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平成13年8月13日

「原子爆弾被爆未指定地域証言調査報告書に関する検討会」報告書について


照会先:厚生労働省健康局総務課
担当者:課長補佐 椎葉(内線2314)
    課長補佐 坂本(内線2315)
連絡先:03-5253-1111
ダイヤルイン(夜間)03-3595-2207


原子爆弾被爆未指定地域証言調査報告書に
関する検討会報告書


平成13年8月1日

原子爆弾被爆未指定地域証言調査報告書に関する検討会




 長崎における原爆被爆地域については、行政区域を基本にしたものであったことから、爆心地からの距離で見ればより近い地域が被爆地域に指定されていないことに関して、長年にわたり被爆地域拡大・是正の要望がされてきた。
 このような要望に対しては、昭和55年に原爆被爆者対策の基本理念を明らかにした「原爆被爆者対策基本問題懇談会」報告において、地域指定は「科学的・合理的な根拠のある場合に限定して行うべきである」ものとされている。
 このような中、被爆55周年の平成12年4月に、長崎市が中心となり被爆地域拡大要望のある未指定地域における住民の原爆投下当時の体験手記を集めるなどによって、原爆の被爆体験により外傷後ストレス障害(PTSD)が生じている旨の証言調査報告書がとりまとめられた。
 当該証言調査報告書については、平成12年8月に森内閣総理大臣(当時)より、専門家の意見を聞くなど、精査・研究する旨の指示がなされたことから、当該証言調査報告書の精査・研究を行うことを目的として、平成12年10月に、厚生省保健医療局長(平成13年1月より厚生労働省健康局長)の私的検討会として、本検討会が設けられたところである。また、専門家による研究班が設けられ、研究班は被爆地域拡大要望のある未指定地域の住民の面接調査等を行った。
 検討会においては、研究班の調査結果の検討を含め、計5回にわたり検討会を開催して、科学的な観点から当該証言調査報告書の精査・研究を精力的に行ってきたところであるが、今般、本検討会としての意見を別紙のとおりとりまとめたので報告する。

平成13年8月1日

原子爆弾被爆未指定地域証言調査報告書に関する検討会
座 長  森 亘
厚生労働省健康局長  篠崎 英夫 殿


(別紙)

I 本検討会における検討の経緯

(1)検討会における検討の進め方

 長崎市が中心となってとりまとめた「原子爆弾被爆未指定地域証言調査報告書」(以下「証言調査報告書」という。)について、科学的な観点からの精査・研究を行うため、平成12年10月に厚生省保健医療局長(平成13年1月より厚生労働省健康局長)の私的検討会として「原子爆弾被爆未指定地域証言調査報告書に関する検討会」(以下「検討会」という。)が設置された(参考資料1)。
 本検討会における検討内容は、証言調査報告書について、証言者の当時及び現在における被曝線量、身体的影響及び精神的影響の評価を行うことである(参考資料2)。
 このため、本検討会においては、議論の出発点として、昭和55年の原爆被爆者対策基本問題懇談会の報告(参考資料3)を尊重して、以下の点に留意し進めることとした。
(1) 放射線に起因する特別な障害であるか
(2) 精査・研究の方法が、科学的・合理性に富むものであるか
(3) 調査結果が国民一般の広い合意を得られるものであるか

(2)検討会におけるこれまでの議論の経緯

1)第1回検討会

 平成12年10月5日に第1回の検討会を開催し、今後の検討の進め方の方針を決定した。本検討会においては、科学的・専門的な観点から精査・研究を行うために、精神医学、疫学、放射線被曝線量評価等の分野における専門家で組織した厚生科学研究費による研究班「PTSD等に関連した健康影響評価に関する研究班(主任研究者 吉川武彦 国立精神・神経センター精神保健研究所名誉所長)」(以下「研究班」という。)の設置を決定した。
 研究班においては、長崎市・県により提供された証言調査報告書及び「平成11年度原子爆弾被爆未指定地域証言調査 面談実施者証言集」を科学的な観点から精査、評価することを目的として、特に、精神的な評価に重点を置き、研究に着手することとした。
 また、当該証言調査報告書等については、その重要性はかわらないものの、被爆体験者のみを対象とした自己記入方式による調査及びPTSDに関する面接調査であったことや、被爆後55年を経過したこともあり、ここにある様々な身体的な訴えが高齢化により生じたものか否かの区別がつかず被爆による直接的な影響だけとは限らないものであること等から、同地域において被爆体験を持たない者と年齢、性別等をマッチした上で、専門家の面接により実施する方式の調査を行う必要性があると判断した。

2)第2回検討会・長崎地域調査

 平成13年2月15日に第2回の検討会を開催し、研究班からは、証言調査報告書及び証言集の精査結果の報告及び長崎地域において新たに実施する調査計画が提出された。検討会においては、特に、証言調査報告書の精査の結果から、被爆体験と身体・精神の健康度との因果関係については、これを否定するような所見は得られていないものの、証言調査報告書のデータのみでは判断できないと考えられ、検討会が科学的な精査、研究による評価を行う際に補完できるよう、また被爆体験によるPTSD等に関連した健康影響の有無の実態が把握できるよう十分にデザインされた実地調査とするよう指摘を行った。
 これらの指摘を踏まえ、研究班においては、平成13年3月12日から30日までの約3週間に、訓練された医師、臨床心理士等による面接調査等による調査を未指定地域に居住する被爆体験群と非体験群を含む住民754名に対して実施した。

