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昭和館企画展開催要綱
企画展のご案内
石川光陽写真展

−昭和を撮り続けたカメラマンの記録−

開催趣旨

 このたび昭和館では、『石川光陽写真展−昭和を撮り続けたカメラマンの記録−』と題して企画展を開催する運びとなりました。
 石川光陽(いしかわ・こうよう 本名石川武雄)は、明治37年(1904)福井県に生まれました。東京九段の蜂谷写真館で写真の修行を積み、昭和2年(1927)に警視庁に入庁、以来昭和38年に退職するまでの36年間、持ち前の感性と写真館できたえた技術で昭和の時代を撮り続けました。警察官という特別な立場にいたこともあり、氏の写真には素晴らしい臨場感、迫力が兼ね備わっています。なかでも東京大空襲の様子については、記録資料として撮影を行った唯一のカメラマンとして、その功績は絶大なるものがあります。
 終戦時、GHQは氏の存在を知り、警視庁にフィルムの提出を命令してきました。これを聞いた光陽は、自分が生命をかけて撮影した大切な記録を渡すことをよしとせず、自宅の庭に埋めて提出を拒否しました。ついにこれらの記録写真は氏の所有するところとなったのです。
 本展では戦前から戦中、そして戦後の混乱期から復興期へと移り変わる東京の風景、人々の様子を選んでいます。是非ともこの迫力のある、エネルギーに満ちあふれた作品の数々をご覧ください。

【主催】昭和館
【会期】平成16年4月29日(木)から5月9日(日)
【会場】昭和館3階 企画展会場
【入場料】無料(常設展示室は有料)
【開館時間】10:00〜17:30(入館は17:00まで)
【休館日】毎週月曜日
【所在地】〒102-0074 東京都千代田区九段南1−6−1
【問い合わせ】TEL 03-3222-2577 FAX 03-3222-2575
【交通(電車)】地下鉄【九段下駅】から徒歩1分(東西線・半蔵門線・都営新宿線4番出口)
JR【飯田橋駅】から徒歩約10分
【交通(車)】首都高速西神田ランプから約1分
【ホームページ】http://www.showakan.go.jp
【その他】有料駐車場有り(普通乗用車のみ・1時間200円)
団体予約承ります


 東京華やかなりし頃(昭和6年〜11年ごろ)

 石川光陽が警視庁に入庁した数年後の昭和6(1931)年から昭和11(1936)年ごろまでの写真を紹介する。折しも昭和6年9月には満州事変が勃発し、また国内も金融恐慌以来の不況にあえいではいたが、国内は比較的平穏な状況であった。しかし昭和11(1936)年の2・26事件の勃発により、国内には不穏な空気がただよっていく。

上野広小路(昭和7年ごろ)の写真 上野広小路(昭和7年ごろ)
左手奥は上野松坂屋。
市電のポイントを切り替える転轍所が見える。

ベーブ・ルース(昭和9年11月)の写真 ベーブ・ルース(昭和9年11月)
米大リーグの一員として来日したときの様子。
来日中に彼は18試合全てに出場し、13本のホームランを打った。

雪の浅草六区(昭和11年2月4日)の写真 雪の浅草六区(昭和11年2月4日)
この日の積雪は31センチ、53年振りの大雪となった。


 戦時下の東京(昭和12年〜昭和20年)

昭和12年に日中戦争が始まると、日本国内は一気に戦時色一色に染まっていった。国民の召集、防災訓練など、日本が挙国一致体制のもとに戦争に突入してゆく様子が光陽のカメラには克明に写し出されてゆく。そして太平洋戦争が勃発し、緒戦は連戦連勝であったが、次第に戦局が不安定になり、ついに日本全土がB29による無差別空襲を受けるようになる。

街頭で千人針(昭和12年8月)の写真 街頭で千人針(昭和12年8月)
千人針は最初の頃は、寅年生まれの千人の女性に縫玉を作ってもらっていたが、召集が頻繁になるころには誰でもよい、という風潮に変わっていった。

帝都防空訓練(昭和18年8月)の写真 帝都防空訓練(昭和18年8月)
まだこの頃は大規模な空襲がなかったため、バケツリレーやホースでの放水で火災を消そうとしていたようである。実際には焼夷弾の前には全く効力がなかった。

焼け落ちた九段南近辺(昭和20年3月)の写真 焼け落ちた九段南近辺(昭和20年3月)
3月10日の東京大空襲の後に撮影された。
九段南近辺(現在の昭和館近辺)。


 戦後の混迷と復興(昭和20年8月〜昭和36年)

昭和20年8月15日の終戦により、日本は連合国により統治を受け新たな道を歩み出すことになった。しかし敗戦により混乱した国内は、極端な物資不足、経済の大混乱という状況の下、その道のりは平坦なものではなかった。ようやく日本は国際社会へと復帰を果たす。戦前とは大きく変わった姿が、そこにはあった。

上野職業安定所(昭和21年)の写真 上野職業安定所(昭和21年)
戦後の経済混乱から、深刻な就職難の状態が発生していた。職業安定所の前に集まる職を求める人々。

浅草寺境内のバラック(昭和23年)の写真 浅草寺境内のバラック(昭和23年)
焼け出されて家族も行き場もなくした人々が、浅草寺の境内にまであちこちにバラックを建てて暮らしていた。

復興成った銀座通り(昭和36年)の写真 復興成った銀座通り(昭和36年)
戦後16年、大きく生まれ変わった銀座。


 映像で見る昭和

今回の企画展では、「春」のイメージを彷彿とさせる映像を、読売ニュース・朝日ニュースといったニュース映像や、戦後進駐軍が撮影した国内の様子を撮影したカラー映像などを上映します。街の様子、人々の息づかいをご覧下さい。


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