住んでいる和歌山市の社会保険事務所の職員の方は、とても知識を持ち、説明もわかりやすかったです」と伝えてきました。

国民に対して、このような当たり前の対応を積み重ねていくことこそが、国民の信頼を勝ち得る道なのです。

次に、私が就任後、直ちに取り組んだ問題の一つが、C型肝炎訴訟の問題です。先月、全会一致で特別措置法が可決・成立し、その後、原告団との間で基本合意書に調印しました。そして、現在、全国の裁判所で和解協議を進めております。ここに至るまでには、多くの方々のご尽力がありましたが、その過程で厚生労働省の内包する様々な問題に逢着しました。たとえば、文書管理の杜撰さであり、「組織としての記憶(institutional memory)」がきちんと維持継続されていないことは大きな問題です。

そしてまた、「政官業の癒着」についても、きちんと終止符を打たなければなりません。私たちは、国民の命を守るために全力をあげるべきであり、業界との関わり合い故に、その視点も見失うようなことが断じてあってはなりません。これは、何も医薬食品業界に限ったことではなく、たとえば地方の労働行政についても同様のことが言えます。公務員の再就職先についても、国民から些かの疑念も抱かれないようにしなければなりません。

各種の審議会についても、自分の役所に好意的な委員を中心に集めるようなことがあってはならず、むしろ批判的な声を謙虚に聞き、自分たちが準備した政策であれ、改めるべきは改めるという姿勢が不可欠です。そのため、現在、審議会委員の人選を抜本的に見直し、新しい血を入れつつあります。これもまた、厚生労働省改革の一つであります。

さらには、政治家とのつきあいについても注意が必要です。厚生労働行政の最高指導者は国民の代表である大臣であり、その大臣の指示や方針に従わないのは、国民主権の原則に違反する行為であり、公務員として失格であります。しかるに、大臣の目指す方向と背反する政策を進めんがために、たとえば族議員に働きかけをし、その圧力でもって大臣に政策変更を迫ることなどは、断じて許されないことです。今回の公務員制度改革で、政治家と役人との接触を禁じようという意見があるのは、そのようなことが念頭にあるからです。政策を議論する必要があれば、大臣である私と諸君との間で行えばよいことであります。また、与野党を問わず、政治家から不当な圧力をかけられるようなことがあれば、直ちに私に伝えて頂きたい。そのような行為は、私自らが、政治家と厳しく対峙し、断固排除します。

わが厚生労働省は、他省庁と比較しても、担当する分野が国民の生活全般にわたるため、業界や政治家との関係が深く、そこにあってはならない癒着が生まれる危険性があります。安倍総理が、私の厚生労働大臣のへの就任を要請したのは、私が、参議院比例代表選出議員であるにもかかわらず、どのような業界からも支援を受けていないこと、そしてまた、自民党にあっても無派閥であること、またいかなる族議員でもない、とりわけ厚生労働族ではないことなどが、厚生労働省改革の旗を振るのに最適であると考えたからであったようです。あらゆる団体に対して、公平無私に対応する、これがこれまで私が貫いてきた方針であり、これからもこの方針を堅持していきます。

年金記録問題やC型肝炎訴訟問題をめぐって、厚生労働省に対する国民の信頼は大きく損なわれました。しかし、一方では、国民の目線で努力する職員に対しては、賞賛の声が届いていることもまた先に紹介した通りです。ムコ多糖症の中井輝(よう)くんのお母さん、中井まりさんは、その手記『命輝ける毎日』の中で、治療薬「エラプレイス」承認の報を受けて、「このお約束をいただくには、もちろん、厚生労働省の方々やムコ多糖症に携わる先生方が積み上げてこられたことがあるのを承知しています。ありがとうございます。」(p233)と述べていますし、巻末にも「厚生労働省のみなさまに、心からの感謝の気持ちを記します。」と書いています。国民は、私たちが全力をあげてよい仕事をすれば、それをきちんと評価してくれます。

これまで、いくつかの問題点を指摘しましたが、反省すべきは反省し、全職員が一致団結し、改革への烽火をあげなければなりません。一人一人が、国民の命を守る、老後の生活を保障する、働く者の権利を守るという原点に立ち戻って、職務に精励すれば、必ずや国民の信頼を勝ちうることができると信じています。