3)第3回検討会

 平成13年5月28日に第3回の検討会を開催し、研究班が実施した長崎の地域調査の一次解析結果の報告を受けた。検討会においては、研究班の調査結果に関して、免疫機能等の追加解析、被曝放射線量との関係に関する検討、被爆体験群と非体験群などにおける身体的健康状態の比較の検討等の必要性について指摘を行った。

4)第4回検討会

 平成13年7月11日に第4回の検討会を開催し、研究班から総括報告を受けた(参考資料4)。研究班においては、前回の検討会の指摘事項を踏まえ、これまでの精査・分析結果に加え、既存の関連資料を参考にして、原子爆弾の被爆体験によりPTSD等に関連した健康影響があったか否かについて、精神的影響・身体的影響・被曝線量の解析を含め総合的に評価・考察を行っており、この結論部分をもとに、検討会としての最終報告をとりまとめることとなった。

II 長崎の原子爆弾未指定地域証言調査報告書の評価等

 当検討会としては、研究班による調査結果(参考資料4)について、これを検討会の結論とすることで一致した。このうち、総合評価及び研究班の結論の要約は以下のとおりである。

1)総合評価

(1)長崎の証言調査報告書の精査の結果について
ア.長崎市ならびに長崎県より提供された「証言調査報告書」及び「証言集」につき医学的見地から精査した結果、被爆体験と精神・身体健康度との間の因果関係は、これらの資料によるのみでは的確に判断できないとの結論に達した。
イ.そのため、資料をさらに補完する目的で、現地の地域住民及び地方公共団体の協力の下、原爆被爆体験が実際にPTSD並びに関連する健康影響をもたらすか否かについて、面接を含む実態調査を当該長崎地域において実施した。その結果、体験群住民は今日に至るもなお、被爆体験に基づくトラウマ症状に影響を受けている可能性が示唆され、また身体的にも、体験群では同地域の非体験群に比べて疾患の既往が多く、現在も自覚症状の頻度が高く、自覚的健康状態が悪いことが判明した。総合的に、SF36で評価された健康状態及び社会機能は、いずれも数値が低かった。

(2)体験群の健康状態と原爆に由来する放射線被曝との関係について

 しかしながら、先行研究をふまえるとそれらの原因が原爆に由来する放射線被曝によるものであるとする考え方には、以下の理由により否定的である。

ア.原爆由来の直接の放射線による被曝線量は、爆心地からの距離と共に急速に減少することから、当該地域における調査対象者の直接の放射線による被曝線量は、実質上ゼロと見なしうる。
イ.誘導放射線、すなわち原爆からの直接放射線(中性子線)が土壌や建造物に当たって誘導される放射性物質からの放射線による被曝線量も、爆心地からの距離及び原爆投下後の経過時間と共に急速に減少する。計算上、何れをもってしても、当該地域内の対象者が受けた誘導放射線による被曝線量は、実質上ゼロと考えられる。
ウ.核分裂生成物や、分裂しなかったプルトニウムなどの放射性降下物による残留放射線の影響についても考察したが、残留放射線による健康影響は考えられない。

(3)原爆被爆体験と不安との関係について

 他方、今回の実地調査において、原爆被爆体験が特に大きな不安を人々に与えたであろうことが、以下の事実によって明白となった。

ア.種々の自覚症状、自覚上の健康状態、並びにSF36によって評価された自己申告に基づく健康水準調査結果では、体験群が最も悪く、次に認定群、対照群の順になっている。したがって、原爆被爆体験に由来する不安による影響が大きく関与しているものと考えられる。
イ. GHQ及びIES−Rによる精神上の健康度調査においても、原爆被害により有害な放射線を浴びたかもしれないという心理的不安の強度との間に有意の相関が得られた。

(4)免疫機能について

 免疫機能については、今回の調査により有意の差を示す結果は得られなかった。対象者数が少ないという点も考慮し、さらに今後検討の余地がある。

(5)総合評価の総括

 以上の総括として、体験群に見られた種々の健康水準の低下は、原爆投下時に発生した放射線の直接的な影響によるとは考え難く、むしろ被爆体験に起因する不安に基づく可能性が高いと判断される。特に、「有害な放射線に被曝したかもしれない」、「その後遺症が病気になって現れるかもしれない」といった不安、並びに被爆者に対する社会の偏見(と本人たちが感じるもの)が重要な要素であったと考えられる。

2)研究班の結論

 当該地域住民のうち、体験群では、原爆体験がトラウマとなり今も不安が続き、精神上の健康に悪影響を与えている可能性が示唆され、また身体的健康度の低下にも繋がっている可能性が示唆された。
 このような健康水準の低下は、原爆投下時に発生した放射線による直接的な影響ではなく、もっぱら被爆体験に起因する不安による可能性が高いものと判断された。
 なお、研究班はその与えられた使命により、指定された地域内の住民につき原子爆弾の影響を調査した。したがって他種の戦争、災害体験に基づくPTSDについては全く調査を行わず、当然、それらとの相互間の比較も試みられていない。

III おわりに

 本研究を推進するに当たっては、長崎市及び長崎県当局並びに地域住民の方々から多大のご協力をいただいた。これらのご協力がなければ、このような結果は得られなかったものと考えており、改めて感謝する次第である。
 原爆被爆体験者に対し、このように大規模な心的外傷を含む心理的障害に関する科学的な調査を行うことは、国外においてはもちろん我が国においても初めての試みであった。現時点では最善を尽くしたものであり、海外の研究者からも相応の評価を受けることを期待している。


