総合福祉部会 第13回 H23.4.26 参考資料6 三田委員提出資料 大阪ピープルファーストからの意見書 総合福祉法にむけてきちんとした基本法が必要です 2010年3月5日 1 ピープルファースト大阪 中山 千秋 私は、知的障害を持つ43歳です。今、グループホームで暮らしています。私は、子ども のころから、施設に何回か入ったことがあります。  小学校5年生の夏にお母さんが亡くなり、妹と一緒に施設に入りました。土日はお父さ んが迎えにきて、お父さんの寮で土日過ごし、日曜日の夜に施設に帰りました。お父さん と離れるとき、いつも泣いてました。先生たちはきびしかったし、毎日つらかったです。 家に帰りたいといつも思ってました。  小学校を卒業して、施設をやめ、お父さんと妹と一緒に暮らしました。 中学校に上がって、私は、授業さぼったり、みんなと一緒にお昼ごはん食べられませんで した。中学校1年生のとき、学校に養護学級はありませんでした。2年になって、養護学 級ができて、担当の先生に、養護学級にはいりなさいと言われました。悲しかったです。 何もできないから養護学級にいれたのか?担当の先生も、もうちょっと、授業とかクラス のなかまと一緒に過ごせるように、努力してほしかったです。勉強ついてこられなかった ら、別の時間で、勉強教えてほしかった。先生は私の気持ちをわかってくれませんでした。 私もみんなと一緒に、もっと勉強したかったです。  高校を卒業して、しばらく家におりました。22歳の時、仕事探してたら入所施設を紹 介されて、断っていいのかわからず仕方なく入りました。入った時は緊張して、みんなと ご飯食べられませんでした。部屋は4人部屋でした。先生の言うこと聞かなかったら、怒 られたり、たたかれたこともありました。トラブルは日常茶飯事でした。おやつとられた りしたこともありました。毎日が戦いでした。私は「なめられたらあかん」と思い、ほう き持って追いかけたり、足蹴りとかしたこともありました。言葉づかいが男みたいになり ました。つらくて、自殺をしようと思ったこともありました。近くに電車の踏切がありま した。だから担当の先生にカウンセリング受けるように言われ、それから薬を飲むように なりました。2年でその入所施設はやめました。  入所施設は、プライバシーがあんまりないし、規則もあるし、毎日大変でした。時間も 決まっているし、自由が少なくて、辛かったです。私はもう二度と入所施設には、もどり たくないです。苦しい思いはしたくないです。  地域生活は大変な事もあるけど、自由だから地域で暮らせる方がいいです。好きなこと ができるし、好きな人と暮らせます。障害者だから入所施設にはいるのは間違っていると 思います。障害者も同じ生きてる人間だから、自由に生きていいと思います。  今の基本法のままでは、障害者の暮らしは少しも変わりません。ちゃんと、社会が変わ るような法律にしてください。 2 ピープルファースト大阪 梅原 義教  僕は車椅子を使っていて、今、グループホームで暮らしています。今、35歳です。  僕は、3歳から12歳まで、入所施設にいました。入所施設にずっといて、10日に1 回、3日間だけ実家に帰っていました。施設に帰るとき、いつも車の中で、行きたくなく て泣いていました。僕は、こどもの時は、ぜんぜんしゃべれませんでした。しゃべったの は、中学校のときです。言われてることはわかってたと思うけど、しゃべれませんでした。  施設では、訓練をしたり、リアカーに乗って散歩とかしていました。散歩はリヤカーに 乗っていきました。メンバーが10人乗って、職員が2人で引っ張っていました。今思っ たら恥ずかしいと思います。何でリアカーに乗ってたのかと思いました。  冬は半袖で雪の中に放り込まれました。夏は暑くても、みんなで扇風機が一個だけでし た。風呂も決まってて、だいたい6時半からお風呂に入って、8人でお風呂に入っていま した。8人で入るから、せまかったです。  毎日訓練をやったのはしんどかったです。自分で着替えるのは決まりだったけど、僕は 体があまり動かなくて、時間がかかってしんどかったです。訓練はきつかったです。テー ブルを持って立つ訓練でした。みんなで10まで数えました。椅子を持って歩く訓練もし ました。食堂まで歩きました。  施設に養護学校の先生がきて、勉強をしました。本当は僕もみんなと学校に行きたかっ たです。そのとき学校とか幼稚園とかあったのを知らなかったから、わからなかったけど。 遠足とかも行ってみたかったです。  僕は今、プロ野球が大好きです。でも、施設にいたときは、プロ野球も知りませんでし た。テレビはあったけど、高いところにあって、僕は見れませんでした。  トイレは子供用のおまるが部屋に置いてありました。僕は上手く使えませんでした。メ ンバーがたくさんいて、職員が少なくて、トイレ介護が間に合わなくて、布団に失敗する ことがありました。いつもそんな人が2〜3人いました。  施設の中が一番きつかったです。僕は8年間いました。もうこんな思いはしたくないで す。基本法は、僕たちが地域で暮らすことが決められていません。僕も、そのときは知ら なかったけど、今思ったら、施設に行くのは悲しかったし、地域の学校に行きたかったで す。ちゃんと僕たちが地域で暮らせるようにしてください。     3 ピープルファースト大阪 山田 浩  僕は、知的障害を持っています。今38歳です。今はグループホームで暮らしています。  僕は、高校をでたあと、親が決めて、山奥にある施設にいれられました。体験で1週間 行きました。僕は嫌だと言ったけど、「しばらくそこにいなさい」と言われて、嫌で、泣い たけど、がまんして、そこにいてました。  施設では、朝から掃除して、ごはんたべて、作業したりして、夜は9時に寝ました。夜 は職員が見回りにきました。怖い先生がいました。男の人で、怒って怒鳴ったり、作業の 時「違う」と怒るのが怖かったです。怖かったからずっとがまんしていました。1週間ぐ らいいて、親が迎えに来て帰りました。  体験のときは3人部屋でした。部屋に3人分のベッドがあっていっぱいでした。他の人 もいたからあんまり自分の物が置けません。部屋のメンバーのいいなりになるしかありま せんでした。1日の時間が決まっていたし、のどが渇いても、時間までがまんです。部屋 に入る時間になったら、トイレに行くのにも許可がいりました。朝になると「起床!」と 言って起こされます。  大きな施設で、人がたくさんいました。お風呂は、順番待ちでした。お風呂にはいる時 間も短かいし、たくさんいるからどうしたらいいかわかりませんでした。  お母さんは「ここにいなさい」と言ったけど、僕は知らなかったし、まさかこんなとこ ろとは思いませんでした。  地域なら自由に過ごせます。好きなこともできます。今はグループホームで、自分だけ の部屋があります。好きな電化製品を置いたり、ポスターを貼ったり、好きなミニカーを 集めています。自由です。  基本法の案は、地域で暮らすことが、絶対約束されてません。仕方ないから施設に行く 事になる人もでてくると思います。だれでも地域で暮らせることを法律で決めてください。