ちなみに、江利川事務次官も坂野社会保険庁長官も、いったんは官を辞すことを決め、あるいは実際に役所の外に出ていたましたが、厚生労働省、そして社会保険庁を再建するために、身内や友人の反対を押し切って今の職に就いております。わが省を刷新するという固い決意は、私の志と一致するところであり、われわれは、ともに力を合わせて、所期の目的を達成したいと思います。

さらには、このたび、社会保障国民会議担当の首相補佐官に任命された伊藤達也元金融大臣が、私たちの支援にかけつけてくれることになりました。この人事については、当初から福田総理、町村官房長官と緊密に協議を重ね、社会保障国民会議のみならず、年金記録問題についてもお手伝い願うことをきめ、人選に入ったわけです。実は、昨年の春から夏にかけて年金記録問題が大きな政治問題となったとき、茂木衆議院議員、世耕参議院議員らとともに、参議院政審会長として私は、問題解決のために自民党幹事長が編成した特命チームに参加しました。その後、私自身が、参議院選挙の候補者として東奔西走することになりましたので、後任を伊藤達也さんにお願いしたのです。そのような経緯がありましたので、私は伊藤さんを総理、官房長官に強く推薦し、その通りの人事が固まった次第です。伊藤さんという優秀な政治家が、われわれのチームに入り、首相官邸と厚生労働省の連絡将校役を務めることは、まことに喜ばしいかぎりであります。

このように、大臣を支える体制が次第に整いつつありますが、これからも改革をさらに前に進めるために、いくつかの施策を実行に移したいと思います。

第一は、広報体制の強化であります。厚生労働行政について、広く国民に情報を提供し、必要な情報は必ず国民と共有することが不可欠です。これまで、この点をあまりにも軽視してきたように思います。各部局に必ず広報担当官をおき、メディアを通じて迅速に国民に情報を提供する体制を整備します。今回の中国製餃子による中毒事件では、多々反省すべき点はあったものの、メディアの協力もあり、被害の拡大防止という点では、一定の成果を上げることができたと思います。今後、たとえば新型インフルエンザの流行という事態に直面したとき、国民への広報活動、国民との情報の共有がきわめて重要になります。広報体制の整備は、危機管理でもあるのです。

その絡みで、厚生労働省のコーポレート・ガバナンスを高め、職員の意識を改革する一環として、わが省のロゴマークを、できれば一般に公募して作成したいと思います。

第二に、厚生労働省改革のために、職員による提案を広く募集します。職場の不満、内部告発であっても構いません。詳細は追ってお知らせしますが、私に直結するメールなどのシステムによって、広範な意見を吸い上げたいと考えています。

第三は、私たち、厚生労働省の職員もまた、ワークライフバランスに留意すべきだということです。国民に訴える以上、まず隗より始めよ、私たちこそ、仕事と生活の調和にもっと気を配らなければなりません。今の限られた人員で、これだけの職務をこなすのは、もはや限界に来ています。健康を保つのが精一杯という状況では、よい仕事ができるはずはありません。予算や人員を削減するだけでは、国民の生命を守ることは不可能です。この点は、私自ら、広く国民に訴えてまいります。また、この問題については、国会の改革、政党の改革もまた不可欠であることは言うまでもありません。いずれにしても、効率よく仕事をし、家庭を大事にして、心身ともに健康を維持し、与えられた使命を果たしていくことが肝要であります。政治家も役人も、役所のオフィスの電気が夜遅くまでこうこうと輝いているような状況は恥であるし、また地球環境の保護にも逆行するものであることを認識すべきであります。

以上、大臣就任半年のあたり所感を述べましたが、2008年を厚生労働省改革元年とすべく、諸君と力を合わせて全力をあげたいと思います、これまでの6ヶ月は、直面する問題の性格上、守りの姿勢に終始せざるをえない局面が多かったように思いますが、これからは、国民に真に安心と希望を実感してもらえるように、攻めの姿勢で厚生労働行政を進めていきたいと思います。

西郷隆盛は、その『遺訓』の中で、「万民の上に位する者、己れを慎み、品行を正しくし、驕奢(きょうしゃ)を戒め、節倹を勤め、職事に勤労して人民の標準となり、下民(げみん)其の勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し」と喝破しています。そして、南洲が愛読した佐藤一齋の『言志録』には、「凡そ事を作(な)すには、須(すべから)く天に事(つか)うるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず。」とあります。職員一人一人が、天に恥じない仕事するとき、必ずやわが厚生労働省は力強く生まれ変わるものと確信しております。


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