(参考資料1)
検討会委員及び開催経緯

原子爆弾被爆未指定地域証言調査報告書に関する検討会委員

荒記 俊一独立行政法人産業医学総合研究所理事長
伊藤千賀子財団法人広島原爆障害対策協議会 健康管理・増進センター所長
吉川 武彦国立精神・神経センター精神保健研究所 名誉所長
黒澤 尚日本医科大学附属千葉北総合病院精神医学教授
小佐古敏荘東京大学原子力研究総合センター教授
佐々木康人放射線医学総合研究所長
新福 尚隆神戸大学医学部附属医学研究国際交流センター教授
中根 允文長崎大学医学部神経感覚医学講座精神病態制御学教授
長瀧 重信財団法人放射線影響研究所顧問
藤田正一郎財団法人放射線影響研究所統計部副部長
森 亘日本医学会会長(座長)
(平成13年8月1日現在)


開催経緯

第1回 平成12年10月 5日(木)
第2回平成13年 2月15日(木)
第3回5月28日(月)
第4回7月11日(水)
第5回8月 1日(水)


(参考資料2)

原子爆弾被爆未指定地域証言調査報告書に関する検討会開催要綱

1 趣旨

 長崎市が中心となって取りまとめた「原子爆弾被爆未指定地域証言調査報告書」について科学的な観点から精査・研究を行うため、厚生労働省健康局長が開催するものである。

2 検討会の名称

 「原子爆弾被爆未指定地域証言調査報告書に関する検討会」とする。

3 検討会の構成メンバー

(1) 構成メンバーについては、別添(略)のとおりとし、うち一人を座長とする。

(2) 構成メンバーの任期は、「原子爆弾被爆未指定地域証言調査報告書」に対する精査・研究結果についての報告を行うまでの期間とする。

4 検討内容

 証言者の当時及び現在における被曝線量、身体的影響及び精神的影響の評価

5 検討会の開催

 必要に応じ、座長が厚生労働省健康局長と協議の上、招集する。

6 その他

(1)本検討会の庶務は、健康局総務課において行う。

(2)本検討会は公開とする。

(3) この要綱に定めるもののほか、検討会の開催に関し必要な事項は、座長が厚生労働省健康局長と協議の上、定める。


(参考資料3)

本検討会による検討に至るまでの経緯等について

(1)被爆地域・健康診断特例地域に関する経緯等について

1)「被爆地域」について

 原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(平成6年法律第117号。以下「被爆者援護法」という。)は、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和32年法律第41号。以下「原爆医療法」という。)と原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(昭和43年法律第53号)のいわゆる原爆二法を統合し、これを引き継ぐ形で成立している。
 被爆者援護法は、「被爆者」に対する年2回の健康診断の実施のほか、医療の給付、手当の支給や各種福祉事業の実施等を定めているところであるが、これら施策の対象となる「被爆者」の定義については、被爆者援護法第1条に規定されている。
 すなわち、「被爆者」は、「原子爆弾投下の際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内に在った者等で被爆者健康手帳の交付を受けたもの」をいうが、一般に「被爆地域」とは、ここにいう「原子爆弾投下の際当時の広島市若しくは長崎市の区域」及び「政令で定めるこれらに隣接する区域」をいう。 このような被爆地域に関する被爆者援護法上の規定については、原爆医療法からそのまま引き継がれている。

2)「健康診断特例地域」について

 また、被爆者援護法においては、附則第17条において、経過措置として健康診断の特例措置を規定している。すなわち、原子爆弾が投下された際、被爆者援護法第1条第1号に規定する地域(被爆地域)に隣接する政令で定める区域内にあった者等については、当分の間、健康診断の規定の適用について「被爆者」とみなすこととし、健康診断の実施のみを特例的に実施する地域を設けている。
 ここにいう「被爆者援護法第1条第1号に規定する地域(被爆地域)に隣接する政令で定める区域」がいわゆる「健康診断特例地域」であり、具体的な地域は、被爆者援護法施行令(平成7年政令第26号)附則第2条及び別表第3に規定されている。 この「健康診断特例地域」については、昭和49年に設けられ、その後、昭和51年に追加的に地域指定されてきた。

3)原爆被爆者対策基本問題懇談会における議論について

 原爆被爆者対策の基本的理念及び基本的あり方については、昭和55年に「原爆被爆者対策基本問題懇談会」(座長 茅誠司 東京大学名誉教授)(以下「基本懇」という。)において議論がなされ、「被爆地域」「健康診断特例地域」の指定に対する考え方についても意見がまとめられている。
 すなわち、原爆被爆者の基本理念として「原爆被爆者の犠牲は、その本質及び程度において他の一般の戦争損害とは一線を画すべき特殊性を有する『特別の犠牲』であることを考えれば、国は原爆被爆者に対し、広い意味における国家補償の見地に立つて被害の実態に即応する適切妥当な措置対策を講ずべきものと考える」、「(広い意味での国家補償の見地について)原爆被爆者が受けた放射線による健康障害すなわち『特別の犠牲』について、その原因行為の違法性、故意、過失の有無等にかかわりなく、結果責任(危険責任といってもよい)として、戦争被害に相応する『相当の補償』を認めるべきだという趣旨」と、「原爆被爆者の受けた放射線による健康障害が特異のものであり、『特別の犠牲』というべきものであるからといつて、他の戦争被害者に対する対策に比し著しい不均衡が生ずるようであつては、その対策は、容易に国民的合意を得がたく」とした上で、「これまでの被爆地域の指定は、従来の行政区域を基礎として行われたために、爆心地からの距離が比較的遠い場合でも被爆地域の指定を受けている地域があることは事実であるが」「科学的・合理的な根拠に基づくことなく、ただこれまでの被爆地域との均衡を保つためという理由で被爆地域を拡大することは、関係者の間に新たに不公平感を生み出す原因となり、ただ徒らに地域の拡大を続ける結果を招来するおそれがある。被爆地域の指定は、科学的・合理的な根拠のある場合に限定して行うべきである。」との見解が示された。
 なお、被爆者援護法制定時における衆議院厚生委員会における附帯決議には「被爆地域の指定の在り方について、原爆放射線による健康影響に関する研究の進展を勘案し、科学性、合理性に配慮しつつ検討を行うこと。」とされている。

(2)長崎の指定要望地域に関する科学的評価の経緯等について

1)長崎原爆残留放射線プルトニウム調査報告書について
ア)長崎県・市における検討

 長崎においては、昭和55年の基本懇の報告の趣旨を踏まえ、科学的・合理的な根拠を示すことを目的として、昭和63年に長崎県、長崎市が共同で、「長崎原爆被爆地域問題検討会(座長 岡島俊三 長崎大名誉教授)」を設置し、爆心地から半径12キロメートル以内を中心とした70地点における土壌中のプルトニウムの調査を実施し、平成3年に調査報告をとりまとめている。
 それによると、15地点に長崎原爆によるプルトニウムの存在が認められ、そのうち7地点は未指定地域であったことや、拡大要望地域住民の生涯最大被爆線量が25ミリグレイであること、また、これによる発がんの過剰相対リスクが白血病で0.13、白血病以外の全がんで0.01程度であるという結果が示されている。

イ)厚生省における検討

 平成4年には、厚生省はこの報告書の科学的評価を専門家に委託(座長 熊取敏之 放射線影響協会理事長)し、平成6年にその検討結果について報告がなされている。
 それによるとプルトニウム測定のサンプリング方法、測定方法、測定結果と評価、住民の被爆線量推定の妥当性が確認された上で、指定拡大要望地域住民の生涯最大被爆推定線量については、25ミリグレイ以下、大部分が10ミリグレイ未満であり、住民の実際の過剰がん発生はないに等しく、長崎原爆の放射線降下物の残留放射能による健康影響は、この指定拡大要望地域においてはないと結論づけることができる旨の結果が示されている。

2)長崎の原子爆弾未指定地域証言調査報告書について

 長崎市及び周辺6町では、原子爆弾被爆未指定地域の原子爆弾による被害の実態を明らかにし、被爆地域(健康診断特例地域)の拡大・是正を要望していくために、爆心地から同心円状の半径12キロメートル以内の原子爆弾被爆未指定地域に居住していた人のうち、現在も同じ行政区域に居住している住民8700名(長崎市7082名、香焼町・伊王町・時津町・琴海町・多良見町・飯盛町1618名)を対象とする調査を、平成11年4月から平成12年3月にかけて実施し、その結果を取りまとめ、「聞いてください! 私たちの心のいたで 原子爆弾被爆未指定地域証言調査報告書」(以下「証言調査報告書」という。)として、被爆55周年にあたる平成12年4月に公表している。
 本証言調査報告書では、未指定地域住民の現在の健康状況、原爆投下当時の被災の状況等が調査され、また寄せられた被災証言の心理的影響に関する分析がなされている。
 また、併せてこの証言記録を基に、心的外傷を受けた可能性の高い住民312名に対して精神医学的な面接が行われており、そのうち外傷後ストレス障害(PTSD:Post Traumatic Stress Disorder)の診断を満たした者が、完全型が20名(6.4パーセント)、不全型が57名(18.3パーセント)いたことから、「原子爆弾被爆未指定地域にも原子爆弾体験による心的外傷を受けた住民が少なからず存在していたことは明らか」とし、結論として「原爆投下当時、爆心地から同心円状の半径12キロメートル以内の原子爆弾被爆未指定地域に居住していた人々は、被爆者と同程度の影響を受けたことが明らかになった」と報告している。
 本証言調査報告書については、平成12年8月の長崎原爆記念式典後の記者会見において森内閣総理大臣(当時)から厚生省に対して、専門家の意見を聞くなど精査・研究する旨の指示がなされた。


(参考資料4)

PTSD等に関連した健康影響評価に関する研究

総括報告



平成13年7月11日

主任研究者 吉川 武彦
国立精神・神経センター
精神保健研究所 名誉所長




目 次

【1】研究目的

【2】研究概要
  1.研究フロー
  2.研究スケジュール
  3.研究班メンバー

【3】証言調査報告書及び証言集精査概要
  1.精査目的
  2.精査方法
  3.精査結果
   (1) 身体健康度
   (2) 被爆体験
   (3)精神健康度
   (4)身体健康度、被爆体験、精神健康度の相互関連
  4.結論

【4】長崎地域調査概要
 A.精神面
  1.調査目的
  2.調査期間
  3.調査地域
  4.調査及び分析対象者
  5.調査結果
   (1)対象者の基本特性
   (2)体験群と対照群の比較
   (3)現在の精神状態に影響を与えている要因
  6.結論

 B.身体面
  1.調査目的
  2.調査方法
  3.調査結果
  4.結論

【5】総合評価

【6】研究班結論

【7】用語解説


【1】研究目的

 本研究班は、「原子爆弾被爆未指定地域証言調査報告書に関する検討会(座長森亘 日本医学会長)」(以下、検討会と称する)の要請を受け、長崎市・県により提供された「聞いてください! 私たちの心のいたで 原子爆弾被爆未指定地域証言調査報告書」(以下、証言調査報告書と称する)及び「平成11年度原子爆弾被爆未指定地域証言調査 面談実施者証言集」(以下、証言集と称する)を科学的な観点から精査、評価することを目的として、研究を実施した。
 その際、科学的な精査、研究による評価を行う際の補完研究として、被爆体験によりPTSD等に関連した健康影響の有無の実態を調査するため、証言調査報告書において指摘された地域に対する面接調査等を実施した。 それらの結果を踏まえ、原子爆弾の被爆体験によりPTSD等に関連した健康影響があったか否かについて、総合的に評価を行った。

【2】研究概要

(1)研究フロー

 本研究目的を達成するため、資料1の流れに従い検討会の助言を得ながら、以下の手順により研究を実施した。

1)証言調査報告書及び証言集の記述内容に関する分析・評価

 長崎市・県より提出された証言調査報告書及び証言集の記述内容について精査し、評価を行った。

2)長崎地域における面接等調査の実施及び調査結果の解析・評価

 1)の精査・分析を補完するため、証言調査報告書の記載地域に対し、現地において面接等の調査を実施するとともに、調査データについて解析し、評価を行った。

3)総合的考察及び結論

 これらの精査・分析結果に加え、既存の関連資料も参考にして、総合的な考察を行い、本研究班における一定の結論を導いた。

(2)研究スケジュール

・平成12年10月 5日検討会(第1回)より研究方針に関する助言
・平成13年 2月15日検討会(第2回)に証言調査報告書及び証言集の精査結果報告、長崎地域調査計画提出
・平成13年 3月12日長崎地域調査開始
・平成13年 3月30日長崎地域調査終了
・平成13年 5月28日検討会(第3回)に一次解析結果報告
・平成13年 7月11日検討会(第4回)に研究班総括報告

(3)研究班メンバー

 
資料2を参照。

【3】証言調査報告書及び証言集精査概要

1.精査目的

 本研究班は、原子爆弾の被曝体験によりPTSD等にかかる健康影響があったかどうかについて、証言調査報告書及び証言集の記述内容について精査及び評価を行った。

2.精査方法

 記載データを基に、重回帰分析等の統計学的解析を行った。

3.精査結果

(1)身体健康度

1)65歳以上では長崎市調査の回答者は、国民生活基礎調査、患者調査と比べて、ほとんどすべての疾患において受療率が高かった。また、H9年度原子爆弾被爆者健康調査と比較して、多くの疾患において受療率が高かった。

2)現在の健康状態については、選択回答枝の違いから国民生活基礎調査との比較が困難であった。また、H9年度原子爆弾被爆者健康調査と比較すると、健康状態の悪い者が多かった。

3)寝たきり者の割合は、国民生活基礎調査と比べて長崎市調査では2倍近く高かった。逆に、H9年度原子爆弾被爆者健康調査に比べて寝たきり者の割合は少なかった。

4)今回の調査と国民生活基礎調査とでは調査項目が同じではないため、このことのみから国民の一般状態より身体健康度が不良であると断言することは出来ないが、その可能性はあるものと考えられた。

(2)被災体験

1)「光、風、熱を感じたか」との設問に分からないと回答した者の多くは、被災時に乳幼児であった者であった。また、当時5歳以下の者を除外すると、93%が光を、86%が爆風を、56%が熱を感じており、合計すると、97%が何らかの被災体験を持っていた。

2)しかし、これらをただちに「被曝」とすることはできない。原爆というのは、一般の爆弾と同じように破裂することによる影響があり、次に放射線による影響がある。住民が光、爆風、熱を感じたというのは、爆弾の破裂に関する体験である。

3)これに対して、放射線の被曝それ自体は、その瞬間には感じられない。ただし、被曝の程度が強ければ、その直後から、脱毛、歯茎からの出血、皮膚の斑点などが生じ、本人にも気付かれることがある。実際にこれらの症状のどれかを記載している住民は全体の約9%であった。

4)ただし、これらの症状は他の疾患によっても生じることもあるので、こうした症状があったからと言って、「放射線による被曝」があったと直ちに言うことはできない。あくまでも客観的な放射線による被曝があったのか否かということが、問題である。

5)客観的な放射線による被爆については、直接放射線による影響と残留放射線による影響の総和によって評価されるが、この地域と爆心地との距離を考えると、直接の放射線による影響はないと考えられ、また証言集の内容においても、その記載のほとんどは爆弾としての被害に関するものであり、直接に放射線被害を疑わせるものは見られなかった。

6)また、残留放射線による影響については、個人的に爆心地に赴いたという場合や放射線を帯びた雨、埃などを被った場合にその影響を考慮する必要があるが、証言集の内容においては、一部に雨、埃などで残留放射線を受けた可能性を否定できない記述もあるが、特に健康被害と関連させるべき所見は見られなかった。

7)しかしながら、こうした区別は専門的知識によるものであり、住民の心情としては被爆があったと感じていると考えられた。

(3)精神健康度

1)本調査では、健康調査票に添付された証言記録(被災時の状況、当日の行動、その後の健康不安)を基に、心的外傷を受けた可能性の高い住民を選択し、80才以上のものを除外し、総計312名に精神医学的な面接を行って、PTSDの生涯診断を付けている。

2)面接の手続きはCAPSと呼ばれる国際的な構造化面接を用いており、その方法は適切なものであった。この結果、被災後から現在までの間に、PTSDの診断を満たしたと思われるものが存在した(完全PTSDが20名、不全型PTSDが57名)。
 この意味は、個人レベルにおいて、被爆体験が精神的な苦痛をもたらしたということであり、そうした個人が存在するということ自体はひとつの事実として受け入れる以外にないと考えられた。

3)ただし、この結果はこれまでの精神健康に関するものであり、現在の精神健康についてはデータが与えられていない。また、こうした対象者の選び方は、苦痛を持っている住民を探索するためのものであって、被爆体験を持つ地域住民の代表を選び出すためのものではない。したがって地域として見た場合に、精神健康度がどのような程度にあるのか、ということは判断できなかった。

4)一般に、PTSDは放射線の直接の影響によって生じるものではない。PTSDに影響を与えるものは、被爆というトラウマ体験の心理的な衝撃の強さ、その後の社会的サポート及び二次的トラウマなどである。

5)したがって、PTSDが生じた理由を推定するためには、被爆体験がその直後にもたらした心理的な衝撃の強さや、その後の社会生活の質を調査する必要がある。特に今回の地域特性を考えると、被爆者に認定されなかったことが、住民の意識の中で、どのように受け止められてきたかということが重要である。
 また、認定されていないにも関わらず、被爆に関連づけられた偏見などの対象となってきた可能性もある。これらは今後の調査の課題であると考えられた。

(4)身体健康度、被災体験、精神健康度の相互関連

1)本データでは「総合的な健康度」と「現在持っている病気の個数」が、「被爆体験の主観的な強度」と「年齢」および「性」で説明できるかどうか、重回帰分析を行ったが、「被爆体験の主観的な強度」と「年齢」のみが、有意に相関していた。

2)ただし、一般的に高齢ということは、心身健康にとってのリスクファクターであるので、加齢に伴う心身の状態をさらに詳しく調査した上で結論を出す必要がある。

3)また重要なことは、被爆体験そのものが、はたしてどのような身体、心理的な影響をもたらすのかを明らかにすることである。そのためには被爆体験を持っておらず、かつその他の点では対象住民とできるだけ均質な人々を含めた調査を行い、この2つのグループ間で健康状態を比較検討する必要があるが、そのような対照群研究は今回の長崎市調査では行われていなかった。

4. 結論

 以上より、被爆体験と身体・精神の健康度との因果関係については、これを否定するような所見は見られていないものの、当該データでは判断できないと考えられ、今後さらに、これらの判断に資する新たな調査研究を行う必要があると考えられた。

【4】長崎地域調査概要

A.精神面

1.調査目的

 原爆投下時に当該未指定地域に居住または滞在していた者については、原爆放射線による被曝影響に関しては、放射線の推定線量評価からは健康に影響を与えるものではなかったと考えられるが、被爆者の被爆体験による精神的、身体的影響が現在においても存在する可能性もあることから、この点に関して可能な限り科学的に厳密に研究することを目的として調査を実施した。

2.調査期間

 平成13年3月12日(月)〜3月30日(金) (3週間)

3.調査地域

 長崎市、長崎県(香焼町、琴海町、伊王島町、飯盛町、時津町、多良見町)

4.調査及び分析対象者

 754名の面接者のうち、分析の対象に適さない者を除外した、体験群347名、対照群(非体験群)288名、認定群29名、特例群29名、PTSD群16名、合計709名を解析の対象とした。
 また採血者については、採血の同意の得られた者122名に採血を実施し、面接データに欠損値があった者等を除いた114名を解析対象とした。

5.調査結果

(1)対象者の基本特性

1)体験群、対照群とも、現在住所への転居の理由には有意差がなかった。

2)原爆投下後一ヶ月以内の行動を見ると、対照群においても、爆心地に出入りするなどの行動を取ったものが見られ、また投下後の情景に少なからぬ衝撃を受けたものも存在した。

3)対人関係におけるサポートについては、両群間に有意差は見られなかった。

4)喫煙と飲酒間で有意差は認められなかった。

5)「現在の居住地域が放射能汚染されていると感じる程度」、「被爆に関する本人へのスティグマ体験の程度」、「近親者における認定者、およびそれ以外の被爆者の人数」は体験群の方が対照群よりも高値であった。

6)原爆に関する知識について、一般的な知識については、両群間でわずかに差が出ているが、内容的には誤差の範囲と思われた。これに対して、放射能についての知識は、体験群よりも対照群の方が正確であった。これは体験群の放射能に関する認識が、客観的な知識よりは、個人の被爆体験に伴う不安、感情に左右されていることをうかがわせた。また、適切な知識を得る機会が乏しかったことの反映でもある。このことは、体験群における爆心地からの距離の認識も、実際の放射能の減衰の程度に比して過大であることからも推測された。

7)職歴にはほとんど有意差はなかった。また通学年間も有意差は出ているが、その差はわずかであった。この点に関しては、対照群において職歴に教育関係者がやや多いことは、調査協力への動機付けが得やすい群であったことを若干反映していると考えられた。

(2)体験群と対照群の比較

1)精神状態を比較するための指標として、General Health Questionnaire 28項目版を用いた。GHQ総点および下位得点のすべてにおいて、体験群では対照群よりも有意に高値であった。しかもGHQ総点の実測値(平均)を見ると、体験群が10.58、対照群が6.54であり、臨床的にも意味のある差と言えた。
 下位尺度については、各2点がcut off pointと見なされるが、身体症状、不安において、体験群ではこの得点を上回った。これは放射能被害に関して、その身体影響に関する不安を抱きがちなことと符合する結果である。
 下位尺度によっては必ずしも高い得点を示さなかったことは、体験群による回答の信頼性の傍証となると考えられた。

2)GHQ総合点と、身体症状、不安において、両群間の区別は有意な関連を示していた。総合点においてスティグマ体験、不安において他のトラウマ体験も関連しているが、その程度は弱かった。社会、うつについては両群の区別は有意な連関を示さなかったが、放射能被害では身体と不安症状が重要である。また、総合点にも両群の区別が有意な関連を有していることから、体験群においては、対照群に比べて、他の要因によっては説明の困難な、精神的な健康状態の悪化が認められると考えられた。

3)両群間の区別のうち、被爆体験の有無と認定へのバイアスの有無であるが、後者については上述のごとく、本調査では認めがたかった。したがって、体験群においては、被爆体験に基づく精神健康状態の悪化が、現在でも認められるものと考えられた。

(3)現在の精神状態に影響を与えている要因

1)GHQについては、総点、下位得点とも、有意に関連したのは、いずれも事後要因のみであった。言うまでもなく、この所見は、被爆体験があったということ以外に事後要因が検出されたということであって、現在のGHQ得点が事後要因のみによって決定されているということではない。

2)IES-Rについては、原爆投下要因、放射能要因とのあいだにも、有意な関連が見いだされた。これらについては、GHQは一般的な精神の健康度の指標であるため、過去のトラウマ体験に特異的なストレスを検出する力は低く、他方で、より現在に近い要因の影響を強く受けたものと思われた。

3)IES-Rは被爆に関するトラウマ体験の症状をより鋭敏に検出することができ、それにより上記3要因の影響が認められたものと思われた。

4)これらの連関は因果関係について直接に示唆を与えるものではなく、現在の精神状態が悪いために、現在もしくは過去の体験に対して、過剰な負の意味づけを行っているという可能性も存在するが、この点については、本調査は横断面的なものであるために、厳密には結論を下すことは難しい。

5)ただし、いくつかの項目に関しては、その内容を検討することにより、因果関係についての示唆を得ることが可能である。たとえば事後要因のうち、スティグマ体験については、より主観的な体験を反映した、「スティグマを受けたことの苦痛」を尋ねる項目も設けているが、その項目とは有意連関が見いだされず、より客観的な、スティグマ体験の程度をたずねる項目との間に連関が見いだされた。

6)スティグマに関しては、事後的な評価のバイアスの影響は少ないものと思われた。

7)症状を誇張することについては、体験群のK尺度得点がむしろ対照群よりも低いという結果が出ており、これは何らかの困難について、「何かの出来事に起因した症状である」と外在化するよりも「自分の性格のためである」「世の中とはそのように出来ているのだ」と内面化したり、受容して耐えようとする姿勢を示していた。

6.結論

 体験群住民においては、原爆投下並びに放射能被害に伴う不安が、被爆体験に基づくトラウマ症状に、今日もなお影響を与えている可能性が示唆されたものと考えられた。

B.身体面

1.調査目的

 被爆未指定地域の被爆体験群と同地域に在住する被爆非体験群(被爆後移住者)の間で、現在の身体的健康状態を比較することで、同地域における被爆体験が身体的健康に与える影響を評価する。

2.調査方法

1)方法

(1)基本的項目

 性別、年齢の他、喫煙習慣の有無、喫煙本数(現在非喫煙者は0本とした)、飲酒習慣の有無、1週間飲酒量(1週間の飲酒回数と1回量の積をビール本数に換算)を調査した。

(2)健康状態の調査項目

 自覚的健康感、既往歴の有無、現在の症状の頻度について調査。

(3)SF36尺度

 SF36日本語版の尺度から、身体機能、体の痛み、全体的健康感、活力、社会生活機能、心の健康を選択し調査に使用し、各尺度は点数が高い方が健康状態のよいことを示すように設計。

2)解析

 経験群と対照群との間で、身体健康に関する上記項目あるいは尺度得点をt検定またはカイ2乗検定で比較。また、性別、年齢を調整した場合の有意差について、共分散分析あるいは多重ロジステイックモデルを用いて検討した。

3.調査結果

1)基礎集計

 体験群と対照群では、男女の割合に有意な差はなかったが、体験群の方が平均年齢は若かった。また、現在の喫煙習慣および飲酒習慣には有意な差はなかった。

2)自覚的健康感の比較

 体験群では対照群に比べて自覚的健康感が有意に悪かった。

3)既往歴の比較

 体験群では対照群に比べて、心臓病、関節痛・腰痛・関節炎、神経痛、耳・鼻の病気が性別、年齢を調整した後でも有意に多かった。

4)身体的症状

 現在のめまい、全般的な痛み、耳が遠い、出血、皮膚症状、下痢の頻度が有意に多かった。また体験群ではこれを被爆と関係づける者が有意に多かった。

5)SF36尺度得点の比較

 体験群で、身体機能、体の痛み、全体的健康感、活力、社会生活機能、心の健康の点数が低かった。

4.結論

 被爆未指定地域の被爆体験群では、同じ地域の被爆非体験群にくらべて、自覚的健康状態が悪く、身体疾患の既往歴が多く、現在の自覚症状の頻度が高く、SF36で評価された健康状態および社会機能が低かった。対象者の選択や調査時の情報のバイアスなどによる見かけ上の差である可能性も完全には否定できないが、被爆体験が現在の自覚的健康感の低下と身体疾患既往の増加に関係している可能性が示された。

【5】総合評価

1.長崎市ならびに長崎県より提供された「証言調査報告書」及び「証言集」につき医学的見地から精査した結果、被爆体験と精神・身体健康度との間の因果関係は、これらの資料によるのみでは的確に判断できないとの結論に達した。

2.そのため、資料をさらに補完する目的で、現地の地域住民及び地方公共団体の協力の下、原爆被爆体験が実際にPTSD並びに関連する健康影響をもたらすか否かについて、面接を含む実態調査を当該長崎地域において実施した。その結果、体験群住民は今日に至るもなお、被爆体験に基づくトラウマ症状に影響を受けている可能性が示唆され、また身体的にも、体験群では同地域の非体験群に比べて疾患の既往が多く、現在も自覚症状の頻度が高く、自覚的健康状態が悪いことが判明した。総合的に、SF36で評価された健康状態及び社会機能は、いずれも数値が低かった。

3.しかしながら、先行研究をふまえるとそれらの原因が原爆に由来する放射線被曝によるものであるとする考え方には、以下の理由により否定的である。

1) 原爆由来の直接の放射線による被曝線量は、爆心地からの距離と共に急速に減少し、3.5km以遠では自然放射線による年間被曝線量(約2ミリグレイ)以下となる。当該地域における調査対象者の被爆距離は6km以遠であり、実質上、直接の放射線による被曝線量はゼロと見なしうる。
2)誘導放射線、すなわち原爆からの直接放射線(中性子線)が土壌や建造物に当たって誘導される放射性物質からの放射線による被曝線量も、爆心地からの距離及び原爆投下後の経過時間と共に急速に減少する。計算上、爆心地から0.5kmの地点に原爆投下後5日目以降現在までいたとした場合の積算被曝線量は1.7ミリグレイ、1kmの地点に3日目以降いたとすれば0.07ミリグレイとなる。何れをもってしても、当該地域内の対象者が受けた誘導放射線による被曝線量は、実質上ゼロと考えられる。
3)核分裂生成物や、分裂しなかったプルトニウムなどの放射性降下物による残留放射線の影響についても考察した。それらによる生涯最大被曝線量は、最も高い測定値が得られた調査地点で25ミリグレイを示したが、ほとんどの地域では10ミリグレイ未満と推定され、当該地域内の調査対象者が受けた実際の被曝線量はこれよりもさらに小さいはずである。したがって、残留放射線による健康影響は考えられない。

4.他方、今回の実地調査において、原爆被爆体験が特に大きな不安を人々に与えたであろうことが、以下の事実によって明白となった。

1)種々の自覚症状、自覚上の健康状態、並びにSF36によって評価された自己申告に基づく健康水準調査結果では、体験群が最も悪く、次に認定群、対照群の順になっている。したがって、原爆被爆体験に由来する不安による影響が大きく関与しているものと考えられる。
2) GHQ及びIES−Rによる精神上の健康度調査においても、原爆被害により有害な放射線を浴びたかもしれないという心理的不安の強度との間に有意の相関が得られた。

5.免疫機能については、今回の調査により有意の差を示す結果は得られなかった。対象者数が少ないという点も考慮し、さらに今後検討の余地がある。

6.以上の総括として、体験群に見られた種々の健康水準の低下は、原爆投下時に発生した放射線の直接的な影響によるとは考え難く、むしろ被爆体験に起因する不安に基づく可能性が高いと判断される。特に、「有害な放射線に被曝したかもしれない」、「その後遺症が病気になって現れるかもしれない」といった不安、並びに被爆者に対する社会の偏見(と本人たちが感じるもの)が重要な要素であったと考えられる。

【6】研究班結論

 当該地域住民のうち、体験群では、原爆体験がトラウマとなり今も不安が続き、精神上の健康に悪影響を与えている可能性が示唆され、また身体的健康度の低下にも繋がっている可能性が示唆された。このような健康水準の低下は、原爆投下時に発生した放射線による直接的な影響ではなく、もっぱら被爆体験に起因する不安による可能性が高いものと判断された。
 なお、研究班はその与えられた使命により、指定された地域内の住民につき原子爆弾の影響を調査した。したがって他種の戦争、災害体験に基づくPTSDについては全く調査を行わず、当然、それらとの相互間の比較も試みられていない。

【7】用語解説

○PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)
 外傷後ストレス障害

 強い心の傷に引き続いて起こる反応。いつまでもそのことが思い出される(侵入)、不安が静まらず、眠りにくくなる(過覚醒)、現実感が失われ、人々との自由な交際などができなくなる(回避)、などの症状がある。

○GHQ28(General Health Questionnaire)
 総合健康質問票28項目版

 現在の心の健康状態を調査するための総合的な質問票。元気が出ない、不安だ、身体の調子が悪いなどの状態がチェックできる。各種の災害時などの健康調査で用いられることが多い。質問数によって種類が分かれる。本調査では、28項目版を使用している。

○IES−R(Impact of Event Scale Revised)
 改訂出来事インパクト尺度

 PTSD症状のチェックリスト。PTSDの特徴である、侵入症状、過覚醒症状、回避症状の3症状から構成されており、災害や犯罪ならびに事件・事故の被害など、ほとんどの外傷的出来事について使用が可能である。

○SF36(Short Form 36 Health Survey Questionnaire)
 健康調査質問紙36項目短縮版

 身体状態を通じたずねた、健康の度合い。健康状態及び社会的な機能状態を評価するために広く使用されている。


資料1
「PTSD等に関連した健康影響評価に関する研究」班における精査・研究の流れ図

流れ図


資料2
平成12年度厚生科学研究費補助金(特別研究事業)
PTSD等に関連した健康影響評価に関する研究班メンバー


1.主任研究者
吉川 武彦国立精神・神経センター 精神保健研究所 名誉所長

2.分担研究者
明石 真言放射線医学総合研究所 放射線障害医療部 情報室長
荒記 俊一独立行政法人産業医学総合研究所 理事長
岡田 幸之東京医科歯科大学 難治疾患研究所 助教授
加藤 寛兵庫県長寿社会研究機構 こころのケア研究所 部長
川上 憲人岡山大学医学部 衛生学 教授
金 吉晴国立精神神経センター 精神保健研究所 成人精神保健部 成人精神保健研究室長
古野 純典九州大学医学部 公衆衛生学 教授
佐藤 元東京大学医学部 公衆衛生学 講師
藤田正一郎財団法人放射線影響研究所 統計部副部長
藤森 立男横浜国立大学 経営学部 教授
平成13年4月1日現在


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